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王の空 番外編

大人と子供の境目は

作者: 紅月 実

「なあ、デル。ハロウィンに誰か誘うのか?」

 収穫の買取待ちは順番が来るまで暇である。デルが籍を置く狩り組の頭で友人でもあるルカが、時間潰しにその話題を持ち出したのは必然だろう。

 村で異国の地から伝わった『ハロウィン』なる祭りが催されるようになってから十年ほど。当初は小さな子供のためのものだったが、楽しい事は大人も好きである。今では大祭の後に行なわれる後夜祭として定着していた。そして何時の時代でも若者は気になる異性を誘って祭りを楽しむのだ。

「ん~……、分かんね」

「え、だってこの間システィナとハロウィンの事話してたからてっきり……」

「お前が気になるのはシスティナじゃなくて、妹のコリーンの方だろ」


 一人では声を掛け辛いので便乗するつもりなのだ。デルが指摘するとルカは悪びれずに頭を掻きながら照れていた。睨んでも全く気にしない様子にデルが呆れる。

 システィナとデルは最近になって急速に距離が縮まっていた。お互いを意識し始めて一月ほどだろうか。一方、ルカは前々からコリーンを気にしていた。秋の大祭でもずっと見ていたので、祭りのダンスに誘えと着飾った娘たちの群れにルカを引き摺って行ったデルは息を呑んだ。

 コリーンの隣に見た事も無いほど美しい娘が居たのだ。コリーンの姉のシスティナだった。襟や袖に華やかな刺繍をしたドレスを着ていた。くしけずった髪に花を編み込んだ姿が浮かび上がり、薄化粧をしたシスティナしか見えなくなった。


 顔が火照り、足元の地面が急に無くなったような浮遊感に襲われる。恋に落ちた瞬間だった。ルカの話に付き合って何度もこの姉妹を目にしていたと言うのに、何故こんなにも突然『恋』はやって来るのか。

 システィナと暫く見詰め合っていたが、先に我に返ったのはデルの方だった。そして羞恥心に支配されたデルは、その場にルカを置き去りにして逃げ出した。後で散々文句を言われたが、結局のところルカは目当てのコリーンと踊れたのだ。羨ましくて仕方がなかった。

 欲目でなければシスティナもずっとデルを見ていた。ダンスに誘えば良かったと、どれだけ後悔したか。



―― ◇ ――



「何かに躓いて転んだ拍子に頭を打ったんだな。ここが少し窪んでいるから頭骨も折れているだろう」

 検分を終えた換金所の責任者の言葉にルカとデルは溜飲を下げた。仔ジカの額を示してデルたちに説明するアシュトンは重苦しい表情だ。いつもの事で特に不機嫌な訳ではないが、とっつき難いので二人は少々気後れがした。


 秋が終わりシカが繁殖期に入ると狩り組の稼ぎは激減する。身籠っているだろう雌は元より、食餌も摂らずに多数の雌と交尾して痩せ細った雄も見送られるからだ。しかし、今日は思わぬ幸運が舞い込んだ。一月ぶりにちゃんと肉が付いている雄を狩れたのに加え、時期外れの仔ジカまで得られた。

 挙動不審の雌ジカが居たので周囲を調べると、脚を折った仔ジカが倒れていた。片方の前脚を開放骨折していて虫の息だ。どうやら転倒した際に首まで折ったらしい。この親子には不運だが、デルたちにとっては有り難い収穫かせぎだった。


 シカの出産は春だが、この雌は遅くに仔を産んだようだ。夏に入ってから産まれたので育ち切れず、また母ジカも無理に追い払わずそばに置いたのだろう。

 肉の柔らかい仔ジカは高値が付くが、母ジカと親離れしていない仔ジカは獲物から外すのが通例だ。そのためこう言った事故に遭った個体か、テスかクウォンの許可が無ければ狩る事は出来ない。掟通りに捌かず血抜き用の傷だけを与えた。




「それで……、その……」

 歯切れの悪い口調でルカがおずおずと切り出した。仕切りカウンターの奥で帳面を確かめていたサイリーが顔を上げた。

「ちょうど大至急で街から依頼が来てるよ。今日の収穫あがりで好いのを選ぶつもりだったんだけど、仔ジカがあるならすぐに揃いそうだ」

 ルカとデルが思わず声を上げた。狩り人の早飛脚が求めているなら普通より高い買取になるからだ。春先まで切り詰めて生活しなければならないので、予想外の収入は本当に有り難い。

「もう一頭の方も珍しく痩せていないから、二頭とも急ぎで街へ出荷する事になるな」


 アシュトンの言葉は二人を舞い上がらせるのに十分だった。意気揚々と換金所を後にする。気が緩んだデルは口元も綻んでいた。

「良かった……、これで買える」

「ほんと、良かったよな。で、何を買うつもりなんだ……、て、どこ行くんだよ!?」

 食堂の入り口を素通りしようとするデルをルカが引き止めた。中では仲間の組衆二人が食卓の場所取りをしている。

「あ、悪ぃ。姉貴んとこへ顔出すから飯はいいよ、あっちで何か食わせてもらう。それにどうせ明日から西の集落で修理仕事だろ。面倒だからその間寮に帰らないで姉貴ん家に泊まるわ」

「おう、分かった。じゃあ、また明日な」


 心得たルカが軽く手を振って食堂に消える。デルの姉は料理上手で知られていた。長く食堂で働いていたおかげだが、縫い物も上手かった。母を早くに亡くしたデルに取って『母』と言えば姉である。ぼんやりとしか覚えていない存在と違い、自分と父親のために家事一切をしていたのは『姉』だからだ。

 デル自身は狩り人見習いの若衆になった時に寮へ入ったが、姉はずっと生まれ育った家で暮らしていた。今では姉夫婦と甥、そして先月産まれたばかりの姪の住まいとなっているが。

 食堂で食事をしていても、デルは姉の作った物がすぐに分かった。産後の肥立ちが思わしくなく、最近は食堂の手伝いを休んでいるので、久々に姉の料理が味わえると思うと嬉しかった。


 明日から三日間は狩り番が無いので力仕事をする事になっている。姉夫婦の住む西の集落で、納屋と家屋の修理を組で請け負っていた。突然の訪問に姉は驚くだろうかと思ったが、よく考えればこの仕事は義兄の口利きだ。当然姉の耳にも届いているだろうと広場の端で苦笑した。

 既に辺りは暗くなっているので、樹上の枝に飛ばずに地上を行く。西の集落にはシスティナの家もある。少しでも近くに居たかった。



―― ◇ ――



 納屋の屋根の上に居ても、デルはついシスティナの姿を探していた。数日が瞬く間に過ぎ今日で非番は終わる。この後二日は狩り番で、その次の日はいよいよハロウィンだ。

 行商の馬車が着いたと言う知らせが昨日届いていた。目前に迫った祭り用の小ぎれいな装飾品や、ハロウィンの提灯飾りに使うカボチャやカブは飛ぶように売れるだろう。早々に家での仕事を済ませたシスティナも、同じ年頃の娘たちと浮き浮きした足取りで出掛けていた。

 体調の戻った姉も運動がてら久しぶりに遠出している。デルと同じ狩り人の義兄も、まだ首の座っていない姪を抱き帯に吊るして付き添った。義兄一人なら半刻(三十分)足らずの道程を二刻以上歩くのだ。


 以前はデルも姉と共に歩いて村へ出向いたものだが、〈祝福〉を使えるようになってからは長距離を歩く事は無くなった。獣道すら存在しない森の中でも只人には真似出来ない速さで『走れ』たし、樹木さえあれば『樹渡り』で思い通りの移動が可能だ。〈自然の恵み〉の賜物〈祝福〉で常人よりも屈強な肉体を更に強化出来る狩り人ならではだ。

 大工仕事も滞りなく進んだので昼までに村へ行けそうだった。姉の方も捗っていれば良いのだが。

 

 

―― ◇ ――



 行商の屋台は意外と空いていた。品を見ているのは十人ほどだ。今回は品揃えが悪いのだろうかと並べられた品に注意を向ける。色とりどりのリボンや髪飾りバレッタとそれを留める簪が見えた。晴れ着の襟元を飾るための大小の管玉ビーズがきらきらと輝いて娘たちを誘っているようだった。見栄えの好い革鞘や帯、落ち着いた色に染められた組紐を前にした男たちも一つ一つを手に取って真剣に悩んでいた。

 その中にシスティナもいたが、目の前の宝の山に夢中だった。通り過ぎ様にちらりと覗くと、システィナとコリーンは小さく折り畳まれた手布ハンカチを広げて縁のレースに見入っていた。


 内心で喝采を上げたデルは借りていた大工道具をルカに押し付けて治療所へ急いだ。屋台付近に姉の姿は無かったのだ。しかして探し人はすぐに見付かったが、どうも様子がおかしい。治療所の前には姉夫婦の他にも、不安げな面持ちの村人が四、五人立っていた。……かと思えばそこらをうろうろと歩き回る。

「デル! ぼくもかたぐるましてっ!」

 叔父に気付いたナジールが駆け寄った。デルは飛び跳ねる甥っ子を威勢良く担ぎ上げた。乳飲み子をあやす姉はともかく、見覚えのある男児を肩車した義兄をまじまじと見てしまう。


「あんた、自分の息子放り出して他所の子供を肩に乗せてんなよな……」

「放り出してねぇよ。人聞きの悪い事言うんじゃねえ。順番にやってんだよ」

 二人の視線がぶつかって見えない火花を散らす。肩に子供を乗せた姿が滑稽なのはお互い様だ。デルの義兄は薄い灰青色の瞳をしていた。きつい三白眼なうえに眼力が尋常ではなく、睨め付けられただけで背筋がぞっとするほどの迫力がある。

 本心から怒っていないのも、甥っ子を無視していないのもデルは分かっていた。しかし義兄と顔を合わせると何故か憎まれ口を叩いてしまうのだ。

「デ、ルーーー!」

「よう、シン。久しぶりだな」


 ヤスの頭にしがみ付いた男児が無邪気に笑う。この子の笑顔は底抜けに明るい。吊られたデルも愛想良く答えた。二つ年下のナジールと同じくらいの体格をしたシンは、銀糸の髪と山の中腹にあるムトリニ湖のような澄んだ緑の瞳をしていて、陶器で出来た人形のように美しかった。

 人見知りの無い子ではあるが義兄のヤスには事の他懐いている。家族ぐるみでの付き合いも有り、多忙な両親を持つシンは姉夫婦によく預けられていた。嫌な予感がしたデルが姉のナナイに無言で問い掛ける。子供の前で人死にを口にするのは避けた。

「難産が重なって三人の〈癒し手〉が掛かりっきりなの。一人は逆子で、もう一人は……双子なのよ。ハロウィンは死者の魂が親しい者に会いに来る日らしいけど、お祭りの前に不幸は出さないってみんな息巻いてるわ」

 巫女と上級治療師二人が揃って呼び出されるのも当然だった。ここに居るのは妻子を気遣う男たちなのだ。


「姉ちゃ……、姉さんは手伝わなくて良いの?」

 子供染みた呼び方をしてしまったのは焦っていたからだ。姉のナナイも治療師の修練を積んでいる。お産の際の女手は多い方が助かるのではないのか。溜め息をついた姉は姪のヘルヴァの頬をくすぐった。

「この子が居るし、手は足りてるから無理しないでって追い出されちゃったの。それにきっと大丈夫よ」

 ナナイはちらりとシンを見やる。強い〈祝福〉を持つシンは感応能力が異常に発達していた。平たく言えば心の〈声〉に敏感なのだ。上級治療師の母親の心が悲しみで満たされれば、それを感じ取ったこの子も泣き出す。過去に幾度もそんな場面を見ていた。しかし、シンは義兄の肩で大人しくしている。


 両手を離したシンが突然「きゃーー!」と甲高い声ではしゃぎ出した。一呼吸置いて弱々しい泣き声が聞こえる。デルや姉夫婦が見守る中産声は力強くなり、ほどなく合唱となった。シンの奇声にぎょっとした者たちも、一転して晴れやかな表情になっている。

「ほらね、大丈夫だったでしょう? お祝いが増えた事を〈自然の恵み〉に感謝しなくちゃ」

「あ、そうだ姉さん。頼んでたアレ……、出来てる?」

 ほっとしたデルは、遅まきながら姉を探していた理由を思い出す。したり顔のナナイが籐製の手提げ籠から小さな包みを二つ出した。受け取ったデルの目が輝いた。


「最後の糸玉が買えたから仕上げられたわ。自分で言うのも何だけど、良い出来よ」

「ナジ! 下りろ!」

 膝のばねを使って甥っ子を宙に放り出したデルはナナイを抱き締めた。ナジールは叔父の首に跨った姿勢で落下し、両足を揃えて着地する。ナジールは三歳で狩り人の素質を示している。この程度の軽業は朝飯前だ。

「姉ちゃん! 愛してる!」

 二人の間で潰されたヘルヴァがふにゃふにゃとぐずり出す。シンとヤスに別れを告げるのもそこそこにデルはルカを探した。


 仲間たちは役所の裏手にある倉庫からちょうど出て来た所だった。ルカの腕を掴んで広場を横切る。行商の屋台と役所は広場を挟んで反対側だ。あちらにも目出度い話は伝わったようで、皆が喜びの声を上げている。

「お、おい、一体どこに連れて行くつもり……。ヒッ!!」

「情けない声出すな! まだコリーンを誘ってないだろ。一緒に来いよ」

「そ、そんな。急に言われても心の準備が……」

「オレは一人でも行くぞ」


 ルカは赤くなったり青くなったりと忙しい。狩りの際は頼り甲斐のある組頭も、色恋に関しては奥手の小心者だった。屋台まであと少しの地点で回れ右をした。

 また置き去りにされると思ったらしいルカは胸座に掴み掛からんばかりだ。立ち止まったデルは、自分の身体で隠して手に持っていた物をルカに差し出す。

「おいおいおいおい! …………何だこれ?」

「姉貴に頼んで同じのを二つ作ってもらった。この間街へ行った義兄アニキから聞いたんだけど、今、街ではレース編みの手布ハンカチが流行ってるんだとさ。……コリーンもさっき似たようなのを欲しそうにしてたぞ」


「お前の姉さんは縫い物の内職を街に収めてんじゃなかったっけか。高くねぇの?」

「材料費と姉貴の手間賃だけで、店の儲けが乗ってないから大した事無い。まあ、この間の仔ジカが無けりゃ止めたんだけどな。これならきっと喜ぶって」

 姉は代金は不要だと言ってくれたのが、デルはちゃんと払うと押し切った。姪っ子が産まれたばかりで物入りの姉に甘えたくなかったのだ。

「……うう。膝が笑ってる」

「オレも心臓バクバク言ってて口から飛び出そうだ」

 何度も深呼吸したデルは再び回れ右をした。システィナと目が合う。背中に感じていた視線は気のせいではなかったと思うと、デルの顔が熱くなった。


 システィナに声を掛けて屋台から数歩離れたデルには、右手と右足を一緒に出しているルカを気遣う余裕は無かった。

「その……ハロウィンに行くのに……、誰かに誘われた?」

「うん……、ステファンに誘われたけど……、断ったの」

「え、何で」

「だって、他の女の子にも声を掛けてたから……」

 ステファンは寮に入ったデルと入れ替わるように西の集落に移住して来た。領主の指示に従って樹木の伐採をする樵の父を手伝っている。

 狩り人らしい細身のデルよりも背丈は低いが肩幅が広く、顔立ちも中々に整った好青年である。幾らでも相手が居そうだが、浮気な性情が娘たちに敬遠されているのかも知れない。


 下を向いたシスティナは何かを待っているようにそわそわしていた。全力で逃走しようとする己の勇気をやっと捕まえたデルは一気に言葉を吐き出した。

「オレとハロウィンのダンスを踊ってください!」

「はい、喜んで!」

 嬉しそうに頬を染めたシスティナの笑顔は、デルを天まで昇るような心地にさせた。限りなく眩しい笑顔のシスティナに左手の物を渡した。強く握っていたせいで皺になっていない事を〈自然〉に祈る。

「あの、その……、好かったら使って」

 細長く丸めた布の縁は繊細なレースで飾られていた。やはりレースで編んだリボンを解いたシスティナは更に顔を輝かせる。

「まあ、ありがとうデル。いつ見てもナナイの作った物は素敵ね……」


 絹のハンカチを縁取るのは二段になったレースである。先ほどシスティナが見ていた物は一段のみ。

 リボンに結び付けられた花の模様モチーフも中細の毛糸で編まれていた。五枚の花弁が形作るのは黄色いノイチゴの花だった。手の平より一回り小さな毛糸の花をシスティナは自分の首に当てた。

「髪に結ぶより、首飾りチョーカーの方が好いと思うんだけど。……どう?」

「よく似合うよ」

「これ着けてハロウィンに行くわね。家まで迎えに来てくれるの?」


「ごめん、オレ、午前中は村で子供たちに菓子を配らなきゃならないんだ。でも、その後はずっと空いてるから!」

 デルが慌てて当日の予定を説明した。夜のダンスに出られる事は強調しておく。

「実はあたしも昼までは割当てがあるの。仕事が終わったら待ち合わせしようね」

 ただ話しているだけでデルの心は浮き立つ。しかし、システィナの背後から突き刺さる視線が邪魔だ。強面の義兄が相手でも平然としていられるデルである。ステファンごときに睨まれてもどうと言う事は無い。

 だが、ステファンに腹が立っているのも事実だ。年頃の娘は全て自分の物だとでも思っているようだった。傲慢な鼻っ柱を圧し折ってやりたかった。デルは少し屈んで何事か囁いた。


「ごめんなさい、よく聞こえなかっ――――」

 システィナが顔を上げると、羽のように軽く口付けた。花のように可憐な唇はしっとりと柔らかかった。刹那で永遠な時間の後にデルは顔を離した。

「約束の印だよ、システィナ」

「シシィって呼んで……」

 潤んだ瞳でシスティナが呟いた。愛称で呼ぶのは妹と両親だけだとデルは知っていた。細い肩に手を置いて、もう一度優しく接吻キスをした。

「じゃあ、ハロウィンの日に。またね、シシィ」


 硬直したままのステファンを視界の端に収めたデルは、優越感に浸りつつ踵を返した。平静に見えるよう一歩ずつ地面を確実に踏み締める。広場を横切り役所の裏へ直行する。物陰に入ると足の力が抜けて地面に突っ伏した。虚勢を張るのも限界だった。

「なにやったんだ、オレ…………」

 公衆の面前で若い娘に接吻キスをした。周囲の人間が皆自分を見ていたような気がした。目の良い義兄に全部見られていたのは絶対に間違いない。顔から火が出そうだった。いや、実際に燃えているのかも知れない。そう思えるほどに顔が熱かった。


 羞恥に頭を抱えたデルに、息を弾ませたルカが追い付いた。指を突き付けて言い放った言葉がデルの体温を更に上昇させる。

「おいお前! デル! 何て羨ましい事してんだ!」

「やかましい! 勢いだ!!」

「あんなに上手くやった癖に何が勢いだってんだ! おれにもどうやるのか教えろ!」

「そんなモン知るかっ! 自分で考えろ!!」

 地べたに座って照れ隠しで怒鳴るデルと、興奮したルカの言い合いは留まる処を知らない。


「うるせぇよ、あんまり騒ぐとテスに言い付けるぞ」

「言い付けるって……。オレたちはガキじゃねえぞ!」

「ぎゃあぎゃあ騒いでるんだからガキだろ」

「はい、騒いですみません」

 義兄の言い分は尤も過ぎて一言も無い。ヤスが苦手なルカは姿勢を正して早々に口を噤んだ。むっつりと黙ったデルの髪を大きな手がくしゃりと掻き回した。頭に来たデルはヤスの手を払った。


「まあ、ガキは色々と悪戯するもんだ」

 背が伸びる前にもこうして髪をぐしゃぐしゃにされたのは腹立たしい思い出だ。ナスデルと呼ばれていた頃はヤスをいつも見上げていたからだ。広い背中と逞しい腕を持つ男は、静かに姉を見ていた。今のデルがヤスと並ぶと目の高さはほぼ同じだ。

「話の種にされても気にすんなよ」

 デルが落ち着いたのが分かったのだろう。シンを肩に乗せた義兄はそれ以上何も言わなかった。


「なあヤス、オレって大人と子供どっちだと思う?」

 デルはふと頭に浮かんだ疑問を口にした。

「自分ではどう思ってんだ」

「分からないから聞いてんだ。……どうせガキだから分からないとか言うんだろ」

 子供だと決め付けられるのを諦め半分で覚悟していたデルは、意外に感じつつ銀色の瞳と目を合わせた。

「……俺に分かるのは、ガキってのは子供と同じじゃ無えって事だけだ。無駄に歳食った奴は爺ぃでもガキだろうが」

 義兄の言いたい事はぼんやりと理解出来たものの、肝心の答えは聞いていない。


「迷惑なガキにならねえなら、子供でいても悪くねえと思うぞ。なあ、シン」

「ぼ、く……、こど、もー」

 シンのような本当の子供なら悪くはないのかも知れないが、デルはもう二十歳を超えている。子供扱いは腹が立つだけだ。

「ハロウィンは子供のための祭りだ。お前も『元』子供として楽しめよ」

 上機嫌だったシンがふいに治療所の方角へ顔を向けた。瞬き一つの間そちらを見ていたが、ぴたぴたと義兄の頬を叩く。

「かあ、さん。よんで、るー」

「後産が終わったな。よーし、それじゃあお前の母さんとこに行くぞ。そうだ、デル」


 気を抜いていた横のルカが再び緊張するのを感じながらデルは義兄を見上げた。

「……大事にしてやれ」

「分かってる」

「菓子より甘い物もらったんだ。これ以上悪さすんなよ」

 面食らったデルが何か言う前に、義兄はシンを母親の元へ送り届けに向かった。暫し茫としていたデルだったが、下らない事に拘っていた自分はやはり『子供』だったのだと思うと笑いが込み上げた。声を上げて一頻り笑ったデルは、息が吸えない苦しさに涙を滲ませていた。

「お……、おい、お前大丈夫か?」

 ルカは気が触れたように腹を抱えて笑い転げるデルを心底心配していた。


「平気だよ。は、はは……。そうだよな、菓子をもらったらもう悪戯出来ねえよな」

 デルは指で己の唇をなぞる。甘菓子よりも、もっともっと甘い物をここにもらったのだ。にんまりしたデルは、悪童そのものの表情をしていた。


『トリック・オア・トリート』


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― 新着の感想 ―
[一言]  突然やって来るのが、恋!  いつの間にか目で追ってしまったり、何を見ても好きな子に結び付けて考えてしまう。  そんな姿がこそばゆいです。 「なにやったんだ、オレ…………」  が、微笑ま…
[良い点] とても柔らかな描写をされるのですね!とっても素敵でした(^_^) 世界にどっぷりと浸からせて頂きましたよ(≧ε≦)!! 読んでるこっちまでワクワクしちゃいました(≧∇≦)
2014/12/14 01:41 退会済み
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