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廻逝のロンド  作者: ささ
第二幕
12/33

はぐれうさぎ と その迷宮 5

 青臭い土の匂いを体の中から出し切ってしまいたくて、ジュニパーは深く呼吸をした。

 庭の手入れと畑仕事は、ここでしなくてはならない作業の中で一番嫌いだ。泥臭い土仕事というだけでも最低なのに、上下揃いの作業用の服を着ないといけないだなんて。けれど、着ないと黒いスカートと靴下はともかく、白いブラウスが目に見えて土まみれになってしまう。今回の作業もようやく終わったことだし、さっさと着替えてしまいたい。

 夕刻までそう遠くない時間帯。時期が春の半ばで今日は雲も多いため、陽射しは強くない。だが、壁の向こうに消えかかりつつも悪あがきのように雲間からのぞく太陽の光は、ジュニパーにはなんだか鬱陶しく思える。

 ジュニパーは軍手を外した手でひさしを作ると不機嫌な顔に影を落とした。

 ティネットとフルールはしゃがみ込み、楽しそうに畑で実ってきた野菜を眺めている。

 中庭の外れにある倉庫から、用具の点検をしていたセツリが出て来た。まるで誰かと一緒に倉庫から出たように、身振り手振りをつけ、言葉を発している。

「あのコ小芝居してない? 気持ち悪いわ」

「うぅん。たまにいんちょ一人でしゃべってるのぉ。ティが初めてそれ見たときは、自分で、三つ編み似合わないとかなんとか。なら髪下ろしてればいいのにぃ」

 ティネットは立ち上がると、フルールに手を差し出した。フルールが手を取ると、よいしょ、と引っ張る動作をする。

「フルールといんちょは、きれいなストレートでいいなぁ」

「あたしの髪も褒めなさいよ。気が利かないわね」

「ジュニパーの見た目、全体的にフェロモン過剰だからあんま好みじゃないもぉん」

「お子様には刺激が強いのね」

「やっぱり女の子は清楚なのが一番だよぉ」

 ティネットは、フルールの頭のあまり高くない位置にあるサイドポニーテールをとかすように指を通した。フルールは土仕事と運動のときはサイドポニーテールにすることが多い。

「ろんぐ・さら・さら」

「ティネットちゃんは、髪の毛伸ばしてみないの? きっと長いのも似合うと思う」

 フルールはくすぐったそうにしながら、目を輝かせた。

「もうちょい伸ばしてみてもいいんだけどねぇ。ヒマだとつい切って毛先整えちゃうからぁ」

「行こう」倉庫から戻って来たセツリが三人に声をかけた。

「ねぇ、アナタなんだってそんな、グレた田舎者が張り切って染めちゃったような真っ赤な髪の毛で、ダサい田舎者がするようなもっさりした三つ編みなの。自分で気に入ってないのなら変えなさいな」

 先頭切って歩みを進めようとしたセツリは、ジュニパーを振り返った。

「なぜセツリが三つ編みを気に入っていないことになっているのだ」

「前にぃ、いんちょ一人で言ってたことなかった?」

「セツリはそんなことは言っていない」

「むうぅ? 聞き間違いかなぁ」ティネットは不思議そうに人差し指を鼻にちょいと当てた。

「気に入っていなければ、わざわざ時間を割いて編んでなどいない」

「ひどいセンスだわ。ま、あなたの性格の鬱陶しさのすべてを髪の毛で表現し切れている、という点では評価してあげてもいいけれど」

「頭髪ごときで何がわかる。そしてこれは地毛だ。張り切って染めたものではない」

「わかってるわよ、いちいち細かいわね。髪の毛用の染料なんて、ここに入ってきたことないじゃない」ジュニパーはセツリの三つ編みを掴むと軽く引っ張った。

 セツリは髪の毛を引かれるまま、流れに任せるように首を傾ける。

「アナタこれを期に三つ編みはおやめなさいな。あたし、野暮ったいコ見てるとイライラするのよね。穏やかに過ごすには、美意識に欠けるものは身の回りに存在させないにかぎるわ」

「ジュニパー基本的に機嫌斜めに取り付けてるじゃなぁい」

「それこそ、これはあたしの地なの。そう見えるだけでしょ」

「これからもセツリはこの髪型をする」セツリは赤い三つ編みをつまみ上げるとジュニパーの手元から解放し、自身の胸元の定位置に戻した。「行こう」

 四人は服の置いてある、勉強部屋として使っている部屋に入った。

 各々、作業用の服からスカートとブラウスに着替え始める。

「ふぅ。デコボコがないとラクぅ」ティネットはぱっと着替えをすませ、離れた所にいるセツリがベストをかぶるのを眺めた。

「これしきの体形の差異では、着替える手間に変わりは出ないだろう」セツリはベストの下になった三つ編みを襟ぐりから取り出す。

 ふと、ティネットがひらめいたように、

「ねーぇ。そいえば今度のワルツ宅配便に何持って来てもらおっか」

「あっ」ブラウスのボタンを、掛け違えないように気をつけながら留めていたスズは、思い出したように両手を軽く叩いて顔の下で合わせた。「わたし新しいお料理の本、ほしいの」

「前に言ってた、シリーズもののやつだっけぇ」

「うん。シリーズって気が付かなかった一巻と三巻があるから、ニ巻がほしくなっちゃって」

「ティ、オペラが羽織ってるみたいなケープ頼んでみよっかなぁ。可愛いよねぇ、ひらひらで。いんちょの着てるベストはおっけぇだったし、いけるよねぇ」ティネットはセツリがブラウスの上に重ねて着ている、スカートと同様に黒色のベストの胸の辺りを眺めた。

 セツリはティネットから離れたところにいるが、それでも警戒するように身を引いた。ティネットがシャツのボタンとボタンの隙間から手を突っ込んでくるのを防ぐために着ているベストなのだが、言わないでおく。

「芋服はよくても、お洒落着や装飾品は駄目なんじゃない。あたし、前に好きなブランドのショールを持って来させようとしたけど、駄目だったわ」ジュニパーは着替えの仕上げに、前髪を斜めに流した。

「お高いからじゃないのぅ? ワルツのお財布に優しくしてあげて」

「あたしも値段の問題かと思ったわ。だから、あたしの家のクローゼットから持って来てもいい、って妥協してあげたのに、それでも駄目だって」

「もしかするとぉ、ワルツって制服フェチなんじゃないかなぁ。これ、コスプレさせられてるんだよ。全裸に靴下フェチじゃなくてよかったぁ」本当に安心したように、ティネットは胸を撫で下ろした。

「実際に制服なのだろう。ここは学校なのだから」セツリが当然だ、と言わんばかりの口調で口を挟む。

「アナタの意見を押しつけないでちょうだい。なんで学校ってことになってるの」

「まあまあ。わかんないんだしぃ、いいじゃない」ティネットはセツリに向き直り、「ジュニパーはここ病院だって思ってるから、お互いの意思の尊重、譲り合いの精神よろしくぅ」

「配慮しよう」

「アナタの気配りなんていらないわよ」ジュニパーはセツリに対して面倒臭そうに手を払った。「そもそも本気で病院だなんて思ってないし」

「でもここが病院でティ達が入院してるんだったら、お見舞いにお菓子とか果物とかいっぱいもらえたかも、なのになぁ」

「入院に夢見すぎよ」

「ちぇー」ティネットは残念そうに唇を尖らせた。

「ティネットの言う、入院、とは何やら楽しそうだな」セツリが丁寧に畳んだ作業服を両手で抱え、三人のそばへ歩み寄る。

「アナタしたことないの? たまに具合悪いとか言って部屋から出てこない日あるじゃない。医者に診てもらったことがないのなら、一度診てもらうことをお勧めするわ」

「では、そうしようかな」セツリは嬉しそうに声を弾ませ、ジュニパーの両手を掴もうとする。

 ジュニパーは体を翻しさらりとかわして、顔に華やかな笑みを浮かべた。

「そのときは、おめでたい頭を重点的に診てもらってね」

「珍しくジュニパーが人の心配をしている、と感動していたらこれだ」

「ね、いんちょのたまに具合悪いの、原因不明なのぉ?」ティネットが心配げにセツリの顔をのぞき込む。

「原因は明白だ。まれにある夢見が悪かった朝は、布団の中で体が固まってしまったように動かなくなるのだ」

「サボリだわ。人の時間の使い方には小煩いくせに」

「違う。誰にでもあることだろう」

「ないわよ」

「金縛りってやつぅ?」

「ああ、それかもしれないな」

「金縛り……わたし、なったことないな」ひと足遅れに着替え終わったフルールが呟く。

「ティもないよん。ぺたんこに続き、新たな同盟の歴史がまたひとつ刻まれる……!」

「にしても」ジュニパーはフルールの頭の辺りを眺める。「このコがやたら持ってるリボンはいいのよね。納得いかないわ」

「あっ、リボンはね、ここで作ったものなの。糸を束ねて固く編み込んで」

「刺繍の時間で使っている糸を材料に使ったのか」セツリがひらめいたように尋ねた。

「うん」

「道理でフルールのリボンを見て、刺繍を連想することがあるわけだ」

「かわいかわい」

 フルールのサイドポニーテールの根元に蝶々結びしてあるリボンを、ティネットが指でちょいちょいと突き、フルールはくすぐったそうに小さく笑った。

 何の気なしに様子を眺めるジュニパーは思う。そういえばこのコ、いつの間にか髪の毛をまともに結べるようになってるわね。一年前の下手さ加減は傑作だったわ。

「リボンの編み方ぁ、フルールが編み出したの?」リリアナが尋ねた。

「ううん。お母さんが針仕事した時にね、あまった糸でよくリボンを作ってくれたの。わたし、横で見てて。だから作り方、いつの間にか覚えてたの。きれいなリボンを作れるようになるまで、時間かかったけど」フルールは試行錯誤を懐かしむように苦笑した。

「貧乏くさいわね」ジュニパーは小馬鹿にするように言葉を吐いた。「いつまでも母親の思い出に依存して、楽しい?」

「依存……? わたし、お母さんとの思い出を大切にしてるだけだよ」

「美しい親子愛ではないか」

「だから、うすら寒いのよ、そういうの」

 セツリに発した自分の言葉の刺々しさに、ジュニパーは内心少し驚いた。

 フルールが、瑠璃色の瞳に傷ついたような揺らぎを見せて俯く。

 ああ、またやってしまった。まるであたしがいじめてるみたいじゃないの。……まあいいか。

 ジュニパーは学校に通っていた頃は、いじめる方もいじめられる方も馬鹿だと思っていた。甘ったるくざらつく、原色の砂糖菓子のような安っぽくてくだらない連中。

 いじめる側は楽しそうにしていたように思うけれど、あたしは馬鹿じゃないからフルールを痛めつけても全然楽しくない。今だって笑みを浮かべてはいるけれど、当然つまらない。

 顔を上げたフルールの澄んだ瞳が、ジュニパーをじっと見つめる。

「何」

「ジュニパーのお母さんは、どんな人だったの? 忘れて、しまいたい?」

 静かな問いかけだった。

 流してもよかったのだが、ジュニパーは先程の自分の無意識の険を意識し、まともに応えることにした。不意に他人に感情を露わにさせられるのはおもしろくない。

「……天真爛漫で綺麗なヒトだったわ。自分のことを永遠の少女だって信じてるような。ま、あんな女のことなんて、とっくに忘れたけど」

ジュニパーは無表情で一瞬どこか遠くを見た。ふと、気になる言葉に意識を引き戻す。

「……忘れてしまいたい? って、何よ」

「あの、わたし前に、そうして強くなる方法もあるんだろうな、って思ってたから。ジュニパーはそのやり方で強くなったのかな、って……」

「意味がわからないわね」

「うん、そうだね。ごめんなさい」フルールはわずかに俯いた。

「他人の自分論なんて誰も聞きたくないわ。とくに甘っちょろいお子様のものは。オペラがワルツの妹だったからって気が大きくなってるのかしら。浮かれないことね。どちらにしても、アナタみたいなお子様は相手にされないわ」

「ジュニパー」セツリがたしなめるように割って入る。「そんなことは今は関係ないだろう」

「何よ。アナタも言ってたじゃない。フルールはまだ十三歳だから分別を弁えろ、とかなんとか。同じようなものじゃなくて。あたしはこのコに現実を教えてあげてるのよ」

「ジュニパーの言い方では、諭すのではなく上から押さえつけることにしかならない。それに、セツリは懸想すること自体は個人の自由だと考えている」

「あたしには丁寧に諭してあげる気なんて端っからないわよ。懸想? くだらない恋愛ごっこだわ」

「くだらなくなどない、セツリはフルールの気持ちを汲みたい。ワルツはいい人ではないか」

「いい加減なこと言うんじゃないわよ。たいして知りもしない相手をいい人って、一体どこを見て判断したのかしら」

「あ、あの……やめっ、やめて……っ」

 自分が事の一端になっている。そう思ったフルールがおろおろとする。

「泥沼ぁ、いつも通りの。二人とも殺伐がお好きよねぇ。フルールは気にしなくていいよぉ」

 ティネットは指を組むと両腕を頭上にやり、伸びをした。上半身を左右に揺らす。

「やってられないわ」

 相手をするのが面倒になり、ジュニパーは部屋を後にした。

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