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 夢を見続けるのも、そんなに悪いことじゃないと思う。パパが昔そう言っていた。


 †



 海と山とに囲まれた自然豊かな私の街。私の大好きな街。異国の文化と、昔からの文化が交じり合った街は不思議な雰囲気を醸し出している。田舎というわけでもなく、大きな時計塔があったり、豪華な駅があったり、はたまた活気のある港や商店街。うん、この街は広さはそこそこでも隔離された一つの都市のよう。

 そんな街で私の家はパン屋を営んでいる。あまり大きいとはいえない――むしろ小さいけれど、この街では――私の家の周りの住宅街においては結構有名だったりする。自慢じゃないけど、私のパン屋はすっごくお馴染みの店だ。いつもすぐ売り切れる。

 この街は港街だけれども、うちのパン屋は海から少し離れた場所にある。街東側の家が多い場所。一般の家々に紛れてまったりと営んでいる。

 この店は、私の母親、ようするにママの方の実家が経営しているが、数年前にママが死んでからはもっぱら十六歳の私が店を切り盛りしている。パパはというと、また別の仕事をしていて、めったにうちに帰ってくることがなかったりする。だから、自然と店を仕切る役目は私の元へやってきたのだ。中学を卒業してからは、高校へ行っていない。

 とはいえ、私一人で経営しているわけでなく、私は概ね店番。パンを焼いたり経理関係のことは、それは昔からこの店で働いているベテランのクリスおじさんと他のベテランスタッフの皆さんにほとんどをまかせている。時々私も手伝って、パンづくりの修行をしたりしてるわけで。ゆくゆくは……と、密かに夢を抱いていたり。

 その日、そのお客はちょうど人が空いた中途半端な時間に店を訪れた。

「いらっしゃいませ。…………?」

 とにかく一瞬で私は、お客さんに失礼なことだけれども、ぽかんと口を開けてしまっていたと思う。

 第一印象、変な人。艶やかな黒い髪はさらりと長いが、どうやら男の人のようだ。顔立ちもよく整っていてやはり女の人のようにキレイで、遠くから見れば……まぁ女に見えなくもないだろう。でも、よく見ると顔の輪郭などは男の人のそれだ。それに、その人は二十歳か十代後半であろう年齢にしては珍しく甚平風の和装で、履き物はなんと下駄だった。人。季節も季節――夏――だし、年配の人とか、逆に小さな男の子ととかなら、そんな服装の人を見ないこともないが、やっぱり珍しいといえるだろう。

 その人は店に入るなり、店内をしきりにきょろきょと見回していた。それから私の姿を見つけたらしく――、私ににこりと微笑みかけてきた。

 ――な、な、な! なんでしょうか! このときめきにも似た胸の高鳴りは――――! こう、なんというか、いやなんともいえないというか。とにかく今なんか来ちゃったよぉ、これ。


 ――――――――――けど、


 ん? あ。

 ぼうっと見とれていたせいで何か言われたらしいのに聞き取ることができなかった。聞き返そうとは思うのだけど、なんだかうまく言葉が出ない。

 どぎまぎしてると、その人はまたにこりと笑って。

「やあやあ。友だちに美味しいって聞いてやってきたんだけれども、ちょっとタイミング悪かったかな?」

 彼はまた店内をひと通り見回した。

「あー…………」

 確かにタイミングが悪かった。

「すみません、昼の分はもう売り切れちゃって」

 あまり大きい店でなく、一度にたくさんのパンが焼けないうちは、日に大きく分けて三回パンを焼く。まず最初に朝の分。少し遅めの九時開店に間に合うように焼くのだが、その分は大抵お昼前には無くなっている。そこで、今度はお昼の十二時に間に合うように作り、大体、午後二時までパンが残るように調節して焼く。そして最後が午後四時に店頭に並ぶように作るのだが、今日このへんてこりんなお客さんが来たのは丁度三時だった。

 常連のお客さんは、その焼くタイミングをもう把握しているから来るタイミングを間違えることもない。逆に言うと、長年のお客さんたちとの付き合いで、パンを焼く量もちょうどよくなっている。大体は、地元の人しか来ないからだ。

 三時。店内には少しだけたまたま売れ残ったパンが数個あるくらいで、そのパンももう少しすれば私が食べてしまおうとか思っていたようなものだ。

「次、パンが焼けるのがもう少し後なんです……。すみません」

 私は頭を下げ、謝った。するとその人は、いいよいいよ、といいながらいつの間にか私のいるレジのすぐ前にいた。

「残っているパンを全部もらおうか。ほら、お金もちゃんとある」

 その人は懐から直接お札――千円札を取り出し、レジ台の上に差し出した。

 えっと、これはどうしたらいいの?

 なんだかよく分からなくて、適切であろう応対もできそうにない。多分、表情にも焦りの色が見えていることだろう。

 私はそれを隠す意味も含めて、店内の残っているパンをトレイに集め始めた。

 あー、なんか背中に視線を感じる……。なんだか、見てなくても分かる。おそらくあの人は今、ニコニコとこちらを見ている。見ているに違いない。むしろ断言。ただ、ニコニコの視線でも突き刺さる攻撃力というものはやはりあるもので。ぐさぐさと背中に被弾しながら、あるだけのパンをトレイに乗せた。結局残っていたのは五個。今日はいつもより少ない。

 袋に詰めて、それからお代を計算した。

「四五〇円になります……けど、棚晒のような品ですし半額でいいですよ」

 実際、売れなければ私が食べるか捨てるかしかないわけだし。

 言うと、男の人は千円札を私の方へさらに押し出した。

「いや、いいよ。お釣りもいらないから」

「へ……?」

 一瞬何を言われたのかよく分からなかった。その人はパンのはいった袋をさり気なく手に取ると、千円札をそのままにして、消えるようにして――おかしな例えだけれども、なんだかそれがいいような気がしたのだ――店から出ていった。

 あとに残された私はただその人が置いていった千円札に視線を落とし、やはり思考は回っていなかった。

 わずか数分の出来事。

 突然現れ、夢のように去っていったあの男の人は誰だったのだろうか。街の人ではないはずだけど。

 私がぼんやりしていると、奥から、クリスおじさんが顔を出していた。

「おや、クロエ。お客さんでも来てたのかい? ほとんどパン売り切れてたろうに」

「え、あ……うん」

 私は曖昧にうなずき、おじさんには詳しくは話さなかった。

 それでいい。多分、夏の間の空ろな夢だったのだろう。

 あぁ、それでも、また会いたいな、とそう思えた。

 多分、いつかまた会えるだろう。

 ま、そんなことはどうでもいい。忘れた頃になんとやら、だ。

 それより、私は明日、素晴らしい人と会えるじゃないか。

 その便りは数日前のことだった。――パパが久々に帰ってくる。

 ――――うきうきと浮き立つ私の心。

 いつの間にか焼けたらしい、パンのいい匂いが私のところに届いてきた。


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