表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/51

第44話 ウィル殿下のプレゼン……私の寝室で、彼が返してくれたのは「盗まれたハンカチ」と「歪んだ純愛」でした

 

 翌日、私の前に現れたのは、最後の王子。


 ウィル殿下だった。


 彼は、いつものように執務室に現れることはなかった。


 代わりに、夕暮れ時、私の私室のドアが控えめにノックされた。


「……はい」


 開けると、そこには花束を抱えたウィル殿下が立っていた。


「こんばんは、レイラさん。……入ってもいいですか?」


「……どうぞ」




 ◇◆◇




 彼は部屋に入ると、持ってきた花束を私に手渡し、ソファーに浅く腰掛けた。


「静かですね。……ここは」


「ええ。私が唯一、一人になれる場所ですから」


 私は彼に対面して座った。

 狭い室内。


 イグニス殿下との離宮や、テオ殿下との演習場のような、圧倒的なスケール感はない。


 あるのは、肌が触れ合いそうな距離感と、逃げ場のない密室の空気だけだ。


「レイラさん」


 彼は懐から、綺麗に畳まれた白い布を取り出し、テーブルに置いた。


 それは、見覚えのあるハンカチだった。


 かつて、禁書庫での朗読会の後、私が失くしたもの。


 そして、彼が一人でそれに顔を埋め、深く息を吸い込んでいたのを、私が目撃してしまった因縁の品だ。


「返します」


 彼の声は震えていた。


「洗って、アイロンもかけました。変なことはしていません」


 私はハンカチを見つめた。


 あの日、彼が見せた狂気的な姿。


 それを象徴するアイテムが、今、私の手元に戻ってきた。


「……ずっと、持っていらしたのですね」


「はい。僕の宝物です」


 彼は顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめた。

 その碧眼は、いつもの計算高い光を消し、ただ一人の男としての渇望を露わにしていた。


「本物が欲しいんです。……ハンカチや録音データのような代用品じゃなく、貴女自身が」


 彼はテーブル越しに手を伸ばし、私の指先に触れた。


 ひんやりとした体温。


 けれど、その指先は熱を帯びているように感じられた。


「イグニス兄上は国を、テオ兄上は安らげる家を与えてくれるでしょう。……でも、僕は何も持っていません。王位も、武力も」


 彼は第四王子。

 王位継承権は低く、将来は臣籍降下して一貴族になるか、研究者として生きる道しかない。


「僕が貴女にあげられるのは、この身一つと……貴女だけの『時間』です」


 彼は立ち上がり、私の隣に膝をついた。


「僕を選べば、貴女を王妃の激務にも、騎士団の喧騒にも巻き込みません。……研究室でも、どこかの田舎でもいい。二人だけで、誰にも邪魔されない世界を作りましょう」


「……疲れちゃったんでしょう? 知っていますよ。貴女が夜中に一人で溜め息をついていること」


 彼は私の手を両手で包み込み、頬に押し当てた。


「僕なら、貴女をふやかして、溶かして……もう二度と『頑張らなくていい』ようにしてあげられますよ?」


 それは、社会からの逃避への誘いだった。


 面倒な義務も責任も捨てて、ただ互いだけを見つめ合う生活。


 疲れた私にとって、それは悪魔的なまでに魅力的な提案だ。


「……でも、それは逃げではありませんか?」


「逃げでいいじゃないですか」


 彼は私の手を両手で包み込み、頬に押し当てた。


「貴女は頑張りすぎです。……誰かのために、国のための犠牲になる必要なんてない。逃げることは悪じゃない。立ち向かって、身を滅ぼすことが悪なんです」


 甘い毒のような言葉。


 彼の提案する未来は、優しくて、静かで……そして、閉塞的だ。


 一度その腕の中に落ちたら、もう二度と外の世界には戻れないだろう。


「……ウィル殿下」


「お願いです、レイラさん」


 彼は縋るように私を見上げた。


「僕を、貴女だけの『特別』にしてください」


 彼は私の手に口付けた。


 指先から、掌、そして手首へ。


 敬愛と、支配欲がないまぜになったキス。


 私は動けなかった。


 彼の愛は重い。歪んでいて、独りよがりだ。


 でも、その根底にあるのは、痛いほどの純粋な「恋心」だと分かってしまうから。


「……ハンカチ」


 私はテーブルの上の白い布を手に取った。


「返していただきましたが……また、持って行かれますか?」


「え……?」


「今度は盗むのではなく、私から差し上げます」


 私は彼にハンカチを差し出した。


「貴方が寂しい夜に、少しでも慰めになるなら」


 彼は目を見開き、震える手でハンカチを受け取った。


 そして、それを宝物のように胸に抱きしめ、涙ぐんだような笑顔を見せた。


「……ずるい人だ。そんなことをされたら、余計に諦められなくなるじゃないですか」


 彼は立ち上がり、私の髪を優しく撫でた。


「分かっています。僕は、まだ子供だって。だけど……」


「いえ、あなたは立派な()()です」


 彼が、見た事もないような顔をした。


 純粋な驚きに満ちていて、その瞳はこれまで見たこともないくらい激しく揺れて、それがまるで彼の心を表しているかのようで。


「……ッ……レイラさん」


 彼が私に抱きついてくる。


 彼の唇が、私の首筋に触れる。少しくすぐったくて、とても熱い。


「よしよし」


 私はそう言って、ウィル殿下の頭を撫でた。何度も。


 ウィル殿下の吐息が、首にかかって熱い。


「初めてなんです。こんなに誰かを好きになったこと」


 ウィル殿下が私の首筋から顔を離し、私のおでこに自分のおでこを擦り付ける。


「僕、あなたの虜だ」


 年の差は分かってる。


 分かっているけど……。こんなことを言われたら、心が跳ねる。


 私は、変になってしまったんだろうか?


「……レイラさん。今日はこの辺にしておきます」


「ウィル殿下……」


「おやすみなさい。僕の愛しい人」


 彼は再び、私の首筋にキスを落とし、名残惜しそうに部屋を出て行った。


 ドアが閉まる音と共に、部屋に静寂が戻る。


 私の指先に、首筋に、ウィル殿下の熱が残っている。


「誰かを選ぶ……か……」


 なんて……残酷なことを決めさせるんだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ