遊ぶ小惑星 惑う小遊星 2
ノックの音に、セツリは書き込みを加え予習していた教本から顔を上げた。手に持っていた鉛筆をノートと水平に置く。パジャマの上にカーディガンを着てボタンをすべて留めると、ドアを開けた。
廊下にはティネットが立っていた。にこりと微笑む。
「ホットミルク飲む?」
ティネットは、持っているトレイに乗る二つのカップのうちの片方をセツリに、すい、と差し出した。
「ありがとう」セツリはカップを受け取った。手の平がじんわりと温かくなっていく。
「入るといい」
セツリはベッドに腰を落とした。ティネットも隣に座る。
「メープルシロップ入れていーい?」
「ああ」
ティネットはセツリが持つカップにメープルシロップを流し入れた。
とろりとした透明度の高い茶褐色が、光を巻き込みながら静かに乳白色の中に沈んでいく。
「くるくる」ティネットはスプーンでカップの中身をかき混ぜる。
甘くていい香りが立ち上り、部屋に広がっていく。
「眠れないのか?」
「うん。ご飯の後に紅茶飲みすぎちゃったみたい。眠れないから、ホットミルク配って歩いてるのぉ」
トレイに乗るティネットのカップをセツリが見ると、中身は半分くらいになっていた。カップの内側の高い位置に、ミルクの薄い跡が見える。フルールとジュニパーにもこうして配り、一緒に飲みながら軽く話をして、順々に部屋を巡って来たようだ。
セツリの手の中のホットミルクは白く湯気を燻らせ、その温かさが作り立てであることを知らせている。
「いちいち一人分ずつ作り部屋を回ったのか?
それでは余計目が冴えてしまうだろう。ホットミルクとは、動き回らずに、眠りに備えてゆったりと飲むものだ」
温かく柔らかい液体を口に含み、セツリは自分の言葉に既視感を覚える。
以前、セツリにそう教えてくれたのは、目の前にいる少女だった。
「ティネット? 大丈夫か」
胸騒ぎがする。
ティネットは両手で持つカップに視線を合わせたまま、こくり、と頷いた。静かに冷めかけのミルクを一口飲む。
「だいじょぉぶ」
セツリが抱く嫌な予感は、確信に変わっていく。
そういえば、ティネットは少し前にもこんな様子だった。あのとき変わったことが、確か何かあった。
……手紙?
黒いもやがかった手紙が。
今ティネットが着ているのは、寝る前だというのにパジャマでなく、ブラウスとスカート。
鼓動が逸る。けれど抗えない眠りに引き込まれる感覚が、緩やかにセツリを支配する……
「おやすみなさい」
ティネットはベッドで寝息を立てるセツリに、綺麗に畳んであった毛布を広げて掛けた。頭をそっと持ち上げ、その下に枕を差し入れる。
……ばいばい。
部屋の照明を消した。
ティネットは自分の部屋に戻って扉を閉めた。部屋に振り返る。
「おかえり、ティネット」
部屋の真ん中に、青年が立っている。
白い佇まい。ティネットと同じに、蜂蜜色の髪と翡翠色の瞳。優しい微笑み。
ティネットも笑みを返す。
「ただいま。にぃさん。……なんだか逆だね。にぃさんがこの部屋の持ち主みたい」
「なんだってそんなものだよ。変わらないものなんてない。流れが滞れば澱んでしまう。絶えず流動するのは世界の意志だ」
「……うん。そうだね」
ティネットは中身の減った小瓶を兄に返した。
「上手にお別れできたかい」
「うん」
「荷造りをしようか」
「うん」
ティネットは部屋を見渡す。




