第10話 騎士団長との下町デートは「物理防御」と「過保護な餌付け」が標準装備。……脳筋かと思ったら、計算尽くのエスコートでした
イグニス殿下との「検品デート」から数日後。
私は再び、休日の王宮を抜け出していた。
「悪いな、急に連れ出して」
隣を歩くのは、変装をした第二王子、テオ殿下だ。
ラフな革のジャケットに、動きやすいパンツスタイル。
派手な赤髪はフードで隠しているが、その長身と、端正な顔立ち、服の上からでも分かる引き締まった肉体美は、道行く人々の視線を惹きつけてやまない。
「いえ。予告はされておりましたし、少し根を詰めすぎていましたから。丁度いい息抜きです」
ここ数日、イグニス殿下との仕事が楽しすぎて、私は食事も睡眠も疎かにして没頭していた。
たまには、こういう日があってもいい。
「今日は下町で収穫祭をやっている。美味いものを食って、頭を空っぽにしろ! お前はいつも、頭を使いすぎだからな」
そう言ってテオ殿下が私の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「か、髪が乱れます……」
「乱れてもお前は可愛いぞ」
くっ……。それはずるい……。
「にしても、いい天気だな」
「はい。とても」
彼は私の歩調に合わせて、ゆっくりと歩いている。
人混みが近づくと、自然な動作で車道側に立ち、すれ違う通行人が私にぶつからないよう、自身の体で壁を作る。
その所作に、暑苦しさは微塵もない。
あるのは、部下や守るべき対象を常に気にかける、指揮官としてのスマートな気遣いだ。
◇◆◇
下町はお祭りの熱気に包まれていた。
テオ殿下は慣れた様子で露店を巡り、串焼きや果物を買ってくる。
「ほら、食ってみろ。ここの肉は下処理が丁寧だ」
差し出されたのは、食べやすいサイズにカットされた肉串だった。
一口食べると、肉汁が口いっぱいに広がる。
「美味しい……」
「だろ? 栄養価も高い。お前は細すぎるんだ、もっと肉をつけろ」
「に……肉って……」
彼は自分の分の串焼きを頬張りながら、慈愛に満ちた瞳で私を見つめ、呟いた。
「こんなに小さい身体のお前が頑張っているのを見ると、心配になる」
ドキリとした。
その琥珀色の瞳の熱っぽさにあてられたのか、私の顔まで少し赤くなってしまった。
「も……申し訳ありません。ご心配をおかけして……」
「全くだ! だから、あまり心配させないでくれ」
「……ぜ、善処します」
普段は豪快な彼が、繊細な顔を見せる度に……少し心が揺れる。……本当に、ずるい。
◇◆◇
広場の一角には、人だかりができていた。
射的の屋台だ。
ただし、ここの屋台は少し特殊で、的が風車のように高速で回転している上に、距離も遠い。
客たちが次々と挑戦しては、「当たるわけねぇ!」と悔しがっている。
「……ほう。面白そうだな」
テオ殿下が足を止めた。
彼は店主に銀貨を渡すと、コルク銃を受け取った。
そして、私に向かってニヤリと笑う。
「レイラ、あれを見ろ。あの特等の『高級羽毛クッション』。お前のデスクワーク用に丁度いいだろ」
「え? いえ、あんな遠くの動く的、無理ですよ」
「見てろ」
テオ殿下は銃を構えた。
その瞬間、彼の纏う空気が変わった。
先ほどまでのリラックスした雰囲気は消え、獲物を見据える狩人の目に変わる。
(……狙わないの?)
彼はすぐには撃たなかった。
じっと的を見つめ、指先で風を感じ、何かを呟いている。
「風速、南東へ1.2メートル。回転周期は0.8秒。……コルク弾の質量と初速から計算して、偏差は……ここか」
パンッ。
乾いた音が響いた瞬間、回転する的の一つが弾け飛んだ。
それだけではない。
パンッ、パンッ、パンッ!
流れるような連射。
彼は的の回転リズムに合わせて、次々とコルク弾を命中させていく。
それは「勘」や「腕力」ではない。
物理法則に基づいた、精密な計算と予測による射撃だった。
「お見事!」
店主が目を丸くして、特等のクッションを差し出した。
テオ殿下はそれを片手で受け取ると、涼しい顔で私に手渡した。
「ほらよ。腰にいいぞ」
「……ありがとうございます。意外と……いえ、すごい計算力ですね」
「ん? 当たり前だろ」
彼はきょとんとした顔をした。
「戦場で弓兵や攻城兵器を指揮する時、風や距離を計算できなきゃ話にならん。……筋肉だけで戦争ができると思ったら大間違いだぞ?」
「……失礼いたしました」
私は認識を改めた。
この人、ただの「頼れる兄貴分」じゃない。
現場で叩き上げられた、実践的な知性の持ち主だ。
「それと、これもだ」
「え?」
テオ殿下はガラス製のインクの壺と、良質な羽根ペンを差し出してきた。
先程クッションと共にゲットした射的の景品だ。
「これは……」
「日々の業務に使え。いくつあっても困るようなものじゃないだろ?」
「よろしいのですか?」
「勿論。それに、お前がこれを欲しそうに見てたからな」
「そ……そんな顔をしていましたか!?」
「お前の事なら、なんでも分かる」
そう言ってテオ殿下は私の鼻先をツンと指で弾いた。
「さ! 次行くぞ!」
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
「おう!」
テオ殿下の満足気な笑顔は、宝石よりも輝いていた。
◇◆◇
祭りの帰り道。
少し人通りの少ない路地に入った時だった。
「おい、そこの姉ちゃん。いい服着てるじゃねぇか」
前方から、柄の悪そうな男たちが数人、道を塞ぐように現れた。
酒に酔っているのか、目が据わっている。
「そのクッションも高そうだな。俺たちに寄越せよ」
男の一人が、私の腕を掴もうと手を伸ばしてきた。
私が身構えるより早く、テオ殿下が私の前に割り込んだ。
彼は男の手を払いのけることも、怒鳴りつけることもなかった。
ただ、静かに男を見下ろしただけだ。
「……楽しい祭りの最中だ。無粋な真似はよせ」
低い声。
だが、そこには絶対的な強者の余裕と、有無を言わせぬ威圧感が満ちていた。
「あ? なんだテメェ。やる気か?」
男が腰のナイフに手をかける。
愚かな行為だ。
テオ殿下はため息交じりに首を振った。
「俺は構わんが……お前たちのためにならんぞ」
彼は一歩、前に出た。
それだけで、男たちがビクリと後ずさる。
「王国法第32条。祭典時における凶器の携行および脅迫行為は、即時の拘束と、加重処罰の対象だ。……今この場で武装解除し、衛兵に自首するなら情状酌量の余地はあるが?」
「な、なんだよ、法律家か!?」
「いや。ただの通りすがりの『護衛』だ。……だが、俺が手を下すまでもない」
テオ殿下は、指をパチンと鳴らした。
その瞬間、路地の屋根や影から、数人の男たちが音もなく降り立った。
私服姿だが、その身のこなしは間違いなく、彼が率いる第二騎士団の精鋭たちだ。
「確保しろ」
「ハッ!」
一瞬だった。
チンピラたちは悲鳴を上げる間もなく取り押さえられ、連行されていった。
「……いつの間に」
私が呆然としていると、テオ殿下は苦笑いした。
「俺が王宮を出る時、部下がついてこないわけがないだろ。……デートの邪魔はされたくないが、お前の安全が最優先だ」
彼は私の背中を優しく叩いた。
「悪い。怖い思いさせたか?」
「いえ……。殿下がいらっしゃいましたから」
暴力で解決するのではなく、法と組織力で冷静に対処する。
その姿は、私が知る殿下のイメージとは程遠い、頼りになる大人の男性そのものだった。
◇◆◇
王宮への帰り道。
一日中歩き回ったせいか、私は少し足を引きずっていた。
それに気づいたテオ殿下が、私の前で足を止めた。
「足、痛むのか?」
「あ、いえ。少し靴擦れを……」
「無理するな。……乗れ」
彼は背中を向けてしゃがみ込んだ。
「え?」
「背負ってやる。ここから王宮まではまだ距離がある」
「い、いえ! 人目もありますし、重いですから!」
「軽い軽い。羽根ペン一本背負ってるのと変わらん。それに……」
彼は肩越しに私を見て、悪戯っぽく笑った。
「こうすれば、人混みでも絶対に迷子にならないだろ?」
「……それはそうですけど」
「ほら、早くしろ。俺がお前に触れたいだけだ」
そうストレートに言われては、断る言葉もない。
私は観念して、彼の広い背中に身を預けた。
ふわり、と視界が高くなる。
鎧を脱いだ彼の背中は、想像していたよりもずっと温かく、そして安心感があった。
鍛え上げられた筋肉は、決して硬すぎず、心地よい弾力で私を支えてくれる。
「……テオ殿下」
「ん?」
「今日は……ありがとうございました。楽しかったです」
「ははっ、そりゃ光栄だ。……だが、こんなもんじゃないぞ。俺はまだまだお前を甘やかすつもりだからな。覚悟しとけよ」
彼は楽しそうに笑い、私を背負ったまま、夕暮れの道を歩き出した。
その背中で揺られながら、私は思った。
イグニス殿下の知的な支配も悪くないけれど、この物理的で、かつ計算された「過保護な安らぎ」も、抗いがたい魅力がある、と。
私の監禁生活は、この頼もしすぎる騎士団長によって、ますます逃げ場を失っていくのだった。




