桃色英雄伝説 筆:遊月奈喩多
指輪になった私を所有したのは、人類の英雄にして稀代の鬼殺し、桃太郎だった。同胞たちを皆殺しにしたその姿を見たときには恐ろしさしか感じなかったが、ひとたびナパージ人の中に囲まれれば、そこで見える姿は、恐怖とは程遠い姿だった。
彼を慕う人々に対して向ける慈悲深い笑みや、「鬼」――私たちの民族との争いで傷付いた人々の嘆きに対して見せた義憤の顔、それは紛れもなく『正義』の人物だった。そして意外だったのは、私たちの同胞が滅ぼされてそれなりの期間を経た後の【鬼ヶ島】にナパージ人が侵攻しようとしたときのことだった。
桃太郎は激しい――それこそ私たちを滅ぼした時よりも更に強い――怒気を露に、侵攻軍の指揮を執る将校に詰め寄ったのだ。
「これでは約束が違う! 俺が請け負ったのは争いの火種になる鬼の討伐だ、その間にあなたたちは和平に向けて動くと約束したはずではなかったのか……っ!!」
「君が持ち帰ったデータをもとに判断したのだよ、あの鬼共は生かしておくには危険だ。抵抗する力のある男は全て処分し、女と子どもは連れ帰ってナパージの更なる発展に寄与してもらう」
「…………っ、貴様ら……っ!」
「ナパージの英雄、桃太郎。それに憤るなら君、君のしたことは、ただ無辜の民を虐殺しただけの行為になるが、それでもよいのかね?」
将校の笑みは、恐らく私が有機的な生命として生きていた頃を含めても、生まれて初めて見たと言っていいほどに邪悪で、狡猾なものだった。桃太郎の怒りを真正面から受け止めようとせず、指示の傍らで告げた。
「君が標的にしていた煽動者たちは、かなり早い段階で我々に命乞いを求めてきたよ。きっと君の鬼をも屠る修羅が如き姿に恐れをなしたのだろう」
「なんだと、何を言って……、」
「もちろんだが、そんなことを知らせはしないよ? 君には鬼ヶ島を調べてもらうと共に危険性を極力削ってもらわなくてはならなかったからね。
ふふふ、安心したまえよ、ナパージの誇りにかけて、蛮族共の申し出など受けはしなかったさ。民草を見捨てた者共もきっと今は、このナパージの大地を豊かにする為の礎という栄誉を与えられて、あの世で歓喜に震えていることだろうさ」
その言葉が桃太郎に与えた揺らぎがどれほどのものか、私には未だに量れない。それから何十年もの間、彼と時間を共にすることになる私だったが、あのときの桃太郎が見せた顔ほど、「絶望」という言葉を表すものを知らない。
「何故……知らせなかった……っ、」
「2度も同じことを言いたくはないね。さぁ、そろそろお引き取り願おうか、君の役目は終わった」
「もしそのことを知っていれば、俺は……!」
怒りのままに、桃太郎は腰につけた刀を抜こうとした。
しかし、その刀が目の前にいる非道な男を斬ることはなかった。すぐ後ろに控えていた何十人もの兵士が彼を取り押さえ、藻掻く手から刀を奪ってしまったからだ。
「離せ! 離せ! お前たちも聞いていただろう、この男は! この男たちは始めから和平など望んでいなかった! ただ侵略の口実を作り、彼らを征服するためだけに、……ぐあっ、」
ゴギ、と鈍い音がして、桃太郎の声が止まる。どうやら彼にのし掛かっていた誰かが体重をかけ過ぎて、どこかの関節を傷付けてしまったのだろう。悲痛に呻く桃太郎と、その指先で激しい嫌悪と憎悪に駆られて何も言えずにいる私の耳に、誰ともない声が届いた。
「今までこっちに散々な仕打ちをしてきた鬼共を殺して、何が悪いんだろうな?」
「さぁ? けどあれくらいの気概があるからこそ英雄なのかもな」
陣地の門番を務める兵士たちの、嘲笑混じりの会話。
それはつまり、桃太郎が護った者が発した言葉だった。
何も言えなくなった桃太郎に、将校が告げる。
「そろそろ退きたまえ、英雄桃太郎。我々としても君を逆賊として屠るのは気が引けるのだよ、君が命懸けで護ったナパージの民を惑わすことになってしまうからね」
「……………………」
「彼の自宅まで丁重にお連れしろ。くれぐれも、逃げられて市民を巻き込む戦闘に発展することなどないようにな」
なんて、卑劣な男なのだろう。
激しい嫌悪に狂いそうになる私の傍らで、桃太郎は沈黙したままだった。そのまま、私たちは桃太郎に割り当てられた豪奢な邸宅まで連行された。逃げ出せば市民を巻き込んででも捕まえろ、という裏を秘めた将校の言葉によって行動を封じられた桃太郎は、押し黙ったままだった。
そしてその夜から、桃太郎は魘されるようになった。
眠っている最中に呻き、「すまない」「許してくれ」とうわ言を漏らすようになった。その途中に目を覚ましては、声を押し殺して泣くようになった。そのたびに、私は彼に言葉をかけるようになった。
『安心してください、桃太郎』
『その気持ちだけで、十分』
その言葉を、何度かけただろう。
本心からのものだったかすらも忘れてしまうほど。
桃太郎は私にも「カグヤ、俺は、お前の友や家族を殺したかも知れない」と涙ながらに謝り続けていた。「鬼」という単語が耳に入るたびに身体が硬直するような有り様だった。
私たちの世界では心的外傷後ストレス障害と呼ばれるものだったか、ナパージでは祟りだとか呪いだとか呼ばれて、しばらくの間人々は桃太郎を避けるようになった。桃太郎自身も「周りを巻き込むまい」と決意して、彼を案じる部下たち(通称イヌ・サル・キジ)すらも遠ざけて、ひとりで苦悩していた。
そんな有り様を見るうちに、私は私の有り様を呪うようになった。
もし私にまだ肉体があったなら、かつて私が母にされたように、涙に暮れる彼を抱擁することもできただろうに、と。そんな思いを抱くようになるなど、彼に所有されるようになった頃の私なら思いもしなかっただろう。
そんな日々のなか、ナパージのマザーコンピュータにアクセスしていた私は、見てしまったのだ。下卑た笑みを浮かべる警吏に組み敷かれて、涙すら流さず光を失った瞳を虚空に向けたまま、この世に考えうる最大の侮辱を受けている“鬼”の少女の姿を。
それは――――
* * * * * * *
「………………、」
「なんだ、それ……」
なんとなく爺さんとサルの会話を聞いたりしていた俺にとっても衝撃的な話だったが、サンの驚きようは凄いものだった。それもそうだろう、きっとナパージの歴史にはなかった、あまりに凄惨な真実だ。どんな心境で受け止めればいいのかわからない、という顔だ。熊太郎に至っては爺さんの過去が恐ろしかったのか半泣きになっている。
一方、ようやく意識を取り戻したゴウガも、鬼と人間との複雑な事情に顔を歪めている。ひりつくような怒気を漏らしながらも、話に出てきた桃太郎のあまりに深い絶望に、言葉を失っているようだった。
俺だって、そうだ。
信じたものに裏切られ、信念の行動すらも否定されて。俺がそんな目に遭ったら、きっとそんなやつらを助けようなんて思えるはずもなかった。きっとOGREウイルスが流行した時点で見捨てているに違いない。
カグヤの話した兵士と同じことを言うようで腹立たしいが、きっと爺さんはそんなやつらすらも救おうとする気概があるからこそ、英雄と呼ばれるに相応しかったのだろう。
すると、熊姉ちゃんと呼ばれていた謎の能力を使う熊が、比較的冷静な口調で言葉を挟んできた。
「それでさ、カグヤさんとやら? あんたたちと桃太郎さんの歴史はなんとなくわかったよ。それなりに複雑な関係だったってね」
『はい……』
応じるカグヤの声には、電子音とは思えない感情が籠っていた。まぁ、元々生きていた存在だということを思えば、当然と言えなくもない。熊姉ちゃんは、そんなカグヤにまた言葉をかける。
「それでさ、あんたはあのめちゃくちゃ強い鬼のお姉さんのことも知ってそうだったけど、何か関係はあるの?」
『はい』
少し重い口調で答えるカグヤ。
『あの個体は私の娘――――麗刃にとても近い波長を持っていました』
……え、なんですと?
* * * * * * *
私には、データの身体になる前に設けていた、ひとりの子どもがいた。その父親は争いに散った命のひとつとして歴史の波間に埋没している。そして、桃太郎が私たちを滅ぼしたときに、子ども自身も死んだものと思っていた。
しかし、私が見たのは間違いなく、名前をつける間もなく別れることとなった我が子だった。
『――――――っ、』
理解はしていたつもりだった。
私たちの同胞も、征服を確信した途端に、およそ理性のある命だとは思いたくない醜態を晒すものはいた。そんな姿や噂話を冷ややかに流していたものだったが、まさか自身の血の繋がった者がそうされる様を見るとは。
歯があれば歯軋りした。
手があればそこら中のものを壊した。
瞳があれば渇れるほど涙を流した。
きっと、身体が残っていたら本物の“鬼”になっていただろう。
涙に暮れる桃太郎を見たときよりも激しい無力感に襲われた。そのときだった。
「どうした、カグヤ?」
きっと私の様子に気付いたのだろう、落ち着きを取り戻した桃太郎が声をかけてきた。藁にも縋る思いで発した私の言葉を聞いた桃太郎は、一言。
「そうか、俺にもまだ、救えるものはあったのか」
その声には、激しい怒りや悲しみと同時に、まるで彼自身が救われたとでもいうような安堵と感慨、そして決意が滲んでいた。そしていつの間に屋敷に入り込んでいたのか、イヌ、サル、キジの3人も合流して、4人は本当に私の娘を、そしてナパージの生まれではないというだけで同じ施設に収容されていた少女、マリアを助け出した。
「……お前たちを巻き込んだな」
申し訳なさそうな桃太郎に対して3人は異口同音に「マスターを侮辱したやつらに一矢報いる機会をずっと待っていた」という旨の言葉を返した。頼もしい3人組に支えられながら、桃太郎は怯える少女を連れて都を離れた。
その道中、桃太郎は私に尋ねたのだ、この子に名前はあるのか、と。それに対する私の答えを聞いた桃太郎は、少し緊張した面持ちで、名前をつけたいと言ったのだ。
「そいつぁいい! マスターが名前をつけたお子は皆、何かしら天賦の才を身につけるのが多いんでさぁ!」
「まぁ、強いて言うなら響きに難が……ね?」
「ふたりとも、他人事だと面白がってからに……!」
桃太郎はイヌ、サル、キジの三者三様の反応に不安を募らせていた私を一瞥し、そして腕の中で健やかな寝息を立てる子どもを見て微笑みながら、まるで言祝ぐように、呼んだのだ。
「麗刃」
その名を聞いたときの反応は、各々違った。
イヌとサルは唖然として、キジは「自分のときもそのセンスをほしかった」と言いながらも微笑み、マリアは「素敵な名前!」とまるで自分のことのように喜び。
私は、ようやく呼べる我が子の名前を何度も反芻していた。
『…………レイ、ハ……麗刃、麗刃……』
……嗚呼。
私たちは嬉しくても涙を流すものらしい、と、その時ようやく思い出した。
* * * * * * *
「爺さんが、麗刃の名付け親だったってことなのか……。しかもあんたの娘、で……それに、その、」
カグヤが語ったマリアという名前は、忘れようがない悲劇を思い起こさせる。そして俺の躊躇いをわかってか、カグヤは自分から告げた。
『えぇ、エターナルフォースブリザードはお会いになっていましたね。そう、マリアは後に、英雄桃太郎の伴侶となる少女です。OGREウイルスの影響で外見は老化しましたが、年齢にしてまだ50歳にもなっていなかったはずです』
胸が、ひどく苦しい。
爺さんの生涯に思いを馳せずにはいられなかった。若い頃にも辛い思いをして、それでようやく掴んだ幸福すらも、次々に手放して。そのうえ、今度は自ら救い、名前をつけた娘のような存在である麗刃を敵に見据えて動いている。
あの無表情の中に、どれほどの感情を押し込めているのだろうと想像しようとして、それだけで押し潰されそうになる自分の弱さが情けなくなった。他の面々も何も言えずにいた中、ひとり。
「なぁ、カグヤさん」
ずっと黙っていたゴウガが、口を開いた。
「OGREウイルスに関係してるっていうあんたの娘さんだが、一応はあの桃太郎と一緒だったわけだろう? その彼女は、どうしたんだ? なんであんたたちの敵になんて……、」
『わかりません』
「え?」
『麗刃は、ある日突然いなくなりました。高度なジャミングによってGPSも通用しない状態にされたまま、どこかに。何年探しても見つからず……、そのままOGREウイルスの感染が始まってしまったのです』
「そう、なのか……。もうひとつ、訊いてもいいか?」
どうしたのだろう、ゴウガは何か尋常じゃない汗を額に滲ませながら、言葉を続けている。
「気になることがある。オレは波長というか、なんか知らないが直感のようなものでナパージ人のふりをした鬼も見分けることができる。それに、OGREウイルスの感染者だって外では識別できていた。その上で聞きたい」
『はい』
「あんたの言う『麗刃と同じ波長』のやつ、もうひとりいないか? たぶん、カラスよりももっと純粋に、鬼に寄った波長のやつが?」
『……私ひとりでは、確証が持てない事象です』
「オレは、鬼の系譜にあるものはオレたち5人しかいないと思っていた」
焦ったように、言葉が早くなる。
その焦りを俺たちが共有していないのに苛立ってさえいるかのように。
「だから学園の屋上でこいつらと会ったとき、本気でゾッとしたんだよ。どういうことか、わからなかった! なぁ、雷の……えっと、サン、だよな?」
そしてどういうわけかサンに向き直り、そして大きな身体を何かに怯えるように縮めながら、縋るような目付きで、尋ねた。
「あんたと一緒にいたあの子は、何者なんだ?」
「は?」
だが、会話はサンの戸惑ったような声で途切れることになってしまう。
突如吹いた豪風が俺たちが身を寄せていた水車小屋の屋根を吹き飛ばし、更にひとりの鬼――OGREウイルス感染者が扉を突き破って押し入ってきたからだ!
ある断片的な回想
「なぁ、カラス」
「どうしました?」
「そのファイルは、戦って取り戻したんだよな?」
「えぇ、そうですが」
「なんか、さ。うまく言えないが……」
「それならば余計な詮索はしないことです、ゴウガ。刻印を植え付けられたくなければ、ね?」




