はぐれうさぎ と その迷宮 3
ジュニパーはむくっと起き上がると、顔にかかる髪をかき上げた。時計を見ると朝だった。昨日は結局寝てしまっていたらしい。
鏡を見る。そこにいる、髪が縦横無尽に広がっただるそうな女にウインクをし、立ち上がり様にクッションを放り捨てるようにぶつけてやる。
髪はこの乱れた様から整えるよりも、掃除当番ついでに朝風呂して一から整えた方が早いだろう。
ジュニパーが風呂から上がり、自分の部屋に向かう途中に通った玄関口のホールでは、セツリが洗濯物を干していた。
ホールに洗濯物を干す時は、向かい合う二面に取り付けられたフックにロープを張り、そこに洗濯物を掛けるのが習慣だ。
「おはよう、ジュニパー。今日は掃除をさぼらなかったようだな。感心なことだ」
セツリは洗い立ての生成りのシーツを背に、ジュニパーにさわやかな笑顔を向けた。
手に洗濯ばさみを持っていなければ無意味に肩でも組んできそうな笑顔だ、とジュニパーはうんざりした。今のように部屋着姿で自室の外に出ているときなどは、セツリは大抵、まるで新品の靴を履いているのに泥濘が目の前にあるかのような顔でジュニパーを見てくる。
もっとも、そんな表情を普段通りに向けられていたら、それはそれで苛つくのだけれど。思いジュニパーは一瞬だけ口の片端を吊り上た。シーツを避けながらつかつかとホールを進む。
「アナタの機嫌がいいと、なんだか気持ち悪いわ。とくに朝は」
「失敬な」
「外に干せばいいじゃない」ジュニパーは立ち止まると洗濯物を顎でしゃくって指した。
「いや。それでは濡れてしまう。今日は雨が降るだろう?」
「だろうって。そんなこと知るわけないでしょ」言いながらジュニパーは窓越しに空を見た。
「雨、ねぇ」
玄関の扉の上に取り付けられている嵌めごろしの小窓から見える空は曇っている。だが暗く湿っぽい曇り空ならともかく、雲は多いが晴れ間ものぞいている。これくらいがちょうどいい、とジュニパーが日頃から思っている案配の天気だ。雨は降りそうにない。
「あ。アナタが朝機嫌がいいのなんてめずらしいし、雪でも降るんじゃなくて」
セツリは手を顎にやり、わずかに首を傾げた。
「セツリの機嫌がよく見えるか?」
「アナタ自分でわからないの?」ジュニパーは訊き返した。
「ああ。ジュニパーは自分のことがわかるのか」
「わかるに決まってるでしょ。あたしのことはあたしが一番よくわかってるし、あたしにしかわからないわ」
「そう、なのか。しかし今朝は何かいいことがあったか……?」
ジュニパーは煩わしげに目を細めた。そろそろ会話を切り上げないと、セツリの妙なマイペースに巻き込まれそうだ。ジュニパーにとって、他人、とくに目の前の少女のペースに巻き込まれるのは、我慢ならないことだった。
思案するように首を傾けていたセツリは、急にひらめいたように顔を上げた。
「ともかく、この時期になるともう雪はないだろう」
「当たり前よ」
「今日のは、にわか雨だ」
だからなんで断定するのよ。
真面目くさった顔で言い切るセツリに、そう、と適当に相槌を打ってジュニパーはホールを後にした。
毎度の事だ。セツリとは話が噛み合わない。
人としての根本の隔たりの顕れだろう。ジュニパーはそう確信している。