Dolorem Monialium clausura(修道女の悲哀)
………其の少女は、荒野の上で立ち尽くしていた。
ほんの僅かにくすんだ金の髪が風に煽られて揺れた。
柔らかな少女の瞳は少しだけ細められ、空を仰ぎ見る。
ーーもうじき雨が降る。
行かなくては。私が行くべき場所がある。
まだあどけなさの残る少女が、何かの為に歩み始めた事。彼女の始まり、少女の其の名はーー
…ある昼下がりの林檎の木の下、修道服に身を包んだ女性が木陰で何かが蠢いたのに気付く。
「何かしら?」穏やかな彼女の声が木陰の其れの許へ近付くと、少し汚れた身なりをした少女が眠っていた。
「まあ、女の子!大変だわ…汚れているじゃない」
少女を抱き締めた修道女が、自らの暮らす修道院へと少女を連れて帰った。
「貴女の名前は?」
修道女は、少女へ迷い子に対して問うのと同じ言葉を掛ける。ただ、今回ばかりはそうでは無いらしい。
修道女の表情は穏やかさの中に、何かの希望と悲しみを秘めていた。
「……■■■」少女が少しくぐもった様な声で名乗りを上げると、修道女の表情の中の希望と悲しみは更に深みを増した。
其れ以上を語らなかった少女を見て、彼女は己の魂に宿った宿命の重さと、そして目の前の少女の宿命を垣間見た修道女は、少女を引き取って育てる決意を抱き、そうして少女は修道院で育てられる事となる。
其れからは、修道女と少女の鍛錬と説法、学びの日々を送ってゆく。
修道女を義母として、少女は慎ましく過ごしやがて修道院、其れ以上に其の街の中で随一の武人として名を馳せてゆく様になった。
義母である修道女と同じ、癒しの力に僧兵としての能力、女神の侵攻すら及ばぬ土地で、名を馳せていった彼女の存在が何時しか女神達にとって脅威となってしまった。
「……彼女が私達の追従者にならないのならば、徹底して街の者を滅ぼしなさい!此の程度の街一つなど私達にとって無価値!!兵よ、追従者達の皆さん、殺せ!!殺しなさい!!!!!」
女神シーフォーンの号令が街を赤い炎に染め上げてゆく。彼女が遣わした兵や追従者達が、街の人間達を殺してゆく。
命も街も、凄惨で、残酷に変わり果ててしまう。
其の争いで修道女や数人の修道士達は死に、街の殆ども多くの者も殺され、破壊されてしまった。
其れでも彼女達は其処で崩れはせず、成長した嘗ての少女と、残った街人、修道士達は更に女神の手の及ばぬ土地まで逃げ延び、そして其処に再び街を作っていった。
ーー……………………
……………………
…………
…そうして、世代を経て繰り返されて、彼女の街は今の姿になった。
最初に其処へ落ち延び、修道院を作り直した少女は、義母と慕った彼女の様な、立派な修道女となって、街人達を導き続けた。自らの命の終わりの時まで。
彼女の指揮の下、街は新たに其処に建て直されてゆく。
追悼の為の鐘楼が、唯一の名所だ。
…其の様な話を、育ての親から聞かされた者が居る。彼女の姿は、心無しかいつかの少女や修道女に似ている。
そして、其の彼女も何時しか年老い、老女となった彼女は己が育った街が生まれた切っ掛けを、嘗てあった事を、縋る様に傍に居る幼い少女に話している。
嘗て彼女も、立派な修道女であった。
「…という事が、ずっと昔にあったのよ。とても、悲しい事だったそうなの」
優しく穏やかな声音で語られてゆく昔の話に、幼い少女は悲しみを宿した。
「…おや、ごめんなさいね…あなたにはつらい話だったわよね。じゃあ、おばあちゃんの若い頃のお話にしようかしら」
「…!!」少女の瞳は、先程と打って変わってぱあっと明るくなってゆく。
「いいの!?お祖母様のお話、もっと聞かせてください!!」
少女の声も明るいものだった。
「ふふ…おばあちゃんのお話を嬉しそうに聞いてくれるなんて、本当に良い子だねぇ…じゃあ、西日が落ち着いてくるまでね。レミエ」
皺を深めた老女の笑顔が、薄っすらと差した西日に僅かに照らされた。彼女からレミエ、と呼ばれた少女が彼女の膝元に縋り付く様に寄り添っている。
其の少女は、此の街を作った修道女達と同じ名だった。
…黄昏時を知らせる、鐘楼の鐘。
西日が目映く鐘楼を照らし出した。
そして今日も殺されてしまった者達への追悼の為に鐘が鳴る。




