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第3話 裏帳簿の改ざんが王太子にバレました。処刑かと思ったら、なぜか熱っぽい目で「美しい数字だ」と求婚(ヘッドハンティング)された件

 

 テオ殿下に「女神」認定されてから、さらに数日が経過した。


 私の胃は、限界を迎えようとしていた。


「おい、レイラ! 財務省から『決算報告書の提出期限は昨日までだ』と催促が来ているぞ!」


 夕暮れ時の執務室。


 オラントが喚き散らしながら、分厚い書類の束をデスクに叩きつけた。


「なんでまだ終わってないんだ! 俺の顔に泥を塗る気か!」


「……オラント殿下。その書類は3日前に提出いたしました」


 私は冷静に答えた。


「ですが、財務大臣から『内容に不備がある』として差し戻されたのです。殿下が私的に購入された『宝石』と『馬車』の領収書が、公費の項目に混ざっていたためです」


「チッ、細かい奴らだな! それくらい上手く誤魔化して処理しておけよ!」


「公費の私的流用は犯罪です」


「うるさい! 俺は王族だぞ! とにかく、今夜中に完璧な書類を作れ! 俺はリリナと観劇に行ってくるからな!」


 オラントは言うだけ言って、嵐のように去っていった。


 またリリナか。


 オラントに恋愛感情なんて持ち合わせてないからどうでもいいが、私に全てを押し付けて、楽しそうにしている顔を見るのは不愉快だ。


 あとに残されたのは、不正だらけの領収書と、期限切れの決算書。


「……はぁ」


 私は深いため息をついた。


 今夜中にこれを処理しないと、第三王子宮への予算が凍結される。


 そうなれば、真面目に働いている下級職員たちの給与まで止まってしまう。


 やるしかない。


 私は覚悟を決め、裏帳簿を取り出した。


 オラントの浪費を隠蔽しつつ、帳尻を合わせるための「魔法の計算式」を組み上げる。


 宝石代は「外交贈答品費」へ。


 馬車代は「視察用交通費」へ。


 それぞれの項目を複雑に分散させ、合計金額がピタリと合うように数字をパズルのように組み替えていく。


 これは芸術的なまでの粉飾決算だ。


 本来なら監獄行きの行為だが、背に腹は代えられない。


 私はペンを走らせた。


 カリカリという音だけが響く静寂。


 集中力が極限まで高まり、時間の感覚が消える。


 そして。


「……できた」


 最後の数字を書き終え、私はペンを置いた。


 完璧だ。


 どこからどう見ても、隙のない美しい決算書が出来上がった。


 これなら財務大臣の目も欺ける。


 私が満足感に浸りながら、インクを乾かそうとした、その時だった。


 ガチャリ。


 ノックもなく、執務室の扉が開いた。


「オラント。財務省から話は聞いている。決算書の提出が遅れているそうだが……」


 入ってきたのは、氷のように冷ややかな声の主。


 銀色の髪に、紅の瞳。


 第一王子(王太子)、イグニス殿下だった。


「……っ!?」


 私は心臓が止まるかと思った。


 まさか、王太子自らが督促に来るなんて。


 しかも、私の手元には、今まさに完成したばかりの「偽造決算書」がある。


 非常に、マズい!


「イ、イグニス殿下……! お、おはようございます……いえ、こんばんは……?」


 私は慌てて立ち上がり、書類を背中に隠そうとした。


 だが、遅かった。


 イグニス殿下の鋭い視線は、すでに机の上の書類を捉えていた。


「……オラントは不在か?」


「は、はい。視察……いえ、外出中でして」


「チッ……またくだらん女遊びか。……まあいい」


 イグニス殿下は、カツカツと足音を立てて私に近づいてきた。


 その威圧感は、テオ殿下の物理的な圧力とは違う、精神を凍らせるような冷徹さがある。


「隠したな。その書類。……見せろ」


「えっ、いえ、これはまだ下書きでして……!」


「貸せ」


 拒否権はなかった。


 彼は私の手から書類をひったくると、無言で目を通し始めた。


 終わった。


 私は絶望した。


 イグニス殿下は「論理の化身」と呼ばれるほどの頭脳の持ち主だ。


 私の粉飾など、一目で見破られるに決まっている。


 公文書偽造の現行犯。


 実家に帰るどころか、このまま地下牢行きだ。


 さようなら、私のスローライフ。


 こんにちは、寂れた薄暗い地下牢。


 私は処刑台に上がる覚悟で、彼の宣告を待った。


 沈黙が続く。


 1分、2分。


 イグニス殿下は、書類から目を離さない。


 その眉間に皺が寄り、指先がピクリと動く。


 怒っているのだ。


 弟の不祥事を隠蔽しようとした小賢しい補佐官に、激怒しているのだ。


「……おい」


 低く、震える声が聞こえた。


「はい……」


 私は身を縮こまらせた。


「……誰だ」


「……へ?」


「この計算式を組んだのは、誰だ」


 イグニス殿下が顔を上げた。


 その瞳を見て、私はギョッとした。


 怒っていない。


 いや、彼の紅の瞳は、まるで熱に浮かされたように、怪しく潤んでいたのだ。


「オラントでないことは明白だ。あいつの脳みそでは、1行目の計算すらできん」


 彼は書類を片手に、私に詰め寄ってきた。


「この『特別損失』の計上トリック……。そして、複数の費目を循環させて赤字を相殺するロジック……。法に触れるギリギリのラインを攻めつつ、数字としての整合性は完璧に取れている」


 彼は、うっとりとした表情で書類を指でなぞった。


 まるで、恋人の肌を愛撫するかのような手つきだ。


「美しい……。これほど無駄がなく、かつ大胆な論理構成は見たことがない。これはもはや、一種の芸術だ」


「……あ、あの、殿下?」


「お前が書いたのか?」


 至近距離で、紅の瞳が私を射抜く。


「……は、はい。私が……」


「名前は」


「レイラ・ウェリントンです……」


「レイラ……」


 イグニス殿下は私の名前を呟くと、突然、私の右手を取った。


 ペンだこがある、中指のあたりを、親指でゆっくりと擦る。


「この指か。この細い指が、あの美しい数字を紡ぎ出したのか」


「で、殿下! 近いです! い、一応私はオラント殿下の婚約者ですので……! このような身体的接触は……!」


「素晴らしい。……私はずっと探していたんだ」


 彼は私の抗議など聞こえていない様子で、熱っぽく語り始めた。


「王宮の文官たちは、マニュアル通りの仕事しかしない。私の思考速度についてこられる者がいなかった。……だが、お前なら」


 彼は私の手を握りしめたまま、宣言した。


「レイラ。私の元に来い」


「……はい?」


「オラントの補佐官など辞めて、私の『筆頭補佐官』になれ。……いや、そんな肩書きでは足りないな」


 イグニス殿下は、獲物を狙う捕食者の目で私を見た。


「私の全てを管理しろ。公務も、プライベートも、私の人生設計も……全てお前の計算通りに書き換えていい」


「……それは、求婚(プロポーズ)の言葉か何かですか?」


 あまりの重さに、私は思わず突っ込んだ。


「求婚? ……そうだな。それも悪くない」


 彼は真顔で頷いた。


「お前という『脳』を独占できるなら、法的拘束力のある婚姻契約は最も合理的だ」


「合理的で結婚しないでください」


 この人、本気だ。


 目がマジだ。


 粉飾決算を見逃してくれるどころか、その手口を気に入ってヘッドハンティングしてくるなんて、この国の王族はどうなっているの?


「さあ、返事をしろ。今すぐここを出て、私の執務室へ行くぞ」


「お断りします! 先程も申しましたが、私はまだオラント殿下の婚約者ですし、仕事も残っています!」


「チッ……。まだオラントに義理立てするか」


 イグニス殿下は不満げに舌打ちをしたが、すぐに冷徹な笑みを浮かべた。


「いいだろう。今は逃がしてやる」


 彼は私の手を離し、持っていた決算書をヒラヒラと振った。


「だが、忘れるな。この『証拠』は私が預かっておく」


「えっ!?」


「これが表に出れば、お前もただでは済まないだろう? ……私が黙っていてやる代わりに、近いうちに必ず私の元へ来い」


 彼は書類を懐にしまうと、私の耳元に顔を寄せた。


「楽しみにしているぞ。()()()殿」


 ゾクリと背筋が震えた。


 甘い声。


 でも、それは完全に、弱みを握った脅迫者の響きだった。


 イグニス殿下は満足げに踵を返し、執務室を出て行った。


 あとに残された私は、その場にへたり込んだ。


「……嘘でしょ」


 私の裏帳簿が、あろうことか王太子殿下への「人質」になってしまった。


 しかも、あの熱っぽい視線。


 あれは、有能な部下を見る目ではない。


 もっと粘着質で、独占欲に満ちた……厄介な何かの目だ。


 ウィル殿下、テオ殿下、そしてイグニス殿下。


 気づけば私は、この国のトップ3全員に、別の意味でロックオンされてしまっていた。


【補足情報】

イグニス24歳

テオ22歳

ウィル14歳

レイラ20歳(オラント同い年)

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