不穏な事実と賭けの一手
「お、おお……ビビった……」
流石の俺でも一瞬目を疑ったぞ。いや正直、今でも目を疑ってるが。
これ……夢か、幻か、そういうのじゃねえのか。疲れすぎて頭がおかしくなってるんじゃねえか……?
「……いや、痛えな。ちゃんと現実だ」
頬が腫れただけだったよ畜生。
変な匂いと重てえ空気のおかげで疑いたくても疑えねえ──つまり、ここにあるのは、本物の人間の死体だ。作り物でもなんでもない、正真正銘の。
漂ってる甘い匂いは花とかそういう優しいタイプの匂いじゃねえ。マドリーの仕事場っぽい、もっと人工的な薬品みたいな匂いだ。それに混ざって鼻の奥がツンとする、吐き気を催すような嫌な匂いもする。
これは、防腐剤と……腐った肉の匂いか? 少なくともこの死体は死んでから数か月経ってる、それを無理やり防腐剤で誤魔化して、表向きは体面整えてるって感じの匂い。
……ソラナはどこだ?
部屋の中には……いねえな。ベッドのカーテンは閉まってるが中にいる気配はねえし、机の上には本が積んであるが誰も座ってねえ。外に行ってるのかもしれねえが……要は今この部屋にソラナがいねえってことだよな。どこ行ったんだ。
でも、ソラナがここにいねえってことは──俺にはこの遺体を調べる時間があるってことになる。そういうことになっちまう。
「ええ……近づきたくねえんだけど……」
俺はソラナを助けるためにここまで来たんだ。そのためには、教会の内部を知り尽くす必要があるのも勿論だが──ソラナが何をしてるのか、何でこんなもんがここにあるのか、そういうことだって確認しなきゃいけねえ。
それはそうなんだ、そうなんだが……普通ならこの状態になるまで変質した人間の死体を調べたいとは思わねえよな……。
足が重たい。一歩ずつ、ゆっくり近づく度に床の絨毯が足音を吸い込んで、静かなままだ。息をするのも憚られるような、そんな空気で部屋が満たされてるっていうか。
肉体は……崩れないように、何かで固められてるみてえだな。表面がテカテカ光ってる、何かで膜を張ってんのか。
ただ、それでも腐敗は当然止められてねえ。筋肉とかはほとんど溶けちまってるし、骨が完全に見えてる。胸辺りの骨が剥き出しで、腕の骨も、足の骨も、場所によっては全部見えてるとこだってあるぞ。まるで飾ってある標本だな。
いや、油とかが固まって蝋みたいになっちまってるし、ご丁寧に飾られてる標本なんかよりずっと生々しいが。こいつはつい最近まで生きてた人間だったんだってことが、はっきり分かる。
よく見れば死体には服が着せられてる。死肉が沁み込んで変色してるし、ボロボロになってるが──一応まだ形は残ってる。
この服、どっかで見たような気がするな。どこで見たんだ? 思い出せねえけど、確かに見覚えがある。なんなら自分でもこの服を着てたような記憶だってある。
死体が置かれた台の周りにも何かが描かれてる。
床に白い粉で……なんだこりゃ、模様か? 円が何重にも重なってて、その中に記号みたいなもんが並んでて。色々な形の図形が書かれてる。文字も書いてあるみたいが……全然読めねえぞ。見たこともねえ言語だ。
いかにも魔法や呪いとか、そういった類の怪しい儀式の現場ですって感じだな。そんなもんは存在しねえはずだが、これにはそう呼ぶしかねえような、そんな禍々しさがある。見てるだけで背筋が寒くなってきそうだ。この死体は差し詰め儀式の生贄ってところか。
「そもそもなんでこんなもんがソラナの部屋にあるんだよ……」
まさかとは思うが……ソラナが殺したのか?
いや、そんなはずねえよな。ソラナはそんなことする人間じゃねえ。じゃあ誰かから預かったのか? 教会が用意したのか? 教会の指示でやりたくもない作業をさせられてるって線もあるよな。むしろ俺的にはそっちの方がずっといい。ソラナが単純な被害者って形の方が俺にとっては都合がいいし。
もうちょっと調べれば、分かるかもしれねえ。色々崩れてようが、根気よく調べれば、何か手がかりがあるかも──
「──さ、触らないでください!!」
!?
*
おおお!? びっくりした、いつの間に!
いや、違う──俺が目の前の光景に気を取られ過ぎてたんだ。そうだそうじゃねえか、外に行ってるならいずれ戻ってくるってことだろ、油断した!
「な、なんで、いるんですか! 触らないで、ください! 出ていって!」
ソラナだ。マズい、完全に見つかっちまった。
どうする、逃げるか? いや待て、ここで逃げたら二度と近づけなくなるかもしれねえ。それにソラナが何をしてるのか確認しなきゃいけねえんだ。
「そ、それは──たい、大切な人の、遺体、なんです。だ、だから、触らないで!」
「ちょっ、悪かった、悪かったって! 落ち着け!」
「は、早く。出て行って、ください。ここは、わ、私の、部屋ですから」
た、大切な人だあ? マジかよ。普通に色々触ろうとしてたぞ俺。
ソラナにとってそんなに大事な人間って──家族か、友人か、知り合いか? 分からねえけど、ソラナがこんなに必死になってるってことは、相当大事な人間ってことなんだろう。やっちまったな、初手から印象悪くしちまったぞ。
「ど、どうして。どうして、まだ、ひ、人が、残ってるん、ですか? しゅ、集会は、もう、お、終わった、はず、なのに」
「分かった、分かったって、もうそれには近づかねえから──」
「『それ』!?」
「悪い! その人! その人には近寄らねえって!」
指一本触れさせねえって態度で俺と死体の間に割り込んでこっちを睨んできてる。
分かったって! お前を傷つける気はねえし、もう近寄らねえのは本当だよ! そこまで敵対的な態度取られてまで強行する気はねえから! ていうか、いつもあんなにおどおどしてたのに、お前そんな態度取れるのかよ! びっくりしたわ!
……おお、ごめんって。ちょっと睨むの止めてもらえるか? 罪悪感のせいか知らねえけどさっきから胸の奥がズキズキ痛いんだが。ちょっとシャレにならない痛み方してるんだが。
「わ、悪い、ちょっと待ってくれ──」
「誰にも、触らせる、もんか! 出てって、この……間男が!」
耳が痛えよ。
こんな大声出すソラナなんて初めて見たぞ。文官の頃は自分から強く言うことなんて一度もなかったのに。何がソラナをここまでさせてるんだ。この死体が、それだけ大事ってことなのか。
てか押す力がどんどん強くなってきた。強くなってきたっていうか、俺の腕に何故か力が入らなくなってきた。このままじゃ本当に部屋から出されちまう。でも、ソラナを無理やり押しのけるわけにもいかねえし。
どうする。どうすればいい。何か言い訳を──いや、言い訳なんて通じるのか? ソラナは完全に俺を追い出すつもりなのに。
「う、うおっ!?」
た、立てねえ! なんだこれ!?
ソラナに突き飛ばされて、壁に当たって、そこから腕にも足にも力が入らねえ。な、なんだよ、どうすりゃいいってんだ。
あ、すまんソラナ助けてくれ──おい、どこ行くんだ、見捨てないでくれよ。
「ア、アシェルさん……だ、大丈夫、ですか……? へ、変なこと、さ、されて、ない、ですか……?」
……え?
え、アシェルさん? それ俺なんだけど。
待て、ソラナが誰に話しかけてやがる。なあソラナ、お前、今話しかけてるの、それ──
──死体、だぞ……?
「すぐに、い、生き返らせ、ますから……呪いの、力があれば、すぐに……」
い……生き返らせる?
何言ってやがる。死んだ人間が生き返るわけねえだろ。それは俺だけの話だ。普通の人間は死んだら終わりだ。なのにソラナは、何を、まさか──
「ま、待ってて、ください……わ、私、今度こそ、ぜ、絶対に、成功、させますから……ね、アシェルさん……?」
アシェルさん。
またアシェルさんって言った。この死体に向かって、アシェルさんって。
──『結局墓の中には何の遺体も埋まっていなかった。やはり彼は生きているのだと思う』
まさか、そうなのか。
あの死体は──文官の頃の俺の死体なのか。
そうだ、そう言われればあの服の刺繍。タリエとソラナが着てた服にも同じような刺繍があった。あれは文官の正装に入れる奴だ。俺も文官の頃に何度も着ることになったから覚えがあったんだ、むしろ今まで忘れてたのがおかしいってぐらいなのに。
ベラが墓を掘り起こした時、遺体がなかったって話をしてたのもそれだ。結局酒家のアシェルの死体はそのまま残ってたが、文官のアシェルの死体が無かった。これは、俺が死んだら死体が消失するんじゃなくて──ベラが掘り起こす前に、ソラナが掘り起こして持ち帰ってたからなんだ。
死体に腐らないための処理がしてあったり、崩れないために膜を張ってたり、ご丁寧に服を着せたりしてるのも、その死体が──俺自身だから
「……ソラナ」
「黙ってて! ……ね、ねえアシェルさん。部屋、変えましょうか? せっかく、か、幹部になれましたし、もっと、キレイな、部屋にして……」
ああ違う、ソラナ、それはもう俺じゃない。俺の体だが、俺はこっちなんだよ。
何言ってんだ俺は。ああもうややこしい。
ソラナは教会に取り込まれて、呪いの力なんて訳の分からねえものを信じちまってる。アイツが言ってた「作業」って、これのことなのか。文官のアシェルを、生き返らせること。床に描かれた謎の陣も、呪いで俺を生き返らせるための準備だってのかよ。
そんな魔法みたいなことあり得る訳ねえのに、教会に情報を刷り込まれちまったソラナは、縋るものが欲しくてそんなことを信じちまってるんだ。呪いで人が生き返るって、本気で思ってやがる。それで、実現しようとして、周囲から煙たがられたり、遺体の回収から時間が経ってるのに上手くいってない──結局、実現できてねえってことじゃねえか。
てことは、ソラナも完全に──壊れちまってる。ルシア、タリエ、ベラ、リアン、マドリーと同じで……なんで俺と関わったヤツは全員病んでるんだよ!
どうする。今までの壊れちまったヤツらと違って、ソラナは自分一人で生きていくほど完全に心が強い訳でもねえし、そもそも今いる場所だっていつどうなるか分からない危険な状況なんだ。このままじゃソラナは取り返しがつかねえことになるぞ。
今の俺は目の前にいるんだ。
死んでねえ。別の体だが、俺は生きてる。
今の俺は、とにかくなんとかしてソラナの目を覚まさせなきゃいけねえ。
でもどうやって。どうすればソラナは──
*
「──『片月待て』」
「……えっ?」
よし、ソラナの動きが止まった。
死体から顔を上げた──こっち見たな? よし!
「ソラナ、覚えてるか」
「な、何を──」
「『片月待て』だよ。北部の盗賊が使ってた言葉。覚えてねえか?」
「……なんで、そ、それを」
知ってるのか。よかった、ちゃんと覚えててくれたのか。
よし、後は頑張って立ち上がって、ソラナの目を見て──
──お、おお?
なんだ? 急に体に力が入るようになったぞ?
何だこれ。さっきまで立てなかったのに、今は普通に動ける。さっきまでのシャレにならない胸の痛みも急に消えてやがった。何が起きた?
……い、いや。今はそれどころじゃねえ。ソラナがこっちを見てる。チャンスだ。
「文官の頃、この盗賊の隠語を尋問の時に教えたろ。『一ヶ月待て』って意味だ。でも今はもう使われてねえ。俺たちの尋問のせいで、盗賊以外も知るようになったから意味がなくなった」
「ど、どうして……な、なんで、あなたが……そ、それを、し、知って……」
ソラナの顔が真っ青だ。混乱してやがる。だよな、当たり前の反応だ。
だって、もう使わなくなった言葉を、わざわざ選んでお前に言ってるんだから。
北部の盗賊に限定される言葉を、全く盗賊と関係ないお前にわざわざ言ってるんだから。
俺たちがした会話っていうとこにしか共通点のないフレーズを、あえてお前に言ったんだから。
相当、勘が鈍くねえ限り──意図は分かるはず。
「う、嘘……そ、そんな……で、でも……」
おいおい、後ずさりするなよ。傷つくだろ。今の俺はさっきと違って普通に動けるんだぞ?
怖がってるのか。それとも疑ってるのか。どっちでもいい、とにかく今は信じてもらえればそれでいい。
「まさか……ほ、本当に……? そんな、こと……」
「あり得ねえなんて言わねえよな。だってお前は『呪い』なんてもんを信じてるんだから」
「……!!」
そうだ。
ルシアにもタリエにもベラにもリアンにもマドリーにもネルにも、本当のことは言えなかった。何故って、そんなこと普通は信じられねえからだ。すぐホラ話だって思われるし、場合によってはタリエみたく「死者への冒涜だ」って激昂する可能性もある。いくら真実でも迂闊に口には出せねえ。
ただそれが、ソラナなら話は別だ──宗教にどっぷりハマっておかしなことを信じるようになっちまった、ソラナなら。
「そうだ、言ってやる。なんならお前が持ってきた忘れ物が──俺の印が入った手布だってことまで言い当ててやろうか」
「……! う、嘘……そんなこと……!」
いける、ソラナなら話しても大丈夫だ。
半ば賭けだったが、非現実的なことに「いいえ」と言える他のヤツらじゃなく、呪いで人が生き返るなんてことを信じてる──ソラナが相手なら……!
「俺は……呪いで生まれ変わった──お前の先輩のアシェルだよ!!」
「……っ!?」
固まってやがる。まだ信じてねえのか? それとも信じたくねえのか?
まあ混乱するのも当たり前だよな、いきなりこんなこと言われたら。
「嘘は、ついて、ない……で、でも、そ、そんな……ほ、本当に……?」
「本当だ」
頼む、信じてくれ。
まさかこの事実を他人に言うことになるとは思ってなかったが。この事実を知るヤツが俺意外に出てくるとは微塵も思ってなかったが。
でも、お前をこの危ない状況から連れ出せるならなんだっていい!
「ア、アシェル、さん……? で、でも……か、顔も、こ、声も……」
「生まれ変わりって言ったろ。体が違うんだから当たり前──でも中身は俺のままだ」
「じゃ、じゃあっ! ほ、本当に……ア、アシェルさん、なん、ですか……?」
「ああ俺だ。生憎証明できるようなもんは持ってねえが、とにかく俺だ。察しがついてると思うが、助けに来たぞ」
「……っ!!」
いける、いけるぞ。
俺はお前をここから助け出したいんだ。こんな訳の分からない教会からお前を連れて、元の普通の暮らしに戻すためにここまで来たんだよ。
「ほ、本当に……ほ、本当に、戻って、きて、くれた、んですか……?」
「ああ、戻ってきた。遅くなって悪かったな」
「ア、アシェル、さん……!」
お、おお、おい! そんな勢いで突っ込まれても──うわっぷ。
おっとっと、危ねえじゃねえか、倒れるとこだったぞ──
「も、戻って、きて、くれた、んですね!! わ、私、ずっと、ま、待ってて!!」
──ああ、でも、いいか。嬉しそうだ。
俺の胸に顔を埋めて、ずっと待ってたって、戻ってきてくれたって──
「ア、アシェルさん……アシェルさんっ……!」
嬉しそうに、安心したみたいに──何度も何度も俺の名前を呼んでやがる。
よかった。一時はどうなるかと思ったけど──ソラナがこんなに喜んでくれたなら、何も間違ってなかったってはっきり分かるってもんだ。
壊してばっかりの俺だったけど、そんな俺でもやっと──誰かを助けることができたんだ。
俺だって嬉しい──ありがとよ、ソラナ。
*
「アシェルさん……アシェルさん……♡」
懐かれ過ぎた。
え。こりゃどういうことだ。
いや、俺自身懐かれてる自覚はあったし、ソラナは俺のせいで壊れちまったんだから、それを助けたらちょっとは反動があるかとは思ったが。
「アシェルさん……ああ、あったかい……♡」
腕に抱き着かれて顔を肩に置かれてもう二、三時間経ったぞ。
長えよ。ちょっと外が明るくなっちまってるよ。そろそろ朝だぜおい。
ほら、文官の俺も台の上でこっち見てるよ。気まずそうじゃねえか。目無えけど。
目って溶けるんだ、初めて知った。
それでも──ここまで変わるもんなのか? 前世の頃から俺のこと結構気に入ってて、それが積もり積もって爆発したとか? それとも、これぐらいが普通で、俺が普通じゃねえってことなのか?
……九回目の人生を生きてるんだから俺が普通な訳ねえか。
「あー……おう。俺だぞー、よーしよし」
「あっ……えへ、えへへ……♡」
……まあ、いいか。
ソラナは結構可愛いヤツなんだし、役得だと思っとけばいいさ。
それに、結果信じてもらえたとは言え、呪いなんてある訳ないものを使って騙した訳だし。ソラナの「呪いは存在する」って考え方も、問題にならないようちゃんと教えておいてやらねえと……。
「そ、それにしても……! 私の他に、呪いを使える人がいた、ってこと、ですよね……! だ、誰が、やったんだろう……」
「えっ」
「あっ、胸の痛みは……もう、大丈夫、ですか? さっきは、その、アシェルさんって、分からなくて。動きを封じて、結構強めに、呪い殺そうとして。ご、ごめんなさい……」
「………………えっ?」
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