第29話 義兄様と休日デート。私の仕事を片付け、ネイルを褒め、アイスを拭ってくれる「お兄ちゃん」のスパダリ力がカンストしています
王宮にセドリック義兄様が着任してから、数日が経ったある日。
昼下がりの王太子執務室は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
「レイラ、この書類の決裁だが……」
「なあレイラ、兵たちのことで少し相談があるんだが」
「レイラさん、新しい論文が出来たので読んでください!」
3人が私のデスクに集まり、仕事にかこつけて構ってくる。
正直、作業が進まない。
コンコン。
その時、扉が開き、セドリック義兄様が入ってきた。
彼は部屋の惨状──私に群がる3人の王子と、私の顔に浮かぶ疲労の色を見て、ため息をついた。
「……殿下、少しよろしいですか」
「なんだ、セドリック。今は忙しい」
イグニス殿下が不機嫌そうに答えるが、義兄様は怯まない。
「レイラの顔色を見てください。……隈ができていますよ。ここ数日、まともに休ませていないのでは?」
「うっ……」
「彼女は責任感が強いから自分では言わない。だから、兄である私から言わせていただきます。……今日の彼女の業務はここまでにしてください。……連れて行きますよ」
義兄様はスタスタと私の元へ歩み寄ると、私の手を取って立ち上がらせた。
「おい待て。勝手な真似をされては困るぞ」
テオ殿下が立ち塞がる。
「これは『メンテナンス』ですよ。……使い潰して壊れてからでは遅い。効率を重んじる皆様なら、理解できますよね?」
正論。
しかも「効率」という言葉を出されると、イグニス殿下は弱い。
「……チッ。分かった。だが、夕食までには戻せよ」
「善処します」
義兄様は涼しい顔で微笑み、私をエスコートして部屋を出た。
背後で、3人が慌てて何かを話し始めている気配がしたが、私は気づかないふりをした。
◇◆◇
私たちは地味な服に着替え、王都の目抜き通りを歩いていた。
セドリック義兄様は、カジュアルなシャツにベストという装いだ。
眼鏡の奥の青い瞳は優しげで、口調も王宮にいる時よりずっと柔らかい。
「たまにはこういうのも悪くないだろう?」
「はい。……お気遣いありがとうございます」
私たちは、通りに面したオープンテラスのカフェテリアに入った。
義兄様は慣れた様子で注文をする。
ほどなくして運ばれてきたのは、香り高いアールグレイと、季節のフルーツをふんだんに使ったタルトだった。
「美味しそう。宝石箱みたい」
「仕事ばかりで食事も疎かにしていると聞いたよ。まずは糖分補給だ」
義兄様は穏やかに微笑むと、私の前にカトラリーを並べてくれた。
「ほら、今日は仕事のことは忘れて。……召し上がれ」
「ふふ、まるで子供扱いですね」
「俺にとっては、お前はいつまで経っても可愛い妹だよ」
その過保護な物言いが、今は妙に心地よかった。
一口食べると、甘酸っぱい果実の味が口いっぱいに広がり、強張っていた肩の力がふっと抜けていくのがわかった。
私は、紅茶を一口飲み、ふと視線を彷徨わせた。
……はぁ。
少し離れた席。
新聞を広げて顔を隠している、妙にガタイの良い男性客。
その隣には、やたらとキラキラしたオーラを放つ黒髪の青年と、フードを深く被った少年。
三王子だ。
変装の魔道具を使っているようだが、隠しきれない高貴さと殺気がダダ漏れだ。
特に、新聞の男性──イグニス殿下は、義兄様が私に微笑みかけるたびに、持っている新聞紙をクシャクシャと握りつぶしている。
(……バレバレですよ、皆様)
私はヒヤヒヤして義兄様を見た。
彼は優雅にティーカップを傾け、通りの景色を眺めている。
気づいていないようだ。
よかった。余計な揉め事は起こしたくない。
私は努めて平静を装い、義兄様との他愛のない会話を楽しんだ。
◇◆◇
カフェを出た私たちは、ブティックが並ぶ通りを歩いていた。
ふと、ある店の前で私の足が止まった。
お洒落な看板が掛かった、小さなネイルサロンだ。
ショーウィンドウには、美しく彩られた爪の見本が並んでいる。
「……綺麗」
私は思わず、自分の手元を見た。
連日の激務で、指先は荒れ気味だ。
ペンだこは当たり前、爪の端には、インクの黒い染みがついている。
最近、自分のケアなんてろくにしていなかったな……。
少し、恥ずかしくなって手を隠そうとした、その時。
「……そうだ」
隣で、義兄様がポンと手を打った。
「俺、休憩がしたいな。少し歩き疲れてしまってね」
「え? もうですか?」
「ああ。……でも、レイラをただ待たせるだけというのも悪いから……ネイルでもしててくれないかな? 俺は休める。君は綺麗になれる。一石二鳥さ」
彼は隠そうとした私の手に、そっと自分の手を添えた。
その温かさに、胸がじんわりとする。
「……はい。ありがとうございます」
私は感謝を込めて頷き、店に入った。
◇◆◇
施術台に座り、ネイリストの女性に手を預ける。
義兄様は、店の入口のソファに座り、鞄から書類を取り出して読み始めた。
(……お仕事?)
私は時折、鏡越しに彼を見た。
彼は真剣な表情で、羽根ペンを走らせている。
その手元にある書類。見覚えのある付箋。
……あれは、私が今日中に終わらせなければならなかった、予算配分の計算書だ。
彼はそれをこっそり持ち出し、私がネイルを楽しんでいる間に、代わりに処理してくれている。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
──義兄様は、昔からそうだ。
子供の頃。
私がピアノの発表会で緊張して震えていた時、彼は「靴紐が解けているよ」と言って跪き、時間をかけて結び直してくれた。
その間に私の震えが止まるのを、じっと待ってくれていた。
私が苦手な歴史の課題に頭を抱えていた時は、翌朝、私の机の上に完璧にまとめられた要約ノートが置かれていた。
『自分も勉強したくなったからまとめてみた』と言って。
彼はいつだって、見えないところで努力して、私をいつも助けてくれていた。
恩着せがましくすることもなく、気づかれないように、こっそりと。
「終わりましたよ、お客様」
ネイリストの声で我に返る。爪先は薄いピンク色に塗られ、星が散りばめられたように輝いていた。
「わぁ……」
私は席を立ち、義兄様の元へ駆け寄った。
「義兄様! 見てください!」
彼が顔を上げ、書類をさりげなく鞄に隠した。
そして、私の指先をそっと取り、まじまじと見つめる。
「……うん。良く似合ってる」
彼は、短く言った。
そして。
「素敵だね」
たった一言。
でも、その声音はとても優しくて、どんな詩的な賛辞よりも私の心を満たした。
◇◆◇
その後、私たちは王都で一番大きな書店へ向かった。
ここは三階建てで、専門書の品揃えが豊富なことで知られている。
インクと紙の匂いに包まれた瞬間、私の胸が高鳴った。
「あ、これ探していたんです! 『古代魔法文明における税制の変遷』!」
「……ほう。興味深いね」
「今の王国の税制と比較すると色々と面白いんですよ。あ、こっちの論文集も気になっていて……」
私は次々と本を棚から抜き出し、胸に抱え込んでいく。
「ん? あれは……」
ふと、高い棚にある一冊の本が目に入った。
背表紙が擦り切れた希少本だ。
手を伸ばすが、あと数センチ届かない。
背伸びをして、指先を伸ばしたその時──。
「……これかい?」
ふわり、と背後から包み込まれるような気配と共に、義兄様の手が私の手よりも高く伸び、目当ての本を軽々と抜き取った。
「あ……ありがとうございます」
振り返ると、すぐ近くで義兄様がクスクスと笑っていた。
「随分と仕事熱心なチョイスだね。……それと、こんな重いものを抱えていたら、せっかく綺麗にした爪が傷ついてしまう」
そう言うと、彼は私が抱えていた本の山を、一冊残らず自分の腕に移し替えた。
「これは俺が持つから。お前は、読みたい本を選ぶことだけに集中すればいいよ」
その眼差しは、まるで幼い子供の成長を喜ぶ父親のように、温かくて、慈愛に満ちていた。
ガタッ!!
その時、数メートル先の「恋愛小説コーナー」の棚から、大きな物音がした。
本が数冊、雪崩のように落ちる音。
義兄様が不思議そうに振り返る。
その視線の先には、本棚の隙間からこちらを凝視する6つの目があった気がする。
きっと、「背後からの密着」という高難易度スキル(※義兄様的にはただの手助け)を見せつけられて、動揺して棚にぶつかったのだろう。
(……殿下たち、もう帰ったほうがいいのでは……?)
結局、両手いっぱいの本を購入し、私たちは店を出た。
重い本を、義兄様は軽々と持ってみせてくれた。
◇◆◇
夕暮れの噴水広場。
私たちはアイスクリームの屋台でそれぞれアイスを買い、ベンチに座った。
私はビターなチョコレートアイス。
義兄様は、可愛らしいストロベリーのアイス。
風が心地いい。
夕焼けに染まる空と噴水のコントラストが、疲れきった私の身体に痛いほど沁みた。
そして、泣けるほど美しかった。
疲れが身体から抜けていくような感覚だった。
ベッドの上で休んでいる訳でもないのに、不思議だ。
義兄様も、多くは語ってこない。
ただ、私の隣にいてくれる。
それだけ。
でもそれが、今の私にとっては心地いい。
けれど、やっぱり気になる……。
私はアイスを舐めながら、ソワソワと周囲を見回した。
茂みの奥、時計塔の下。
……まだいる。
3つの怪しい影が、必死にこちらを覗いている。
義兄様は、気づいていないのだろうか。
いや、気づいていないはずがない。
これだけ露骨な視線を感じないわけがないのだから。
でも、彼は何も言わずにアイスを食べている。
「……気になるかい?」
不意に、義兄様が口を開いた。
「えっ!?」
「隠さなくていい。……王子たちのことだよ」
彼は前を向いたまま、静かに言った。
「やはり……義兄様も気付いておられましたか」
「気づかない方が無理だよ。……隠す気があるのかないのか」
義兄様は、呆れたようにフッと笑った。
でも、その表情には嫌悪感はなく、どこか諦めにも似た色が混じっていた。
「……好きなんだね」
「……す……!?」
不意打ちの言葉に、私は動揺して顔を上げた。
その拍子に、アイスが口の端についてしまう。
「あ……」
慌てて拭おうとした私の手に、義兄様の手が重なった。
「ふふ。……本当に、お前は昔から隠すのが下手な子だな」
彼は懐からハンカチを取り出すと、私の口元を優しく、とても丁寧に拭ってくれた。
その距離が近い。
眼鏡の奥の瞳が、切なげに揺れている気がした。
「彼らの態度は改善の余地ありだが……。お前がそんなに幸せそうな顔をするなら、それでいい」
彼は、私の幸せを第一に考えてくれている。
「……私は、欲張りでしょうか」
私は俯いて呟いた。
「ああ。欲張りだね」
「そ、即答ですか……」
私がむくれると、彼は声を上げて笑った。
そして、私の頭に大きな手を乗せた。
「お前はそのままでいい」
「え?」
「欲張りで、頑固で……。そのままのお前で、幸せになれ」
彼は、ポンポンと優しく頭を撫でた。
「困った事があれば、何時でも頼ってくれ。……俺は、お兄ちゃんだろ?」
「義兄様……」
私は目頭が熱くなるのを感じながら、精一杯の笑顔を作った。
「義兄様。今日は、ありがとうございました。……とてもリフレッシュできました」
「うん。お安い御用だよ」
彼は満足そうに目を細め、そして不意に立ち上がった。
「さて。……王子たちも、そろそろ限界みたいだし、お前を返してやるとしよう」
彼は最後に、もう一度私の頭を撫でた。
その瞬間だった。
ダダダダッ!
猛烈な足音がして、3つの影が茂みから飛び出してきた。
「な、何をしている!!」
イグニス殿下だ。
変装用の帽子が脱げかけ、髪が乱れている。
「レイラに触れすぎだぞ! 口元を拭うだと!? そこは俺の役目だ!」
「そうだ! アイスなら俺がもっと美味い店を知ってる!」
テオ殿下が地団駄を踏み、ウィル殿下は氷のような笑顔で義兄様を睨んでいる。
「セドリックさん……。抜け駆けにも程がありますよ? これは重罪です」
「おや、皆様。奇遇ですね」
セドリック義兄様は、3人の殺気を涼しい顔で受け流した。
「妹の顔についていた汚れを取っただけですが? ……兄として当然のスキンシップかと」
「『兄』という立場を悪用する気か?」
イグニス殿下が悔しそうに唸る。
その様子を見て、私は思わず吹き出してしまった。
「ぷっ。あははは!」
私の大切な家族と、大切な恋人(候補)たち。
この騒がしくて、愛おしい関係が、これからも続いていく。
その予感に、私は今日一番の幸せを感じていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
評価やブクマ、リアクションなど、とても嬉しくて毎日幸せな気持ちで過ごしています(*^^*)
物語も後半戦、1話に一瞬だけワードとして出てきたセドリックお兄ちゃん(義兄様)の登場で物語が加速しましたね!
ここからどうなって行くのか、見守って頂けたら幸いです!




