僕の中の悪魔
僕の業は何なのだろうか?
wikiによると
「業はその善悪に応じて果報を与え、
死によっても失われず、
輪廻転生に伴って、代々伝えられると考えられた。」という
僕の善なる業とはなんなのか
僕の悪なる業とはなんなのか
存在がときには善悪となるのだろうか?
過去や過去生の罪が悪となるのだろうか?
キリスト教では7つの大罪があるという
傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲
いずれの罪にも縁がないかといえば嘘になるが、
いずれの罪にも溺れすぎていないともいえる
聖人を目指しているわけではない
僕は生きる意味を探している
生きる意味は人により異なり
人の置かれる状況によって異なるが
人はカルマを解消するために生を受けるという
現代では人はパンを得るための労働から解放され
より多くの金を手にすることを労働とし
それが生きる意味となってしまったかのようだ
僕がパンを得るための労働から解放され
金を手にするための労働をし
より多くの金を手にすることを思いあぐねているそのときに
気付きはハンマーのように僕の頭を叩いた
何か大事なことを忘れている
僕は昔夢をもっていた
いくつもの夢をもっていた
その夢はひとつもかなわなかったけれども
夢見ていた自分になれなかったことに絶望せず
生きながらえただけの僕がいることに唖然とする
そしてそれは夜に夢となって訪れた
「お前の望みをなんでもかなえよう
そのかわりにお前の命をもらおう」
夢に現れた金髪の男はは自らを悪魔と名乗った
穏やかな笑みを浮かべた顔は紳士のように見え、まるで悪魔のようには見えなかった。
「命と引き換えにお前に望みを与えよう」
「富を、世界中のほしいものすべてを手にすることができる富を僕にください」
それが大罪のひとつ強欲にあたることにはそのとき思いもいたらなかった
翌朝目覚めたときに僕はその誓いをただの夢にすぎないと思った。
起き上がりテレビをつけると天気予報は快晴で、電車の交通情報も乱れがないことを告げていた。
(事故が起きるから急いで)
ふと女性の声が聴こえあたりを見回した。
空耳かな
僕はトーストとハムエッグの朝食を準備してほおばり、新聞をめくっていた。
(今日は8時前に行かないと遅れるよ)
振り向くとそこには美しい女性が立っていた。
「君はだれ?どうしてここに?」
緑色の髪と緑色の目の女性が金色の光をまといながら蜃気楼のように僕の目の前で像を結んでいた。
触れようとすると幽霊のように僕の手はその体をすり抜けた。
「はやく出かけて」
そういってその女性は姿を消した。
僕は部屋の中をあちこち見回し、白昼夢に襲われた感覚を振り払おうとした。
首をひねりきっとまだ寝ぼけているんだろうと思うことにし、スーツに着替えて仕事に出かけることにした。
時計は8時ちょうどだった。
いつもの駅まで歩いていくとホームには人の群れが押し寄せていた。
電光掲示板はひっきりなしに点滅し、人身事故と発着の遅れを告げていた。
予知能力?
女性の姿をかりて予知能力でも働いたのかと思ったが、愉悦に浸っている暇はない。
代替輸送のバスを探すか、タクシーを探すかでもしないと仕事に遅れてしまう。
僕は駅員から遅延証明と代替輸送バス用の切符をもらい駅のロータリーへと向かい、バスへと乗り込んだ。
「発車します」
ぷしゅうという音と共にバスの扉は閉まり、普段見慣れない景色の中をいく通勤となった。
始業の9時過ぎに会社につくと同僚の佐伯から「人身事故だったんだって?」と声をかけられ
「ほんと困るよな。死ぬなら一人で死んでほしいよな」と僕は返した。
席についてPCの電源を入れたそのとき
「誰にも悲しまれないで死んでいくことほど悲しいことはないのに」と同僚の中田綾が隣の席でつぶやいた。
「そんなこと言ったって人に迷惑をかけるよりだったら一人で死んでほしいと思わないか?」
「最後にどんな思いで飛び込んだのかそう思わないの?」
「考えたくもないよ、飛び込む気持ちなんて」
っとにもう!といってけたたましく綾はキーボードを連打した。
僕たちの働いている部署は会社のシステム部で基幹システムの運用と全国の支店から基幹システムに対する問い合わせを受付けサポートをするところだ。
電話やメールでシステムのトラブルや問い合わせに対応し、解決していきながら、日々のシステムの処理をこなしていくのが勤めだった。
入社してすぐこの部署に配属されて1年がたち、ようやく仕事に慣れてきたところだ。
僕のとなりに座る同期の綾に僕は好意をもっていたが、彼女はとっくに彼氏がいるようだった。
それに彼女は僕に対してあまり好意をもっていないのが日々の言動からわかっていた。
それでもてきぱきとクレームに対応する綾を見ているだけで僕は元気をもらっているような気がしていた。
今以上の関係は望まないけれど、これ以上嫌われたくはないなと僕は思っていた。
お昼になり、コンビニから弁当を買ってきて、スマートフォンでニュースを見ていると突然それはおきた。
スマホの画面がブラックアウトして、電源ボタンが効かなくなったと思ったら、画面に文字が現れだした。
「松島電器株価暴落」
ホームボタンや電源ボタンを押しても反応はなかった。
「サクソン電器株価急騰」
スマホのホームボタンを何度も強く押していると周りの同僚たちが集まってきた。
「どうしたのこわれたの?」
「へんなニュースだけ表示されるんだよ」
説明しようとして指を指したそこには普通にインターネットのニュース画面が現れていた。
「凌、お前の頭がおかしくなったんじゃない?」
そうかもしれない、深刻につぶやいた僕に佐伯は気にするなよと肩を叩いていった。
定時になり、仕事の忙しくない人たちから上がりはじめたので、僕も差し迫った仕事はないことから今日は帰ることにした。
「おつかれ」
佐伯や綾にそういって僕は帰途についた。
電車事故の遅延は解消されていた。
(最後にどんな思いで飛び込んだのかそう思わないの?)
ホームを通りすぎる特急列車が巻き起こす風の中、綾の言った言葉が胸の中に蘇ってきた。
(そんなことを言ってもここではだれも知らないふりをして通り過ぎるだけだろ)
ホームレスとおぼしき男がゴミ箱をあさり、すてられた雑誌や新聞を拾い集めてても誰も言いとがめない。
駅前の広場の道の上で別なホームレスが眠りこんでいても、われ知らぬ顔をして通り過ぎる。
(みんなそんなもんだろ)
渦巻く風をのこして通り過ぎる特急電車に僕はひとり呟いていた。
アパートにつくと僕はポトフを作り始めた。
下手だけれども台所に立って料理をつくるととても落ち着く感じがする。
レトルトハンバーグを温めポトフを作りおわったところで、つけっぱなしのTVニュースは今日の株式の取引を伝えていた。
「次世代ブルーレイの大手映画会社の採用に伴い、松島電器の株価は下落し、サクソン電気の株価は急騰しました。」
僕は驚いて、そのニュースが発信された時間を調べようとした。
そのニュースが報道された時間は午後の1時半だった。
僕が昼休みにあの画面をみてから1時間は経っている。
誰かが、何かが、僕に未来を告げようとしている。
今朝の電車事故といい、ニュースといい、なにかが僕の周りから変わり始めようとしている。
僕は同僚の佐伯に電話を掛けようとした。
昼間起きていたことを話して相談しようと思ったのだ。
電話番号を探し通話ボタンを押したところで、スマホはCALL音をたてなかった。
2度、3度と繰り返したところでもそれは同じだった。
誰にも電話を掛けることができなかった。
僕は突然世界でひとりぼっちになった感覚に襲われた。
あわてて通りに飛び出ると、行き交う人が面白げに僕の顔を指差していた。
コンビニのそばの古びた電話ボックスに飛び込むと僕はもう一度、佐伯の電話番号を叩いた。
CALL音が鳴った。
僕は少しほっとした。
そのとき電話ボックスを叩く音がした。
「無駄よ」
それは今朝見た緑色の髪と目の女性だった。
「開けて」
僕は扉をひらいた。
狭い電話ボックスに女性は入りこむと扉を閉めた。
狭いボックス内で彼女は囁いた。
「あなた悪魔と契約を交わしたでしょう?」
突然の問いになんと答えればいいのかわからなかった。
「あなたを助けにきたのよ」
そう言って彼女は僕の手を取って住宅街の中を歩き始めた。
「歩きながら話すわ。わたしはさつき。あなたからみるとあっちの世界の人」
「あっちの世界?」
「死後の世界」
「君、幽霊?」
「そう思っていいわ。とりあえず。」
「話すならどこかにしないか?」
「とどまるとあいつらに見つかるからこうしてるの」
「あいつら?」
「あなたが契約をかわした悪魔よ」
「あれは夢だと思って」
「夢を借りて現れたのよ。人の弱みにつけこむならどんな形でも取るわ」
「僕は富を手に入れたいと言った。でもそれは夢の中で僕が訳も分からず交わした約束で本心じゃないんだ」
「あいつらにしてみれば本心でも偽りでもおなじよ。交わした約束の代わりにあなたの命をもらうだけなんだから」
「ぼくの命なんかもらってどうなるっていうんだよ」
さつきは立ち止まって耳元で囁いた。
「世界が終わりを告げるのよ」
そしてまた手を引っ張って歩き始めた。
「あなたという世界が終わりを告げるのよ。
そしてあなたの思い出を全て飲み干してしまうのよ。
それでも、凌、あなたは約束を交わそうというの?」
なんて軽はずみな約束を夢といえども交わしたものかと僕は後悔し始めた。
「助けてくれるってどうやって」
「わからない。でもなんとかするわ」
「わからないって。どうにかできるから僕の前に現れたんじゃないのか?」
「わたしがここの世界にいられる一度の時間は短いの。だから結論だけ言うわ。もういちど約束を交わすのよ」
「約束を交わしたら命がなくなるんだろ?」
「これはなぞなぞなのよ。命を賭けたなぞなぞなのよ」
「わからないよ。言ってる意味が」
「また会いにくるわ」
そういってさつきは姿を消してしまった。
僕は一人道端に取り残され、迷子の子供になったような気分になっていた。
ひとりでアパートに帰るとテレビは付けっ放しでポトフとハンバーグは冷めきっていた。
佐伯にもう一度電話するのはあきらめたが、携帯が壊れていないか確かめようとした。
すると携帯の画面には文字が浮かんでいた。
「四菱建設倒産」
悪寒が走り、僕は携帯を布団の上に放りなげた。
これは僕にデイトレードをやれといっているような気がした。
あらかじめ企業に起きるニュースを事前に教え、それを株の取引に流用しろといっている気がした。
なんのために?
僕が交わした約束を果たすためなんだろう?
さつきはもう一度約束を交わせと言っていた。
でもどうすればいいのだろう。
一度交わした約束を反故にする約束ってどんな約束なんだろうか
そしてどうすればもう一度悪魔に会うことができるのだろうか
今夜夢を見れば自然に現れてくれるのだろうか
疑問は堂々巡りとなり、やがて僕は考えるのに疲れて、知らずPCの電源を入れていた。
僕はネットでデイトレードに参加し、四菱建設のライバル会社、平成建設の株に貯金をすべてつぎこんでいた。
それからは倍々ゲームをしているようなものだった。
携帯やPCやテレビなどおよそディスプレイとなるものには株式の取引予想がのべつまくなしに表示され、僕を誘惑した。
僕はそれに従えさえすればよかった。
ただゲームをしているのと同じ感覚だった。
預金残高はたちまち桁数を増やし、僕は一人愉悦に浸っていた。
夢に悪魔も現れなかったからこれはいつまでも続けられるものだと思い、僕に現れた予知能力みたいなもので約束なんて初めからなかったんだろうと思うことにした。
「あんたってほんと莫迦ね」
アパートの寝室のPCに張り付いていた僕にさつきが怒りの声を投げかけて現れた。
仕事にも出ず一日中部屋にこもりきりデイトレードに明け暮れる僕にさつきはあきれていたようだった。
「あれほどいったのに、あんたって莫迦なのね」
「悪魔なんてあれから一度も会わなかったよ。
それにいまではお告げみたいな言葉がなくても独りでに何処の株が上がるか下がるか分かるんだよ。多分才能あるんだよ」
「どうしようもない人ね。あんたって」
「僕のことを心配してくれるのはありがたいけど、今忙しいんだ。またにしてくれる?」
「どうなっても知らないからね」
そう念を押してさつきは姿を消してしまった。
「悪魔なんているかよ。こんな時代に」
そして僕は急騰する株を売却しては底値の株を買い漁っていた。
僕が仕事を休みがちになるようになってから、携帯には会社の同僚、上司から電話が頻繁にかかってきていた。
そのたびに僕は、腹が痛い、頭が痛いと考え付くだけの理由を言い、休みはじめて1週間が経とうとしていた。
「楽しんだかい、凌君」
声は僕の耳の中から聴こえてきた。
「お前は俺の中にいたのか」
「そう。ずいぶんと私も楽しませてもらおうと思ったが、もう君の取引にも飽きてしまったよ。
ディスプレイに向かって株をやっているだけの魂にはあきあきだ。そろそろ約束を果たしてもらおうか」
「僕が交わした約束をもう一度言ってくれるか?」
「富を、世界中のほしいものすべてを手にすることができる富を、だったな」
「これがすべてを手にすることができる富なのか?」
「お前がほしいすべてとはこういうものではなかったのか?」
「僕がほしいものは永遠に手にいれられないって分かっているんだよ」
「それはなんだ?」
「綾の心だ。僕は彼女に嫌われている。今仕事にも行かない僕はますます軽蔑されているだろう?」
「それはどうかな?」
悪魔は穏やかに笑った。
「会って聞いてみるといい。彼女の心がわかるから」
すると悪魔の声は僕の耳を通り抜け、姿を再び現した。
「1日だけやろう。残りの人生を大切に」
そういって悪魔は姿を消した。
「くそっ!」
僕はマウスをディスプレイに投げつけていた。
あと1日だけ。
そう悪魔は言っていた。
僕は会社に出かけることにした。
見慣れた景色もこれが最後かもしれないと思うとあたりまえの風景がとても愛おしく見えてきた。街路樹は朝露に輝いて、初夏の日差しが世界を照らしていた。
会社につくと同僚たちは驚いて僕を迎えてくれた。
「もういいのか?体は?」
「心配かけて悪かったよ」
僕はいたたまれない気持ちになってうまく佐伯たちの目をみて話すことができなかった。
「ようやくきたね」
綾が隣の席にいた。
「どうせ、ずるやすみだったんでしょう?」
「ばれてた?」
「やっぱり」
僕は本当のことを言うことができなかった。
その日はたまっていた仕事を片付け残業しようとしていた。
「明日もあるんだから今日は帰らない?」
綾が珍しく帰りにさそってきた。
それもそうだな、どうせ今日で終わりなんだし、そう僕は思い、二人で帰ることにした。
僕たちは缶コーヒーを買って会社の近くの公園に寄った。
ベンチに並んで腰掛けると綾は怒って言った。
「凌がいなかったから、この1週間ほんっとに忙しかったんだからね」
「悪かったよ」
「それでわかったんだけど。」
顔を赤く染めながら綾はまっすぐに僕を見つめて言った。
「凌がいないと困るんだよ。ほんとうに」
「それって同僚として言ってる?」
「そうだよ。それ以上でもそれ以下でもないよ。」
見つめる綾の目には少しだけ涙が浮かび始めていた。
「悪かったよ。これからはちゃんと来るから」
「ほんとうだからね」
飲み干した缶コーヒーをゴミ箱に捨てて僕たちは公園を後にした。
駅まで行く道を綾は何も話そうとしなかった。
僕は綾に必要とされたことが嬉しくて、それだけで満足だった。
駅の周りにはホームレスが相変わらずたむろしていた。
「みちゃだめだよ」
あまり熱心に彼らの姿を見ている僕に綾は警告した。
ホームレスは相変わらず、地べたに寝込ろんだり、ごみを漁ったりしていた。
そして僕はふと思いついた。
デイトレードで稼いだ金を全て彼らに寄付しようと思った。
「なに笑っているの?」
「いや、いいことを思いついて」
「どうせすけべなことなんでしょう?」
「まあね」
僕は笑っていた。
上りと下りで帰る方向が違う綾に僕はさよならを言おうとした。
「また明日」
そういう綾にぼくも笑って答えた。
「また明日」
そうして別々のホームへと進み僕たちは別れた。
アパートに帰ってから僕はNPOに寄付できる銀行口座を探した。
デイトレードで稼いだ金をすべてその口座に送金する手続きをした。
それからメールを送った。
「ホームレスのために役立ててください」と
あの日、電車事故にあったとき、飛び込んだのはホームレスの人じゃないかと思った。
周りの人から蔑まれ、ごみのように扱われ、死んでもなお迷惑をかけたといわれる、そんな人じゃないかと思った。
もし彼らに希望があれば、走りこんでくる電車に飛び込むようなことはしないはずだ。
もし彼の手に家を借りる金があれば、新しい希望が湧いてくるかもしれない。
もし僕に彼らにできることがあるのなら、あぶく銭として手にした金は彼らのような人たちにこそ渡るべきだと思った。
豊かになったといわれる日本の現代で人は自分一人のことだけを考えるようになった。
過保護な政策を改め、肥大する予算も縮小せずに税金を搾取しようとする政府の方針のもとで、明日をも知れぬ生活を続けている人たちがいて、僕たちは彼らをただのごみのように目を向けている。
それは7つの大罪のうちの怠惰に当てはまるような気がする。
僕たちがそれと知らず等しく罪を背負っているのだ。
メールをNPOに送信し終えると僕は悪魔が訪れるのを待った。
通りを行き交う車の音が遠ざかるとアパートの部屋には静寂が訪れた。
「約束は果たせたか?」
悪魔はそっと僕の頭の中で問いかけてきた。
「わからない。けれど僕にはもうするべきことがないと思う」
「人に必要とされること。それが答えだ」
「僕の命は?」
「毎日ディスプレイに向かって株をやっているだけの魂にはあきあきだ。だがお前はただの強欲ではない。まだ人として生きる価値がある。その魂がどこまでたどり着けるのかを見届けてから迎えに来ることにしよう」
そう言って悪魔は僕の体の中から消えていった。
鼓動が全身に波打つのを感じ、深くため息をついた。
さつきの声が後ろから聴こえた。
「あんたってほんと莫迦ね」
「なぞなぞは解けなかったよ」
「悪魔がまた現れたらどうするのよ」
「またこういうよ。
富を、世界中のほしいものすべてを手にすることができる富を、てね」
僕たちは顔を見合わせて笑った。