第19話 約束の「王立図書館」貸切デート。……静寂をプレゼントしてくれる貴方たちが、一番の宝物かもしれません
私が全快してから数日後。
私はイグニス殿下に連れられ、王宮の敷地内にある巨大な石造りの建物の前に立っていた。
「王立図書館」。
国内最大規模を誇る知識の殿堂であり、古今東西のあらゆる書物が収められている場所だ。
普段は多くの学者や貴族で賑わっているはずのそこは、今日に限ってひっそりと静まり返っていた。
「……殿下。これは?」
「約束しただろう。『週に一日は、完全に業務から離れる休日』だと」
イグニス殿下は、守衛に目配せをして重厚な扉を開けさせた。
「今日は全館貸切にしてある。……誰も入ってこない。存分に楽しめ」
「貸切……!? 王立図書館を、ですか?」
私は絶句した。
これだけの施設を、私一人のために閉鎖するなど、権力の濫用も甚だしい。
しかし、その濫用がこんなにも嬉しいと感じてしまう自分もいる。
中に入ると、天井まで届く書架が迷宮のように広がり、古書と革の懐かしい匂いが私を包み込んだ。
静寂。
ページをめくる音さえ響きそうなほどの、完璧な静けさだ。
それはかつて、ギリアム宰相が私に提示した「理想の条件」そのものだった。
「……ありがとうございます、殿下」
私が礼を言うと、イグニス殿下は少し気まずそうに視線を逸らした。
「礼には及ばん。……ギリアムごときに『静寂』をエサにされるのは癪だっただけだ。我が国でもこれくらいの環境は用意できると証明したかった」
対抗心だ。
彼はまだ、あの時の引き抜き騒動を気にしていたのだ。
その不器用な負けず嫌いが、なんだかとても愛おしい。
「では、お言葉に甘えて」
私は早速、目当ての歴史書の棚へと向かった。
◇◆◇
それから数時間。
私は時の経つのも忘れて、本の海に溺れていた。
誰にも邪魔されない。
急な呼び出しもない。
まさに至福の時間だ。
ふと、喉が渇いて顔を上げると、閲覧席の隅にいるイグニス殿下に気付いた。
彼は一番奥のテーブルで、静かに書類仕事をしている。
そして、その向かいにはテオ殿下がいて、無言で戦術書を読んでいる。
さらに窓辺にはウィル殿下がいて、魔術の論文を書き連ねている。
(……皆様、いらしたのね)
彼らは約束通り、私には一切話しかけてこない。
ただそこにいて、それぞれの時間を過ごしている。
私が読書に集中できるように。
私の「一人の時間」を守るために。
かつての休日で、我慢できずにドアの前に集まっていた彼らが、今はこうして「同じ空間での沈黙」を共有してくれている。
その成長と配慮が、胸に染みた。
私は本を置き、彼らの元へ歩み寄った。
「……お疲れ様です」
私が声をかけると、3人がバッと顔を上げた。
「レイラ! 邪魔をしたか?」
イグニス殿下が慌ててペンを置く。
「いいえ。……皆様がいらっしゃるのに、私だけ楽しんでいて申し訳なくて」
「何を言う。俺たちは空気だと思えばいい」
テオ殿下が苦笑する。
「そうですよ。僕たちはただ、レイラさんが幸せそうにページをめくる音をBGMに仕事をしているだけですから。……最高に捗りますよ」
ウィル殿下が、うっとりとした顔で付け加えた。
彼らにとっては、私が側にいること自体が「癒やし」になっているらしい。
「……少し、休憩しませんか?」
私は提案した。
「お茶の用意をしてあります。ランチの時に飲もうと思って。……以前、ウィル殿下に淹れていただいたお茶が美味しかったので、真似してみたんです」
私がバスケットから魔法瓶とカップを取り出すと、3人の目が輝いた。
「レイラの手作りか!?」
「手作りというか、淹れただけですが」
「頂こう。毒が入っていても飲み干すぞ」
「入っていませんよ!」
静寂だった図書館に、笑い声が響く。
私たちは円卓を囲み、温かい紅茶とクッキーを楽しんだ。
テオ殿下が戦術書の内容について熱く語り、ウィル殿下がそれに皮肉を返し、イグニス殿下が呆れながらまとめる。
いつもの光景だ。
でも、王宮の執務室とは違う、ゆったりとした時間が流れている。
私はカップを両手で包み込みながら、彼らの会話を眺めた。
かつて私が望んだのは、誰にも邪魔されない「孤独なスローライフ」だった。
ギリアム宰相が提示した条件は、まさにそれだった。
けれど、今、こうして彼らと過ごす時間の中で、私は気づいてしまった。
ただ静かなだけの時間は、どこか寂しい。
この騒がしくて、温かくて、私を必要としてくれる彼らの声があるからこそ、静寂もまた心地よく感じられるのだと。
「……レイラ? どうした、急に黙り込んで」
イグニス殿下が心配そうに顔を覗き込んでくる。
私は首を振って、微笑んだ。
「いいえ。……ただ、幸せだなと思いまして」
「……っ」
私の不意打ちの言葉に、3人が硬直した。
イグニス殿下は耳まで赤くし、テオ殿下はカップを取り落としそうになり、ウィル殿下は口元を手で覆って身悶えしている。
「……反則だ」
イグニス殿下が呻くように言った。
「そんな顔で言われたら……このまま図書館ごと買い取ってしまいたくなる」
「やめてください。税金の無駄遣いです」
私は笑って諌めた。
窓の外では、夕日が王都を茜色に染め始めていた。




