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廻逝のロンド  作者: ささ
幕間
24/33

そしてめぐり雲間 1

 良い天気をした平和な日中の中庭。

 正面玄関付近に、四人の少女が集まっている。

「全員揃ったな」

 集合をかけたセツリが、ぐるりと三人を見渡した。ポケットに手を入れ、中にある硬い質感の存在を確かめるように指でなぞる。

 一日の授業や課題が終わり、今は自由な時間だ。

 初夏の陽は正午を三時間過ぎてもなお、今だ強く照っている。

「見ればわかるじゃない」

 陽差しを避けポーチ内に立つジュニパーが、早く用件を言え、とせっつくように手を振る。

「どしたのぉ」ティネットがセツリに訊いた。

 その隣でフルールも不思議そうに話が始まるのを待っている。

「もし今から塀の外に出られるとしたら、出たいか」

 もったい振るように三人を眺めていたセツリは、話を切り出した。

「そんなもしもの話なんて無意味ね。するだけ虚しくなるだけよ」

 ジュニパーの言葉に、なぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべかるセツリ。

 ジュニパーは訝しげに目を細めた。

「見たまえ」弾んだ声で、セツリは腕を前に出し握り閉めていた右手を開く。

 開かれた手の中には、太陽の光りを反射して鈍く輝く、小さな金属。それは、チェーンで繋がれた「門」と書かれたプレートと重なり揺れて、チャリ、と金属同士が擦れる音を立てた。

「外への扉の鍵だ」

 その宣言するようなセツリの言葉のあと、沈黙。誰かが息を飲む気配がした。

「なんだ、誰か何か言いたまえ。車の鍵もある」

 セツリが左手を開くと、同じ作りのプレートのついた違う形の鍵が現れた。プレートには確かに「車」と書かれている。

 突然の外への鍵の出現に固まっていた三人の中、いち早くティネットが目を輝かせた。

「きゃあぁ。すってきぃ」

 飛び上がるようにしてセツリに背後から抱きつき、腰あたりから出した顔を鍵に近づける。

 フルールが驚いた様子でおずおず背を伸ばしてのぞき込み、さらに驚いた様子で口元に手を添えた。

「あ、本当に鍵……」

「どうしたのよコレ」ジュニパーが髪をかき上げ、扉、と書かれたプレートが付いている方の鍵をひょいとつまんで手に取った。

「うんうん。いんちょもようやく自分の体の有用性に気づいたかぁ。ちょっと寂しいけどぉ、おかげでおでかけできるわけだし。ティはくじけないぞぉ」

「体がなんだというのだ。セツリはこの手でワルツの落とし物を拾っただけだ」

「あのヒト、普段の行いが悪いからよ」いい気味だわ、とジュニパーは鼻を鳴らした。

「運転手どぉする?」ティネットは慎重に尋ねた。

 当然、四人の中の誰も車を運転する資格は持っていない。全員、無免許である。

「セツリが引き受けよう」

「え、いいのぉ?」ティネットは素っ頓狂な声を上げた。

 融通のきかないことこの上ないと思っていたセツリが、規則ルールの類いを破ることを自ら提示したからだ。

 セツリは、何を当然のことを、という顔をして頷いた。

「無論である。よいからこそ名乗りを上げたのだ」

「そっかぁあ」

 ティネットとジュニパーは素知らぬようにしながら思う。セツリはきっと、車の運転に年齢と免許の制限があることを知らない。

「書物で鍛えたセツリのハンドル捌きを、楽しみにしていたまえ」

 当然のように事実を伝えない眼前の二人に対し、セツリは堂々と胸を張った。

「やぁん色んな意味でドキドキするぅ。どぉしよ、おやつ持ってこっか? お昼に焼いたパンケーキまだあるよぉ」

「包んでくるといい。……そうだな、各自準備もあるだろう。十分後に外への扉の前に集合ということにし、ひと先ず解散とする。トイレにも行っておくように」

「仕切らないでよ。年頃のレディが十分で用意できるはずないでしょ。アナタはともかく」

 ジュニパーが毒づいた。

 セツリは逸る気持ちを抑えつつ、妥協案を考え顎を撫でた。

「なら三十分でいいな。よし、解散だ」

「あ、待って……!」

 フルールは慌てて呼び止めた。三人が振り返る。フルールは自分に視線が集まるのを意識し、緊張に顔を伏せた。

「……ええと……」落ち着かない風にぎこちなく前髪を一撫でする。やがて意を決したように顔を上げた。

「……わたし、ね……――――」




 

フルールは「自分は行かない」という意思を、きっぱりとまではいかなくとも、丁寧に三人に伝えた。

 外の様子を気にする三人の気持ちは、わかりすぎる程にわかる。フルールも同じ気持ちだった。家主不在になっているであろう、花屋である生家はどうなっているのか。よくしてくれた近隣の人達はどうしているのか。知りたいことは、たくさんある。

 そして、外のことを知ることは、きっと内のことを知ることにも繋がる。かつて輪郭を保てずに消え失せてしまった、数々の疑問に対する答えが生まれるかもしれない。

 けれど。

 なるべくワルツに後ろめたい気持ちを持って接したくない。例え車を勝手に使って外に出たことがばれなくても、自分は真っすぐにワルツを見れなくなってしまうだろう。

 かといって、三人の折角の外に出る機会も奪えるはずがない。

 三人を止めることはしない。自分は残る。ワルツにも、できるかぎり車を無断で使っていることを気付かせない。

 それがフルールなりに考えて出した、自分の相反する意思に対する折衷案、自分の身の置き方の結論だった。

 そして三十分が過ぎ、門扉の前。

「中途半端だね、わたし。どっちつかず。もっとしっかりしたい、大人になりたいって、思うのに。いつも、はっきりしない」フルールは寂しそうに微笑んだ。

「そんなことはない。フルールは、どんどん成長している。フルールの意思を聞けてセツリは嬉しい」

「うん。なんとなく違うなぁって、なぁなぁな気持ちでティ達と来るより、ずぅっとはっきりだよぉ。それに、迷った上で自分で決めるのって、ティ、大人の勇気の発揮、だと思う」

「…ありがとう。いんちょう、ティネットちゃん」

 無事に帰って来て。そう伝えようとして、フルールは口をつぐむ。

 もしかしたら、もう三人とは会えないかもしれない。でも、わたしには帰ってきてなんて言う資格はない。今このときは、三人を外で待つもの次第で、四人でいられる最後のときにもなりうるのだ。

 フルールの胸を、治りかけの傷にあるかさぶたを剥がしたような痛みを伴う悲しみがよぎる。

「フルール。なんて顔をしている。今生の別れでもあるまいに」

 セツリはフルールの目元に手を当てた。

「うん……。大丈夫、泣かないから。ごめんね」

「心配しないでぇ。戻って来るよ。外がラベンダーの樹海でも、お菓子のお城だらけでも、絶対に戻って来るから」

 ティネットはフルールに微笑みかけ、抱きしめた。ティネットはフルールより背丈は小さいが、包み込むように優しく。その二人の頭を、セツリは無言でそっと撫でた。

「ねえフルール」一歩離れた所で様子を眺めていたジュニパーが、フルールに声をかけた。

「何? ジュニパー」

 フルールはきょとんとジュニパーを見上げる。ジュニパーから友好的に話しかけられることは珍しい。

「あたし……アナタに謝るわ」

 フルールは目をまたたいた。

「わたし、ジュニパーに何かされたかな……?」

「するところ、だったのよ」バツが悪いようにジュニパーは視線を泳がせ、戻した。

「……あたし、アナタのこと見誤ってたわ。なんて言うか、アナタもっと胸を張りなさいな」

「?? うん……? ありがとう」

 照れたようにフルールははにかんだ。よくわからないが、ジュニパーが自分を認めてくれていることはわかる。

 ジュニパーは居心地が悪そうに、場を繋ぐように髪を払うと、きびすを返した。

「さ、行きましょ」

「えぇ、ジュニパーも来るのぉ?」ティネットは露骨に嫌そうな顔をした。

「は? アナタあたしの何を見てたのよ……どう見てもそういう流れでしょ」

「用意のとき十分じゃ足りないって言ってたのは、いんちょにいちゃもんつけたいだけだと思ったんだもん。それにいつもなら、『無免許の運転する車なんて命がいくらあっても足りないわ。馴れ合いドライブにあたしを連れて行きたければ、イケメン金持ち執事の運転手をよこすことね。シッシッ、わかったらさっさとお行き』……みたいな感じじゃなぁい」

 ティネットは手を払うジェスチャーをした。

「それ誰よ。まさかあたしじゃないでしょうね」ジュニパーはティネットのおでこを指で弾く。

「いったぁ。暴力はんたぁい、反対っ」ティネットはおでこを両手でさすりながら、上目遣いでジュニパーに抗議した。

「あたしも行くわよ。ワルツがいるとココ、息がつまるっていうか落ち着かないのよ」

 ジュニパーは、ワルツが今、課題のチェックをしているであろう教室の辺りを見やる。瞬間、失言したことに気が付き顔を歪め、感付かれないようにまくし立てた。

「ほら、早くなさいな。三十分で準備を済ませてあげたのよ。あたしの急ぎが無駄になるじゃない」

 ジュニパーは鞄を持ち替えた。持っている鞄は、ワルツが前に消耗品を持って来たときに丸ごと倉庫に置いて帰ったために残された、簡素な作りの麻製の手さげ鞄だ。中には着替えやヘアーブラシなど、身だしなみを整えるための道具がつまっている。

 外には何が待っているかわからない。準備をしておくに越したことはない。

「忘れ物はないか? トイレには行ったか?」

「だから煩いのよ、アナタに言われるまでもないわ」

「では、行くとしようか」

 セツリは一歩踏み出し、扉に鍵を差し込んだ。捻る。ガチャリと鉄製の錠が外れる重たい音がした。

「いざ新世界へ」

 扉を開く。

 少しずつ外界が姿を露わにする。

 扉が開き切ると、ティネットとセツリが我先にと楽しそうに声を上げ駆け出した。

 ジュニパーがため息をつくように鼻で笑った。

「あのはしゃぎよう。まるでパレードを追いかける小さな子供だわ」肩を竦め、扉を潜る。

 フルールも後に続き三人を追った。自然に笑みがこぼれる。

 四人は、ここに暮らして初めて外に足を踏み入れた。

 たまにワルツが来るのを待ち伏せて、扉が開いたときにのぞくようにして垣間見た風景が、眼前一杯に広がっている。

 ひたすらに広大だった。

 空と草原が視界を分かち、仰ぎ見れば空しかなくなる。まだらに雲の架かる青空は一見すると地平に終着しているが、実際は見えないその先、どこまでも広がっているのだ。

 地には、門扉から伸びる、歩道も対向車線もない一車線の道路。行くも戻るもこの道だ。黄緑の中に真っ直ぐなラインのように続き、遥か遠く、空と同じになだらかな地平に集結している。路面は所々がひび割れ、むき出しになった地表には草が伸びていた。そこでも、名も知れぬ小さな白い花が呑気に風に揺れている。

「広い」感嘆するように呟き、セツリは両手を広げ深呼吸をする。「感慨深いな」

「うん」フルールが風に流れる髪を押さえて、穏やかに頷いた。「なんだか風が気持ちいい」

「見事に何もないわね。標識の類いもないなんて」

「宝物の探しがいがあるよぉ」

 見回すジュニパーに、ティネットがクルクルと回りながら言った。

 扉を出てすぐ脇に停まるオープンカーは、向きを変えずに出られるように、扉に対して背を向けている。

「ワルツえらぁい。らくらくだぁ」

 ティネットはステップを踏むように踊り寄り、ボンネットにほとんど全身で乗り掛かりながら頬を擦り寄せた。

 セツリは車を見つめ、組んでいた腕を解いた。

「どれ」歩幅大きく運転席のドアの前まで歩み寄ると、当たり前のように車体に足を上げまたごうとする。

 ジュニパーはぎょっと目を剥いたが、すぐに奇妙な宇宙人を安全地帯から眺めるように静観を決め込んだ。

「ちょっとぉ。ダぁメぇ。めっ」ティネットがセツリの足を押し、無理矢理降ろそうとする。

「何をする」セツリは奮然と足を降ろした。

 ティネットは太もものあたりでよれたセツリのスカートを払い、元の膝丈に直す。

 セツリはスカートには無頓着だった。ティネットが胸以外にはアクションをあまり起こさないので、セツリも意識していないためだ。ちなみに当のティネットは太ももなどにはあまり関心がないようにしているが、しっかり見て、それはそれで堪能している。だが、今その話は関係がない。

「うん。あのね。まずここに鍵入れてぇ」ティネットは車体の運転席にある鍵穴を指す。

 セツリは合点がいった、というように頷いた。

「ここに鍵穴があったのか」

 鍵を差し込み、捻ろうとしたが動かない。逆向きにして差し込み直し捻ると、今度はガチャリを音を立て鍵が開いた。「おお」セツリはドアを開けると、勢いよく運転席に座る。「ギア、ブレーキ、アクセル……書物どおりだ」

「まさか」嫌なことに思い当たった、というように、ジュニパーは低く声を上げた。「アナタ車に乗るの自体が初めてじゃないでしょうね」

「うん? 初めてだが」何か問題があるのか、というようにセツリはジュニパーに返す。

「アナタの村には車もなかったの?」

「セツリが住んでいたのは村ではなかった」

「隠さなくていいわよ、物知らずの田舎者なのはわかってたから」

「隠してなどいない」

 一族が一カ所にまとまり暮らしている、というのは、ある意味では村のようなものだったのかもしれないが。セツリは思ったが、言いたくない部分を言わないで説明するとややこしくなりそうだったので、口をつぐんだ。

「それなら村外れね」ジュニパーがひらめいた、というように言った。

「仮にセツリが田舎と呼ばれる地域出身だとして、それの何が悪いのかね。住む場所に貴賎はない。人は皆平等だ」セツリは手を腰に当てる。

「はいはい。上下はあるのよ、物知らず」また始まった、とジュニパーは手を払った。

「はい、という返事は一回でよい」

「はいはいはいはい。わかったわよ」

「まったくわかっていない」

「もう、またぁ。やめやめ、出だしがカンジンだよねっ」

 ティネットが助手席に滑り込むようにして座りながら、間を取り持った。

「確かにどうでもいいわね。さっさと行きましょ」

 続いてジュニパーが後部席に座って足を組む。

「フルール、これから扉閉めて欲しいんだぁ。扉閉まってからエンジンかけるのぉ。もしかしたらエンジンの音で、ワルツ気付いちゃうかもしれないから」

「うん、わかった」

 フルールはこくりと頷いた。数歩下がり、扉を潜り塀の内側に入る。

「扉の鍵はフルールが持っていてくれ」セツリがフルールに扉の鍵を投げ渡す。

 まばゆい陽光を受け、それ自体が光のように煌めきながら弧を描き飛んでくる鍵を、フルールはなんとか落とさずに両手で受け取った。

「ナイスキャッチだ」

 フルールは安心したように微笑む。胸元で、鍵を包んだ手を祈るように重ねた。

「それでは行ってくる。夕飯の頃には戻る」

「うん。デザートは、みんなの好きなアップルパイにするね」フルールはやっとのことで少し微笑むと、三人を交互に見つめた。「気を付けてね、みんな」

「心配無用だ。セツリがいるからな」

「いってきまぁす。おみやげ楽しみにしててねぇ」

 ティネットが上半身をフルールに向けて両手を大きく振った。

 ジュニパーも後部席で振り返らずにひらひらと片手を振る。

「いってらっしゃい」

 フルールも鍵を持っていない方の手を振って見送る。

 どうか無事で帰ってきて。

 フルールは扉の取っ手に両手を添え、全身の体重をかけるようにして重い扉を閉めた。

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