回心
相変わらず太陽が容赦なく照りつける中、三六〇度見渡す限り何も動くものはなかった。もっともこの暑さの中、全周を見渡さなくても、動くものがあるとしたらそれは俺の前後に一直線に伸びるハイウェイからやって来るしかなかったのだが。
賢い生き物たちはみんな、巣穴にこもってお昼寝だ。出歩くのは馬鹿な人間様だけだよ。それにしても今日は車が通らない。
こんな時は文句を言っても始まらないので、少しでも距離を稼ごうと東に向かって歩き続けたが、しばらくしてようやく、うしろから一台の車が走ってきた。
これを逃してなるものか。俺は道路に飛び出して大きく手を振った。
「おーい、止まってくれー」
以前の俺にはパターンというものがあり、乗る車は選ぶという自尊心もあった。それが今は……。情けない。
必死で手を振る俺の横を、車はちょっとスピードを落としただけでそのまま行き過ぎてしまった。俺はがっくりとハイウェイにしゃがみこんで、去っていく車に叫んだ。
「このケチ野郎!」
するとその俺の声が届いたのかどうか、行き過ぎた車が突然止まり、引き返してきた。俺はそれに気づくともう恥も外聞もなく、手を大きく振り回しながら車に向かって走り始めた。やっと捕まえたぞ。
車の中からガラス越しにこちらを値踏みする様に見ているのは、いかにも人の良さそうなじいさんだった。最高のカモの部類だ。乗せてくれさえすれば。
じいさんはしばらくそのままでこちらを見た後、窓をあけ、声を掛けてきた。
「乗るかい」
助かった。俺はじいさんの気が変る前にと、飛びこむように車に乗りこんだ。
「きょう日、誰でも彼でも乗せるのは無用心だからな。昔はヒッチハイカーももっと安心して拾えたんだが」
俺は尋ねた。
「で、この顔は大丈夫そうに見えたのかい」
「そうだな。わしの車が行きすぎた後のあんたの、がっくり肩を落とした様子、本当に哀れみを感じたよ。それで大丈夫と思った。近づいて見てやっぱり間違いないと分かったね」
そうかい、そうかい。ヒッチハイク強盗のベテランも安く見られたものだ。
しかし、じいさんがそう思ったのも無理はないかもしれない。
俺は改心したんだ。
ここ一ヶ月の不調でつくづく嫌気がさしていた。そして突然、決めた。
「仕事を切り上げ、東へ行こう」
ニューヨークなら俺でもできることが他に何かあるだろう。あいつもいるし。
そう、あいつの車に乗りこんだ時から全ては変わった。男を屁とも思わぬ自信満々な女にびっくりしたが、まさか自殺志願者だったとはね。あいつの車で断崖からダイビングした時はもうおしまいと覚悟したが、奇跡的に途中の岩棚にひっかかり、二人とも助かったんだ。
それからの女の変わり身は見事だった。どうせ一度捨てた命、戻っても会社の金を横領した罪で捕まるだけだから、と俺の押掛け相棒になったんだ。俺は本来、一人で仕事をするタイプだ。それがどうした訳かあの時は、でも……。
あいつと俺のコンビは最高だった。あいつが最高だったと言ったほうがいいか。以前は苦労していたお客さんの調達も、あんなに簡単に次々引っかかって来て、拍子抜けする程だった。
あいつが助手席に座り、流し目で運転手を誘惑している時に後部座席から俺が隙を覗い、そして商売を始める。すると皆、驚くほど素直に金を出したのだ。殆どのやつらはスケベ心一杯で、強盗にあったという認識すらないのかも知れなかった。新手の美人局に引っかかったという訳だろう。
俺は経験と確率をもとに編み出したヒッチハイク強盗のテクニックと看板に泥を塗っていることに恥ずかしさを感じる時もあったが、実入りの多さが全てを吹き飛ばした。手当たり次第に稼いで、パッと散財する、あの楽しき日々よ。
しかし、どんないい事にも必ず終わりはやってくる。
ある時、彼女はニュースで自分のかつていた会社のスキャンダルが明るみに出たのを知った。驚いたことに、彼女が逃げ出したのと全く同時期に彼女が使いこんだ金の十倍以上の横領事件が進行していたらしいのだ。その結果、彼女の使いこみ分も全てその事件の中にごちゃ混ぜになってしまい、分からなくなってしまったということらしい。
「これはやりなおしのチャンスね」
そう呟く彼女の言葉の意味が一瞬分からなかった。まさか、彼女が自分の元を去っていくことがあるとは不覚にも思いもしなかったのだ。
しかし、彼女は無常に宣言した。
「私はニューヨークに戻る」
驚く俺に彼女は追い討ちを掛けた。
「まさか、あなたも私がこのままずっとこんなことをやって暮らすと思っていた訳じゃあないでしょ」
実はそう思っていたのだ。
いつかは所帯を持って、ひょっとしたら子供も出来て。全く馬鹿なことを考えていたものだ。
「あなたのことは好きよ。私に新しい人生をくれた。ここで男どもの隣に座ってちょっと腰を摺り寄せるだけで、あんなに簡単に男が思い通りになるとは思わなかった。この手をうまく使っていれば、私はもっと楽に上に上がれたはずよ。そう、私は女の武器を知ったの。私はもう一度、都会で自分を試して見たい、せっかく自由の身と分かったんだから、一刻も早く行きたいわ。
本当はあなたにも来て欲しいの。あなたには都会の男にない野生の逞しさがある。あなた一人くらい養ってあげる。都会で私の心の支えになって欲しい」
しかし生憎、俺にはプライドもあったのだ。二人は別れ、女は東部に去っていった。
彼女がいなくなってからは全てが落ち目だった。一度、楽をして獲物を捕まえることを覚えた俺は彼女と組んでいた時はもちろん、出会う前よりさらに稼げなくなってしまった。注意力散漫で思わぬ逆襲を受け、走っている車からほうほうの態で飛び出したことも何度かあったほどだ。
それで、いろいろ考えた。
俺も潮時かもしれない。何処かでまともな暮らしを始める時に違いない。そう思うと、向かう先はあの女のいるところ、ニューヨークしかなかった。あの大都会で彼女と再び出会えるチャンスはゼロに等しい。でも行ってみようと思った。あちこち、探していれば、あいつに出会える気がしたのだ。
「ニューヨークに来てちょうだい。待っているわよ」
「どうせ、あちらに戻ったら俺のことなんか忘れてしまうさ」
「ウウン、忘れない。あんたは都会のフニャフニャ野郎とは違ってた……わよ」
彼女が最後の夜に耳元でささやいた言葉が今も響いていた。
俺はクラクションのけたたましい音で夢を覚まされた。
「お前さん、ヒッチハイカーの最低限のマナーを忘れてないかい。こんなところで見知らぬ男を拾う物好きは、退屈してるってことなんだよ。面白い話が聞きたいんだぜ」
確かにそのとおり、基本だ。しかし今の俺の気分に合う小噺はなかった。俺は、自分の商売のところは適当に誤魔化して、女との別れとその女を追ってNYへ向かっていることを話すしかなかった。
「するとお前さんは女のケツを追ってニューヨークまで行こうって言うのかい。ヘッ、わしには信じられない。お前さんにはみどころがあるように見えたんだけどな」
「大体、お前さん、ニューヨークで何をやる気だい。確かに、この西部の荒野で生き抜く術は心得ているだろう。しかし都会でどうやって生きるんだ。タクシーの運ちゃんでもやるかい。しかし、移民の奴らとの競争も結構シビアだぞ。
挙句の果てが、ある夜、ビシッとスーツを決めてタクシーに乗りこんで来た彼女と御対面という訳さ。向こうはお前さんのことなど完全に忘れている。おまけに都会の、そのフニャフニャ男と一緒だ。一体、お前さん、なんて言う積もりだ」
俺は何も考えていなかった。返す言葉はなかった。
「少しくらいツキがなくて調子が出なくても簡単に逃げ出すな。自分の縄張りで、こつこつ自分の仕事をやってごらん。必ずいつかは芽が出るさ」
確かに都会で出世階段を掛け上るのに忙しい女に俺の相手をしている暇などないだろう。しかし、あいつが他の男にあの腰をすりつけているところを想像すると……。
「俺は、どうしたらいいのか分からなくなってしまったよ」
「いいから、わしの言うことを聞きなって。信用しろ。何事にも辛抱が肝心だし、お前さんならできる。これでも人を見る目はある方なんだ」
じいさんは頭を抱え込んだ俺の肩をやさしく叩いた。
…………。
そうか。やはり自分の生き方は簡単には捨てられないのか。それが俺の運命なら仕方ない。
「じいさん、ありがとよ。たった今、心を入れ替えた」
「そりゃよかった」
俺は覚悟を決め、懐に手を入れた。
「じいさん、おとなしく金を出してもらおうか。このナイフはおもちゃじゃないんだ」




