第4話 ~無窮のカフカ~
「早いよ~」
4階に着くと、402号室の前には五十嵐がその部屋に入ろうとしていた。
五十嵐が押してるカート? みたいなやつには、注射器が置いてある。この病室の子が今から刺されるものだろう。
別に自分が刺される訳でもないのに! 自分が刺される訳でもないのに!
あんな尖ったものが体内に入るなんて、ゾッとする。
“待ってて”“覗くなよ”と、五十嵐にキツく釘を刺されて待つこと数分後、五十嵐が病室から出てきて言った。
「もう少し待ってから入って」と言って五十嵐は次の病室に向かった。
“?” 検診は終わったんだから…。何を待てと言うんだ?
そうして待つこと十分。もういいだろうと、思い切って病室の向こうに居るであろう人に声を掛けた。
コンコン―――。
「入っても良いですか?」
ドアの向こうから声がした。
とても、透き通った、高い声だった。
「どうぞ~」
スライド式のドアを、ゆっくりと左に引いて中に入る。
入る瞬間、気のせいだと思うけど、どこからか五十嵐の視線を感じた。
どうせ気のせいだと思うけど…。
窓の向きが西側だったのか、傾きかけていた夕日がやたらとまぶしかった。
病室の人は、その夕日をただただ眺めていた。
長い…、とてもとても長く、綺麗な髪をした女の子がそこにいた。
その子は、そっと顔をこちらに向け、ぼくの様子をうかがいながら、さっきと同じ澄んだ声で言った。
「こんにちは。寒いだろうから中にどうぞ」
ぼくは、何故か彼女から目が離せなかった。
その子があまりにも美しかったからだとか、髪の毛がやたらと長かったからだとか、理由はいくつかあったけど、やっぱり1番の理由は―――。
その子の瞳が―――
―――瞳が、“蒼かった”から…。
何秒間、固まったままだっただろう…。
ぼくはふと我に帰って、やっと発した言葉は気の利かない言葉だった。
「こ、こんにちは…。」
すると彼女も、こんにちはと返すと、ぼくから視線を少し右上に移して―――。
「こんにちは」と言った。
挨拶を2度繰り返した彼女に違和感を憶えた。
“ぼくの他にも人がいるのか?”と思い、後ろを振り返る。
「おや~! お前さんも私のこと視えてるのかい!」
浮遊霊こと、室江さんであった。
“そっか、ぼくの帰りが遅いから付いてきちゃったのか”
そっかそっか…。それは失敗しちゃったなー。出来れば後回しにしたかったのになぁー。
………。
「って、えぇぇぇぇっっ!? なな、なんで視えてるの~!?」
びっくりだ! こんな普通? の女の子がなんで霊体が視えるんだ!? しかもさも平気そうな顔してるし…。
すると室江さんはぼくに話しかけてきた。
「なぁあんた、ものは相談なんだけど…。」
「何ですか?」
「少しの間、あんたの身体貸してくれん?」
霊体が生者の身体を貸し、肉体の所有権を得るためには、死者と生者それぞれの同意と生者の並以上の霊力が必要となる。
もし生者の霊力が不足、または安定していない限り、たとえ死者が肉体の所有権を得たとて、そこに肉体と魂の不具合が生じ、自我を保てなくなり、“生きた屍”状態になってしまうため、その行為は霊能力の関係者の中の“降霊術師”しか行ってはいけない、規則の中でも禁忌の部類に入る決まりごとだ。
なので返す言葉はこれしかない。
「お断りします!」
すると室江さんは、今度はすがるように懇願してきた。
「なぁ頼むで! 息子を探して、もう一度話がしたいのよ!」
頼む、だめだの一点張りの攻防の繰り返し、もうどうしていいのか分からない。
どうにかして宥めようとするが、一向に聞く耳を持ってくれない。
“馬耳東風”とはこの事か…。
すると、今まで口を挿まなかった例の彼女が口を開いた。
「ボクがお貸ししましょうか?」
さらに驚いた。さっきまでの会話までも聞き取れていた!?
室江さんは“本当かい!?”と言って凄く喜んでいる。
一体何者なんだこの子は…。
一応してはいけない事だからここは室江さんには悪いけど水を差させてもらう。
「あのさ! 霊体に身体を貸すことは…」
「分かってるよ。禁忌なんでしょ? でもボクがその禁忌を唯一許されてる存在だとしたら?」
「安心して、ボク降霊術者だから」
さっきから驚いてばかりだ…。
でももし本当に彼女が降霊術者だったら、霊体が視えるのも、声を聞くことが出来るのもうなずける。
彼女はぼくをじっと見て言った。
「大丈夫、信じて。」
“本当に大丈夫なんだろうか…。”
ぼくは半信半疑で黙認することにした。
「分かった…。」
信じた根拠? 自分でも分からない。
何故か彼女のことは信じることができたのだ。
多分、あの“瞳”のせいだろう。
すると彼女は、霊体の受け入れ態勢を始めた。
それに答えるように、室江さんも彼女の身体に入り込もうとしている。
そこに、まだ少しの不安を抱えているぼくに突然の来客があった。
―――コンコン。
ドアをノックする音が唐突に聞こえた。
そして少し間を置いて―――
「若~? ここかなぁ~?」
それは、とてもとても聞き飽きた声だった。
水を差されたのか、室江さんも彼女の憑依を中断していた。
背後にいる二人にちょっと待つように言い、ぼくは野田のバカ野郎と一緒に病室の外に出た。
すると野田は真剣な顔をして言った。
「室江正について分かった」
“…。相変わらず仕事が早い。”
このバカこと、野田はいつもバカっぽいが、こういう仕事については早いのだ。
「今、その情報提供者と電話で通じてる」
そう言って野田は携帯電話を渡して来た。
「もしもし―――。」と、電話の向こうの人に話しかける。
―――すると、出た相手は予想通りの人だった。
「も、もしもし、○○警察署の者ですが…。」
と、やけに怯えた声で向こうの人はそう応えた。
“あーあ…やっぱりか”
だいたい分かった。分かってしまった。
しかし、警察が言ったことについては全然予想とは違っていた。
「実は……―――。」
ぼくは野田とまた病室に入る。
すると病室の彼女が“もういいの?”と聞いてきた。
ぼくは“もう少し待ってて”と言って、今度は霊の室江さんに目を向ける。
ぼくは、本当のことを告げなくてはいけない。本当のことを…。
「室江さん。息子さんのことが分かりました」
すると室江さんは満面の笑みで、泣きそうな顔で“本当かい!?”とぼくに迫ってきた。
「そそ、それで、息子はどこに―――」
「―――亡くなりました」
その場の空気が凍りつくのが、もう肌で分かった。
室江さんの希望に満ちた顔が、絶望に変わる。
「あぁぁぁぁぁーーーーっっ! 嘘嘘嘘よ!! 正が死ぬわけないわ! だってあんなにいい子だったのに!」
嘘を言ったのだと思ったのだろう。室江さんはぼくに憎しみの顔を向けた。
すると後ろの野田が、懐に入れてあった書類を室江さんに見せながら話しかける。
「残念ながら本当です。でも亡くなったのはつい先々週のことらしいです。死因は急性心筋梗塞、死後5日後に、アパートの大家さんが家賃滞納の件で伺ったところ発見したようです。」
肉体が無いので涙も出ないのか…。
室江さんは泣くにも泣けないような悲しい顔で、ただただ俯き、何もしゃべらなくなった。
病室の薄暗さが、室江さんの苦しみを物語っていた。
気持ちは痛いほど分かる。なんとかしてあげたい。
方法は…ある。一つだけ、室江さんと息子さんを引き会わせるという小さな奇跡を起こすことができる。
ぼくと野田、それと、降霊術者の彼女の協力があれば…。
でも、ぼく自身が耐えられるかどうかが問題だ…。
でも、他に室江さんを助ける術は思いつかない。
“やるしかない…。”
そう思ったのは、ぼくが霊能力者だとか、死者に対しての同情とかでもなく、ただ助けたいという、“ぼくのエゴ”からくるものだった。
その方法をそっと野田に持ちかける。
「野田、頼みがある…。」




