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廻逝のロンド  作者: ささ
第二幕
14/33

はぐれうさぎ と その迷宮 7

 夕闇がそびえ立ち、小さな世界を覆っている。

 座して控えるのは暗い暗い闇夜。子供の視界をそっとふさぐような、慈しみの夜の掌。

 宵を目前にして、一時だけ燃えさかる夕緋に駆り立てられるように、ジュニパーの気分は高まっていく。

 そう、ずっとこの生活が続くなんてありえない。

 あたし達に教えられている学問と一般教養は、実際に使われるためのものなんだろうし。

 ここがどこであれ、なんであれ、いずれ外に戻るときは来る。

 全てを目茶苦茶にできたら、そのときは早まるのだろうか。

 ここに来たことで、自分が中学生という呼び名の存在でなくなるのが早まったように。

 ……悪くないわ。

 ジュニパーは唇の端を吊り上げた。目的に向かって歩み寄る。

 中庭の木にワルツがもたれ掛かり佇んでいる。

「はぁい」ジュニパーはワルツに愛想よく声をかけた。

「ジュニパー。上機嫌だな。こんばんは」ワルツは視線をどこか遠くにやったまま返事をした。

 ジュニパーはワルツのすぐ眼下で立ち止まる。ワルツの顎にそっと手を添え、自分の方に顔を向かせた。

 ワルツはわずかに眉をひそめ、無言でジュニパーの手を払うと顎を引いた。

 ジュニパーは口元を歪めて笑う。

「ねえワルツ、あたしと付き合いましょうよ」

 ワルツは面食らったように二度まばたきをした。ジュニパーがまた「冗談よ、真に受けないで」などと言ってくるのを待ったが、そんな続きは出てこない。

「どうしたんだ、急に」仕方がないな、というようにワルツは肩をすくめた。

「急じゃないわ。ずっとワルツのこと、見てたのよ。あたし、誰かさんみたいに素直じゃないから、アナタが気付かなかっただけ」ジュニパーは揶揄するように鼻を鳴らした。「ねえ、あたしよりフルールの方が、いい? 大丈夫よ。フルールには言ったりしないから。ばれやしないわ」ゆったりと一歩一歩、軽やかにワルツに近づく。

「何を言っているのか、よくわからないが」

「二番目でもいいって言ってるのよ。……知ってるでしょ、あのコがアナタのことを好きなこと。人見知りで、なのに無邪気で無垢で無用心。わかりやすくて可愛いわよね。知ってて知らないふりしてるのよね? あのコに言わせたいの? ……それとも、あたしよりフルールより、他のヒトがいいのかしら。そのヒトは外のヒト? ワルツから見たら、あたしもフルールも同じに塀の中にひとくくりの、ただの子供なの?」

 自分へ重ねられたいくつもの質問に、眉間に皺を寄せるだけで、ワルツは何の返答もジュニパーに与えしない。

「どうなの。まさかオペラとかいったっけ、妹さんと関係が? ……なわけないわよね。ま、アナタが変態でもあたしは構わないけど」

 ジュニパーは何も言わない目の前の相手に、内心では焦れつつも蠱惑的な微笑みを浮かべた。

「……ねえ、なんとかお言いなさいな。それとも、口じゃなくて体で教えてくれるの? アナタの気持ち。あたしはもう子供じゃないわ」

 ジュニパーは含みのある笑みを顔に張りつけたまま、ワルツにしなだれかかる。

 気の利いた誘い文句なんてあたしは知らない。けれど、どうせそんなものは必要ない。押せばなんとでもなる。

 ジュニパーは確信していた。

 男なんて簡単だ。言葉よりも確かなもの、形あるもので釣ればいい。

 ジュニパーは自分の体を、ワルツに擦りつけるようにして揺らした。

「ねえ、あたしのこと、抱いてちょうだい。好きにしていいのよ」

「やめなさい」まったく、と重い息を吐きながらワルツはジュニパーの肩を掴み、押し返そうとする。

「アナタのコトが好きなの」

 ジュニパーは、ワルツの腰に手をやり背を伸ばした。そのままの勢いで、ワルツの唇に自分の唇を重ねる。

 ワルツは戸惑ったように一瞬腕に込めた力を緩めたが、すぐに強く力を入れ直してジュニパーを引きはがした。

 ジュニパーは微笑を崩さない。自分の唇を一舐めすると、ワルツの瞳をのぞき込んだ。肩にあるワルツの手に、自分の手を重ねる。

「ワルツ、愛してるわ」

 なんて、ね。

 嘘を囁きながらジュニパーは思う。

 ワルツじゃなくてもいい。他の女が好きになった男なら誰でもいい。

 あたしのことを友達だと思ってるような純粋なコからどうでもいい男を寝取る、そんな恥知らずな悪女にあたしをしてくれるのなら、誰でもいいわ。





ママがあたしを身ごもった頃、ママは高級娼婦だった。父親はわからない。ママは訊いても教えてくれなかった。でも、娼館の客か仲介人の他にないだろう。

 あたしが五歳になった頃、ママは娼婦を辞め、すっぱりとその世界と縁を切った。あたしと長い時間一緒にいるために。あたしが産まれる以前からいたハウスキーパーも、最後に抱きしめて暇を出した。ママは家事が苦手なのに自分でして、よく失敗しては何が楽しいのか楽しそうにしてた。娼婦でなくなってからも、ううん、娼婦でなくなってからは前以上に、ママは男の人に言い寄られた。たくさんの寵愛、求愛、贈り物。

 あたしの部屋も、ママを好きな男達からの、あたしの機嫌を取るためのプレゼントで一杯になった。

 あたしが十四歳の頃……今から一年前、ママは魔女として死んだ。

 魔女を狩るための公の組織――――その突然やって来た整然とした白は、毒々しいまでに色鮮やかな歓楽街には表面的にさえ馴染みようがなかった。ありとあらゆる悪を受け入れ包み込むあの街では、どんな悪人悪事も内側で混ざり合い、馴染み合い、よく調和する。悪は正しくあの街に根付き息づいていた。……なのにその白は、あの街の均衡を踏みにじるようにしてやって来て、魔女を捕らえた。

 ママに求婚していた男の一人が、自分の想いの押しつけが叶わないことに腹を立て、ママを、男をたぶらかす魔女扱いしたのだ。確か街の有権者のその男にあたしは何度か合ったことがあるはずなのに、顔も覚えていなかった。あたしにとっては、ママを包む沢山の愛の中の、埋もれて見慣れた一部でしかなかった。あたしが枕元に飾っていた、耳の長いフワフワのぬいぐるみをくれた、取るに足らないがらくたの一部。

 ――――そして今。あんなに愛に溢れ包まれていた、まるで愛そのもののようなママが遺せたのは、一軒の家と沢山のお金と、ママを軽蔑する娘の、このあたしだけ。

 ママはまるで、(けが)れを知らない純真無垢なお姫様だった。華やかな春のお城がよく似合う。お城に住み続けていれば、ママは死なずにすんだのに。

 あたしはママみたいなヘマはしない。ママみたいにはならない。愛なんてくだらないものは、いらない。

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