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廻逝のロンド  作者: ささ
第三幕
22/33

生と死と乙女と愛の夢 6

 ベッドの上でセツリは上半身を起こす。時計の針は朝の六時を指している。

 夢を見た。

「……おはよーございまーす……」

 死がセツリに両手を振った。ベッドの四つかどのポールの内、セツリの足元の一本の上で、ぐらぐらとバランスを取りながらしゃがみ込んでいる。

 死は、セツリが気がつかない内に、気まぐれにそばにいる。

 セツリは眉を寄せた。目覚めて最初に見る顔がこいつの朝は嫌な朝だ。夢もこいつの夢だった。今日は嫌な日になりそうだ。セツリは不機嫌さの滲む声で「おはよう」と応えた。

「……セツリさん嫌がりながらも一応あいさつは返してくれるんですよねー……」

「あいさつは人としての基本だからな」

「……そーなんですかー……」

「お前と初めて会った日の夢を見た」

 セツリはいつもよりもぞんざいに(それでも大抵の人から見れば几帳面に)掛け布団を畳み、ベッドから立ち上がる。パジャマを脱ぎブラウスとスカートに着替え、その上に冬用の黒いセーターをかぶった。鏡台の前に立つ。

 髪をヘアーブラシでとかしていると、鏡とセツリの間に死が割り込むように挟まってきた。

「見えない。退け」苛立たしげにセツリは死を横に押しやる。「……三つ編み似合わないからやめたらどーですかー……ワタシともカブるし何もいいことないですよねー……セツリさん見た目生活感ないしやっぱりドレスにすごく長いロングヘアーのがいいですよー……」

「かぶることの何が悪い。お前は姿形のない存在なのだろう。お前の目には、お前の姿が姉様の姿として映らない。セツリ以外にお前は見えない。セツリはかぶることも似合わないことも気にしない。問題は何もあるまい」

 セツリはブラシを机に置いた。革紐を手に取り腕の関節に掛けると、髪の毛を編み始める。

「大体、お前が言うセツリに似合う格好は動きにくい」

「……セツリさんとお揃いなんてワタシ嫌でーす……」

「セツリもお前が嫌いだ」

「……嫌だー……ワタシはセツリさん嫌ってないですよー……微妙に好きでーす……ワタシこれでも生きてる人間さん自体好きなんですよー……滅多に会えないしー……」

 死は爛々とした目でセツリの体をすり抜けると、セツリを背後から抱きしめる動作をする。

 無味無臭、無温。だが死と出会った時からの不快感には馴れることがない。セツリは死を無視した。編み上げた髪の毛を紐でくくる。

「……ね……早くワタシを解放してくださいねー……セツリさん……」

「コンコン」

 声と、続いて木製のドアがノックされる軽快な音がした。

 死が霧散するように消える。

 セツリが振り向くと、数センチ開いたドアの向こうにティネットが立っていた。

「おっはよぉ、いんちょ」ドアを大きく開き、手を挙げる。

「おはよう。ティネットは朝から元気だな」

「うん、もりもり。でも春になりたての朝は寒いよぉ」

 ティネットは、しま模様のエプロンのポケットに手を突っ込んだ。ほわっ、と白い息を吐く。

「部屋に入るといい。廊下よりは暖かい。」

「うん。合意の上で入るぅ」ひょい、とティネットは部屋に入るとドアを後ろ手に閉めた。

「あっそだぁ、ドアの鍵開いてたよぉ。えろい人がのぞき見するから気をつけてぇ」

 親切心から助言するようにして、にっこりと微笑む。

「ティネット以外にそんなことをしそうな人物に思い当たらないな。……まさか着替えるのを勝手にのぞき見ていたのか? 親しき仲にも礼儀あり、だ。実践したまえ」

「ううんないない見てないない。礼儀すっごい正しいよぉ」ティネットは首を何度も振ってみ

せる。「お風呂の時とかも思ってたんだけどぉ、いんちょのブラっていっつも素っ気ないね。胸が大きいと、可愛いのがないって本当なんだねぇ」

「……何か用か」

 やはり見ていたのではないか。そう思ったが、セツリは胸の話題に言及するのを避け、ティネットに部屋を訪れた理由を尋ねた。

「昨日の夜、またあの人が来たの」

「あの、傘を差した女性か」

「いんちょも見たのぉ。そそ、日傘でドレスで片眼鏡の。ワルツとお話して出てったけど、どんな関係なのかなぁ。恋人かなぁ」

「恋人……」セツリはティネットが口にした、聞き馴染みのない単語を繰り返した。

 ワルツに頼んで定期的に届けてもらっている、冒険家が主人公の本を読んでいると、たまに恋人という女性、いわゆるヒロインが出てくる。なんとなくはイメージできる関係性。だが、セツリが関心を寄せ心を躍らせて読んでいるのは、主人公が様々な活躍をしたくさんの人々を助ける、という主題の部分だった。自分もこんな正義の味方になりたい、と憧れる。枝葉にある恋愛の描写には興味がなかった。それなのに、恋人、という言葉がなんだか引っかかる。

「あっ。そんなことよりぃ……」じゃーん、とティネットは手の平サイズの直方体の物体を頭上に掲げた。「ワルツが、頼んでたトランプ持って来てくれちゃったぁ。やろぉ」

「トランプをするのは初めてだ」

「おっけぃ簡単なのからねぇ。ババ抜きとかぁ」

 ティネットは紙箱からトランプを楽しそうに出した。机に広げられたカードには、一枚一枚に異なる数字や記号が描かれている。セツリは興味を引かれたが、日課がある。首を振った。

「朝食前には身体を動かすことにしている。今日の放課後にしよう」

「そいえばそっかぁ。運動してるんだよね。りょーかぁい。フルールも誘ってみよっか」

「ああ」

「じゃぁティはちょっと早いけど朝ごはん作ってこよっと。今朝はクリームリゾットとサラダとリンゴだよぉ」

「ティネットは料理が得意だから期待しよう。ティネットが作るものの中では、特にドレッシ

ングが美味しいとセツリは思う」

「えへ、そこ褒められたの初めてぇ。いつもより多めにサラダ作っちゃおうかなぁ」

 ティネットはにこやかに手を振って、部屋を出て行った。



 ――――数ヶ月が過ぎ、季節は晩春。

 ここで迎えた二度目の春は、もうすぐ役目を夏に委ねようとしているためか、浮足立つように軽やかな春風を吹かせている。風に汗が冷えて心地好い。セツリは深く息を吸い込んだ。

 肩で息をするセツリとは対照的に、ワルツは表情一つ変わらない。

「時間だな。今日はこの辺でお開きにしよう」

 時計も見ずに言った声音も平淡な響きだった。

 セツリが確かめた花壇に建つ柱時計は、朝食より三十分程前の時刻を告げている。

 花壇には赤と薄紅の花が咲き乱れている。去年はなかった色鮮やかな息吹。それ以外にも、芝生のそこここに小さな白い花が点在している。生家が花屋を営んでいるというフルールも、初めて見るものだという。畑の横では、フルールが見立てて種を蒔いた夏の花がつぼみをほころばせ始めている。時期を見て、名をなんといったかセツリは失念した、花壇で今咲いているオリエント由来の花と入れ替えるらしい。

 セツリは何度か深呼吸をした。

「朝、大丈夫か」

「はい」息を整えながらセツリは頷いた。

「いや、聞き方がおかしかったか。そうじゃない。ここ最近、朝は浮かないような顔をしている。悪夢でも見たのか」

 セツリは目を見開いた。なぜ、ワルツは私でないのに私のことがわかるのだろう。

 なぜ、顔が熱くなるのだろう。

「……はい。最近夢見が悪いのです。ずっと見ていた夢を見なくなり、替わりになのか、どう捉えればいいのか判断しかねる夢を見るようになりました」

「夢? どんな夢を見るんだ」

「それは……」セツリは言い淀んだ。セツリにしては珍しく、歯切れが悪く曖昧な反応だった。

「言いにくいなら無理に言わなくていい」

「は、はい」セツリは安心したように息をつく。

「嫌な夢……ですが、ワルツ先生とこうして会った後は、気が晴れます」

「そうか。ならいいんだ。体を動かすのは気分転換になるからな」

 ワルツは建物に向かって歩き出した。

「どこへ行かれるのですか?」

「キッチンだ。腹が減った」

「もしかして、朝自分に付き合ってもらった後は、いつもキッチンに行っていたのですか」

「ああ」

「自分も行きます」セツリは早足でワルツの後を追った。

「セツリはもうすぐ朝食だろう」ワルツは歩きながら、振り返らずに応える。

「その前にワルツ先生に何かを作らせてください。もとはと言えば、自分に付き合ってもらったのが原因ですから」

「気にしなくていい」

「いえ。責任を取らせてください。今日も何度も体を支えていただいて、とても申し訳ない気持ちです」

「取らないといけない責任なんてないだろう。少し肩の力を抜くといい」

 ワルツは、その妙に丁寧な口調もいっそのことやめたらどうだ、と続けて言いそうになったが、それはやめた。完全に個人の勝手だ。

「では、ええと」セツリは思案しながら顎に手を添えた。「お礼……お礼をさせてください」



 セツリはキッチンのドアを開けた。

「おはよう。ジュニパー」調理台の向こうで食器棚をのぞくジュニパーの背中に声をかける。

「いんちょう? アナタ何しに来、っ……!」

 食器棚から皿を四枚取り出したジュニパーは振り向きざま、引き攣けをおこしたように息を飲み言葉を切った。セツリの背後で扉を後ろ手に閉める人物を視界に入れた瞬間だった。皿を棚に戻し、代わりに掴んだ物を、その人物、ワルツに向かって投げつける。

 ワルツが首を曲げてかわすと、ジュニパーの投げた果物ナイフがドアに刺さりしなった。

 ジュニパーは一瞬目を細め、すぐにセツリに視線を合わせた。

「アナタ何しに来たのよ」

「待ちたまえジュニパー。何事もなかったかのように会話を再開しようとするな。今の一連の動きはなんだ」

「ちょっと手が滑っただけじゃない。あたし料理に興味ないから得意じゃないのよね。気を付けなさい」

「ジュニパーの目はしっかりとワルツを捉えていた。得意不得意の範囲外、あの動作はどう見ても故意だ」

「アナタにはそう見えたのね」

「誰が見てもそう見える。そもそもどうせ今日もオートミールとドライフルーツだろう。果物ナイフなんて使わないはずだ。何かワルツに恨みでもあるのか」

「は。恨み、ね。別に」ジュニパーは苦々しげに口元を歪め、つやのある唇に不敵に見える微笑を浮かべた。「あたしこのヒト嫌いなの。視界にも入れたくないくらいに」

 にっこりと笑むと、すぐに表情を消し、

「お分かり? これでいいでしょ。邪魔だからさっさと出て行ってちょうだい。それにアナタ、ヒトの料理によくケチをつけられたものね。朝昼夕どの当番でも、ティネットが作りおいてるスコーンとアナタ製の下手くそな野菜スティックのくせに」

「余裕ができれば品目を増やす予定だ。次はゆで玉子を追加しようと思っている。楽しみにしているがいい」セツリは腰に手を当てる。

「どうでもいいわ。とりあえず出てお行き」

「そうはいかない。ワルツに何か料理を作ると約束したのだ」

「は? アナタが? ……ていうかアナタにまで粉かけてるの? この変態は」

 ジュニパーは、ワルツと目が合わないようにワルツの首から下をちらりと一瞥し、セツリに視線を戻した。

「先程からなんだね、ジュニパー。ワルツに失礼だ」

「このヒトに対する礼儀なんてあたしの中にはないのよ」

「このオートミール食っていいか」

 いつの間にか鍋をのぞき込んで、蓋を回しながらワルツが誰にともなく尋ねた。鍋ではジュニパーが用意した四人分のオートミールが湯気を立ち上らせている。

「ダメに決まってるでしょ。今アナタの話をしてるのよ。ふてぶてしい」

「何が食べたいですか?」セツリはワルツに尋ねた。

「小腹が満たせればなんでもいい。すぐに出るもので」

「そんなにお腹が空いているのですか。すみません、自分の特訓に付き合わせてしまったばかりに。お腹が空いている以外に体に異常はありませんか? 乗ってしまったときにぶつけてしまった所は大丈夫ですか?」セツリは心配そうにワルツを見上げた。

「だから気にしなくていい。いい加減もう馴れた」

「あらあら、なんの特訓をしてるのやら。 セツリとワルツがいやらしい特訓をしてるってフ

ルールに教えてあげようかしら。楽しいことになるわ」

「やましいことなど何もない」

 セツリはわずかに顔を赤らめて否定した。何もない。そう、何もない。

「冗談よ。でもなかなかどうして怪しい反応だわ」

「怪しいわけない」

「オートミールつまんでいいか」

「アナタの話よ」

 五分後、ワルツはティネットが作り置いていたスコーンを頬張りキッチンを後にした。

時間軸わかりにくかったらすみません。

気にせず適当に読んでください。

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