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廻逝のロンド  作者: ささ
第四幕
28/33

遊ぶ小惑星 惑う小遊星 1

 ――――ティネット。聞いて、僕の言葉を。

 盲信と拒絶。信じることと突き放すことは、まったく逆のようでいて、見極めようとする労力を放棄するという点では同じだ。相手と向き合おうとすれば、摩耗してしまう精神の節約。

 それでいい。

 ティネット、君は僕を―――― 

 ティネットは兄の言葉の反芻を打ち切るように、いつからか鳴り続いていた目覚まし時計のベルを止めた。

 



 ……にぃさんが、もうすぐティを迎えに来る。

 何年も前にお母さんは魔女として処刑された。でも魔法が使えるのはお母さんじゃなかった。

 もちろん絶対ティなわけもない。

 にぃさんが、魔法使い。

 魔法なんてこの世界にはない。

 けれどティはにぃさんが魔法使いだと信じる。

 にぃさんは、詭弁家しにて詩人。革命家にして世捨て人。役者にして観客。

 汚れひとつない純白にして汚れひとつ見えない闇黒。

 二律背反? 表裏一体?  隣り合わせの対極。

 どっちがどっち。どっちもどっち。

 白と黒と白黒。白。黒。白黒白黒 白 黒 …………

 白色と黒色の奔流がうねり混ざりゆくイメージ。




 ぼんやりと夢現に遊んでいたティネットは、意識を現状に向ける。

 手元にある目覚まし時計が指している時間。棚に立てかけてある、円盤状の回すグラフが指している当番。季節は初夏。天気は晴れ。これはティネット。

 確認すると、一気に起き上がった。

「今日も、新しい希望の朝が来たなぁ」

 出してみた声の響きは、遠くない気がした。

 



 夕方手前の陽差しの色は、蒸しオムレツの色と似ている。

 ティネットにそう思わせる光が中庭に降りそそいでいる。

 回廊付近のベンチに座るワルツの隣の席に、ティネットは靴を脱いで上がると、ちょこんとしゃがみ込んだ。

「ワルツ」

「何だ」ワルツは本から視線を外さずに応えた。次のページをめくる。

「何読んでるのぉ」

「本だ」

「うぅん。ティのこと、バカにしてるのかなぁ?」

 ティネットは横から本をかっさらってしまおうと手を伸ばす。本を掴んで引っ張ったが、力を込めている風でもないワルツの手から、本は少しも動かなかった。

「どうしたんだ」ワルツは顔を上げ、横のティネットに向けた。「何か用か」

 頬を膨らましていたティネットだったが、最低限の目的は達せられたため、ぱっと気を取り直した。

「あのね。昨日、わざと鍵、落としてくれたんでしょぉ」

「なんのことだ」

 ――――ふと、頭上から声が聴こえる。

「……かなか落とさないな」

 セツリとジュニパーが、二階にある食堂の窓から中庭を見下ろしながら話しているようだ。

この回廊近くにあるベンチは、あの窓からは死角になり見えない。

「まだ昨日の今日じゃない」

「早く乗りたくて身体が疼くのだが」

「アナタね……。経験者として忠告しておいてあげるわ。あのヒトの前でそういう思わせぶりなこと、言わないことね。タダじゃすまないわよ。アナタ容姿だけは男好きしそうだから」

「何を経験しての忠告だ? 何かを思わせるようなことを、今セツリは言ったのか?」

 これ見よがしに重々しく、ジュニパーがため息をつくのが聴こえる。

「もういいわ……。ともかく、あれは偶然、たまたま、ラッキーだったのよ。そう何度も落とすものですか」

「最悪、懐に手を突っ込むかな……」

「……それこそ最悪だわ。痴女。変態」

「な……何を言う。これは目的を達成するための手段であって、ワルツの体をまさぐること自体がセツリの目的ではない」

「正義の味方は窃盗なんてしないのよ」

「まあ元はといえば、セツリは自分のために正義の味方になりたいのだからな。したいことを優先する。型破りなヒーローというのも悪くないと思うのだ」

「ご都合主義だわ。あっという間に打ち切られるわね。……台拭き用の布は消毒しておくから、あとよろしく」

 程なくして窓の閉まる音がし、二人の声は聴こえなくなった。

「二人とも無用心だなぁ。丸聴こえ」

「私は何も聞いてない」

「んー。そぉ」

 ティネットは生返事をする。話しを戻そうとした所で、中庭に教室側の回廊からフルールが出てきた。井戸から水を汲みじょうろにそそぎ入れると、楽しそうに鼻歌を歌いながら花壇の花に水をやる。体の角度を変えたときにベンチからの二人分の視線に気が付いたらしく、恥ずかしそうにはにかんで手を振った。ティネットは手を振り返した。

 フルールはタイルの道を歩いてベンチのそばにやって来た。

「ティネットちゃん、ワルツさん。こんにちは」ぺこりとお辞儀をする。

「やっほぃフルール。あっティとくにワルツに特別な感情ないから、席、外すよぉ」

「ティネットちゃんやめて……!」フルールは真っ赤になってティネットを引き止めた。

「あの、ワルツさん、何でもないんです、特別な感情、とか……あるけど……何でも、ないですから……!」

 俯きながら、消え入りそうな涙声でフルールはワルツに訴える。

 対応に困ったようにワルツは頷いた。

「ええと。あの、今ピクルスを漬けてるんです。よかったら帰りに持って行ってください。好きだって聞いたので……」

「ああ……?」

「オペラさんにワルツさんの好きな食べ物、聞いたんです」

 勝手に聞いてしまって悪かったかな、というように、フルールは黒目がちな瑠璃色の瞳を心配そうに揺らした。

「……。わざわざ聞いたのか。わるいな。フルールの好きなものでよかったが」

「いいえ……! ワルツさんが好きなものを、作りたかったんです」

 フルールはほっとしたように言った。やがて興味津々に見守るティネットに向き直り、

「ティネットちゃん、あのね……これ、もらって。作ったの」ポケットから取り出したものを、ティネットに差し出す。

「わぁリボンだぁ」

 ティネットは両手でリボンを広げた。ティネットの瞳の色とお揃いの、青緑色。

「前に、かわいいって言ってくれたから」

「ありがとぉ。ティ、お誕生日以外でプレゼントなんて初めてもらったぁ」

「喜んでもらえてよかった」フルールは嬉しそうに微笑む。

「ティ大喜びだよぉ」ティネットはフルールの両手を取って、ぶんぶんと上下に振った。

「わたし、みんなに色々なもの、もらってばかりだから……。お返しができて嬉しい」

 フルールの照れた笑顔は、野に咲く花のようだった。

「あの、それじゃあ、また」

 二人に手を振って、フルールは回廊の向こうに歩いて行った。

 ティネットは手首にリボンを結んだ。腕を動かしリボンをなびかせる。にこりと微笑むと、ベンチにすとんと座った。

「いいなぁ。いいなぁ。憎いね、このぉ」ティネットはからかうようにワルツをのぞき込んだ。

 ワルツは無言で視線だけを返した。

「んん、でっ?」

 相変わらずリアクションの薄いワルツだったが、ティネットはくりくりとした翡翠色の目を期待に染める。

「何の話だったか」

「とぼけないでよぅ。車の鍵の話でしょ」

 ティネットが小突くのにも表情を変えず、ワルツは無言で本を開きかける。

 ティネットは慌てて「ストップ」と本に手を置いた。

「オーケーオーケー、ティの名推理披露しちゃうよぉ。いかにしてティはワルツの計画だったとわかったのであったのか」

 ティネットはベンチから立ち上がる。目を合わせるとワルツは肩を竦めた。

「車ね、満タンだったもん燃料。前までは、塀の内側に停めてあるのたまに見ると、結構減ってたよ。ティ達がちゃんと戻ってこれるように、ここに来てから燃料追加してくれた、ってことだよね。それに、わざとじゃなかったら、燃料が満タンから減ってたんだから、いくらなんでも勝手に車使ったってそこで気付いて、何か言うでしょぉ」

 どぉだ、とティネットは目を輝かせた。

 ワルツの反応は薄いどころか皆無だった。

「ちなみに黙秘権はないよぉ。黙ってるイコール肯定」

「好きに取るといい」ワルツは足を組むと、その上に頬杖をついた。視線を虚空に流す。

「……ね、ワルツ」そっと囁くようなティネットの声。口元からは、いつの間にか笑みが消えていた。

「ここってさぁ、っていうか……外は……もしかして……」

 ティネットが言葉を選んでいる中、ワルツはベンチから立ち上がった。素知らぬように首を鳴らす。ティネットはベンチの上で立ち、ワルツとせめて背の高さを近づけた。

「……うん、何でもなぁい。今のナシ。言いたかったのは、これじゃないのぉ」

 ティネットは首をゆっくりと左右に振ると、新しい思い出に頬を緩ませて笑う。

「車とか、色々、ね。ありがとぉ。あんなに楽しそうなセツリちゃん、初めて見たんだぁ」

「そうか」

「うん。……ワルツ、ありがとう」

 いつもと違う声音だった。

 ワルツは斜め後ろに首を回してティネットの顔を見た。

 ティネットの顔はなんだか、遊び帰りの子供が黄昏のあぜ道でお別れに手を振るときのもののようにしんみりとしていた。

 ティネットは静かに笑むと、ぴょんと跳ねてベンチから地面に降りた。靴を足に引っかけると、「じゃあね」と手を振り歩き去って行った。

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