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タイガの花屋  作者: 花屋
3/4

転.森の賢者

 翌日、わたしは体を揺すられて目を覚ました。

「すみません、勝手に上がりこんで」

 瞼の隙間。花卉(かき)市場で配達を担当する若いリスが、わたしの様子を窺っている。今年に入ってから花の配送サービスを利用しており、どうやらその時間まで眠っていたらしい。

「いいのよ。……売り場に弟がいるはずなんだけど」

「ああ、なんだ弟さんですか。てっきり不審者かと俺びっくりしちゃいましたよ」

 弟は昨日と同じ場所、同じ姿勢で眠っていた。顔色は幾分か良くなり、落ち着いた寝息を繰り返している。相当疲れていたのだろう。

 わたしは配達員に事情を説明し、フクロウについては市場の同族たちにも伝えてほしいとお願いする。

 それから、周辺の安危についても訊ねてみた。昨日の気配が辺りをうろついているかもしれないと考えたのだ。

「いや、特に問題ないですよ。今日も霧が出ているくらいで」

 配達員が外を見て言う。森は白雲のような霧に覆われ、遠くが見えづらくなっていた。

 付近の湖からは水蒸気が立ちのぼり、特に夏場、気温の下がる早朝や夕方は霧が深くなる。これは鳥類の視界を遮る傘となり、わたしたちは霧が消える前に朝食を取ることで危険を回避していた。

「そう……。でも、気をつけてね、あなたいつも危なっかしいんだから」

「んはは、了解です」

 荷下ろしを手早く済ませて、次の配達があるからと突風のように出ていく。わたしは彼が見えなくなるまで見送り、物音を立てないよう開店の作業に取りかかった。

 その最中、弟とユスラウメの話をしていたことを思い出した。結実には少し早いが、運が良ければ実と花の両方を採取できるかもしれない。朝食にはもってこいではないか。

 それに、サラに贈ったニチニチソウ。あの花には蜜がなく、毒性を持つことから観賞用として栽培されているのだ。夏桜だからと選びはしたものの、非食用であることだけが心残りだった。

 弟に新鮮な実をご馳走し、帰りに花を届けてもらうのはどうだろうか。きっと喜んでくれるだろう。

 配達員いわく周辺は安全。ユスラウメの果樹は近場にあり、それにわたしはくしゃみをしていなかった。例のフクロウに襲われることもないと考えたのだ。

 この判断が大きな誤りだった。わたしはすぐに後悔させられることとなる。

「ーー留守番お願いね」

 廃棄予定の花で腹ごしらえを済ませる。加工した竹のカゴを背負い、弟を店に残して出発した。

 濃霧の奥、何度か踏み迷いつつ進んだ先に、ようやくそれらしき低木を見つけた。逆三角の樹形と、白い花を湛えた緑葉交じりの細枝。果実も未熟ながら艶のある顔を覗かせている。ユスラウメの木だ。

 実は黄味を帯びていたり、丸々と太っていたりはするものの、やはり時期が悪く熟れ色は見当たらない。霧の先にもいくつか果樹はあり、わたしはそちらに向かって歩き始めた。

 早とちりさん、せっかちさん、いてくれたらいいのだけど。

 そんな独り言を呟いていると、それに応える声がした。

 意識の外、背後からだった。

「そこのエゾシマリス」

「ッ……」

 ぞわっと尾が逆立つ。とっさに飛び退き、振り向いて見渡すが声の主は見当たらなかった。

 ーーと思った矢先、霧にかすむ高枝で、なにやら鳥類が羽を広げた。わたしにはその羽が、今まさに命を刈らんとする鎌に見えた。

「あっ、あ……」

「動ずなかれ」

 冷たく、不吉な声だった。わたしは危機的状況にも関わらず呆然としていた。心臓だけが体を捨ててまで逃げ出そうとしていた。

 周囲には低木しかなく、身を隠すような場所などまるでない。カゴも背負ったままだ。そもそも素早く動けさえしない。

 終わった。もう逃げ場はない。

 食われる。


「ーー(なれ)に問う。応えよ」

「……え、え、は」

 死の覚悟と、拒絶反応の狭間。

 一筋の光が差した気がして、わたしは目を黒くした。

 どうして命が続いているのか。再び語りかける理由はなにか。

 それらの迫り来る疑問を掻き分けるようにして、どうにか言葉を発した。

「はい、はい」

 すると、鳥の影は大きく羽を広げた。近くの枝に向かい、音もなく滑空する。

 現れたのは、翼開長が一メートルにもなるフクロウだった。まだら模様の入った白い羽毛、ハート型の顔の左右に漆黒の瞳を宿し、その仮面から感情を見透かすことは難しい。カラクリ人形のような動きは不気味なことこの上なく、語調と相まって怜悧冷酷な印象を受けた。

 それと、黄金色のくちばしを染める赤い付着物。あれは、動物の血ではないのか。

 そのくちばしを開かせて、フクロウは低く喋った。

「汝は花を(さは)に食ひたりや」

 わたしは最初、どうしてそんなことを訊かれるのか不思議で困惑していた。

 花を食べる動物は肉質が変化するのだろうか。その実否は、差し迫る“食われるか否か”の運命を左右するのだろうか。

 わたしはほとんど震えながら、正直に答えることにした。というより、嘘をつく余裕がなかった。

「花、は、食べます。ほぼ毎日」

「はじめて食ひたるはいつごろか」

「四年前です。一歳の頃に」

「ふむ」

 十分だと言わんばかりの相づち。即座に襲いかかるような殺気はなく、かといって逃がしてくれる様子もない。

 わたしは、ある予感をハッキリさせるために会話を試みた。彼、あるいは彼女の有する羽に見覚えがあった。

 昨日、弟が持ち込んだサラ誘拐の手がかり。その血染めの羽毛と特徴が似ていたのだ。

「あなた、くしゃみをするリスを襲うの?」

「然なり」

 引いていた血が騒ぐ。こいつが、サラの仇。

「……わたしはどうするつもり? くしゃみなんてしてないけれど」

 もし襲われたとき、わたしは一矢報いる気でいた。高姿勢、しかめっ面になり、声を震わせながらも強気に言ってのけた。

 フクロウは独特な間を挟み、それから意外なことを喋った。

「汝の親類たる娘は病付き、この世界ではいくばくも生けらじと思ひ懸くれば、吾が糧となりぬ」

 サラは“スナッフル”という感染症に罹患しており、野生下では長く生きていられないと判断し襲ったという。さらにその病気はコロニー内、特に体力の低い子どもたちに広まる恐れがあったのだとも。

 しかしその行為はリスに対する慈悲ではなく、自分たちの食料供給の安定が目的だと念押しする。飢餓に追い込まれたり、冬に備えたりする場合には健康なリスも襲っていると話した。

 わたしはそれを、複雑な思いで聞いていた。フクロウへの絶対悪という評価を改める反面、監視下で飼育される家畜になったみたいで腹を立てていた。体調の管理や間引きでバランスを維持され、成長したところを捕食される受動的な生き方である。食物連鎖の一部分でしかないと間接的に言われた気がしたのだ。

 フクロウは一方的に話し、さらにこう告げるのだった。

「汝は“クル”に悩まれたるか、鈍くしてあくぶほどなり」

「え……?」

「とても逃れざらんものゆえに、しばしの御伽と用ひけり」

 わたしはクル病に罹患しており、足が遅く逃がしようがないからと話し相手を務めさせた。

 クル病? わたしが病気?

 ……それは、

「そう鈍ければあふさわに命を終り候ふなむず、吾が糧と有るべかし」

 そう言い、フクロウが羽を広げる。わたしの先が短いとし、捕らえるつもりなのだ。

 突然の宣告だった。

「え、そんな……」

「花売りの娘よ、恨むことなかれ」


 フクロウが飛び立つ。

 音もなく、すぐさま加速する。獲物を見定めた一直線の軌道と、露になる漆黒の鉤爪。

 わたしはほとんどなにもできなかった。おののき、慌てて、枯れ葉に足を取られて転んだところを襲われた。計八本の曲爪で掴まれ、乱暴に地面に叩きつけられる。全身の骨が砕かれようとしていた。

「ぐえ、え」

 圧力が徐々に増していく。ぎゅう、ぎゅう、と、空気が押し出される。

 体内のメキリという音を聞いた瞬間、わたしは激痛のあまり理性を飛ばした。

 狂乱的に泣き叫び、死にもの狂いで暴れる。しかし鉤爪の握力もまた、杭を打ち付けるように強くなっていく。

 ずんっ ずぐっ ずぐっ ずしっ

 わたしはそれに、精神ごと押し潰されてしまった。

 息もできないまま、わたしはついに力尽きた。


 諦めと脱力。

 血の味と死の温度。

 全身が冷たくなっていくのを感じながら、それに怯えながら、

 わたしは、脳裏に届くなにかを聞いていた。



「ーーわああああっ!」

 誰かの怒鳴り声と、鈍い衝突音。

 飛び去る羽ばたき、駆け寄る足音。

 

「ーーああ、姉さん、姉さんっ! ああっ、どうしよう、ああ……」

 死の渦中から引き上げられ、暖かさに抱えられ、


「だめだよ、死なないでよ、姉さん、起きろよ、頼むって、なあ……」

「……リ、…………」

 うわごとを言いながら、わたしは楽になろうとした。




作中に登場するフクロウは“エゾフクロウ”です。

次回、最終話です。

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