15 ヒースの事情2ー怪異・化け猫の館
その館は比較的古い、碁盤の目のような区画にある。真っ直ぐな道と、続く曲がり角に、ともすれば道を間違えそうになる。だが、ヒースは頭の中で立体地図を展開させ、お目当ての住所に真っ直ぐ向かった。
そこは立派な古民家だった。
門をくぐって、玄関先まで来ると、ドアのノッカーを三回鳴らした。
「はいー。どちら様?」
顔を出したのは、若い家政婦らしき女性だった。
「何かしら? 君たち」
子供がぞろぞろと尋ねてきて、純粋に疑問に思ったのだろう、女性は首を傾げた。
「あのー」
この中でも、最も人当たりの良いとされるテンが対応に当たる。
彼の温和な空気と、優しげな糸目は、他人の警戒心を緩める効果がある。
「こちらのご主人の、身体の容態が思わしくないと聞いたんですけど……」
それを聞いた家政婦は、さっと顔色を変えた。
ビンゴだ。
「奥様を、お呼びしてきます。少々お待ちください」
家政婦はドアの向こうへ消えていった。
「どうなんだよ、テン。なんか、感じるか?」
ヒースはテンに水を向けた。
「いや……今んとこは特に」
「おじさんは、気を付けろって言ってるよ」
ユジュンの傍らに佇むクーガーが、毛を逆立てて、低く唸っている。
「動物的カンってやつか」
ヒースのつぶやきが、地面に落ちた。
しばらくして、またドアが開いた。
家政婦が、奥様とやらを連れてきたらしく、ヒースたちの目の前に、その姿を現した。
八十近い老婆だったが、腰は曲がっておらず、背筋もピンとしている。背丈も、この年代の女性にしては高い方だ。
「坊やたち、どこでこの話を……?」
奥様が口を開いた。
「あっちこっちで、噂を聞いて、それらを集めて、ここへたどり着きました」
テンが一言一言丁寧に答える。
「ああ、あなたたちが、うちの人を救ってくれるのかしら……」
わらにも縋る思いだったのか、奥様が口もとを押さえてその場に崩れ落ちた。
「奥様!」
家政婦が咄嗟に奥様に寄り添って、抱き起こした。
「どうぞ、中へ入って頂戴。詳しい話は奥で話します」
一行は、応接間へと通された。古いが壁紙も美しく、調度品なども立派なものだ。
ソファーに四人が並んで座り、対面にに奥様が座る。
家政婦が、奥様から順に、ヒースたちの前にも紅茶のはいったカップをソーサーの上に置いていく。それが終わると、深くお辞儀をして退出していった。
「主人がおかしくなったのは、二年前のことです」
紅茶に口を付けようとした奥様が、それをやめてカップをソーサーに戻したあと、語り出した。
「庭のお堂に変わった宝石が祭られてあると言って、それを持ち出してきてしまったのです。わたくしはご神体を持ち出してはバチが当たるんではないかと言ったのですけれど、主人は離そうとしなくって」
「宝石とは?」
ヒースが尋ねた。
これまでの都市伝説も、皆、宝石がらみだったからだ。
「わたくしの目には、アンバーのように見えました。これくらいの」
と、奥様は両手で鶏の卵くらいの大きさを作って見せた。
「アンバーってなに?」
ヒースに向かって、ユジュンが純粋な目を向けてくる。
「琥珀のことだよ。よくあんだろ。太古の昆虫が閉じ込められたりしてるヤツ」
ヒースは懇切丁寧に教えてやった。
「あー琥珀!」
ユジュンは思い当たる節があったのか、手を打った。
「その琥珀を手にしてからです、主人の容貌が変わってしまったのは。あれは、まるでケダモノです。ギラついた目と、毛むくじゃらの身体……人を、人を食うのです。これまで三人のお医者さまが犠牲になってしまいました。もう、わたくしはどうしたらいいものかと……」
「ご主人の様子、見せてもらえません?」
テンが控えめに訊いた。
「明るいうちは眠っています。活動するのは、決まって夜中……」
こちらへ、と奥様は立ち上がって、ヒースたちを主人の寝室まで案内した。
その部屋は雨戸とカーテンで窓を遮られ、外光は完全に遮断されていた。
明かりを灯して初めて、中の様子が見て取れた。天蓋つきの大きなベッドに、痩せ細った老人か誰かが寝ている。
老人かどうか分からなかったのは、顔面も、布団からはみ出した腕さえも包帯でぐるぐる巻きだったからだ。
「これじゃあ、誰が誰だか分かんないね」
ユジュンが率直な感想を述べた。クーガーはその足下で大人しくしている。
「ほんまに、寝とる」
スースーという主人の寝息を聞いたテンが驚いている。
イリヤは主人の顔をただ、凝視しているだけだ。
「この包帯を取ったら、どんな化け物の顔が出て来るんだか」
ヒースは奥様の顔を伺ったが、奥様は黙って首を振った。
「起こしてはいけませんから、今はお見せ出来ません。ごめんなさいね。刺激したくないの」
「で、そのお堂ってのは?」
ヒースは食らいついて、だだっ広い庭のお堂とやらに案内させた。
お堂は朽ち果てていた。屋根瓦は半分落ち、木が露出している。格子窓も壊れて、半開きになっており、全く手入れされていないのが見て取れた。周囲には雑草も生え放題だ。
「ひでぇ有様だなぁ……ちょっとは手入れしなかったのかよ、ばあさん」
ヒースは吐き捨てた。
「こんな庭の中ほどにお堂があることも知らなかったくらいです。義父母から託されたわけでもありませんし」
奥様はただ、ただ困惑し、動揺している。
「どうだ、テン。感じるものはあんのか」
「うーーん。何の気配も感じんなぁ。さっきのご主人見た時もそうやったけど。悪霊の感じが全くせん」
「どういうこったよ」
「ボクにも、分からんよ。こりゃ、夜を待つしかないなぁ」
ぽりぽりと、テンは頭をかいた。
「では、応接間に戻りましょうかしらね」
奥様を先頭に、四人と一匹はぞろぞろ庭を抜けて館に戻った。
「少し早めだけれど、小さなお客さんたちに、夕飯をご馳走しなくっちゃね」
沈みがちな日常に現れた小さな変化を喜んだのか、奥様はどこかはしゃいで応接間を出て行った。
奥様は何を張り切ったのか、大きなパエリア鍋を持って現れた。海鮮の乗った、本格的なやつだ。背後からはワゴンを押して家政婦がやって来る。
唐揚げ、ポテトフライ、ローストビーフ、オムライス、パスタ、ハンバーグと如何にも子供が好きそうなパーティーメニューが、応接間の机の上いっぱいに並んだ。どこまでも不似合いである。
しかし、四人の子供は奥様の思惑通り、ご馳走にがっついた。
どれを食っても美味い。味付けが子供向けになっている。年寄りは気が利く。
「そちらのワンちゃんは、やっぱり生肉とかがいいのかしら?」
奥様が犬の食事事情が分からなくて困っている。
「はい、むしろ、生肉がいいそうです」
ユジュンがクーガーの声を代弁した。
「牛の切り落としでいいかしら……」
「準備して参ります」
家政婦が退出し、平たい器に山盛りの細切れ肉を乗せて、戻って来た。
出されると、クーガーはがつがつと食いついた。血も滴り落ちそうな食べっぷりだった。
「うめぇ」
それにしても、イリヤは美形のイメージが一気に崩壊するほど、食べ方が意地汚い。口の周りにいっぱいくっつけているし、食べこぼしも多い上、手づかみで食べるのだから手に負えない。良いように言えば野性的であるが、食うことに夢中で、他人からどう見られているかなんて考えていやしない。
その点、上流階級で育ったヒースの食べ方は、マナーの成った美しいものだった。必要分だけを小皿に取り分けて、少しずつ口に運ぶ。
今頃、実家ではヒース不在の夕食を摂っているはずだが、息の掛かったメイドがいるので『気分が優れないようで、今夜は夕食はいらないとおっしゃっております』とか何とか言って誤魔化してくれている筈だ。
「イリヤ、口の周りにいっぱい付いてるよ」
ユジュンが笑って、ナプキンを使い、甲斐甲斐しくイリヤの口周りを拭っていた。イリヤは大人しくされるがままになっている。
「手も汚れちゃったね。あ、洗面所貸してもらえませんか?」
ユジュンがソファーから立ち上がって、子供たちが食い散らかした後の食器類を片付けている家政婦に尋ねた。
「洗面所はここから突き当たりを左に曲がった先にある、左から三番目の扉の奥です。迷わずに行けますか?」
「ハイ、だいじょうぶです。行こ、イリヤ」
「ああ……」
イリヤも立ち上がって、ユジュンに手を引かれながら、クーガーを残し、応接間を出て行った。
「いい食べっぷりだったわねぇ。やっぱり若いっていいわね」
「奥様たちは食べへんのですか?」
机を片し終わった家政婦が入れてくれた食後の紅茶をすすりつつ、テンが訊いた。
「わたくしどもは、あとですませます。気にしなくっていいのよ」
「はぁ、そうですかぁ」
と返したテンは、ソファーの隅で静かにうずくまっているクーガーを気にしていた。
クーガーは生肉というご馳走にありつけて満足したのか、両目を閉じて穏やかに、主人であるユジュンの帰りを待っている。
「ご主人の食事はどうしてはるんですか?」
テンが重ねて質問した。
「主人は、ああなってから以降、なにも口にしなくなりました」
「ええ! 二年も何も食べんと生きてはるんですか?」
テンは驚きの声を上げた。
それはヒースも同様だった。ぽかんと口を開けて、奥様を見つめてしまう。
「唯一、口にしたのが、被害に遭われたお医者様三名の人肉です」
「最後に食べたんはいつですか?」
「二ヶ月前……でしたかしらね」
お労しい、と奥様は顔を覆った。
「人肉を食ったって、死体はどうしたんだよ。庭にでも埋めたのか?」
今度はヒースが尋ねる番だった。
「それが…皮も骨も平らげてしまうので、死骸は残らないのです。残るのは衣服だけで」
「どんな食欲だよ……」
ヒースは薄ら寒くなって、ぶるりと肩を震わせた。
「役所にも主人が食べたとは言えずに、お医者様たちは行方不明ということになっています」
「二度と戻らねぇのに?」
ヒースは奥様を責めるつもりはなかったが、つい、きつい物言いになってしまう。
「ヒース、もう、ええやん」
テンがヒースの肩を押さえ、止めようとする。どうどう、と暴れ馬を諫めようとするように。そんなに自分はいきり立っていただろうか、とヒースはソファーの背もたれに身を預けた。
そのうち、ユジュンとイリヤが応接間に戻ってきた。言葉を交わしながら、二人は手を繋いで歩いており、まるで仲睦まじいカップルのようだった。
ユジュンがソファーに腰を下ろすと、その直ぐ下までクーガーが移動して、また身体を伏せた。どこまでも従順な犬っころだ。
奥様と家政婦が応接間を去り、残されたヒースたちは、事の起こる夜に向けて仮眠をとることにした。一方のソファーにはユジュンとイリヤが座り、お互いの肩に頭を預け合って眠る。もう一方のソファーに、両の肘掛けを枕代わりにして、左右ちぐはぐに寝っ転がったヒースとテンが眠った。
腹も満たされた四人は、すぐに深い眠りに就いた。




