第15話 「好条件」よりも大切なもの。私が選んだのは、手のかかる猛獣たちがいる騒がしい日常でした
ギリアム宰相による「ヘッドハンティング騒動」から一夜が明けた。
迎賓館の一室。
優雅にモーニングコーヒーを楽しんでいたギリアム宰相の元へ、招かれざる客たちが訪れていた。
ドアをノックもせずに蹴破って入ってきたのは、イグニス、テオ、ウィルの三兄弟だ。
「……朝から騒がしいですね」
ギリアムは眉一つ動かさず、カップを置いた。
「レイラ嬢への返答を聞きに来たのですか? 彼女ならまだ迷っているはずですが」
「迷わせてなどやるものか」
イグニスが、ドカッと向かいのソファに座り込んだ。
その全身からは、隠しきれない殺気が立ち昇っている。
「単刀直入に言おう、ギリアム。……今すぐレイラへの勧誘を撤回しろ。さもなくば、貴国は明日から魔石の供給停止という『冬』を迎えることになる」
「俺の第二騎士団を国境付近に展開させた。手元が狂って越境しない保証はないぞ」
「僕の方でも準備万端です」
ウィルが黒いファイルをチラつかせる。
「宰相閣下の『個人的な趣味』に関する資料……全世界にばら撒きましょうか?」
経済封鎖。軍事侵攻。黒歴史の暴露。
3人の王子は、なりふり構わず国力を私物化し、ギリアムを脅迫していた。
「……狂っている」
ギリアムは、心底呆れたように呟いた。
「たった一人の女性のために、国益も、外交も、自分の名誉すらドブに捨てるつもりですか」
「「「当然だ」」」
3人の声が重なった。
その時だった。
「――いい加減になさいませ!!」
「レ、レイラ!?」
私が部屋へ入ってきた事に3人が驚いて振り返る。
私は肩で息をしながら、彼らを睨みつけた。
「何をしているのですか! 私的な感情で外交カードを切るなんて、王族としてあるまじき行為です! もし本当に国交が断絶していたら、どう責任を取るおつもりでしたか!?」
「……お前がいなくなるよりはマシだ」
イグニス殿下が、バツが悪そうに視線を逸らしながらも言い返した。
「国益? そんなもの、お前という『頭脳』があって初めて回るものだ。お前を失えば、この国の発展は止まる」
「俺にとっても同じだ。お前は俺の『心臓』だ。……心臓をえぐり取られて平気な人間がいるか?」
テオ殿下が切実に訴える。
「僕たちには、貴女が必要なんです。……貴女がいなくなれば、僕たちはブレーキを失って暴走してしまう」
ウィル殿下が縋るような目で見つめてくる。
3人の瞳にあるのは、傲慢さではなく、ただ一人の人間としての弱さと渇望だった。
私はため息をつき、ギリアム宰相に向き直った。
「……お見苦しいところをお見せしました、宰相閣下」
「いえ。……愛されていますね」
ギリアム宰相は苦笑した。
「さて、レイラ嬢。彼らの暴走をご覧になった上で、改めて伺います。……私の手を取りませんか? 彼らのような『感情的な上司』の下で働くのは、合理的ではないでしょう」
彼は手を差し出した。
その手を取れば、週休二日、残業なし、静かな図書館での生活が手に入る。
それは、私が夢見てきた理想郷だ。
けれど。
「……申し訳ありません」
私は深々と頭を下げた。
「お断りさせていただきます」
「……理由を伺っても?」
「はい。おっしゃる通り、彼らは感情的で、手がかかって、公私混同も甚だしい困った上司たちです」
私は3人を振り返った。彼らは不安そうに私を見つめている。
「ですが……私がいないと、本当に何をしでかすか分からない人たちですから」
私は苦笑した。
「彼らの手綱を握り、その能力を正しく国益に結びつけること。……それができるのは、世界で私しかいません」
それに、と私は付け加えた。
「あちらの国には、いないのでしょう? ……真顔でぬいぐるみを検品する王太子も、お祭りでハシャぐ騎士団長も、変な実験に誘ってくる天才策士も」
静かな生活は魅力的だ。
でも、彼らがいない毎日は、きっと退屈で……寂しい。
どうやら私も、この騒がしい日々に毒されてしまったらしい。
「……なるほど」
ギリアム宰相は、ふっと笑って手を引っ込めた。
「『合理性』よりも『情』を選びましたか。……残念です。貴女のような才女なら、正しい選択をすると思ったのですが」
「これが私の選んだ『正解』です」
私がきっぱりと告げると、ギリアム宰相は満足げに頷いた。
「分かりました。引き下がりましょう。……これ以上粘ると、この国の猛獣たちに本当に殺されそうですからね」
彼は立ち上がり、部屋を出て行った。
残されたのは、私と3人の王子たち。
「レイラ……」
イグニス殿下が、恐る恐る私に近づいてきた。
「本当に、いいのか? あちらの方が条件は良かったはずだ」
「ええ。……ただし、条件があります」
私は人差し指を立てて、3人に突きつけた。
「一つ。外交や軍事を、私的な感情で動かさないこと。国益を最優先してください」
「分かった。善処する」
「二つ。……週休二日は無理でも、せめて『週に一日』は、完全に業務から離れる休日をください。私の『メンテナンス』の時間です」
「約束する! 俺が死守してやる」
「三つ。……これからは、もう少し私を頼ってください。暴走する前に、相談してくださいね?」
「はい! もちろんです!」
3人の顔が、パァっと輝いた。
まるで、飼い主に許された大型犬のようだ。
「さあ、帰りますよ。……溜まっている仕事が山ほどありますから」
私が歩き出すと、3人は嬉しそうに私の後をついてきた。
逃げ場のない「檻」だと、ずっと思っていた。
けれど、その鍵を内側からかけたのは、他ならぬ私自身だったのだ。
こうして、私の「引き抜き騒動」は幕を閉じた。
スローライフは遠のいたけれど、この騒がしくて愛おしい日常も、悪くはない。
……まあ、彼らの重い愛に胃薬が手放せなくなる未来は、変わらないのだけれど。




