第24話 婚約者候補の姫君が来襲。……私の完璧なファイリングを「可愛くない」と崩すなら、外交問題になっても排除しますよ?
国王陛下が定めた「婚約者選定」の期限まで、あと一週間。
王太子執務室は、ピリピリとした緊張感……ではなく、奇妙な空気に包まれていた。
「失礼いたしますぅ〜!」
甘ったるい声と共に、許可もなく扉が開かれた。
入ってきたのは、フリルたっぷりのピンクのドレスを着た少女だった。
金の巻き髪に青い瞳。
お人形のように愛らしいその姿は、昨日、隣国から「婚約者候補」としてやってきたマリー王女だ。
「イグニス様ぁ! お仕事、手伝いに来ましたの!」
マリー王女は、警備の騎士をすり抜けて、一直線にイグニス殿下の元へ駆け寄った。
イグニス殿下は書類から顔を上げ、露骨に眉をひそめた。
「……マリー王女。ここは執務室だ。関係者以外の立ち入りは……」
「まあ! 私、関係者ですわ! 未来の王妃候補ですもの!」
彼女は悪びれもせず、イグニス殿下のデスクの端に、持ってきたバスケットをドンと置いた。
その下には、まだ決裁前の重要書類がある。
「差し入れのクッキーですわ! さあ、休憩しましょう?」
「……書類が汚れる。退けてくれ」
「ええ〜? イグニス様ったら、お仕事ばかりでつまらないですぅ」
彼女は頬を膨らませると、今度は部屋の中を物色し始めた。
テオ殿下がソファで地図を広げているのを見つけると、
「きゃっ! テオ様、その剣、危ないですわ! こんなところに置かないでくださいまし!」
と、彼が手入れ中だった愛剣を勝手に鞘に納めようとする。
「おい、触るな! 指が飛ぶぞ!」
「ひどい! 私は皆様の安全を考えて……」
さらに、窓辺で読書をしていたウィル殿下の元へ行き、
「ウィル様、そんな古い本ばかり読んでいたら目が悪くなりますわ。お庭でお茶でもしませんか?」
と、貴重な魔導書をパタンと閉じてしまった。
「チッ……勝手に触らないでいただけますか? ページ数が分からなくなります」
マリー王女は気付かなかったが、私は聞き逃さなかった。
あの、侍女に対しても、いつも笑顔で天使のようなウィル殿下が小さな音で舌打ちをした。
その顔にはもちろん笑顔はない。
そもそも、3人の王子たちの顔には、明確な「拒絶」と「苛立ち」が浮かんでいる。全く隠しきれていない。
しかし、相手は一国の王女だ。無下にして外交問題に発展させるわけにはいかない。
彼らは助けを求めるように、一斉に私の方を見た。
(……はぁ)
私は小さくため息をついた。
彼女の行動は、悪気がないだけにタチが悪い。
「良かれと思って」やっているのだ。自分は可愛らしくて、気が利く、理想のお姫様だと信じて疑っていない。
だが、私にとっては「職場荒らし」以外の何物でもない。
「あら? そちらの方は?」
マリー王女が、ようやく私の存在に気づいた。
私は立ち上がり、事務的な礼をした。
「お初にお目にかかります、マリー王女殿下。筆頭補佐官のレイラ・ウェリントンと申します」
「ふぅん……。補佐官さん?」
彼女は私を上から下までジロジロと見た。
地味な事務服、束ねた髪、飾り気のない顔。
彼女の目には、私は「ライバル」ですらなく、ただの「使用人」として映ったようだ。
「ねえ、レイラさん。このお部屋、少し殺風景じゃありませんこと?」
彼女は棚に並べられたファイルボックスを指差した。
それは、私が数ヶ月かけて構築した、完璧な分類システムに基づいた資料棚だ。
年度別、重要度別、案件別に色分けされ、必要な書類が3秒で取り出せるようになっている。私の最高傑作の一つだ。
「黒とか紺とか、暗い色ばかりで気が滅入りますわ。……そうだ!」
彼女は目を輝かせると、勝手に棚に手を伸ばした。
「並べ替えちゃいましょう! 背の順にして、間に造花を飾れば……ほら! 可愛くなりましたわ!」
ガサガサと音を立てて、ファイルが崩される。
年代もジャンルも無視して、ただ「見た目の可愛さ」だけでランダムに詰め込まれていく。
私の、完璧なファイリングが。
国の歴史と予算が詰まった秩序の結晶が、ただの「インテリア」に成り下がっていく。
「…………」
私の中で、何かがプツリと切れる音がした。
「どうです? これならイグニス様も楽しくお仕事できますわよね?」
マリー王女は、誇らしげにイグニス殿下に微笑みかけた。
イグニス殿下は青ざめ、私の方を見て首を横に振っている。「俺は頼んでない!」という必死のジェスチャーだ。
分かっていますよ、殿下。
これは、貴方のせいではありません。
この、想像力の欠如した、無知で無垢な侵入者の罪です。
「……マリー王女殿下」
私は静かに声をかけた。
「あら、お礼なら結構ですのよ?」
「いいえ。……直ちに、その汚い手を離していただけますか?」
「え?」
彼女がキョトンとした顔をする。
私は一歩、前に進み出た。
「その棚にあるのは、我が国の国家予算、外交機密、および軍事配置図の原本です。……部外者が無断で触れることはおろか、並び順を変えることすら、重大なセキュリティ違反となります」
「で、でも、可愛くしたほうが……」
「可愛さなど求めておりません。求めているのは『正確性』と『効率』のみです」
私は彼女の手からファイルをひったくった。
「貴女のその浅はかな思いつきで、有事の際の対応が1秒遅れれば、何人の国民が死ぬか想像できますか? ……できないでしょうね。貴女の頭の中は、お花畑のようですから」
「なっ……!?」
マリー王女の顔が真っ赤になる。
「無礼者! 私は王女よ! たかが補佐官風情が、何を偉そうに!」
「補佐官だからこそ、申し上げているのです」
私は一歩も引かなかった。
怒りが、腹の底から湧き上がってくる。
それは単に「仕事を邪魔された」からではない。
この執務室は。
イグニス殿下と議論し、テオ殿下と笑い、ウィル殿下と過ごしてきた、私たち4人の「聖域」なのだ。
それを、こんな、上辺だけ飾った何も知らない小娘に、土足で踏み荒らされるのが許せない。
「……とっとと、ここから出て行ってください」
私は扉を指差した。
「ここは、貴女のようなお飾りがいていい場所ではありません。……私の職場を、そして彼らの居場所を荒らすなら、例え相手が一国の王女であろうと、全力で排除します」
私の剣幕に、マリー王女は涙目になって後ずさった。
その背後で、3人の王子たちが、なぜか嬉しそうに、そして熱っぽい瞳で私を見つめていた。




