頂の壁面
ワルツは花壇の煉瓦に埋まり込んだ銃弾を取り出すと、腰に下げている鞄に無造作に突っ込んだ。花壇がわずかに定位置からずれているのに気付き、両手で捻るように回して直す。
鉄製の門扉から塀の外側へ出て鍵を掛けると、目の前の道路には目もくれず、壁にそって大
股に歩き始めた。
数分して着いた、門扉のちょうど反対側。壁の足元、草の繁る地面に、取っ手のついた小さな扉がある。地下で中庭と繋がっている通路の、壁の外側からの出入り口だ。壁の内側では、柱時計を軸に花壇を滑らせ半回転させれば、下へと階段が伸びる出入り口が現れる。内側と外側を繋ぐ秘密の通路。
小さな扉からは道路はないが、すぐ近くから草原を踏み轍が伸び、彼方へと続いている。辿れば最寄りの街へ出る道標だ。
あちらの門扉から続く真っ直ぐな道路の先は、火山の大噴火で噴出物に沈み、埋もれた街。数十年も昔におきた災害だ。
この塀の中は、その街が管理していた施設――――確か、治る見込みのない患いの犯罪者のための収容所――――
だった。突如襲った自然災害に住民は街から離れざるを得なくなり、ここも打ち捨てられ忘れ去られ、やがて廃屋と化した。それを十数年前に、ある組織が住み処として使うために改装したのだ。抜け道もそのときに造られたものだった。
草に紛れる小さな扉の近くに、ワルツが普段乗っている車と、メトロノームが乗ってきた、真新しい側車のついた二輪車がある。
ワルツは車の運転席を見下ろした。
レースの多角形がくるりと回転する。
「遅い」車の運転席に座り、助手席に足を投げ出しているオペラが、レースの日傘をずらしてワルツに逆さまの顔をのぞかせた。「あったよ。鍵。こいつ、こういうのは捨てないよな」
オペラは後部席に体を横たえさせた、眠るメトロノームを顎でしゃくる。メトロノームの後ろに回された手には、手錠が付けられている。
オペラはワルツがメトロノームに視線を向けた隙をついて、「ほら」と鍵をぶつけるように投げつけた。
ワルツは素早く腕を振り、鍵を受け取める。足元の小さな扉の鍵だ。
「なんだ」予想に反し機嫌が悪い、いつもよりがさついた態度のオペラに、ワルツは感情のこもらない視線を落とす。
オペラは、むすっとした表情をしている。
「確かにこいつ、赤いお姫さまを狙ってここにやって来たね。夢見がちでロマンチストな乙女座だから、伝説のなんたらで世界をなんたら、とか大好きそうだもんね。あんたの言った通りだよ。ここまではいいよ、うん。でも、こいつの妹までいたなんて。聞いてない」
オペラが在籍する組織、黒鍵根源楽団から、末端構成員を数名引き抜いて忽然と姿を消したメトロノーム。
メトロノームはオペラの下に就いていたため、オペラにもその責任を問われた。見つけだして捕らえる任は、オペラの業務に当然のように加わった。オペラにとって、メトロノーム離反事件は組織内部での信用問題であり、その解決は死活命題だった。
当時――――およそ一年と二ヶ月前――――同じく黒鍵根源楽団に籍を置いていたワルツは、オペラからのメトロノーム捕獲の協力要請を引き受けることにした。
メトロノームの足取りを追って数週間が経った頃だ。世見の姫君、セツリの処刑が決まった。
それを知ったワルツは、メトロノームが処刑までのわずかな猶予期間にセツリをさらいに来るだろうと踏んだ。オペラも賛同し、二人の間に、赤の一族の敷地付近で待ち伏せてメトロノームを捕まえよう、という計画が立ち上がったのだ。
だがワルツとオペラがメトロノームを待ち伏せて潜んだ初日、懐に飛び降りてきたのはセツリだった。
計画は変更された。赤の敷地と街の境目、メトロノームが侵入するならここからだろうという所に、自分からだとわかる暗号を残した。セツリの行方を辿ってメトロノームはやって来るだろう。数年前にアジトを移転してから空き家となっていた建物に、その数日前にさらった他の少女達と共にセツリも置くことにした。
かつてワルツが組織に在籍していた頃の業務の中で主だったものは、街から少女をさらい、売り払うこと――――セツリ以外の少女達……フルール、ジュニパー、ティネットをさらったのは、それ以前までと同じ条件、『一人でいて身寄りがないようでさらい易い』『高く売れそうな容姿をしている』に適っていたからだ。条件通りの少女を狙ったら、三人とも『母親を失ったのは魔女狩りのためだった』という新たな共通点ができたが、まったく意図してのことではない。
……思えば随分と偶然が続いた。あるいはそれは、何者かの『魔法』といわれる得体の知れない力が作用した結果だったのかもしれないが、ワルツはロマン主義者ではない。神秘の存在などはなく、偶然は偶然だ。
「ティネットのことは、私も知らなかったんだ」
「んなわけねーだろ」オペラはまるで柄の悪い動物が威嚇に唸るように言葉を吐いた。
「ティネットをさらった時は本当に知らなかったんだよ」ワルツは肩を竦める。「なんにしろ餌は多いに越したことはない。事実、結果オーライだ。お前もようやく隠れんぼの鬼からお役ごめんだな。これで見逃してもらってる借りは返したぞ」
「借りとかさ、そんな義理人情みたいなのじゃなくて、単に交換条件だっただけでしょ。『メトロノーム捕獲に協力する代わりに、自分が死んだふりしてここであの子らを生活させてるのを黙ってろ』っていう」
この地から遥か彼方、いくつもの国を越えた向こうにある――――あった、四人の少女達がいた街は、一年程前の戦争敵国からの爆弾の投下によって、今は瓦礫と化している。
街のあった国自体が大きな痛手を受け、その国は今、戦争相手国の占領下にある。
甚大な被害にあの国で決まっていた買い取り手が慌てふためく中、少女達はとりあえずワルツが預かるままになった。
――――数週間の後、ワルツは黒鍵根源楽団からの離脱を決める。
「つくづくメトロノームの偽装死の方法、あんたに教えなきゃよかったよ」
組織を抜けてレジスタンス入り。そして過激な反政府活動中に爆発に巻き込まれて死亡。身分証明を懐に入れた首なし死体。これがメトロノームが行った偽装死だった。ワルツは同じようなやり口で組織を抜けた。オペラはこのことがばれないように、組織の最上位の人物に、メトロノームの偽装死の手口を多少アレンジして報告するはめになった。
「助かったよ」
ワルツの言葉に、オペラは顔に顕した嫌気を濃くした。
「メトロノームの目に確かにそっくりだったよ、あのチビの目。人好きのする笑顔で寄ってくるけど、本当は人間が嫌いな目だ」
「ティネットは違うだろう」
「あははウケる。ここにきて変わったって?」
オペラは大袈裟に手を叩く素振りをして笑った。手に日傘を持ちながらでレースの手袋もしているため、音は出ない。
ワルツは一瞬片目を細めた。
「最初からだ。ティネットは人を好きになりたがっていた。裏切られることで嫌いになってしまわないよう、相手を見極めようとしていたのが、抜け目なく探っているように見えていただけだ」
「へえー。やっぱり飼い主は言うことが違うね」
「だからなんなんだ。やけに突っかかるな。肩の荷を降ろしてやったのに」
オペラは、じろり、とワルツを不機嫌な視線でねめつけた。
「誰があんたの妹だって? メトロノームの妹にそんな話振られて、あやうく吹き出しそうになったよ」
そんなこと、と言うようにワルツは息を吐いた。
「察しろよ。非合法組織のコード名だなんて言えるわけないだろう。どうせ欧州人から見たら東洋人なんて区別はつかない。東洋人皆兄弟みたいなものだ」
「にしても、なんでオレが妹なのさ」
「私が主旋律でオペラが伴奏だったんだから、順当だと思うが。私の方が年上だしな」
「役職とか歳の上下の問題じゃないよ。……まあ格好的になんとも言いようがないのはわかるけど」オペラは薄紅色のドレスのスカートを掴んで持ち上げ、ぱっと離す。「ていうかオレも今は主旋律なんだけど。あんたが抜けたから繰り上がりで」
「それは私も抜けた甲斐があるな。おめでとう」
「ぬけぬけと。穴埋めてやったんだから感謝してよ」
「ありがとう」
「ふんっ」オペラは表情を一切崩さないワルツから顔を背けた。と、足元の、カラフルなストライプ状に野菜が詰められた瓶が目に留まる。「あれ何?」
「ピクルスだ」
「なんでそんなもんが」
「お前がフルールに言ったんじゃないのか。私がピクルス好きだと」ワルツは腕を組んだ。
「え、漬け物っつったんだけどね」
「……文化の違いか。どちらにしろ、迂闊に個人情報を漏らすな」
「まあいいじゃん。漬け物がいいんならここの」オペラは運転席の下にある陶器を指差した。
「ぬか床渡してやれば」
「そんな物を見たら驚くだろう。西洋人からしてみれば納豆みたいな物じゃないのか」
「確かに」へらと笑いオペラは思い出したように、「そういや、赤の姫が下着欲しいってよ」
「なぜお前が頼まれたんだ」
「男に頼むものじゃないからでしょ。こんなことオレでもわかるし。たまに思うんだけど、あんた、ワいてるんじゃないの頭」
「そうか」
「そうだよ」
「よろしくな」
「何言ってんの」
ワルツは車体の後部席の縁に浅く腰を掛けた。
「女物なんて私が買いに行けるわけないだろう。ましてやそんな物。お前が頼まれたんだし買ってきてくれ。可愛いやつをな」
「やだよ恥ずかしい」
「その格好が買えるんだし余裕だろう」ワルツはオペラのケープを無造作に掴む。
オペラはケープを引っ張り返し、ワルツの手から奪還した。
「無理だし。これはただの服だし。オレ中は普通のだから。服買うときの女言葉でさえ結構恥ずかしいんだからね」
「そうか」ワルツは、どうでもいい、というように頷いた。
「……なーんか最近やたら話しかけられるんだよね。エロい子にも同情されたし」
「なんだ、それ」
オペラはジュニパーに「あんなヒトが身内にいるなんてアナタ大変ね」と、ワルツのことを聞きたそうに言われた事を思い出した。が、伝えなかった。
ワルツの顔を、傘からのぞくようにしてちらりと見た。目が合う前に、足を上げその反動で体を起こす。オープンカーの車体のふちに、かかとの低いブーツに包まれた足を乱暴に掛けた。
車がわずかに揺れる。オペラはそのまま車体を踏み越え、足を地面に落とした。がさつな振る舞いだが、音もなくフワリと草原に降り立ち日傘を回す様は優雅でもあった。
「……ワルツ。いつまでこんなこと続ける気。それとも、あんたがあの子らの父親にでもなるつもりなの」
「……さあ、な」ワルツは肩を竦めて見せた。
「あんたね。うーん? どうしようねー。みたいな顔してるんじゃないよ」
「してないだろう」
「あんたと何年組んでたと思ってんの。わかるってば。思わせぶりだけど、なんも考えてないんでしょ、どうせ。考えなすぎだよワルツ君」
「それは自覚してるさ。うーんどうしようねーオペラ君」ワルツは抑揚のない棒読みで言った。
「うざい」オペラはしかめっ面をして吐き捨てた。
ふと無言になり、日傘のレースのひだを内側から指先で撫でながら、
「……戻ってくれば? 夫人にバレてるよ。ここのこと」
「だろうな」
「メトロノーム手土産にオレと来てさ、これが目的でしたとかなんとか、もっともらしい大義名分言っときゃいけるよ。フォローしてあげるからさ。夫人も気にしないって」
「ああ。そうだな」ワルツは気のなさそうな生返事をして欠伸をした。
オペラはため息をつく。
「まんまやる気ない返事だな。そんなにかわいい娘達が気になるの」
「どうかな」
「どっちにしろさ。このずっとまま、ってわけにはいかないんじゃない。色々と。黒鍵根夫人……オケが言ってたよ。『ワルツちゃんに会いたいですわ。いつまでお空の向こうにいるつもりなのかしら。でも、きっともうすぐ戻ってきますわよね。オペラちゃんもそう思うでしょう。退屈すぎて、わたくし何か仕出かしてしまいそう。そういえばワルツちゃん、ワルツってお名前にしたのに暗い色のお洋服ばかり着ていましたわよね。また会えるときは……そうですわね、マカロンカラーのお洋服を好んで着るようになっているって、わたくし信じていますわ』」
「あの年齢不詳糞貴婦人……だから私はレクイエムがいいと言ったんだ」
「生者商売なんだよ。死者を連想させるコード名なんて通るわけないじゃない。それに昔の君ならともかく、今の君なんてやっぱりワルツがお似合いだよ」
オペラは、ふい、と顔を背けた。
ワルツは短い沈黙の後、長く深い息を吐いた。
「あの女の発想は何から何まで鬱陶しい。だいたいマカロンカラーってなんだ。若作りの一貫か?」
「文句言わずにとっとと帰って来なって。あんたがいなくてもオレは全然いいんだけどさ」
オペラはワルツが向こう側でしているように、オープンカーの助手席のドアのふちに軽く腰を掛けた。車を間に、対角線上の背中合わせになる。
「また私と組みたいのか」
「ガキにモテモテだからって調子のってんじゃねーよクソロリコン」
「冗談だろう」
「……オケが暇つぶしにオレのことぺーちゃんって呼ぶのがやだ。それだけ」
「ぺーちゃん?」
ワルツの声に滲んだ他人事を楽しむ響き。オペラはささくれ立った精神をならすように草を蹴った。
「誰のせいだと思ってるのさ。それに、あんたもワルっちゃんて呼ばれてるんだからね」
「はあ」
「あの手の自己中は身内には甘いからね。どうせ関わんなきゃいけないんなら、味方にしとく方がいいと思うよ、オレ。いつまでもフラフラしてないでさ。身の振り方、考えなよ」
我が物顔でアドバイスをしてくるオペラをよそに、ワルツは頭上を見上げた。
途切れることのない、際限なく広がる碧面。
「そうだな……まあ」
綺麗な。澄んだ。遥かの。
「なるように、なるだろう」
巡る空は続く。
了
おしまいです。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




