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廻逝のロンド  作者: ささ
第三幕
21/33

生と死と乙女と愛の夢 5

 秋風が空を暴れる音が部屋に響いている。真夜中で視界は暗く、その分まで研ぎ澄まされた聴覚を刺激される。残響の間に次の遠吠えが重なり、鳴り止むことはなく。

 胸騒ぎがする。自分でも何が元になっているのかわからない焦燥感に突き動かされ、セツリはベッドから飛び降りると中庭に駆け出た。

 中庭を統べる闇にまぎれ込む人影がある。夜嵐に煽られ、すぐにでも儚く消えてしまいそうな、たおやかで美しい少女。だが強い風の中にあっても、裾の長いローブをまとったシルエットはその三つ編み一つ微動だにせず。

 ――――これは夢だ。セツリは一つ身震いをした。

 煉瓦造りの花壇に立つ少女の姿は、まぎれもなくコトワリだった。

 セツリは吹きすさぶ風から守るように、少女の正面に立つ。花壇のふちに立っている少女は、セツリの目線より上に目がある。セツリは顔を上げて少女の目を見た。懐かしい鳶色をした瞳、聡明さの窺える目元。

「お、おはようございます」

 セツリは、自分が上擦る声で出したその間抜けなあいさつに辟易した。何がおはよう、だ。今は夜だ。頭が真っ白になってしまいそうだった。深呼吸をする。

「あの……また、会えるなんて」

「……お待ちしてましたー……ってワタシあなたと会ったことあったっけー……? ……いやないなー……やっと見つけたワタシを見られる人だしー……」

 少女はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

 室内にいても猛りを感じた程に強風が吹き荒れているというのに、まるで頭に直に響くようにその声は鮮明にセツリに聴こえた。星も月も隠れている闇夜なのに、はっきりと容姿が見えるというのもおかしなことだ。だが、セツリがその違和感に気が付いたのは、後になってからだった。

 声を発した少女の、感情のこもらない口調。生気を発しない瞳。表情の顕れない顔。強い風にも、夜の暗闇にも、セツリにも――――一切の外的要因に微動だにしない、その存在の全てが停滞でできているかのような反応。どう見てもセツリの姉のコトワリなのに、生きていた頃とは別人としか思えない。セツリはうろたえる。

「私をわからないのですか? 姉様」

「……はい……姉様って何ですかー……」

「姉様……」

 そうだ。見たところ姉様は亡くなってから歳を重ねていないようだが、私は生きた分歳を取った。もう姉様の歳を超えてしまっている、私の外見は変わった。だから私だとわからなかったのだ。それに、死後は性格が変わってしまうものなのかもしれない。……この姉様は幽霊、という認識でいいのだろうか。絶えず体から死の霧を染み出させているようでもあるし。

 なんにしろ、まずは私を私と認めてもらおう。

 気を取り直し、セツリは姿勢を正す。

「セツリです」

「……あー……そうですかー……セツリさん……ふーん……」気の乗らないような返答だった。

「姉様、ずっと伝えたかったのです。母様は姉様のことを……」

「……だからですねー……ワタシはあなたの姉様とやらじゃないんですってばー……」

 少女は、いい加減にしろ、と言いたげなじっとりとした目をした。

「あなたはセツリの姉様ではないのですか」

「……ないでーす……」

 セツリは落胆に肩を落とした。そういえば、この少女を見たときからなぜが気分が悪い。

 気が付いてしまうと、生理的嫌悪感のような不快な感覚はさらに明確になりセツリの精神と身体を襲った。立ちくらみに負けないよう、キッと視線を鋭くする。

「なら一体何者だ? なぜ姉様と瓜二つの姿なのだ」

「……んなの……あなたにとって死の象徴は姉なのねってことでー……。はい、あなたの姉の話はもういいですよねー?……ワタシと関係ないですしー……なのでワタシの自己紹介でーす……ワタシ『死』

っていいまーす……気安く死様って読んでくださーい……」

死、と名乗ったコトワリの姿をした何者かは、人差し指を立てた。セツリの態度や口調の唐突な変化を意に介する様子はない。

「死……? お前は何者だ」

「……むー……ワタシは命ある万物に畏怖される恐れ多い存在なんだぞー……様ってつけてほしいなー……まー……いーかー……死ですってば死ー……」

「姉様の姿でそのような軽い言葉遣いをするな」

「……軽いー? ……明るいって言ってくださーい……死は暗いものっていう勝手なイメージの払拭活動の一環なんですよーこのしゃべり方ー……」

 おどけるように、けれどやはり無表情のまま、死は自分の顔の横で、ぱあっと両手を開いた。

「効果的ではないようだな。与えられる印象は軽薄でいて暗い。せめてぼそぼそと話すのをやめたまえ」

「……ワタシと会えるこんな不思議体験しておいてなんでこんなリアクション……びっくりしたり逃げ出したりかー……逆にワタシのことパッと受け入れて色々と訊いてくるのがパターンなのになー……どうでもいいとこばっかりに食い付いてくる……かわいくなーい……コトワリさんと似てる波長の子なのに……」

 拗ねるような死の呟きに、セツリは体を震わせた。悪寒。ひんやりとした冷たい手で心臓を撫でられたような。セツリは大きくまばたきをする。

 夜空では厚く黒い雲に断層ができ、雲間からほんのわずかばかりに仄白い月明かりが射した。

「お前、が、ルナ……か?」

「……あれー? ……なんでそれ知ってるんですかー……」死はセツリをまじまじと見つめた。ややあって、「……あーあなたコトワリさんの妹じゃないですかー……どうりで波長が似てるはずですー……全然見た目変わってるからわかんなかったー……三つ編み似合わなーい……あのコスプレみたいな真っ白ドレスに流しっぱロングヘアーのがいいですよー……紅白饅頭みたいなー……あの頃のあなたはバカだったからワタシ干渉できなかったんですよねー……自分自身について考えもしない……本当は今のあなたもあんま関わりたくないんですけどー……あーワタシ生きてないから息してないのでいくらでもノンストップで話しを続けられるのが特技でーす生きてる人と話すときは聞き取りやすいように間をあけてあげてますがー……」

「そんなことは、セツリにとってどうでもいい」

 遮断するようなセツリの物言いに、チッ、と死は舌打ちをした。

「しかしルナは本当に存在していたのか」セツリは呆然と驚きを口にした。

「……あー……てことはワタシあなたの目に映ってコトワリさんの姿なんですねー……もしかしてセツリさんの三つ編みはワタシのマネっこですかー?……」

「お前はセツリの姉様ではない。お前を真似たのではない」

「……っざ……」死は心底うざそうに呟いた。

 セツリは構わずに死につめ寄る。

「姉様は死後の世界にいるのか? 今どうしている?」

「……ダメですよー……死に世のことはとっても秘密なんでーす……漏洩なんてしたらワタシ死んじゃう……死なだけに……!」

 死は、かっ、と目を見開く。突如笑い声をけたたましく上げ、ぱしぱしと手を叩いた。やはり表情はない。コトワリなら絶対にしないような振る舞いだった。セツリには何が面白いのかわからない。死と言葉を交わした瞬間からの不快感だけが増幅される。

「……コトワリさんは優しかったですよねー……添い寝してくれたしー……ルナなんてかわい

い名前くれたしー……」死は顔の片側で両手を重ねて「ね」と同意を求める。

 確かに姉様は優しかった。そう思いつつ、セツリは死に言葉を返さなかった。この、姉の姿をした不吉は、自分以上に姉を知っているのではないか。その疑惑が意識を揺さぶる。

「……月の精霊ですってー……うふふ素敵ー……ワタシ発想が貧困なつまんない人には死に神とか言われちゃうから嬉しかったな本当ー……」

「死に神ではないのか」

「……死に神ってあなた達人間の創作物のキャラクターまんまじゃないですかー……そんな既成の作り話の中の名前に『死』って入ってるのがそれっぽいだけの存在に当てはめられてもー……だいたいですねーあんな骸骨が黒いフード被って鎌持ってる悪趣味なビジュアルを想像した上で死に神って呼んでくるなんて失礼ー……しかもそう呼ぶ人は大抵そのイメージに引きずられてワタシがそう見えてるんでしょ? ……生ある人間はこれだから……」

 死は文句をぶつぶつと呪詛のように呟いた。

「詳しくはセツリも知らないが、死に神をまつり、信仰する人々もいるようだ。骸骨姿がお前にとって気に入らない外見であっても、その人々にとっては神々しい外見であるはずだ」

「……そんな神とかワタシと関係ないしー……そういう信仰対象も含めてキャラクターって言ってまーす……人が人のために創った神はその時点でワタシから見たらやっぱり創作物なんですよねー……ってあー……これ言えるなんてセツリさん神様信じてないんですねー……」

 セツリは返事をしない。

 死は何かを思いついたように暗い灯を一瞬だけ目に宿すと、手を合わせた。

「……そうだー……コトワリさんの妹特権あげまーす……セツリさんもルナって呼んでいいですよー……」

「お前の名を呼ぶ機会など訪れることはない。呼称など決める必要がどこにある。それに『ルナ』というものも、姉様らしい詩的な呼び名ではあるが、それと同時にお前が嫌がる、既存の創作物からの流用ではないか」

「……やっぱりかわいくないなー……コトワリさんはあんなにいい娘だったのにー……」

「文句があるならセツリに構うな」セツリは腰に手を当てた。

「……だってある程度死に触れられる人じゃないとワタシのこと見えないんですもん……構ってくださーい……」

「あの家の女子ならば、姉様のようにはじめからお前が見える者がいるのではないか。赤の娘がよいなら、今巫女をしているはずだ。訪ねてみるがいい」

 縁者ではあの娘の一家は家系図でいう枝分かれの端の方だったが、他に赤の姫を担える者はいない。自分の替わりにはきっとあの娘が巫女になったのだろう。

「……セツリさんも髪の毛の色に価値なんてないってことわかってるくせにー……そうじゃなくてー……駄目なんでーす……」

「なぜだ? 嫌々付き合う必要がどこにある。……姉様のようにセツリをも死後の世界へ引きずり込む算段でもあるのか?」

「……コトワリさんが死んだのを人のせいにしないでくださーい……誰かのせいだっていうならどっちかってーとセツリさんのせいなんじゃないですかねー……」

 セツリは俯いた。視界に入った赤い三つ編みを見つめる。

「……そうだな。私が生まれ存在することは、確実に姉様を死に追いやった一因だ」

 一因どころか、元を正せば原因のほとんどを占めるのではないか。そんな思いが胸をかすめ、セツリは唇を噛む。

「……コトワリさんが死んだのは自分で決めたからでーす……自分のせいだなんてコトワリさんの意思を軽んじてますねー……」

「お前はセツリのせいだと言ったではないか」

「……挙げ足とんないでくださーい……コトワリさんは誰も恨まずに一人死ぬことを選んだ……だからワタシは今となっては望み薄っぽいあなたを頼らざるを得ないわけでー……」

 セツリは顔を上げて死を見た。

「……まさかセツリを励ましてくれているのか?」

「……んなわけないじゃないですかー……さすが箱入り育ち呑気で図々しい……」

「確かにセツリはお前が言うように呑気で図々しいのかもしれない。姉様から見ても、愚かで拙い小娘だっただろう。だが、セツリはセツリなりに苦悩したのだ」

「……まーどーでもー……」

 死は花壇から足を降ろし地面に立つ。強風では微動だにしていなかった、柔らかい綿生地のざっくりとした形のローブと三つ編みの髪の毛が、死の動きに合わせ揺れ動く。

 死は花壇の薄黄土色の煉瓦を指で撫でた。

 セツリが見ると、そこには小さな血痕があった。数週間前にワルツが助けた小鳥の血液。

 あの小鳥は巣に戻り、数日してから巣の皆と一緒に巣立った、とフルールが嬉しそうにしていた。セツリもそんなフルールを見て安堵した。自分を叩き抱いたティネットを抱きしめ返したときよりも、さらにはっきりと。

 自分が正義の味方になり黒い霧に包まれたものを助ければ、たくさんの人に喜んでもらえる。たくさんの人が笑顔になれる。自分もそれを見るのはきっと嬉しい。コトワリは言っていた。死の見える力を誰かに喜んでほしかった、と。

 正義の味方になって、自分と姉の夢を叶えるのだ。

「……あーせっかくここに来て早々死にかけくれてたのにあの子食べそびれちゃってがっかりしたの思い出したー……」

 死は忌ま忌ましげに一人吐いた。身を屈め、凝固している血痕に舌を這わせようとする。

「……っ……!」

 セツリを突如襲った嘔吐感。ふらつきながらも、地面をじり、と踏みしめる。

「やめろ……!」

 舌を出したままの死が、振り返りセツリを見る。その曇りガラスのような瞳。

 吐き気に続き耳鳴りがする。

 こいつはやはり死に神だ。

「そうだ。お前はセツリを励ましたりはしない。セツリを死後の世界に引きずり落とそうとしているのだからな」

「……しないってーのーワタシは生き世には干渉できませんー……露骨に影響を与える言動は取れないんでーす……セツリさんは生きるためにもがいてるじゃないですかー…………でもー……」死はくるりと背を向けた。「……友達がほしい……頼れるのはセツリさんしかいないんですよー……しょうがないんですー……」

 耳鳴りの中でも、死の声は不協和音のように、けれど静かにセツリの頭に響く。

「消去法や妥協でセツリと関わってくる相手とは関わりたくない」

「……ワタシだってワタシを必要としていない人のこと本当は頼りたくなんかないんですよー……でもねー……」

 死の周りに満ちる霧が、その黒を深める。雲が晴れ、月光が中庭を照らし始めたためだ。

 セツリを振り返った死は、楽しい秘密の宝物を庭にこっそり封じ込めたばかりのような顔をしている。

 実際は無表情のままなのに、セツリにはそう見えたのだ。

「……とにかく仲良くしてくださいねー……ねっ……」

 上目遣いの目には、仄暗い明かりがちろちろと灯っていた。

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