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タイガの花屋  作者: 花屋
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起.森の妖精

 七月中旬

 北海道 摩周湖周辺 亜寒帯針葉樹林帯


 花の手入れをしていると、店先から気配がした。

「ーーいらっしゃいませ」

 そこには同族がおり、わたしたちは互いの識別を行うため鼻を擦り寄せる。親族であることがわかったとたん、わたしは懐かしさのあまり顔をほころばせた。

「ひさしぶりじゃないの、初孫を見せに来て以来?」

「そうだね。姉さんは相変わらず若くて」

外見(そとみ)だけよ」

 内心では小躍りしつつ、年寄りっぽく腰を叩いてみせる。

 わたしが五度めの誕生日を迎えたのは先週末のことだ。野生下のリスは命の入れ替わりが激しく、五歳というのは年寄り呼ばわりされても文句の言えない年齢である。最近では走ることが億劫になり、花の入荷も市場の配達サービス頼りという、無慈悲な老化の煽りを受けていた。

 それはさておきと、久しぶりに再会した弟に用件を訊ねる。彼はどうも浮かない表情をしていて、促されるなり冠婚葬祭の“葬”について話し始めた。

「孫のサラが襲われてね。その報告に来たのと、手向けの花を買いに」

「……ああ、そうなの」

 わたしは悲しむよりも先に、自分から孫の話をしたことをひどく後悔していた。

 それにサラというと、まさに去年会いに来た姪孫のことではないか。あれは春の日で、近辺では珍しい桜の花を与えたところ、美味しそうに蜜を吸ってすっかり気に入ってくれていた。それなのに。

「ごめんなさい、そうとは知らずに」

「いいよ、孫のこと覚えてくれてたんだ」

「ええ、サラちゃん……。あいにくだけど、桜は春にしか出回らないの」

 弟はそれを深く受け止める。心底残念そうにしていた。

 サラのことについて話がしたいと言われて、わたしはそれを快く了承した。樹洞の奥、生活スペースへと彼を案内した。


「くしゃみ?」

「そう」

「いえ、聞いたことはないけれど……」

 わたしは困惑しつつも、気を悪くさせないよう聞く姿勢だけは保つ。

 弟が話したのは、周辺の地域で噂になっている誘拐事件についてだった。

 誘拐と言っても、食物連鎖の底辺に位置する自分たちと“捕食される危険”は常に隣り合わせであり、いつの間にか知り合いが消えていたなんて話はどこにでも転がっている。それは事件というより、生態系の循環、必然の事象なのだ。

 しかしサラは、くしゃみが起因となり拐われたのだという。弟は静かな怒りを湛えながら、詳細を語った。

「今年に入ってからだと思う。くしゃみが止まらなくて眠ないほどだったオスがいて、翌日には姿を見せなくなったらしい」

「……病気で寝込んでるとか?」

「住みかはもぬけの殻だったし、近くには血溜まりができていたって」

 わたしは押し黙る。血溜まりと聞いて、可愛らしいサラのことを思い出してしまったのだ。

「それだけならよくある訃報だけど、そのあとも結構な頻度で似たような噂が立つようになった。夜中にくしゃみをすると拐われる、跡形もなく食い尽くされる、音もなく忍び寄られるとか、とにかく物騒で不可解な点が多かった。そして、」

 そして、弟はサラの死について語った。彼女は拐われる前日から体調を崩していた。誘拐の噂のこともあり、夜間は自宅で安静にすると話していた。しかし翌日、早朝に様子を見に来た同族が、玄関先で暴れた痕跡とちぎれた尻尾を見つけた。

 弟の眉が、激情のあまりへし折れる。バックパックからなにかを取り出し、

「そこに、サラの尻尾に、これが引っかかってたらしい」

 それはどうやら、鳥の羽根の先端部らしかった。羽軸が折れて、おぞましい色の血糊で羽先がひっついてしまっている。

 それを受け取ったとたん、わたしは足がすくむ思いをした。当時の惨劇、引き裂かれる感覚が鮮明に伝わってくるようだった。

「姉さんならなにかわかると思って」

「……まって」

 断片は小さくボロボロで、特徴と呼べるようなものなどほとんど見当たらない。

 しかしひとつだけ。羽弁(羽根毛)を触ってみると、普通の鳥類にはない柔軟さがあることがわかった。素早く飛び回る鳥は強靭な翼を必要とし、もっと固く鋭い、凶器のような羽根を有しているはずなのだ。

 そして、音もなく獲物を捕らえる鳥。残骸のない捕食現場。夜。

「……フクロウかもしれない」

「ふくろう?」

「目と耳が良くて、待ち伏せが得意な鳥がいるの。飛行能力は低いけれど、音を立てずに飛んでくるから“森の忍者”なんて呼ばれてる。それに夜行性だから、夜中にわたしたちの居場所を特定して、出てくるまで待ってるのかも」

 日中は徹底して姿を隠すことから、わたしたちの社会では長らく不明な存在だった。獲物の骨や毛皮を残さず食らい尽くすため、古くは神隠しの魔物として恐れられていた。

「多分よ。可能性の話」

「……いや、そいつだよ、間違いない。みんなに伝えないと」

 弟は怒りと哀しみ、使命感に駆られて目を血走らせていた。わたしはとても嫌な予感がして、ひとまず呼び止めて落ち着かせようとする。

「待ちなさいっ、わたしも行く」

「いいよ姉さん、走れないんだろ?」

「バカにしないで」

 わたしたちはニチニチソウという、夏の桜とも呼ばれる桃色の花を持って、サラの最期の場所に駆け出した。

 駆け出してすぐ、体力の衰えを痛感した。

リスは森の妖精とも呼ばれています。

物語の主役となるエゾシマリス、ぜひ検索してみてください。とてもかわいいです!

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