「観測者は、関与しない。」
こんにちは。
今回は少しSF寄りの回です。
最近、綾瀬は「観られること」に慣れてきています。
体育祭、部活、クラス。
誰かに見られていることは、
少しだけ居場所を肯定されているような気がする。
そんな綾瀬が動き出します。
六月の終わり。
定期テストが近い。
最近、視線を感じることが増えた。
廊下。
教室。
体育館。
呼ばれることも増えた。
アンカー。
綾瀬。
おい。
誰かが、必ず見ている。
――悪くない。
あの日、大学で味わった恐怖を思い出す。
誰にも見られない。
誰にも気づかれない。
あれに比べれば。
観られる痛みの方が、ずっとマシだ。
いや。
むしろ――
存在を
肯定されている気がして、
悪くない。
⸻
休み時間。
図書室。
綾瀬は本棚の前に立っていた。
SFの棚。
物理。
量子。
時間。
指先が一冊の本を引き抜く。
『シュレディンガーの猫』
箱の中の猫は、生きているのか、死んでいるのか。
観測されるまで決まらない。
綾瀬はページをめくりながら呟く。
「……観測」
もしそうなら。
俺も同じじゃないか。
誰にも観られなかったあのとき、
俺は存在が揺らいでいた。
でも今は違う。
体育祭。
部活。
クラス。
視線がある。
観測されている。
だから――
「安定してる」
小さく呟く。
本をカウンターに持っていく。
「貸出お願いします」
顔を上げた瞬間。
綾瀬は少し驚いた。
「……あ」
カウンターの向こう。
透花が座っていた。
「図書委員だったんだ」
透花は静かに頷く。
「うん。週一だけど」
本を受け取る。
タイトルを見る。
シュレディンガーの猫。
透花は少しだけ笑った。
「難しそうなの読んでるね」
綾瀬は少し迷う。
でも。
なぜか。
この人には言ってもいい気がした。
「あのさ、」
「変な話していい?」
透花はペンを止める。
「うん」
「聞くよ」
綾瀬は声を少し落とす。
「俺さ」
「一回、消えたことあるんだ」
透花は驚かない。
ただ静かに聞いている。
綾瀬は続ける。
大学でのこと。
誰にも認識されなくなったこと。
気づいたら高校に戻っていたこと。
話し終えると、
透花は少し考えてから言った。
「それで」
「今は?」
綾瀬は本を指で軽く叩く。
「多分」
「観られてるから安定してる」
透花はその本を見て、
小さく首を傾げた。
「……そうかな」
綾瀬が顔を上げる。
透花は少し考えてから言う。
「観られてるから存在する、じゃなくて」
「存在してるから観られる……のかもしれないよ」
綾瀬は少し黙る。
「それ」
「同じじゃない?」
透花は小さく笑った。
「うーん」
少しだけ考えて、
「私は、ちょっと違う気がする」
それから綾瀬を見る。
「もしかしたら」
「綾瀬くん、逆に考えてるのかも」
綾瀬は少し黙る。
透花はそれ以上は何も言わず、
カウンターの上の本に目を落とした。
貸出処理のスタンプを押す。
ぱたん、と本を閉じる。
それから、ふと思い出したように顔を上げた。
「それより、綾瀬くん」
「テスト勉強してる?」
綾瀬は肩をすくめる。
「もうやってるよ」
透花は少し目を細める。
「それ」
「四年前にやったから、とか言わないわよね」
一瞬。
沈黙。
綾瀬が目を逸らす。
「……」
透花が小さく笑う。
「図星」
綾瀬がため息をつく。
「……うん」
「覚えてるんだよ」
透花は本を差し出しながら言う。
「じゃあ」
「今回、満点取れるね」
綾瀬が苦い顔をする。
「そんな都合よく覚えてない」
透花は少し首を傾げる。
「便利なのか不便なのか、分からない能力ね」
⸻
図書室を出る。
廊下
「来週テストじゃん」
「やば」
「1時間目、日本史だよね」
「全然勉強してなーい」
教科書を抱えたまま、みんな騒いでいる。
綾瀬はその横を通り過ぎる。
日本史。
ふと思い出す。
四年前。
あのテスト。
最後のページ。
裏。
気づかずに落としたやつが、何人もいた。
教室がざわついたのを覚えている。
綾瀬は少し考える。
……まあ。
俺が教える筋合いもない。
でも。
知ってて黙ってるのも、
ちょっと感じ悪いか。
綾瀬は教室のドアを押した。
⸻
テスト当日。
問題用紙が配られる。
静かな教室。
鉛筆の音。
ページをめくる。
日本史。
やっぱりだ。
最後のページ。
裏。
何人か、まだ気づいていない。
残り時間。
あと五分。
そのとき。
教室のドアが開く。
入ってきたのは、
テストを作った先生だった。
教室の空気が少し張り詰める。
残り時間。
五分。
――このタイミングで来るのは知っていた。
先生は教壇の横に立つ。
教室を見渡して言った。
「残り五分」
「質問ある人?」
一瞬、静まる教室。
綾瀬は手を上げる。
「先生」
先生が近づく。
「どうした」
綾瀬は声を落とす。
「最後のページ」
「誤字あります」
先生が眉をひそめる。
「どこだ」
先生が問題用紙をめくる。
最後のページ。
そして――
裏。
先生が目を細める。
「……誤字?」
紙面をもう一度見る。
「どこにもないぞ」
少し息をつく。
それから顔を上げて教室を見渡す。
「おい」
「裏もあるぞ」
「ちゃんと最後まで見ろよー」
教室がざわつく。
「え、裏?」
「マジ?」
慌ててページをめくる音。
鉛筆が一斉に走り出す。
綾瀬は静かに問題に戻る。
そのとき。
後ろの席。
「……っ」
小さな声。
先生が振り向く。
「何してる」
机の下。
スマホ。
教室が凍る。
「試験中だぞ」
その生徒は廊下に立たされる。
問題用紙を回収される。
空気が重くなる。
綾瀬は何も言わない。
静かに問題を解き続ける。
……タイミング悪いな。
⸻
テスト終了。
廊下。
「カンニングだって」
「マジ?」
「誰?」
噂が広がる。
教室のドア。
先生が顔を出す。
「綾瀬」
「ちょっと来い」
⸻
職員室前。
先生が腕を組む。
「さっきの件だ」
「裏ページに誤字はなかった」
綾瀬は黙る。
先生は続ける。
「それと」
「カンニングの件」
少し間。
「お前、グルじゃないだろうな」
綾瀬は顔を上げる。
「……違います」
「じゃあ何であのタイミングで呼んだ」
先生の視線は鋭い。
綾瀬は少し考える。
理由は言える。
裏ページに気づかせるため。
でも――
それを説明すると、
話がややこしくなる。
綾瀬は小さく息を吐く。
「……すみません」
先生が眉をひそめる。
「質問した理由は?」
綾瀬は答えない。
先生はしばらく黙る。
それからため息をついた。
「……まあいい」
「担任にも話しておく」
綾瀬は頷く。
廊下に出る。
教室の方から笑い声が聞こえる。
クラスは助かった。
……まあ。
別に、
クラスのためってわけでもない。
体育祭とか。
部活とか。
最近、名前を呼ばれることが増えた。
そのぶん、
どこかで
少しくらい返しておいてもいい気がした。
気づいたことを
少しだけ、
目立たないように動かしただけだ。
……まあ。
弁解するほど、
立派なことしたわけでもない
⸻
教室のドアを開ける。
何人かがこっちを見る。
視線。
迅が手を上げる。
「戻ってきた」
綾瀬
「ただの注意」
席に座る。
前。
莉央が振り返る。
「綾瀬くん」
「なんかした?」
「別に」
莉央は少し黙る。
それから、少しだけ笑う。
「ふーん」
「でも」
「ズルする人じゃないよね」
綾瀬
「どういうタイプだよ」
莉央
「ズルするなら」
「もっと上手くやるタイプ」
綾瀬は少し笑う。
「褒めてる?」
莉央
「半分」
前を向く。
⸻
放課後。
図書室。
本を返しに来た。
カウンター。
透花が座っている。
「テストどうだった?」
「普通」
本を差し出す。
透花はページをぱらぱらめくる。
それから。
「誤字」
綾瀬
「……」
透花
「なかったよね」
綾瀬は黙る。
透花は続ける。
「裏ページのこと」
「気づかせたかったんでしょ」
綾瀬
「……」
透花が少し笑う。
「直接言わないところ」
「綾瀬くんっぽい」
綾瀬は肩をすくめる。
「助けたわけじゃない」
透花
「うん」
「知ってる」
少し間。
透花が言う。
「助けたわけじゃなくて」
「観てただけ、でしょ」
綾瀬
「……まあ」
透花は本を差し出す。
「でも」
「観てるだけの人は」
「わざわざ先生呼ばないよ」
綾瀬は少し黙る。
透花は静かに言う。
「綾瀬くん」
「ちょっとズレてるよね」
綾瀬
「そうか?」
透花は小さく笑う。
図書室は静かだ。
綾瀬は本を受け取る。
今日も俺は
ちゃんと観られている気がした。
今回も読んでいただきありがとうございました。
人は、誰かに観られることで存在するのか。
それとも、存在しているから観られるのか。
答えはまだ出ていません。
ただ綾瀬は、
少しだけ安心しているようです。




