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廻逝のロンド  作者: ささ
幕間
25/33

そしてめぐり雲間 2

「それでは動かすぞ」

 セツリはエンジンに鍵を差し込んだ。

「おっけぇ」

 ティネットがうなずく。 

 ややあって車体が小刻みに揺れ、振動が体に伝わる。

「わぉお、久しぶりぃこのかんじ」ティネットが車の振動に合わせ、声を震わせた。

「なかなかに緊張するな」

 ギアを入れる。本の内容をほぼ暗記しているセツリの動きには滞りがない。

「それでは、発進……!」

 車が前進する。途端、セツリが形容しがたい奇声を上げた。すぐにブレーキを踏むと、車輪が回転を急に止められために高い音を出した。車体がかしいで静止する。

「きゃあっ。何よ。蛇でもいたの」

 ジュニパーが苛立ちを滲ませた抗議の声を上げ、セツリとティネットの間に身を乗り出す。

「なんだこれは。心臓が止まるかと思った」セツリの顔は青ざめている。

「は? アナタ何言って……」

「ああ、駄目だ。動悸がする」

「うぅん。車初体験がいきなり運転じゃ、そりゃ恐いかぁ」ティネットは深く頷いた。

「恐い? これは恐いのか? ああ、そうか。確かにそうだ。恐い」セツリは虚ろに呟く。

「大丈夫? まず落ち着こぉ」リリアはがセツリの背中をさすると、足元に置いてあるバスケットから水筒を取り出した。蓋を開け、水をそそぐ。「はい、飲んでぇ。お水」

「すまないティネット」

 セツリは蓋を危うい手つきで受け取ると、水を一口飲んで深呼吸をする。やがて、血の気の失せていた顔が徐々に生気を取り戻してきた。

「だいじょぶ? 顔色は戻ったけど」

「ああ……行こう」

 セツリは運転を再開した。スピードが出ないようにして、ゆっくりと進む。「歩いた方が速いんじゃないのかしら。これ」ジュニパーは足を組み替え、ため息をついた。

「流石に走るのと同程度には速いはずだ」

「うん。車としては、遅いねぇ」

「きっとあの塀が見えなくなる頃には、日が暮れてるわ」

 ジュニパーは背後を振り返って塀を見た。

 塀は外側から見ても高く、塀というよりもやはり壁面のようだった。内側から見たそのままの、飾り気のない無粋な灰色の壁。

 ティネットもジュニパーと同じように塀を眺めて、

「日暮れまでには戻らなきゃ。ワルツに怪しまれて警戒されたりしたら、もう車使えなくなっちゃう。フルールと、フルールのうまアップルパイが待ってるよぉ」

「だが、無理だ。セツリにはこれ以上は速くできない」セツリは断固たる弱気を表明する。

「ならどうするの。このまま鈍足で、何にも出会わないまま時間切れ?」

「ジュニパー、セツリとしても断腸の思いで頼む。替わってくれ」

「嫌ぁよ。面倒臭い」ジュニパーは肩を竦め両手を上げた。

「薄情者め」

「何よ今さら。知ってたでしょ」

「よぉし」意を決したようにティネットが助手席で真っ直ぐに挙手をする。「運転、ティが引き継いじゃうよぉ」

「大丈夫か? とても恐いぞ。まともな神経ではやられてしまう」

「アナタ、あたしに替われって……アナタって、あたしへのマイナスイメージを悪意なく小出しにしてくるわよね」

 ジュニパーはあきれて、もはや怒る気にもならなかった。

「神経が図太いということは長所にもなりうると思う」セツリは真顔で応えた。

「屁理屈返さなくていいわよ」

「とにかくティネット、無理はしなくていい」

「ちょっと不安だけどぉ。なんとかなるなぁる、バトンタッチ。いんちょ、本見してぇ」

 セツリは膝に乗せていた本をティネットに渡した。

「ふむふむ。いちお練習するから、降りてねぇ」

 セツリとジュニパーは車から降り、少し離れた所に立った。

 ティネットはよいしょ、と車の上で助手席から運転席に移る。前進、後退、ブレーキを一通り確認作業のようにこなすと、草原に乗り入れクルリと円を描く。

「あのコ、器用よね」

「ああ」

「アナタが臆病者でよかったわ。ティネットの運転の方が、安心してドライブが楽しめそうだもの」

「薄情者のジュニパーはまったく口が減らない」

 ティネットがハンドルを握っていない右手の親指を立てグーサインを作り、二人の元に戻る。

「ばっちぐーだよぉ。行こっかぁ」

 ジュニパーが後部席のドアを開け乗り込むと、セツリも続いた。

「セツリも後ろの席に座る。前の席より恐くないはずだ」

 ジュニパーは無言で詰め、嫌々とセツリに隣の席を空けた。

 車は再び動き出した。徐々に速度を上げる。

「ああああ恐い恐い」

「やっ引っ付かないでよ」

 ジュニパーは迫り来るセツリを牽制し両手を体の前に出したが、セツリは構わずジュニパーに抱きつくようにしがみついた。

「は、発見だ……! 人にくっついていると恐怖が薄れる」

「ああそう。恐いままでいいんじゃないかしら」ジュニパーは、自分の顔に胸を押し付けるようにしてくるセツリを引きはがそうとする。「離れなさいな」

「……ん。口を動かすな。変な感じだ」セツリは身をよじった。

「だったらさっさと離れなさいよ」ジュニパーは首を捻り、呼吸を確保する。

「ぅ……それはできない」

「いんちょはできるコだわ」

「っおい、やめたまえ」胸を掴むジュニパーにセツリは慌てて声を出す。

「邪魔なんだってば。暑苦しい」

「っんぅ……」

「頭の上で妙な声出さないでよ。何? ここがいいのかしら。まったくしょうがないコねえ」

「ふ、ぅ……違っ……」

「ちょっとぉ! ティが運転してる後ろでえろえろするのずるぅい。いんちょを辱めていいのはティだけっ」運転しながら後ろのやり取りを聞いていたティネットが抗議した。

「待っ、誰がそんな許可をした……!」セツリは自分が何だかよくわからない状態にあることに取り乱しつつ、ティネットに声を搾り出した。

「ティネットは普段からしてるじゃない。あ、だからこのコこんなに無駄に育っちゃったんじゃないの」

「そんな甘い声が出るまでしてないもぉん。いんちょ我慢してないふりして我慢するから、遠慮してたのぉ」

「っ、まるでセツリが普段から体を許しているような物言いではないか。誤解を生むようなことを言うのをやめ、っやぁ……駄目だ、まず触るのをやめろ……っ」

 明らかに力が弱まってきたセツリを、今度こそジュニパーは引きはがした。

 セツリは顔をわずかに上気させ、力なく背もたれに体を預けた。

「恐くなくなったでしょ。よかったじゃない」

「ははは。恐い。はは」

「なんで笑うのよ、気持ち悪い」

「恐怖に駆られてしまっている上に、あんなどこから出てきたのかわからないような声まで出してしまうとは、二重に人としての尊厳が失われてしまった」

「はっ」ジュニパーはどこか苦々しげに口元を歪ませて笑い、「これくらいで大袈裟なのよ」

と、嫌な出来事の記憶を頭から追いやるように首を振った。

「でも学んだわ。アナタを精神的にへこませるには、あれこれ言うより触ればいいのね」

「ふざけるのも大概にしたまえ」

 セツリはうなだれた。だがすぐに、前にある、軽やかに揺れる蜂蜜色の髪の毛に視線を移す。

 ティネットは、セツリが背後で自分に照準を当てている気配を感じ取った。

「ティにじゃんじゃんくっついて、って言いたいところだけどぉ。事故っちゃうかもだからダメだよぉ。ぐすん」

「はは。はははは恐くない恐くない。いや、やはり恐い、恐くない」セツリはやり場のない妙なテンションに、目を強く閉じた。「ははははは……」

「煩い……」

ジュニパーは後部席のドアの縁に肘を乗せ、頬杖をついた。まるで青と緑の静止画のようになだらかな、草原と空の境界線をぼんやりと眺める。

 壊れたレコードのように繰り返されるセツリの笑い声が、それより大きく響いているエンジンの音より煩わしい。さらにはティネットが即興で歌を口ずさみ始めた。

 車内はさながら、音だけで混沌を溢れさせることの練習場のようだった。

 ジュニパーは一人で首を振ると、早くも見飽き始めた外の景色でなんとか気をまぎらわせることにした。




「……馴れてきた」

 セツリが呟いた。落ち着いたというよりも、騒ぐのに疲れたといった様子だ。草原を眺め、「しかし外は広いな」と感嘆の声を上げる。

 ジュニパーが、変わらぬ風景に完全に見飽きた頃だった。

「こんなに広い景色を見ていると、あまりの途方のなさに、なんだか頭が悪くなってしまいそうだ」

「……アナタから出た発言の中で、多分今のが一番意味がわからないものだったわ」

 とっくに塀の見えなくなった後方を

 頬杖をつき眺めていたジュニパーが、そのままの体勢と目線のままで低く声を出す。ややあって正面に向き直り、

「……それにしても、いつまで経っても、同じ景色ね」

「ああ。あの場所は、どうやら相当な郊外にあるようだな」

「いい加減、街に、出ないかしら」

「ぅん? ジュニパー具合悪いの? 車酔い?」

 ジュニパーの声音が暗いことに気が付き、ティネットが尋ねた。

「……ええ……」ジュニパーは一瞬さ迷わせた視線を自分の足元に落とすと、ためらいがちに、

「……トイレ、とか。ないかしら……」

「そらみたことか! だから行っておくようにと忠告しただろう」セツリが大きな声を上げる。

「あーもう、だから言いたくなかったのよ……っ。なんでこんな時に、アナタの鬱陶しい得意げな顔もみないといけないのよ。不快の上塗りだわ」

「自業自得だろう。セツリは得意げになったつもりもない」

「なってるわ。あたしにはわかる。さっきまであんなに恐い恐い言ってたくせに、調子に乗るんじゃないわよ」ジュニパーは掴み掛からんとする勢いで体をセツリに向けた。

「あんまり動かないでぇ。危なぁい」ティネットが車の速度を落とす。

「ていうか、停めて…っ」

 ティネットは車をそのまま道路の中央に停めた。対向車は来そうにない。

「ほら。好きなところでしてきたまえ」セツリが両手を広げる。

 一面に広がる、草原。風に揺れ、見渡す限りの黄緑が波のように揺れている。

「どこも嫌よ。こんなところで、できるわけないでしょ」

「だいじょぶ大丈夫、誰も見ないからぁ。あ、なんならティといんちょ離れててあげよっか? 安心してぇ。すぐ戻ってくるよぉ」

「親切づらしてるけどアナタどうせ、いんちょとドライブデートだー。とかなんとか考えてるんでしょ。さっきの邪魔者を見るような目、覚えてるんだから」

「そぉんなことなぁいよぉ。全然なぁい」ティネットは顔に満面の笑みを浮かべる。

「嘘おっしゃい。見え見えよ。こんな草しかないところで、いつ戻るかわからないアナタ達を待つなんて嫌よ」

「ぶーぶー。じゃ、ここにいるからしてきなよぉ」

「アナタ達から見えなくなるまでの距離なんて、もう歩けないわ」

「そこですればいいじゃなぁい。女の子同士なんだし」

「あたしはアナタ達と違ってレディなのよ。無理」

「なら、どうするのぉ」

「それは…」

 口ごもったジュニパーに、セツリが名案を思い付いたというようにポンと手を打った。「埒が明かない。もういっそのこと、今ここで垂れ流してしまえばよい」

「は? 何よその暴挙」

「ただのおもらしぃ」

「ごみ受けがあるな。ほら」セツリはジュニパーにごみ箱を差し出した。

「いんちょう、アナタ正義の味方になるんでしょ、何かもっと気の利いた案はないの」

「ジュニパー個人の膀胱事情なんぞ、セツリの手に負えるはずがなかろう」

 ジュニパーは一瞬口をつぐんだ。だが、すぐに食ってかかる。

「そう、そうよ。あそこに戻ればいいじゃないの。アナタ達にもできる、いえ、アナタ達にしかできないわ。だから早くなさい。回れ右」ジュニパーは腕を水平に振った。

「ここまで来て戻るというのか? こんな好機、次はいつ訪れるかわからない。ワルツにばれてしまったら二度とないだろう。何、ワルツなら車を少し汚したくらいでは大して怒らない」

 ジュニパーは眉をぴくりと動かした。あの出来事以前なら、ジュニパーもワルツをそんなイメージで見ていたのだが。

 セツリはジュニパーがごみ箱を受け取らないので、ジュニパーの足元に置いた。

「ごみ受けにすれば、洗って元の場所に返すことも容易だ」

「それもそうだねぇ。洗ってる最中に見つかっても、かくれんぼしてて車に隠れてたら、お漏らししちゃったことにでもすればよさそぉだし」

「……絶対嫌……。その設定も、何から何まで嫌。ていうかアナタ達のすぐそばでしなくていいって点だけ取っても、離れられるあの辺でする方がずっとマシじゃない」ジュニパーはやけくそ気味に草原を指差す。「だいたいあのヒトに貸しをつくるなんて、とんでもないわ」

 そういえば今日は門扉の外に車があったから、かくれんぼ、なんて言えないか。そう考えていたティネットが、ジュニパーの気になる言葉に、くりんと首を傾げた。

「ちょっと前から気になってたんだけどぉ。ジュニパー、最近ワルツとなんかあった?」

「な、何よ急に。……別に……ないわよ、何も」ジュニパーは若干うろたえながら応えた。

「うわぁ。うそっこジュニパーが嘘バレバレなんてレアぁ。何? 隠してるぅ」

 ティネットは運転席と助手席の間から、わくわくとジュニパーに身を乗り出す。

「知らない。何もないってば」

「セツリは知っている」

「はぁ!?」ジュニパーは思わず声を張り上げた。とっさにトーンを抑える。「……なんでよ」

「ワルツに聞いた」セツリはさらりと言う。

「……っ。……そう……」

「なぁに、なぁに? ティにも教えてぇ」

 今日は厄日か。ジュニパーは黙り込んだ。

 セツリは腕を組み、しかめつらしい顔をする。「ワルツ曰く、襲われた、と」

「きゃぁあ、何それぇ」ティネットが黄色い声を上げる。

「………ア、アイツ……」ジュニパーは苦虫を噛み潰したような顔になった。

「ここにフルールがいなくてよかったぁ。もしかしたら卒倒しちゃうぅ」

「セツリも驚いた。いくらなんでも、ジュニパーが嫌いな相手に暴力を振るうまでの短気だとは思っていなかった」セツリは額に人差し指を当て思案するように、「ははあ。それで返りちにあって大人しくなったというわけだな」

「いんちょはつくづくいい体がもったいないなぁ。そかぁ、フルールも卒倒以前にわかんないか」ティネットがジュニパーに向けて意味ありげに笑いかける。「そういうんじゃ、ないんだよねぇ」

 黙って流すジュニパーだったが、返り討ち、の部分はあながち遠くない気もした。寒気を感じたように身震いし、粟立った腕をさする。

「でも、よくないよぉジュニパー。いくら狭い塀の中暮らしで欲求不満でワルツしか男の体がないからって、それだけの関係なんて。まだ若いんだし、いい恋しようよぉ」

 運転席から後ろを向いて話していたティネットは、いつの間にか運転席と助手席の間が定位置だというかのように、そのスペースに収まっている。

 ティネットが胸元に置いてきた手を、ジュニパーはうんざりと剥がした。

「そんなんじゃないわ。アナタなんでそんなに子供らしくない発想が出てくるの」

「子供らしくないってなぁに? ティわかんなぁい」ティネットが首を傾げる。

 やれやれだわ。

 ジュニパーはため息をついた。

 今あたしは本当は、とんだおっさんと、とんでもない田舎者と一緒にドライブしてるんだわ。

 諦めたように首を左右に振る自分の口元が笑みを形作っていることに、ジュニパーは気が付かない。

「ジュニパーちょっと、変わったね」ティネットが微笑んだ。

「奇遇だな。セツリも今そう思っていたのだ」

「何も変わってなんかいないわよ」

「なんというのが適切か。ああ、柔らかくなった、というのかな」

「あたしの言うことを聞きなさいってば」

 セツリは優しげな眼差しでジュニパーを見る。

「こちらまでつられて気が立ってしまうような、張りつめたような雰囲気がなくなった」

「ねっ。楽しくなったよねぇ」

「鬱陶しいわね。そんなこと、あたしがいないところで言いなさいよ」

 ふい、と背けたジュニパーの顔は、わずかに赤みがかっている。

 確かに最近は、悲しみや不安を苛立ちに変えて自分をごまかすことはなくなった。そんなことをしていたと自覚したこと自体が最近だが、その最近が具体的にいつで、何がきっかけだったのかはわかり切っている。思い返すと、今だに眩暈がする。穴があったら入りたい。という使い古された言葉がこの心情に一致しすぎていて。気は重いが、それでも心はどこか軽かった。

「……結果的に、あのヒトのおかげみたいになってるのは、しゃくだけど」

 ジェニパーは草原を眺めながら、誰にも聴こえないくらい小さな声で呟いた。

 セツリは腕を上げて上半身を伸ばすと、

「最近、毎日が楽しい。生きることとは、きっとこういうことなのだろう。こんな日々が、これからも続くといい」誰にともなく呟いた。

「うん」ティネットは穏やかに微笑む。

 フルールとジュニパーだけじゃない。セツリも変わったよ。

 人は変わっていく。

 少しずつ少しずつ、空のように巡り変わっていくんだ。

「……アナタ達ねえ……ヒトが苦しんでるのにイイ顔してるんじゃないわよ……」

 ジュニパーが苛立たしげに目を細め、唸るように声を上げた。

「ときにジュニパー。セツリも前から気になっていることがあるのだが」

「だから何よこんなときに…」ジュニパーは疲れた顔をセツリに向けた。

 このコはどうせまた、真顔でおかしなことを言い出すに決まっている。

「前から気になっていたのだが、何故セツリを『いんちょう』『いんちょ』と呼ぶのかね」

 予想通りの不思議に、ジュニパーは脱力するように背もたれに体を預けた。

「一年以上も、いつでも訊ける状態だったじゃない。なんで今、この非常事に」

「いいから、答えたまえ」

 足元を見てか、いつも以上に尊大にでているように見えるセツリに、ジュニパーは憎悪にも似た恨みを顔に浮かべる。

「ティネットに訊きなさいよね……。委員長っぽいからに決まってるでしょ。アナタ学校でもそう呼ばれてたんじゃないの」

「委員長、とは?」

「とは? じゃないわ。アナタ本当に、どこの辺鄙な集落から出てきたのよ一体」

「委員長ってのはね、学校のクラス毎に一人いる、生徒をまとめる係の人のことだよぉ」

 ティネットが手短に説明した。

「なんだ。セツリにぴったりではないか」セツリは嬉しそうに胸を張った。「で、だな。この一年で我々も、なかなかに親睦が深まったかと思う」

「気のせいじゃないの」

 間髪入れずにジュニパーが口を挟むが、セツリは続けた。「セツリも、年頃の仲睦まじい子女達が行う呼称、『ちゃん』を体験したい」

「ああ、そう」

「そういえばぁ、会った頃にフルールがジュニパーちゃんって呼ぼうとして、ジュニパー嫌がってたよねぇ」

「そんな子供っぽい呼び方なんて、されたくないもの」

 ジュニパーは面倒臭げに髪を払った。

 セツリは大きく頷く。

「というわけで、これからはジュニパーちゃんと呼ばせたまえ。替わりにと言ってはなんだが、セツリのことをセツリちゃんと呼ばせてやろう」

「あたしのわけを聞いてなかったようね。ちゃん付けの仲良しこよしっこなんて嫌だって言ったのよ。条件も見返りもどっちもアナタしか喜ばないじゃない」

「我が儘を言うな。ならばこれでどうだ。これからはセツリちゃんと呼びたまえ。替わりに、ジュニパーちゃんと呼んでやろう」

「……何が違うのかしら……」ジュニパーはだるそうに呟く。

「どちらにしろ、ジュニパーもトイレに行けて、一石二鳥だろう」

「いんちょ本末転倒って知ってる?

 ジュニパーが漏らしちゃったら覆水盆に還らずだよぉ」

「うむ。ほらジュニパー、さっさとセツリの提案を飲みたまえ」

 セツリはジュニパーの肩を掴む。

「ティネットが運転してるんだから、別にアナタの要求に応じる必要なんてないじゃない」

 ジュニパーは肩を動かして、セツリの手を外しながら言った。

「あ、ダメダメ。ティ基本いんちょフェチだから、いんちょにつくよ。それに多数決でも分があるよぉ」ティネットは頭の上で、右手の指を二本、左手の指を一本立てた。

「あっ」とセツリを向き、「これからはティもセツリちゃんって呼ぶねぇ」

「ありがとう、ティちゃん」

「えへへ。どぉいたしましてぇ」

「アナタ達いい加減になさい。さっさと車を出すのよ。でないと……」

「かけてやるぅ」

「最低だ。ジュニパー、それはいくらなんでも酷い」

「なんであたしに言うのよ……っ。あたしだって最高に嫌よ……! ティネットっ!」

 ティネットは口笛を吹いて、自分を睨みつけてくる視線を流した。

「腹をくくれ」セツリがジュニパーに言った。

「アナタ、こんな脅しまがいのやり方で仲良しごっこが叶って嬉しいの?」

「ああ、嬉しい。ときに、望む結果を得る喜びは、過程の美しさを得る喜びに勝る。今がそのときのようだ」

「くっ……。なんであたしがこんな目に」

「普段の行いが悪いんじゃ、なぁいかなぁ」ティネットが可愛いらしく小首を傾けた。

「これで納得しつくしただろう。さあ」

 たっぷり二分の間の後。

「セツリちゃんめ……覚えてらっしゃい……!」ジュニパーは思い切り目を逸らしながら、憎悪を吐くように唸った。

 セツリは満面の笑顔で受ける。

「セツリなら、自身の膀胱や尿に関する情報はすぐに忘れてもらいたいと思うがね。わかった、覚えておこう。ジュニパーちゃん」

「アナタ本当に狙ってないの……」ジュニパーはセツリを睨みつけた。「あと、これから、おもなんちゃらとか、にょなんちゃらとか、ぼうなんちゃらとか言うの禁止だから。アナタ達には年頃の女性らしい恥じらいと配慮が足りないわ」

「おもなんちゃらってぇ、おもら」

「だからお黙りなさい。そして早く車を出してちょうだい」

「はじめての冒険はここまでかぁ。フルールへのおみやげが、まさかジュニパーのおしっ」

「お黙り」

「先程セツリを臆病者呼ばわりしていたが、セツリが運転していれば、今はもっとあの建物に近かったはずだ。ジュニパーちゃんが尿意を我慢する時間も少なかっただろうに」

「意外と根に持つのね、セツリちゃん。上手く言えたつもりかもしれないけど、にょなんとかのつく単語は全面的に禁止だから。さもないとタダじゃおかないわ、本当に」

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