桃缶っておいしくない? 筆:遊月奈喩多
ついに生まれ落ちた『桃太郎』。
彼が最初に目にする他者は、山里に住む老夫婦だった……
「ほぉ、生まれたか。まぁいい。せいぜい俺の邪魔はするなよ」
おぉ、この爺さんけっこう豪胆っていうか――細かいことは気にしないタイプの性格なのか? 桃から赤ん坊が生まれてきたんだぞ? そこはもっと驚くんじゃないか!? そこで『まぁいい』で済ませるのはなかなかすごいぞ!
片や、どうやら俺を桃ごと川から拾い上げたらしい婆さんの方は……
「キエアアアアアア!!! ウマレタアアアアアアアアッッ!!!」
決して清潔とは言えない床板の上を、まるで駄々っ子のように暴れ回りながら転げ回っている。あぁ、バタバタ音がしてるし、埃も舞っちゃってるじゃないかよ……。この世界じゃ、学校で赤ちゃんにハウスダスト吸わせろって習うのか?
……確かに、予想外の展開なのはわかるよ? 桃の中で酔っているときから『けっけっけぇ、今日は久々の桃鍋じゃあ、桃鍋じゃあ……、ひぃ~っひっひっひ!』っていうちょっとだけ気味の悪い笑い声が聞こえてたし、爺さんに報告するときにもこんなことを言っていた。
『爺さんやぁ、今日は久々に桃鍋じゃぞ~! 何年ぶりかのぉ、楽しみで楽しみで涎が止まらんのじゃよぉ、フヒュヒュヒュヒュヒュ!!!』
その、俺の文化圏だと桃の果実を使った【桃鍋】なんていう食べ物は存在しないから、なんとも言いようがない。だが、いくら楽しみにしている食べ物から人間の赤ん坊が生まれたからって、ここまでの嘆きようを見せるか? す、少なくとも俺にはそんなことできねぇ……!
そんな婆さんの有様を見かねたのか、黙々と包丁の手入れをしていた爺さんがゆっくりと立ち上がり、婆さんに呼びかける。
「おい、マリア。いつまでもそんなことで駄々をこねてどうするんだ。お前にはもっと、できることがあるだろう」
「嫌じゃ嫌じゃ! ワシは桃鍋が食べたかったんじゃあ―! うがぁぁ!」
そう咆えたかと思うと、まだ生まれたばかりの俺の前で、婆さんは狼ともクマともつかない、暗灰色の獣に姿を変えた!
お、おいおいおい! これ、俺の知ってる『桃太郎』じゃないぞ!?
獣になった婆さんは、更に骨格まで変わっていき、その姿は筋骨隆々のレスラーもかくやというものになる。腕の筋肉なんてはち切れそうなほどで、大腿筋の張り具合も、きっとその気になればカタパルトから射出された戦闘機のようなスピードで爺さんを狙いに行けるだろうことが窺えた。
「Grrrrr……!」
まだ春が来る前の山間の人家とあって、吐き出される息は真っ白だ。爺さんのそれに比べて濃い白色の呼気は、獣になった婆さん――あぁ、面倒だから婆さんビーストと呼ぼう!――の体温が高く、代謝も爺さんより活発に行われていることを示していた。
爛々(らんらん)と光る赤い眼が、爺さんを捉える。
俺は、赤ちゃんボディになっていることを忘れて、思わず固唾を飲む。
――婆さんビーストは、本気だった。
きっと自分の中でタイミングさえ合えば、なんの躊躇もなく爺さんを屠るだろう。ただでさえ小さくしわしわに縮んでいる俺のマグナムは、もはや委縮し過ぎて身体に埋もれてしまいそうだった。ブルッと身体が震えて足下がなんだか生あったかくなったような気がしたのは、きっと錯覚だ!
そんな俺に呆れたような一瞥をくれたあと、爺さんは婆さんビーストに向き直った。
「残念だったな、マリア。見えている時点で、お前の爪は俺に届かない」
お、おいおい。
どうなってんだよ、これ!?
見えている時点で、届かないのだそうです。
次回もお楽しみに!




