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ORATORIO (E)SCAPE  作者: しおん
10/29

10 セントウっていいな

 降り立ったのは、小さな石畳の町だった。景観が良く、列車の停車駅があることから、観光が主な産業だと思われる。

 足を踏み入れると、やたらと土産物屋が目に付いた。

「公衆浴場はどこかなぁ」

 きょろきょろと辺りを見回してみるが、それらしき看板は見当たらない。

「こうしてても始まらないでしょ。そのへんの人間に訊きなさいよ」

 自力で飛んでいるセラフィータが正論を吐いた。

「そうだね」

 と、セラフィータに気を取られていたナユタは、誰かにぶつかった。

「あ、ご、ごめんなさい」

 ぶつかった相手が、か細い声で謝る。随分幼い。

 振り返って見ると、ナユタより幼く、五歳くらいだろうか。赤い頭巾を被って、花を詰めた籠を持っている。花売りらしい。

「こっちこそ、ごめんね。前をよく見てなかったよ」

「あの……お花、買ってくれませんか……?」

 赤ずきんの幼女が、縋るような目でナユタを見上げてくる。

「君、そんな年でもう働いてるの?」

 ナユタの、素朴な疑問だった。

「売り切らないと、お父さんに殴られるの、蹴られるの」

 貧しい暮らしをしているのだろう、幼女の頬は灰で汚れていたし、赤い頭巾もコートもすすけている。

「……だったら、それ、全部ちょうだい」

 ナユタが言うと、幼女は目を瞠った。大人に暴力を振るわれるのは痛いし、辛いだろう。経験のあるナユタは、幼女を見過ごせなかった。

「ぜんぶ?」

「これで、足りるかな?」

 ナユタは銀貨を一枚差し出した。金なら使い切れないほど、ユーリに持たされている。

「こ、こんなに? おつりがいるくらい、です」

「おつりは要らないよ」

 ナユタが首を振ると、幼女はいそいそと一枚の化粧紙を取り出し、籠いっぱいの花をブーケにして渡してきた。

「ありがとう」

 ナユタはブーケを受け取った。様々な色と種類の混じった、美しいブーケだった。

「セラフィ」

 ナユタは背に隠れているセラフィータに、ブーケから一輪の紫のダリアを抜き出し、渡してやった。

「なに? プレゼント?」

「そう。君によく似合うよ」

「そう、かしら?」

 セラフィータは少し頬を赤らめて、頭上の花弁を見上げた。セラフィータが花を一輪持つと、まるで大きな傘を差しているように見える。

「わあ、妖精さん……初めて見たぁ」

 花売りの幼女がセラフィータの姿を見て、目を輝かせた。

 妖精の寓話はいつの時代も、どの土地でも根強い人気がある。姿を隠す鱗粉を出せないセラフィータはどんな人間の目にも見える。例え出せたとしても、希に幼児には見られる場合もある。

 羨望の眼差しを向けられたセラフィータは、花も貰ったこともあり、気を良くしたのか、胸を張って幼女の前を行き来した。

 四枚の羽根が陽光を受けて、キラキラと光り、セラフィータをより際立たせた。

「ねぇ、君。この辺に、お風呂屋さんってない?」

 ナユタは物は試しに、肝心要の質問を幼女にした。

「えーとね、そこの角を曲がって、次を左に行った先に銭湯があるよ」

 花が売れて心が軽くなったのか、幼女は明るく身振り手振りでもって教えてくれた。

「セントウ……?」

 聞き慣れない単語だ。

「ここからでも、のっぽのエントツが見えるでしょ?」

「あ、ああ、あれ。あれがセントウなの?」

「うん、そう」

 確かにここからでも天に向かって伸びる煙突が見て取れる。

 銭湯という言葉をナユタは疑問に思ったが、幼女と別れて、教えられた道を進んだ。

「セントウってなにかな?」

「さあ。行ってみれば分かるでしょ」

 相変わらず、メルヘンもくそもなく、正論をぶちかます妖精さんは、ずっと花を抱えて宙を飛んでいる。

 花の贈り物は喜んでいるらしい。

 そのうち、大きな煙突を抱えた、瓦屋根の建物が目の前に現れた。

 大きく『湯』と書かれたのれんが、入り口にででんと掛けられている。

「ここだ」

 のれんをくぐって中へ入ると、番台に老婆が座っていた。

「こんにちは。ここは、大衆浴場ですか?」

「そうだよ。坊や、一人かい」

 老婆がまんじりともせず言った。

「はい」

「だったら、男湯に入んな」

「どういうこと?」

「十歳までなら保護者と一緒に女湯に入れるんだよ」

「へー。男女別になってるんだ」

「銅貨三枚だよ」

「はーい」

 ナユタは金を支払って、男湯ののれんをくぐった。

 脱衣所にロッカーが並んでいる。色々観察してみると、ロッカーの札を抜くと、鍵がかかる仕組みらしい。札は手首に掛けて、中に持って入るようだ。ナユタは着衣を脱いで、ロッカーの中に仕舞い、札を抜いて腕に掛けた。

「セラフィも入る?」

 タオルで前を隠しながら、セラフィータに問うた。

「もっちろーん!」

 セラフィータはドレスを脱ぎ去り、タオルハンカチを胸から下に巻いていた。羽根が閉じてしまい、飛べないので、ナユタの肩に乗っている。

 ガラガラと引き戸を開けて中に入ると、はしゃぐ子供の声が響き、老人率がやけに高い。

 ずらりと並んだシャワー台の一つに陣取り、ナユタは真っ先に頭を洗った。銭湯にはボディーソープとシャンプーとコンディショナーが常備されているのがマストらしい。

 垢もフケも洗い流して、スッキリした。

 セラフィータはナユタが置いてやった桶の中に、お湯とボディーソープを攪拌して作った泡風呂で、優雅に身体を磨いている。

「僕のヌード見る?」

「見ないわよ! ちゃんと、前隠しなさいよ!」

 ナユタがちょっとからかうと、セラフィータは面白いように反応を返す。

 湯船は幾つかのゾーンに別れており、ジェットバスや水風呂や、電気風呂があるらしかった。

 ともかく、普通の湯船に身を浸して、ほっこりする。

「はぁぁー……」

 極楽とはこのことを言うのだ。

 ナユタは周りの老人に習って、前を隠していたタオルを、頭の上に乗せた。湯船にタオルを浸けてはいけないようだ。

「あの山の画はなんだろうね」

 ナユタは壁面のタイルに描かれた赤い山を見た。

「さぁ。この辺の有名な山なんじゃないのぉ」

 セラフィータはかぽーんと、お湯を張った桶の中に入って、湯船を漂っている。

「銭湯っていいねぇ」

「いいわねぇ」

 二人して、ちょっと高めに温度設定されたお湯の中で、溶けそうになっている。

 のぼせる前に湯船から出て、脱衣所に行くと、

「婆ちゃん、牛乳ちょーだい!」

「おれ、コーヒー牛乳!」

「おれは、フルーツ牛乳!」

 地元の子供たちが裸のまま、牛乳瓶を右手に、左手を腰に当ててグビグビ飲み出した。

「ははぁ……」

 あれが銭湯の流儀か。

 ちょうど、喉が渇いていたところだ。

 ナユタも子供たちの真似をして、

「お婆さん、コーヒー牛乳ください!」

「銅貨一枚だよ」

「ハイ」

 ナユタは硬貨と引き換えに、冷えた牛乳瓶を手に入れた。

 キャップを抜いて、グビグビとやる。冷たい牛乳が、渇いた喉を潤して、食道を通り、胃へと落ちていくのが分かる。これは、何たる快感か。

「ぷはーっ」

 ナユタはコーヒー牛乳を一気に飲み干した。

「ナユタ、ずるーい! あたしも喉渇いたー」

「しょうがないなぁ」

 ナユタは牛乳瓶をひっくり返すと、セラフィータの口もとに残った一滴を垂らした。

 それを、セラフィータは器用に飲み込んだ。彼女には、それで事足りる。

「くはーーっ!」

 焼酎を一口付けたオヤジのような声を、妖精が出す。何ともミスマッチな光景だった。

 身なりを整え、のれんをくぐって再び外に出た。

 大通りに出ると、人形の服をディスプレーした店を見つけた。

 セラフィータはお洒落さんだし、もう少し着替えに余裕があってもいいかと、店に入ってセラフィータの気に入ったものを何点か買い求めた。

 そうして、列車に戻った。

 コンパートメントのドアを開けると、ユーリが本から顔を上げた。今の今まで読書をしていたらしい。

「ただいま、ユーリ!」

「ああ。どうだった、風呂は」

「銭湯って言ってね、男湯と女湯があって、十歳までなら女湯にも入れるんだって。ユーリと一緒に行っても、どっちでもいけるから、だいじょうぶだったよ」

「そうか」

「でね、これ、プレゼント!」

 ナユタは後ろ手に隠していたブーケをユーリに差し出した。

「私に、花を……?」

 ユーリは目を丸くした。

「どう? 嬉しい?」

「ああ。花は好きだ。美しいな」

 ユーリはこれまでになく、柔和な表情を見せた。

 それに、ナユタは驚いた。

 ブーケを買ったのは全くの偶然だったが、何でもやってみるものだ。

 ユーリに銭湯の場所を教えて、その背中を見送った。今度はナユタたちが荷物番をする役割だ。

 ナユタは銭湯の余韻が冷めやらず、ほわほわとしてユーリが戻るのを待ったのだった。

「やはり、風呂はいいな」

 帰ったユーリは、開口一番そう言った。

 風呂上がりで顔の血色が良く、また、銭湯が気に入ったのか、上機嫌である。

 果たして、ユーリは女湯と男湯のどちらに入ったのか、そこが気になるところだが、あえてナユタは触れなかった。

「銭湯、良かったでしょ」

 二段ベッドの上に寝そべりながら、ナユタはそうユーリに話しかけた。

「ああ、あれは存外いいシステムだ」

 答えたユーリは、借りてきたという列車の備品である花瓶に、ナユタが幼女から買ったブーケを生けて窓際に飾っていた。

 やがて列車が走り出す。

「風呂はまた、三日後だな」

「アースシアに着くまで、お預けだね」

「ああ」

 現地に着いたとき、それが即ち、次の風呂が待っているときだ。

 列車は走る。

 アースシアを目指して。

 花の命は短い。

 花瓶の花がしおれてきた頃。

「あーあ。せっかくの花が枯れちゃった」

「しょうがあるまい」

 ユーリは動じない。あくまで冷静だ。

 そうして、花瓶越しに外の景色を見たナユタは、

「あーー、あの大きな橋が、そうかな?」

 間近に見えてきた、巨大な鉄橋の先には、離れ小島のような島の姿もある。

 なだらかなカーブを描きながら、列車は鉄橋に差し掛かった。

「うわわ」

 列車がひどく揺れた。

 ナユタは台から滑り落ちそうになった花瓶を押さえた。

 ユーリも座席に座りながら、両足で踏ん張っている。

「ねぇ、ナユタ。完全に枯れちゃう前に、このお花、押し花にしましょうよ」

 宙を飛んでいるセラフィータは揺れなど知らん顔だ。

「押し花か、いいね」

 ナユタは比較的きれいな、腐食の進んでいない花を一輪見繕って羊皮紙で上下から挟み込み、分厚い本の間に閉じた。

 これで、初銭湯の思い出の証が出来た。

「わー、これ、海かなぁ。ねぇ、ユーリ」

 ナユタは眼下に広がる水の景色に、そう呟いた。

「そうだな、巨大な湾の中だからな。海に数えて良いだろう」

「これが、海かぁ」

 海は青く深く、日の光を反射して、キラキラと輝いている。

 海の上を走る列車だ。

 そのうち、揺れが収まり、ナユタはほっと花瓶を押さえる手を離した。

「もうすぐ、着くぞ。降りる準備をしろ」

 列車はアースシア本島に進入したのだ。ナユタは押し花を挟んだ本を手に、二段ベッドの上に上がって、荷物をまとめた。

「準備、かんりょう!」

 ベッドから降りたナユタは、ユーリに向かって敬礼のポーズを取った。

「よし」

 ユーリが気を付けをした。

 と、外の景色が変わって、列車が駅に滑り込んだ。

 ブレーキが掛かって、列車が大きく揺れた。そして、ゆっくりと停車する。

 七日間の旅を終えて、列車から降りたナユタは、行きとは全く違う光景に目を奪われた。


ここでもやっぱり明らかにならないユーリの性別。どっちだと思います?


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