第40話 戦わずして勝つ。……私の描いた「ハッタリ」を、彼らが最強の「現実」に変えていく
国境の夜空が、魔術の光で赤く染まっていた。
王宮地下の指令室。
私は魔法地図上の赤い光点の動きを凝視していた。
「……敵先鋒2千、後退を開始! 我が軍の『幻影』に恐れをなしたようです!」
通信士が興奮した声を上げる。
テオ殿下の「ハッタリ作戦」は成功した。
砦から投影された数万の幻影兵士と、テオ殿下自身の圧倒的な気迫に、敵の足が止まったのだ。
だが、安堵するのはまだ早い。
相手は百戦錬磨のガルド帝国将軍だ。すぐに「攻撃がない」ことに違和感を覚え、幻影だと見破るだろう。
「……ここからです。ウィル殿下、お願いします」
私は通信石に呼びかけた。
『お任せを。……ちょうど今、敵の暗号通信の解読が終わったところです』
ウィル殿下の楽しげな声が響く。
『敵将軍から前線へ、「怯むな、突撃せよ」との命令が出ていますね。……これを、「直ちに待機せよ。本国で反乱発生の兆しあり」に書き換えて送信します』
「……派手にやりましたね」
『ふふっ。ついでに、「右翼部隊に裏切りの兆候あり」という偽情報も流しておきました。……さあ、どうなるでしょうね?』
直後。
地図上の赤い光点が、あり得ない動きを見せた。
前進しようとする本隊と、慌てて停止しようとする先遣隊が衝突し、さらには味方同士で距離を取り始めている。
大混乱だ。
統率の取れた軍事国家の軍隊が、疑心暗鬼によって内部から崩壊していく。
「……えげつないですね」
背後で見ていたセドリック義兄様が、呆れたように、しかし感心した声で言った。
「情報の遮断と改竄。……剣を交える前に、敵の目と耳を潰すとは」
「彼らが優秀だからです。……私の描いた絵空事を、現実の脅威に変えてくれる」
私は地図を見つめた。
だが、敵もさるもの。
混乱の中でも、敵の精鋭部隊――おそらく将軍直属の親衛隊が、強引に中央突破を図ろうとしている動きが見えた。
その数、およそ5千。
混乱を無視して、「とにかく敵の大将(テオ殿下)を討てばいい」という力技に出たのだ。
「……来ました。テオ殿下、正面です!」
『おう、見えているぜ!』
テオ殿下の声が届く。
「殿下、決して突撃しないでください! 目的は『足止め』です。……貴方の武威を見せつけて、心を折ってください」
『了解した。……俺の前に立つことがどれほど愚かか、教えてやる』
地図上の青い光――テオ殿下の駒が、ゆっくりと前に出た。
たった一つで、5千の赤い光の前に立ちはだかる。
そして。
『失せろッ!!!』
通信越しでも空気が震えるほどの、凄まじい咆哮。
同時に、テオ殿下が剣を振るった。
ただし、敵に向けてではない。
敵軍の目の前にある、巨大な岩山に向けてだ。
凄まじい轟音と共に、岩山が一刀両断され、崩れ落ちた。
巻き上がる土煙。地響き。
それは、人間業とは思えない光景だった。
『……次は、お前たちの首だ。一歩でも動いてみろ。全員、この岩と同じ運命だぞ』
低い、地獄の底から響くような声。
殺気だけで、5千の兵士が凍りついたのが分かった。
誰も動かない。いや、動けないのだ。
目の前の男が「人間ではない何か」だと本能で悟り、恐怖で足が竦んでいる。
戦わずして、圧のみで勝った。
「……さすがですね」
私は胸を撫で下ろした。
敵の足は完全に止まった。
今だ。
「イグニス殿下。……トドメを」
『承知した』
外交室からの通信が入る。
『たった今、東方諸国の軍が、帝国の東側国境に向けて進軍を開始したとの情報を、帝国の外交官に「親切に」教えてやった』
もちろん、実際に進軍しているわけではない。ギリアム宰相が国境付近で「演習」を始めただけだ。
だが、情報網を遮断され、前線が混乱している帝国軍にとって、それは「挟撃」という絶望的な事実に他ならない。
『さらに、周辺諸国との連名で「即時撤退しなければ、魔石の供給を永久に停止する」との最後通牒を突きつけた』
イグニス殿下の声は、冷酷な王のそれだった。
『……帝国の皇帝は、賢明な判断を下したようだぞ』
その言葉と同時だった。
地図上の赤い光が一斉に反転し、退き始めた。
撤退だ。
ガルド帝国は、敗走を選んだ。
「……勝った」
指令室に、静かな歓声が広がった。
義兄様も静かに眼鏡を直し、私を見て頷いている。
私は、その場にへたり込んだ。
終わった。
本当に、守りきったのだ。
◇◆◇
夜明け。
王宮の正門前には、凱旋したテオ殿下と、作戦を完遂したイグニス殿下、ウィル殿下が集結していた。
「レイラ!」
私を見つけるなり、テオ殿下が駆け寄ってきた。
鎧の冷たい感触ごと、強く抱きしめられる。
「やったな。お前の作戦通り、誰も斬らずに、睨みだけで追い返してやった」
「……苦しいです、殿下。でも、お見事でした」
「無事でよかった。……お前の声が聞こえている間は、負ける気がしなかった」
イグニス殿下が、私の髪を優しく撫でる。
「僕もですよ。……レイラさんの指示を聞きながら敵を掌で踊らせる感覚、最高にゾクゾクしました」
ウィル殿下が、私の手を握って頬擦りする。
「お疲れ様、レイラ」
そう言って、義兄様が私の頭をポンポンと撫でる。
皆、興奮と達成感で目が輝いている。
「……お疲れ様でした、皆様」
私は4人に、心からの敬意を込めて言った。
「私の無茶なシナリオを、完璧に演じきってくださいましたね。……最高の舞台でした」
「ああ。……お前が演出家なら、私たちはどんな役でもこなしてみせる」
イグニス殿下が、私の額に口付けた。
朝日に照らされた王宮。
そこには、戦火の傷跡ひとつなく、いつもの平和な日常が戻ってきていた。
私たちが守り抜いた、騒がしくて、愛おしい場所。
こうして、国を賭けた戦いは、私たちの完全勝利(無血勝利)で幕を閉じた。




