第44話 ウィル殿下のプレゼン……私の寝室で、彼が返してくれたのは「盗まれたハンカチ」と「歪んだ純愛」でした
翌日、私の前に現れたのは、最後の王子。
ウィル殿下だった。
彼は、いつものように執務室に現れることはなかった。
代わりに、夕暮れ時、私の私室のドアが控えめにノックされた。
「……はい」
開けると、そこには花束を抱えたウィル殿下が立っていた。
「こんばんは、レイラさん。……入ってもいいですか?」
「……どうぞ」
◇◆◇
彼は部屋に入ると、持ってきた花束を私に手渡し、ソファーに浅く腰掛けた。
「静かですね。……ここは」
「ええ。私が唯一、一人になれる場所ですから」
私は彼に対面して座った。
狭い室内。
イグニス殿下との離宮や、テオ殿下との演習場のような、圧倒的なスケール感はない。
あるのは、肌が触れ合いそうな距離感と、逃げ場のない密室の空気だけだ。
「レイラさん」
彼は懐から、綺麗に畳まれた白い布を取り出し、テーブルに置いた。
それは、見覚えのあるハンカチだった。
かつて、禁書庫での朗読会の後、私が失くしたもの。
そして、彼が一人でそれに顔を埋め、深く息を吸い込んでいたのを、私が目撃してしまった因縁の品だ。
「返します」
彼の声は震えていた。
「洗って、アイロンもかけました。変なことはしていません」
私はハンカチを見つめた。
あの日、彼が見せた狂気的な姿。
それを象徴するアイテムが、今、私の手元に戻ってきた。
「……ずっと、持っていらしたのですね」
「はい。僕の宝物です」
彼は顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめた。
その碧眼は、いつもの計算高い光を消し、ただ一人の男としての渇望を露わにしていた。
「本物が欲しいんです。……ハンカチや録音データのような代用品じゃなく、貴女自身が」
彼はテーブル越しに手を伸ばし、私の指先に触れた。
ひんやりとした体温。
けれど、その指先は熱を帯びているように感じられた。
「イグニス兄上は国を、テオ兄上は安らげる家を与えてくれるでしょう。……でも、僕は何も持っていません。王位も、武力も」
彼は第四王子。
王位継承権は低く、将来は臣籍降下して一貴族になるか、研究者として生きる道しかない。
「僕が貴女にあげられるのは、この身一つと……貴女だけの『時間』です」
彼は立ち上がり、私の隣に膝をついた。
「僕を選べば、貴女を王妃の激務にも、騎士団の喧騒にも巻き込みません。……研究室でも、どこかの田舎でもいい。二人だけで、誰にも邪魔されない世界を作りましょう」
「……疲れちゃったんでしょう? 知っていますよ。貴女が夜中に一人で溜め息をついていること」
彼は私の手を両手で包み込み、頬に押し当てた。
「僕なら、貴女をふやかして、溶かして……もう二度と『頑張らなくていい』ようにしてあげられますよ?」
それは、社会からの逃避への誘いだった。
面倒な義務も責任も捨てて、ただ互いだけを見つめ合う生活。
疲れた私にとって、それは悪魔的なまでに魅力的な提案だ。
「……でも、それは逃げではありませんか?」
「逃げでいいじゃないですか」
彼は私の手を両手で包み込み、頬に押し当てた。
「貴女は頑張りすぎです。……誰かのために、国のための犠牲になる必要なんてない。逃げることは悪じゃない。立ち向かって、身を滅ぼすことが悪なんです」
甘い毒のような言葉。
彼の提案する未来は、優しくて、静かで……そして、閉塞的だ。
一度その腕の中に落ちたら、もう二度と外の世界には戻れないだろう。
「……ウィル殿下」
「お願いです、レイラさん」
彼は縋るように私を見上げた。
「僕を、貴女だけの『特別』にしてください」
彼は私の手に口付けた。
指先から、掌、そして手首へ。
敬愛と、支配欲がないまぜになったキス。
私は動けなかった。
彼の愛は重い。歪んでいて、独りよがりだ。
でも、その根底にあるのは、痛いほどの純粋な「恋心」だと分かってしまうから。
「……ハンカチ」
私はテーブルの上の白い布を手に取った。
「返していただきましたが……また、持って行かれますか?」
「え……?」
「今度は盗むのではなく、私から差し上げます」
私は彼にハンカチを差し出した。
「貴方が寂しい夜に、少しでも慰めになるなら」
彼は目を見開き、震える手でハンカチを受け取った。
そして、それを宝物のように胸に抱きしめ、涙ぐんだような笑顔を見せた。
「……ずるい人だ。そんなことをされたら、余計に諦められなくなるじゃないですか」
彼は立ち上がり、私の髪を優しく撫でた。
「分かっています。僕は、まだ子供だって。だけど……」
「いえ、あなたは立派な男性です」
彼が、見た事もないような顔をした。
純粋な驚きに満ちていて、その瞳はこれまで見たこともないくらい激しく揺れて、それがまるで彼の心を表しているかのようで。
「……ッ……レイラさん」
彼が私に抱きついてくる。
彼の唇が、私の首筋に触れる。少しくすぐったくて、とても熱い。
「よしよし」
私はそう言って、ウィル殿下の頭を撫でた。何度も。
ウィル殿下の吐息が、首にかかって熱い。
「初めてなんです。こんなに誰かを好きになったこと」
ウィル殿下が私の首筋から顔を離し、私のおでこに自分のおでこを擦り付ける。
「僕、あなたの虜だ」
年の差は分かってる。
分かっているけど……。こんなことを言われたら、心が跳ねる。
私は、変になってしまったんだろうか?
「……レイラさん。今日はこの辺にしておきます」
「ウィル殿下……」
「おやすみなさい。僕の愛しい人」
彼は再び、私の首筋にキスを落とし、名残惜しそうに部屋を出て行った。
ドアが閉まる音と共に、部屋に静寂が戻る。
私の指先に、首筋に、ウィル殿下の熱が残っている。
「誰かを選ぶ……か……」
なんて……残酷なことを決めさせるんだろうか。




