第9話 冷徹王太子との「市場調査」に行ったら、真顔でぬいぐるみの検品が始まりました。……え、それ自分用ですか?
日曜日。
イグニス殿下との「市場調査」という名のデート当日。
王都のファンシーショップ『ドリームベア』の前で、私は頭を抱えていた。
「……ここが、調査対象ですか?」
「そうだ。若年層の消費動向を探るには最適の場所だ」
魔法で変装したイグニス殿下は、ピンク色のリボンで飾られた店舗を前にしても、眉一つ動かさずに言い切った。
店内は甘いお菓子の香りと、パステルカラーのぬいぐるみで埋め尽くされている。
客層は100%女性かカップル。
そこに、冷徹なオーラを隠しきれていない黒髪の美青年(殿下)と、地味なワンピースを着た女(私)が入っていくのだ。
浮く。
どう考えても浮く。
「……帰ってもよろしいでしょうか」
「許可しない。ほら、行くぞ」
彼は私の手を強引に引き、カランカランとベルを鳴らして入店した。
一斉に視線が集まる。
私は居心地の悪さに身を縮こまらせたが、殿下は意に介さず、一直線に壁際の棚へ向かった。
そこは、天井まで届きそうな「熊のぬいぐるみ」のコーナーだった。
「…………」
彼は腕組みをし、鋭い眼光でぬいぐるみの山を睨みつけた。
まるで、不正な決算書を見つけた時の目だ。
「……品質にばらつきがあるな」
彼がボソリと呟き、一体の熊を手に取った。
「見ろ、レイラ。この個体、耳の縫製位置が2ミリずれている。これでは重心が安定せず、自立させた際に左へ傾く」
「……はぁ」
完璧主義者イグニス殿下による、容赦ない品質チェック(検品)が唐突に始まった。
店員さんが引きつった笑いでこちらを見ている。
早く止めて、適当に可愛いのを買って帰ろう。そう思った時だった。
「それに、この綿の詰め方も甘いな。腹部の弾力が不均一だ。これでは抱き心地の最適値が出ない」
殿下が熊のお腹をグイグイと押しているのを見て、私の「職業病」が疼いた。
私は思わず、横から口を挟んでしまった。
「……いえ、それは綿の詰め方というより、素材の問題かと」
「ほう?」
私は別の熊を手に取り、その感触を確かめた。
「この価格帯の商品なら、コストカットのために再生綿を使用しているはずです。繊維が短いため、どうしても弾力にムラが出ます。……ほら、タグを見てください。『安価で環境に優しい素材』と書いてあります」
「なるほど。コスト削減のしわ寄せが品質に出ているわけか。……だが、それを『仕様』と言い張るには、縫製のピッチが粗すぎるぞ」
「おっしゃる通りです。特に脇の下の処理が甘いですね。これでは子供が強く引っ張っただけで裂けてしまいます。耐久テストをクリアしているとは思えません」
気づけば、私は殿下の隣で、真剣な顔をしてぬいぐるみを裏返していた。
5年間の「尻拭い生活」で培われた、手抜きや不正を見抜く目が、こんなところで発動してしまったのだ。
「このリボンの染料も気になります。……色落ちしそうな安っぽい化学染料の匂いがします」
「うむ。長時間の接触で肌荒れのリスクがあるな。……レイラ、あっちの棚の個体はどうだ?」
「確認します。……ダメですね。目のパーツの接着が甘いです。誤飲の危険性があります」
私たちは、陳列された50体近いぬいぐるみを、片っ端から検品していった。
「「…………」」
無言で商品を手に取り、チェックし、ダメ出しをして棚に戻す。
その動作は完全にシンクロしており、そこには甘い雰囲気など微塵もない。
あるのは、プロフェッショナルな「業務遂行」の空気だけだ。
周囲の客がドン引きして遠巻きにする中、店員さんが震える声で話しかけてきた。
「あ、あのぉ……お客様? もしかして、同業者の方の……視察でしょうか?」
「「え?」」
私と殿下は同時に顔を上げた。
「あ、いえ! あまりにもチェックが厳しいので、ライバル店の方かと……! う、うちは正規のルートで仕入れておりますので! 通報とかはやめてください!」
店員さんは泣きそうになっていた。
どうやら私たちは、デート中のカップルではなく、悪質なクレーマーか、抜き打ち監査官に見えたらしい。
「……ふっ」
不意に、イグニス殿下が噴き出した。
「くくっ……ははは! 同業者か。……間違ってはいないな。私たちは『品質管理』のプロフェッショナルだ」
彼は楽しそうに笑うと、私を見た。
「やはり、お前は最高だ、レイラ。私のこの細かすぎる指摘に、ここまで的確に追随できる人間は初めてだ」
「……こちらのセリフです。ただのぬいぐるみに、ここまで本気になれる方は初めて見ました」
「当然だ。金を取る以上、完璧な製品を提供するのが義務だ。……だが、これだけ探して合格品がないとはな」
彼が肩をすくめた時、棚の奥に隠れていた、少し色の濃い熊と目が合った。
顔はブサイクだ。目が離れていて、とぼけた表情をしている。
私はそれを手に取った。
「……これはどうでしょう」
「ん? ……顔のバランスは悪いな」
「ええ。でも、縫製はしっかりしています。綿も均一に入っていますし、素材も肌触りの良い高級ファーを使っています。……おそらく、これだけは職人が手作業で作った一点物かと」
イグニス殿下は熊を受け取り、真剣な目で触診した。
そして、満足げに頷いた。
「……合格だ。抱き心地がいい。顔の愛嬌も、見慣れれば悪くない」
彼はそのブサカワな熊を抱きしめると、店員に告げた。
「これを貰おう。……2つあるか?」
「あ、はい! 倉庫に同じシリーズの在庫がもう1点だけ!」
「それをくれ」
彼は迷わず2つ購入した。
店を出た後、私はそれぞれの腕に抱えられた、お揃いのブサカワ熊を見比べた。
「……殿下。なぜ2つも?」
「決まっているだろう」
イグニス殿下は、少し顔を赤らめて、そっぽを向いた。
「検証のためだ。……私とお前で、同じ環境で睡眠データを取る必要がある」
どんな言い訳だ?
でも、先ほどの「共闘」を経た今の私には、その不器用な理屈が少しだけ愛おしく感じられた。
「……承知いたしました。では、今夜から枕元に置かせていただきます」
「うむ。……大事にしろよ。お前と、お揃いだからな」
最後の一言は、蚊の鳴くような声だったが、私の耳にはしっかりと届いた。
◇◆◇
翌日。
王太子執務室には、異様な光景が広がっていた。
私のデスクと、イグニス殿下の執務机。
その両方に、あのお揃いのブサカワ熊が鎮座しているのだ。
「……おい、兄上。なんだそのふざけた物体は」
入室してきたテオ殿下が、熊を指差して絶句した。
「ぬいぐるみか? あの兄上が? 市場調査というのはこれのことか?」
「うるさい。これは『睡眠効率改善具』だ。昨日の調査で、レイラと共に厳選した最高傑作だ」
イグニス殿下はドヤ顔で言い放った。
「レイラさんとお揃いだなんて。おかしいですよねえぇ? 僕を差し置いて」
ウィル殿下が、私のデスクの熊をツンツンしながら、氷点下の笑顔を見せた。
「それに、二人だけで随分と楽しかったみたいですね。店員に夫婦だと勘違いされるくらい、息がぴったりだったとか?」
「なっ、どこでその情報を!?」
「僕の情報網を舐めないでください。……イグニス兄上、これは明確なペナルティですよ」
ウィル殿下の目が据わっている。
「僕とのデートの時は、もっと濃厚な時間を過ごさせてもらいますからね。……覚悟してくださいよ、レイラさん」
「俺もだ。次の休日は俺がもらうぞ」
左右から突き刺さる嫉妬の視線。
そして正面では、王太子殿下が「勝った」と言わんばかりに熊を撫でている。
私の机の上で、ブサカワな熊「イグニス」が、「モテる女はつらいな」と言いたげにとぼけた顔でこちらを見ていた。




