目覚めよ、新時代の英雄達。そして…… 筆:遊月奈喩多
「おいおい、なかなか無茶なこと言ってないか、あんた!?」
バロルの言葉を飲み込むのに、ほんの少しだけ時間を要した。
要は、こういうことらしい。
住宅街の空を覆っている黒煙を発生させているのは俺たちを襲った、バロルを含めた5人の鬼たちのひとり――恐ろしいくらいの巨体が特徴的だった巨漢のゴウガ。正気を失っている――失わされている?――らしく、普段の鬼と人間の混血なんていうものではなくほぼ純粋な鬼に匹敵する鬼人になっている。
どういうわけかわからないが、そんなやつが街を襲っていること――バロルの言い方を借りるなら、正気を奪われて襲わされているってことになるのか?
そしてその襲撃範囲内には、俺たちに飯を作ってくれる坂田さんの家があること。
バロルは浦島校長の監視下にあるせいで行動できないが、できることならみんなを助けたいということ。
みんな――同胞であるゴウガはもちろんのこと、ナパージで生まれた人間たちに対してそう思っているようだった。ちなみに、助けに行くときにはランを置いて行ってほしいという要求も一応はしてきた。
しかし、できるだけ殺さずに――ときたか。
前に屋上でサンがこいつらを圧倒したときもそうだが、基本的に鬼たちとの戦いって命のやり取りになりそうな気がするんだよな(バロルだってその気になれば俺たちを簡単に全滅させられる能力を持っているし)。まして、相手は正気じゃないんだろ? 手加減なんてしようがないっていうか……。
「エタ、考えるのは後だ! 街が襲われてるし、坂田さんはこの時間商店街で仕込みをしてるところだ、街の住人だってそこら中にいるはずだ、絶対危ねぇ!」
今にも屋上の柵を越えて空に駆け出していきそうな勢いで、サンが叫びかける。
後に続こうとしたアルを、バロルが「待って待って」と止める。訝る――というよりもう睨むような視線を向けるサン。その視線からありありと伝わってくる、『止める気なのか?』という視線。実際にちょっとした電流が大気に混じり始めたのを感じたが、バロルの応対も落ち着いたものだった。
「待ってよ、そんなところからただのナパージ人が飛び降りたら怪我じゃ済まないって。おれが飛ばしてあげるからさ。だから、ランちゃんは置いて行ってほしいんだ。あんな状態になったゴウガの傍になんか行ったら、きっとひとたまりもないからね」
いつもの飄々とした物言いの中にも、その瞳は間違いなくランの身の安全を案じている。その本気度は伝わってくるが、それでもどうにも……。
考えあぐねていると、ランが急に口を開いた。
「大丈夫、残るよ」
「えっ」
「え?」
「え、ラン大丈夫なのか、こいつの傍に残って!」
思わぬ承諾の声に、俺たちは3人とも戸惑うしかなかった。サンなんてランの肩を掴んで、危うく揺さぶりそうになりながら尋ねている。まぁ、確かにバロルがランに危害を加えるなんてことは、こないだのデートを見ているとなんとなく考えられないことだが、心配になる気持ちはわかる。
特に、サンはランとはかなり幼い頃にこの壁の中に連れて来られて以来一緒に育ったって話だからな、心配になるのも仕方ない……。
そう思っていると、「わかった」と一声。
意外なくらいあっさりと引き下がった姿に戸惑う俺の前で、「頼む」と言いながらバロルに向き直るサン。思わず「えっ、」とまた言ってしまったが、きっと昔から一緒だからこそ通じる何かがあったのだろう。ちょっとそういう言わなくても伝わる関係的なものが羨ましくなりながらも、サンの判断を信じることにした。
そして、重々しい顔で頷いてから「頼むよ、みんな」と俺たちに全てを託すようなことを言うバロルの声が終わると同時に、俺たちは街中にいた。
本当に、街だったのかわからない街中に。
「――――っ!!? 嘘……」
「おいおい、これ……」
「なんだよこれ……、なんだよ、これは!!!?」
そこには、地獄が広がっていた。
どこからスタートしたのかはわからないが、俺の住む家を目指していたのだとしたら、その道程でできたものとは思いたくないほどのもの。
どうやらそこは住宅街と言いつつも普段人々が暮らしている居住区ではなく、どちらかというと商業施設とか商店が多い地域だったらしい。だからこそ避難用の施設とかも充実していて、ある程度の住人はすぐに避難できていたらしい。……そう、ある程度は。
避難しきれなかった住人の悲鳴が、炎の燃える音に紛れて消えてしまう。
鼻が曲がってしまいそうな臭い――これは、たんぱく質だとかそういう栄養素が豊富な肉が焦げる匂いだ。何が焦げているのか、それは考えたくない。
先週ランとバロルの“放課後デート”をつけ――いや見守っていたときに立ち寄ったピーチマートの近辺らしいこの場所は、けれどもうその面影を残していない。どこか高級そうな佇まいだった酒蔵とか、『Go-Fuku』というロゴが絶妙に印象的だったアパレル店だとか、そういうランドマークたちがボロボロに崩れ落ちて、ただの瓦礫の山と化している。
そして何より、1番この地獄を地獄たらしめている炎は、どうやらレストランだったらしき建物が崩れたときによるものらしい。よりによって周辺の建物が『昔々』な風体の建物だったせいでそこから炎が燃え広がって、平穏だったはずの街並みをあっという間に変えてしまったのだ。
grrraaaaaaaaaaa!!!
その中で低く響き続ける呻き声を一瞬で塗り潰す、爆発音にも似た咆哮。炎の中心で苦しげに呻いているのが、あのとき屋上で俺たちを襲撃した鬼たちの最後のひとり、ゴウガ――って、なんかデカくねぇか!? いた、巨体とは言われてるけど、それにしても、え、こんなデカかったっけ?
と、カグヤが指から声をかける。
『恐らくあの個体――ゴウガは、感情の昂りに応じて体型を変える特異体質を持っていると推測されます。現在は正気を失くしてしまうほどの興奮状態です。恐らく、体内に蓄積されたエネルギーは相当なもの――きっと1度に放出されれば桃源郷が壊滅しかねない程度のものです』
はぁ、桃源郷が滅びるレベル!?
なんだよそれ、急に話がデカくなってんじゃねぇか!
街を守るどころか、世界を守るのとほぼ同じくらいのものになってねぇ!?
とはいえ幸いだったのは、ゴウガが正気じゃなく、というか単純に暴れているだけで、特に誰を狙っていたり何を狙っていたりしているわけじゃなさそうなところか。それでも十二分に危険なのには変わりないが!
「だが、ただ暴れてるだけってんなら何も問題ねぇ! ちょっと手荒だが、止まってもらうぜ、ゴウガとやら!」
パンッ!!
空気が破裂したような音と、一瞬走った張り詰めた何か。
あのとき屋上で感じたものほどではないが、向けられたら痺れて動けなくなるようなレベルの電流。案の定、なんとかゴウガの動きは止まったようだった。
とはいえ、これはヤバいな……!
刻一刻と燃え広がっていく炎は、このままだと辛うじて無事な居住区の方にまで回りかねない段階まで来ていた。くそっ、さっきからなんとか燃えそうなものを凍らせて延焼を防ごうとはしてるが、如何せん火の回りが速すぎる!
「すぅぅ……――――」
黒煙が喉を焦がし、いい加減目も熱くて、下手したら眉毛とかまつげとか焦げているのではないかと疑いたくなる炎のなかで、アルはひとり、深呼吸をしていた。
「おいアル、危ねぇって! おい、ごほっ、げほっ、」
煙に喉をやられて、うまく呼べない!
そんな中で、アルはふっ、と笑ってみせた。
「大丈夫だよ、エタちゃん。俺、炎使いだよ? なんなら精霊だよ? だから、なんとかここの炎を全部静めてみせる」
「ばっ、そんな、できんのかよ!?」
「街のみんなを守るんだろ、エタちゃん。たぶん、もうこれしかないって」
「つったって、こんな勢いの火を……!」
あいつ、大事なこと忘れてんじゃないか? アルは確かに炎の精霊に近い存在になることができて、そうすればアルに操れない炎はない。けど、あまりに精霊に近付き過ぎたら、そのときは……っ!
「大丈夫だよ、エタちゃん」
「……っ、げほっ、げほっ、おぇ、」
「てかエタちゃんが大丈夫!?」
「ごほ、あ、あぁ……」
「炎は俺の友達みたいなもんだからさ、なんとかなるって!」
そういう冗談みたいなやり取りをした後、アルの身体は炎に溶けるように消えて。それからたぶん1分もしないうちに炎は全て消えた。けど、アルは戻ってこない。
呼び掛けても、探しても、真っ黒に煤けた街並みのどこにも、あの馴れ馴れしいマイペースな笑顔は見えやしない。
嘘だろ……?
まさか、嘘だろ?
修行していたときに見ていてだいぶ焦った、調節をミスった炎への干渉を思い出した。まさか……そんな……!?
だって、言ってたろ?
炎はお前の友達なんだろ?
なぁ、おい……!
………………。
…………っ!
「おい、エタ!?」
サンの声が聞こえてくるが、もう止まることなんてできない。ゴウガの動きはまだ止まっている。だから、いや、たぶん動いてようが関係はなかったはずだ。
「…………っ、なんでだよ!」
だってさ、何年かぶりなんだよ、俺に『友達』なんて名乗って馴れ馴れしくしてきたやつなんて! 向こうでだってそれなりに仲のいいやつはいたさ、それでも、アルにはアルにしかない何かがあって、アルだけじゃなくここでできた友達は全員、絶対失いたくなんてないようなやつなんだ!
それを……、それを……!
「なんでこんなことしやがった、じゃなきゃあいつが、アルが犠牲になることだってなかった! なんでだ、浦島校長の指示か!? あの爺さんは何がしたいんだよ……!」
「え、マスターって浦島の爺さんなのか?」
ゴウガは何も答えなかった。
感電しているのか、正気を失くしていてまだ話せずにいるのか、わからない。しかし、驚いたような声は瓦礫の中から聞こえた。
所々黒煙が上がる、煤けた瓦礫の山。
そこからひょっこりと顔を出してそんなことを言ったのは、見覚えのあるチビ――――魔法を得意としていると紹介されていたミヤだった。
「ど、どういうことだ……?」
「いや、オレたちのマスターが誰なのか、オレたち5人は誰も知らないんだ。いつも『メッセンジャー』から指示を聞いてるだけだから」
本気で驚いている顔……浦島校長がファイルを取り戻そうとしてるなら、『マスター』だってそうであるはずなのに。本当に知らないのか、それともブラフ? 俺たちがこいつらについてどこまで知っているかを掴むために……?
ていうか、何気にこれ、かなりヤバい状況じゃないか?
アルは肉体を保てなくなって、俺は――よく見るとサンも――一時的とはいえ火の海にいたせいで全身をうっすら火傷している。治療自体は俺の能力でできなくはないが、問題は網膜まで少し焼かれたのか、視界がだいぶ白い。実際、サンとかミヤのことが見えているのも辛うじて、っていう感じだ。
サンは先陣切ってその火の海に飛び込んでいたこともあり、きっと俺よりも重度な可能性もある。
いつまでゴウガが感電していてくれるかわからないこの状況、声を聞くに大して火の影響を受けていなさそうなミヤも含めてふたりの鬼を相手に、俺らふたりだけで大丈夫なのか……!?
それでも、やるしかないのか……ここは様子を見ながら……。
「み、みんな……!」
「「えっ、バロル!?」」
そこにバロルが来なければ、もしかしたら話し合いは戦闘になっていたかも知れない。だが、戦闘にならなかった理由は、バロルが仲裁に入ったとかではなかった。
思わずミヤと台詞がかぶってしまうほどに、バロルはボロボロに傷付いていたのだ。
何かの刃物で深く斬られたらしい右鎖骨辺りからはおびただしい血が流れていて、紺基調のブレザーは赤黒く染まっている。神経をやられているのか、右腕はダラン、と垂れ下がったまま動くことはないようだった。
顔面蒼白で、肺も傷付いているのだろうか、くぐもった咳とともに赤黒い血が口から漏れてくる。
……前の世界での、決して短くはない人生で、何人か見てきた。
たぶん、こいつはもう、助からない。そう感じさせる暗い影がバロルを覆っているようだった。
最後の力を振り絞るように、バロルは俺とサンを見て、言う。
「みんな……ごめん、ランちゃんを、守れなかった……。それに、浦島校長も、ランちゃんを、守ろうと巻き添えに……なっ、て……」
「えっ、それどういう、」
「おいちょっと退けって小僧! ケケッ、弱気になるなよバロル、こんな傷くらいオレの魔法で……え、この傷って必滅の刻印、まさか、カラスに……、え、なんで?」
「あいつは、ランちゃんを、見て……言ったんだ。『お迎えに上がりました』……って……、それで、」
その先の言葉を、俺たちは――バロルの仲間であるミヤたちも含めて――聞くことはできなかった。息も絶え絶えにそこまで言ったバロルの身体は俺たちの目の前で、その大きな刀傷を中心に発生した謎の黒いモノによってあっという間に崩されてしまった。
そして。
「やはり転移の妖術は侮れませんでしたね。刻印の効果すらも一時的に転移させるとは」
呆然としている俺たちの背後から、忘れもしない冷たい声が聞こえた。
ある断片
「ごほっ、ぐっ……! まさか、そんな……! ありえない、ありえない……! けど、伝えなきゃ、エタくんたちに……!」
それがきっと、おれにできる最後の……たぶん、友情だ。




