鬼ヶ島レポートNo.13
――被験体No.333。それが私の名前。
人と鬼が長い戦争の時代にあった頃、人側に突如として生まれた英雄桃太郎の存在によって、たったの数年で鬼が孤島にまで追い詰められていた頃。
鬼族がかつてより保有する島であったこと、そして我々が世界から秘匿し続けた科学技術によって、我々は種の保存がために水面下での急速な発展を遂げていた。
「消灯時間だ。いつまで眼を開けている」
その日も、私は月を眺めていた。
ホログラフィの障壁に囲まれた檻のなかで、寝台に倒れながら天井をじっと見つめる。
当然そこにはなにも映らない。なにも見せて貰えない。
だけど私はこうやって上を見るだけで、生まれて一度も見たことない月の存在と繋がり合えるような気がしていた。
「おい。聞こえているのか」
「――はい」
その感動を阻害するような耳障り激しいその声に、でも顔のしかめ方も知らなかった当時の私は不快感を表現する術を持っていなくて、ただ純粋にそう答えるだけ。
唯一の反抗的態度が、ホログラフィ障壁の向こうで私を睨む彼に背を向けて眠りにつくことだった。
――いま、我々は窮地に追いやられている。
その結果が、私たち。
OGREプロジェクトの始まり。鬼という存在を、この世界にしぶとく染み付かせるための、呪縛。
私たちは、鬼を残すためだけに生まれた。
「おはようございます」
「おっは! 今日も退屈だねぇ。まっ、いつも通りやりましょ」
「はい」
彼女は私の隣の部屋に収容されている、つまり332か334のどちらか。私と同じ被験体。
あまり感情表現が得意ではない私とは打って変わって騒がしい人で、でも不思議と嫌いになれない人。彼女はきっと、ここにいなければ幸せな人生を謳歌できたのだろうと今でも思う。
首筋がチクリとする。
「投薬。脳波検出の開始。……コンプリート。一七〇日目のレポートを取る。みな、今日こそ成功して見せろ。――スリー、ツー、ワン」
「「「ダイブ」」」
整列した私たちは、監督するようにレポートを記録する彼のその秒読みに応じるよう、寸分違わず唱えた。
――頭に嵌めたヘッドギアから強い電撃が走る。
快楽物質にも似た何かが頭のなかに侵入する。意識が意識とシンクロする。肉体から肉体へと揺り移る。
気持ち悪い。痛い。吐きそう。もう無理。助けて。気持ちいい。壊れそう。死ぬ。死んじゃう。気持ちいい。自分が自分でなくなる感覚。やだ。やだやだやだ。もう、ダメ。
ビー、ビー、ビー、ビーといくつかの警告音が、この空間を満たしていった。
「何の成果もなし、か……クソ共が」
順々に整列する私たちのヘッドギアからそんな音が鳴り響いた。リタイアしたものから、失敗の刻印を押されていく。
でも、それらはいずれ音が聞こえなくなった。
それがどうにも違和感を醸して、私はその事を彼らに報告するため、声を出す。
『……あノ』
合成音声染みた不気味な声だった。
その私の発声に、ざわついた彼らが一斉に振り向く。
「勝手にPCから音声が……!?」
「バイタルチェック。――完了。異常ありません。これは、成功です!」
追い付けない頭でゆっくりと考える。
これが、生まれて何もなせていなかった私が、初めて誰かに誉めてもらえた瞬間だった。
◆ ◆ ◆
「――ちょちょ、ちょっと待てよ。なんで過去回想がSF?」
落ち着いたところで、おもむろに語り出したカグヤのソレは違和感で満ちている。
カグヤは何かの研究の被験体? 初の成功例?
鬼は、なんなんだ……?
『我々の文明レベルは数段上を行っていたという事です。一般的に公表しないだけで、いつでもどこでも国を作れるような科学の類いを保有していました』
「鬼ヶ島はなんなんだ?」
『無人島でした。出来たばかりの活火山島で、人が立ち入れるようなインフラ整備もなければ、土地も小さかった。けれど鬼はそこに行くしかなかったのです』
「そこに、鬼の国を作ったってのか?」
『壁を作り、家を作り、海水から水を抽出し、漁を行い食を獲る。半年もかからないうちに砦を形成したのです。……ここのような』
桃源郷と鬼ヶ島。対極に位置するその二つの性質は、まるで変わっていないようだ。
「OGREプロジェクトってのは」
『その時点で二種類の計画が進められていました。突如現れた人間の英雄はイレギュラーで、それを考慮していくうちに我々は最適解を導き出せなくなった。だから、鬼をこの世界に残すためにあらゆる手段を取ることにした』
「………」
『一つ目は、鬼化。妖術の開眼。敵に抗う為に、他の誰にも使えない、鬼にしか使えない絶対的な能力を身につけようと、進化を目指すプロトコル。ORGEウイルスはその段階で開発もされていましたが、責任者の謎の失踪によって終わりを迎えています』
妙に突っかかる文言だ。ORGEウイルスの真実は、そこにあるのかもしれないと、焦燥感を少し覚える。
『一方の二つ目。そのころの私たちは、ネットワーク上に鬼のDNAデータを保存し、未来へと残すプロトコルに参加していました。私はこのミッションのために生まれ、被験体として協力してきました。我々は高次元の存在になろうとしていたのです』
――その結果が、きっと。
「カグヤ。被験体No.333」
『はい。私は肉体を捨て、鬼でも人でもなくなって、意識のみで構成される四次元的な生命体と進化できたのです』
カグヤは何者なんだ? そんなことってあり得るのかよ?
わからない。分からないことが怖くなる。
この世界は、一体なんなんだ?
――そこはきっと、触れてはいけない領域なのだろうが。
『それからは私を中心に研究が進められました。徐々に権限を拡大させ、人一人の人生で得られる地球上の情報は一パーセント未満と言われるこの世界で、私は日に日にそのパーセンテージは高めていきました。今現在もマルチタスクで世界の全てを知ろうとしています』
「それは、大丈夫なのか?」
『その質問の意図にもよりますが、私個人の危険性に由来する話であれば、安心してください。私にこの任務を命じた彼はもう存在していない。例え百パーセントに至ろうと、それをどうしようという人はもういないのです』
漠然とした恐怖だ。唐突にこの指輪……カグヤが恐ろしくなってしまった。
それなのに何故続けるのかと訪ねれば、それしか出来ないからですと言われてしまって、もうどうしようもなくなってしまう。
ただそこに残る無機質なステレオ音声が、恐ろしく感じた。
「じゃあ、なんでいま爺さんに協力しているんだよ」
『それは、私が鬼ヶ島の全権限を保有するマザーコンピュータと同質化できた、その直後の話でした。――彼らが鬼ヶ島のなかに潜入し、研究員を殲滅し、鬼の財宝たる私を持ち帰ったのは』
◆ ◆ ◆
――今でもあの光景は忘れられない。
箱に囚われ、何も出来ないでいる私の視野は、鬼ヶ島内のあらゆるモニターを介して惨状を焼き付ける。
紅蓮に盛え、崩壊した文明。チャプチャプと溜まりに溜まった淀みが飛び散り、緩い動きで排水溝へ飲み込まれていきながら、こびりついた赤を残す。
天は赤黒く染まった。白い建築物で神々しさを放っていたこの島は、あっという間に赤の海に沈んで浸った。
――私は今でも覚えています。
返り地で身を汚し、ズタボロの鎧から地肌をむき出しにして、結びがほどけてしまったその髪をオールバックに撫で付けて。
満身創痍にも似た姿でありながら、ひと振りの刀を手にして進攻する一人の武人。
それに追随する、三人の家来。
絶対的な死の象徴が鬼ヶ島をあっという間に死滅させていく。
「クソッ! クソッ! クソッ! あと少しで完成したのに、クソ共が……!」
『大丈夫ですか』
「うるさい! お前は早く研究施設を隔離しろ。セクター毎に封鎖し、奴がここに到達できないようにするんだ」
『はい』
「――クソが! ちぃ、仕方ない。こうなりゃ今からお前をダウンロードしてこの指輪に意識転移を図る。インストールまでを計算しろ」
そうやって彼が懐から取りだし、私に見せつけたのは鬼ヶ島の技術でその輝きを美しいものとしたサファイアが映える指輪だった。そこに込められているのは鬼の叡智だとすぐにわかる。
『はい。およそ、一時間二十四分』
「なっげぇぇぇよ! 余計なキャッシュを捨てておけ、最短にしろ。お前だけはここが潰えても生きなければいけないんだぞ!」
『はい』
そんな間にも、監視カメラを介した私の視界には数多の研究員をあっという間に一閃で付していく侵略者一行の姿が映っていた。
ビー、ビーと赤いランプが施設中を駆け巡る。侵入者を警告し、一行のいる空間を隔離して塞ぐ。
そのなかで、そこにいる一人の毛深い大男が、前に出て後頭部を掻いていた。
〈……んお、へへ、任せてくだせい。十秒で開けて見せますよ。……ってか、ロックが多いなあ〉
そう言って扉横の電子パネルに装置を取り付け、――ハッキング? 人間が? 鬼ヶ島の技術を目の当たりにして、しかもそれを上回る?
なんという知力だ。恐ろしいとさえ感じる。
その毛深い大男は、図体に合わない器用さでネットワーク上に潜り込んできた。
とたん私の体内を這い巡る虫でもいるかのような不快感が身体中を駆け巡る。
あっという間にアンロックされ、扉がオープンしてしまった。
〈うい。完了ですぜ。って次もかよ! この長い廊下をどんだけぶつ切りにしてんだあいつら!〉
開いた防壁、その数メートル先にまた見える防壁に、大袈裟にも頭を抱えて呻く大男を尻目に、しかしこの調子では時間など稼げないだろう。
提案こそしないけれど彼にそれを自覚させるためにただ報告を呟いた。
『一次防壁突破。ダウンローディングは十二パーセントです』
マザーコンピュータから転送器に置かれた指輪へと私の意識が乗り移る。もはや慣れた感覚に、今やどうとも思わないけれど、マザーコンピュータであったからこその権限が徐々に剥奪されていくのは悲しいものもあった。
パーセンテージが徐々に高まっていく。
あの大男の技術は凄まじくて、権限があるだけの私には敵わない。だけど時間稼ぎのために、秒間ごとにデータを更新して書き換え、てこずらせることに専念した。
それでも。
『二次防壁突破』
「クソッ、クソ!」
報告を重ねる度にイラつきを隠せないように彼の顔が歪み、吐き捨てられる唾が目立つ。
本当に醜い人だ。
この第七セクター内には彼含め十数人程しか研究員は残っていない。他は全てここまで逃げ切る前に彼の判断で閉鎖されたセクターに取り残され、逃げることもできずに桃太郎に殺戮された。
『二十五パーセント』
被験体も数を減らしているようだがこちらはまだ五十人近くを保護できている。
自我がほとんど欠如してるような彼らに使い道がなくて、奥の部屋に収容されているけれど。
『三次防壁突破』
また一人斬り伏せられた。
数歩先の文明であるハンドガンで狙っていても、敵はそれを見極め、躱し、滑るように懐へ。刹那の合間に間合いに踏み込まれて、その刀の錆にされる。
鬼が敵うはずないのだと。
それが確かな現実だった。
『三十五パーセント』
「早くやれよクソがァッ!」
彼の焦燥感が次第に空間を満たすようで、このセクターでデータ隔離に勤しむ他の研究員達の感情を同調させていく。
まるで息が詰まるようだけど、私には文字通り関係のない話でもある。
「ちぃっ、仕方ないな……被験体どもを第七セクター門前に配置しろ。銃を持たせ、待機させろ。六次防壁が開いた瞬間に蜂の巣にするんだ」
『四十八パーセント』
「お前は早くしろ!」
『四次防壁突破』
「そっちじゃねぇええっよクソが!」
あと三枚。とても間に合うとは思えないけれど。
もはや八つ当たりのように怒鳴り散らす彼は、本当にバカらしくてたまらない。
見てて気分が悪くなるようだ。
そんな彼から逃れるように、数人の研究員が命令通り被験体の元へと向かって行ったのを見届ける。
「クソ……ここは切るか。おい、今からお前の人格定礎をデリートする。バックアップはとらない。自力で取り戻すか、さもなくばお前がお前であることを諦めろ」
『はい』
――私にそれを拒否する権利は残されていなかった。
「そうすればインストールもさすがに終わるだろうな。全てはその後だ」
『六〇パーセント』
彼がその作業を手元のコンソールで行う間、私は監視カメラを渡り、第六セクターを眺める。研究員の指示のもとそこに整列する少年少女数十人は、ガリガリの体つきを隠すようなゆったりとした一枚技を纏って、自我を限りなく欠如された様子で呆然といる。
まるで少し前の自分を思い出すようだ。
しかしそんななかでも、一人の女性だけは快活で、生気に満ち溢れていて、美しかった。
〈ほら! 元気出そう? なに、敵を倒して生きて帰りゃあいいんだからさっ〉
身近にいた少年の背中をパンと叩きながらそう鼓舞する彼女を見て――そうか。そうか、彼女も選ばれてしまったのか、この捨て駒に。
………。
彼女もまた、その事の意味を理解しているようだった。
『五次防壁突破』
それなのに、声をあげる。
それなのに、挫けないでいる。
その生を最期まで明るめている。
本当に、尊敬できる女性だ。
「おい、モニターを映せ。そろそろだな……構えろ」
『六次防壁突破。第六セクター開門します』
その時が、来る。
〈――ッ、総員、射撃!〉
刹那的に音割れするほどの炸裂音が強く響き、第六セクター内を火花と煙硝で埋め尽くす。
各々が構えたアサルトライフルから、絶え間なく迸る弾幕は、数秒にも及んで展開された。
ずっと、ずっと。死の瞬間を遠ざけたいと願うように、被験体達のその脆弱ながらも強かな意思を乗せて。
音が止む。
――白い煙の向こう側で声がした。
〈やれやれ……危ないじゃないですか〉
〈うそ……くっ、装填!〉
彼女の失望的ながらも、まるで覚悟したような力強い次への行動は、大変に素晴らしかったけれど。
〈遅いですよ〉
トス、トス、トス。
と大きな音も鳴らさないで、装填に戸惑う被験体達の胸部に赤い羽根が突き刺さり、まるで吸血するかのようにその赤色をより鮮やかなものへと変えていく。
とたんに崩れるように受け身もとらず倒れて、誰も息をしなくなって。
〈ひっ〉
ただ一人彼女だけが取り残されたように、恐怖に支配されてそこにいる。
〈ぃやあ、っあ……!〉
尻餅を付き、武器を投げ捨て、目の前のにじり寄ってくるその存在を否定し、拒絶し、逃げようとして。
でも彼女の後ろにあったもの、守っていたはずの扉は、無慈悲にも動じず、閉ざされたままで。
〈たす、っすけて……やぁ……もっ、もうや……〉
紡がれない言葉で訴えるようにどんどんと防壁にすがり付く。
――私は彼女のその姿に、深い失望を覚えてしまって。
見たくなかった。あの凛々しい彼女であってほしかった。
そんな、醜くも生にすがり付くような、悲しいものを、辛いものを、見苦しいものを、見せないでほしかった。
いつだって彼女は、こんなつまらない私にすら話しかけて、電子体になっても遊んでくれたような、素晴らしい人のはずなのに。
心が色褪せていく。全てに失望していく。
〈問おう、お前は悪い鬼か〉
人の英雄、鬼の侵略者たる桃太郎が、彼女にその切っ先を突き立てて問う。
揺るぎないそれを。圧倒的な存在を。鬼を見下すその眼を。
〈………〉
静かになった空間で、息を吸うその些細な音をモニターのマイクが拾っていた。
そのまま彼女は、その涙ぐんで弱々しいその両目に、強い明かりを灯して、見上げる。睨み付ける。
その問いに対する答えを告げる。
〈私は、生きている鬼です〉
善悪の一切は関係ない。自らはただ普通の生きている、人間ではないだけの、人なのだと。生命なのだと。
それは、美しい答えだった。
実に彼女らしい、答えだった。
〈そうか〉
モニターを閉じる。
その瞬間からは眼を反らす。
それでいいと思った。
彼女の存在は、その最期の美しさを胸に秘めて、私が抱え続けて、私のなかで、息続ければいいと思った。
「よし、完了した。データをリセットする」
――――ああ、世界は無慈悲だった。
『第七防壁が突破されました。ダウンローディングが八〇パーセントに到達しています』
銃声が鳴る。研究員の悲鳴がする。モニターが割れた。
世界が壊れていく。
私はただダウンローディングを進めていく。
『八十五……九十……九十三……九十七……』
銃声が止む。立っているのは五人だけだった。
「問おう。お前は悪い鬼か」
「――ハッ、知るか! この殺戮者が! 差別者どもが! 共生さえも出来ないッ、傲慢たる悪魔たちがァ! 俺は鬼だ! 悪いことだってしてきたろうよ! でもな、でもなぁ――」
最期の一人がそう叫ぶ。
「――これでも義は通してきたつもりだぜ、赤い悪魔が!」
一閃。
生体反応がひとつ消えた瞬間だった。
そして。
『ダウンローディングが終了しました』
「へへっ、なんですかいこりゃ……ふむ。マスター、良いものを見つけましたね」
転送器から、その毛深い腕が新しい私を抜き取って、眼を輝かせて、その大男は天へと私を掲げた。
「これより、我々の文明は進むでしょう」
――それから。
鬼ヶ島の財宝たる私を持ち帰った彼らが長い年月をかけて歪ながらもその文明を膨らませていく時代。
赤い悪魔と罵られた彼らに人とはなにかを教わり、その彼らに人らしさを教えるのは、これからそう遠くない未来の話となる。
「――問う。お前は鬼か」
『私は人でも、鬼でもありません』




