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俺は死んだはずだよな?  作者: 破れ綴じ
1. 見習い兵士

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装備の無い日と来る祝祭

「代休、ね。でっけえ文字だな」


 掲示板は色々な連絡に加えて真ん中の一枚に主張の激しい文字があった。「祝祭前日のため代休、留守番の名札は別紙、当直は上段」。読み違えようがないデカさで、端は太い釘で四つ止め。わざわざ太い釘を使う意味がわからないが、誰かが抜いて持っていくのを嫌がっているのは伝わる。俺も一度だけ釘の頭を爪で押しといた。


 なんでも見習い兵士は祝祭当日、色々なとこの雑用だか警備だかに駆り出されるから、その前日が代わりに休み扱いになるんだとか。正規の兵士なら、その仕事は主要な地点の警備とか、お偉いさんの護衛とかに変わるらしい。兵士の代休は祝祭の次の日。見習いと日を分けてあるのは警備がゼロになる日を作らないためだろう。

 道理で朝の兵舎に誰もいなかったわけだ。ルシアと朝走ったから代休の概念を知らない俺はフツーにいつも通りだと思ってたのに。まあ休みの日でもルシアはちゃんと走るか。

 ただせめて、そのまま点呼の時間だと思って並んでた俺に誰か教えてくれてもよかったんじゃねえか。ああそうか、誰もいないから教えられねえのか、畜生。


 掲示板の前から数歩離れて、とりあえず歩きながら腰の内側に触れる小さな重みを指で確かめる。昨日貰ったやつだ。袋は薄い紐で縛ってあって、結び目は固い。結び目に赤い印が押してあって、爪の腹で押すと、指に粉が移る。

 袋の口を開けたことはまだない。袋の中で乾いた硬いものが数回だけ触れ合い、軽い音が鳴った。なのに、胸の奥ではやたら大きく響く。


「これが、給料、ね……」


 言ってみると、喉の奥に金属の匂いが広がって、舌に苦い気配が張り付いた。

 盗賊の頃は盗みで手に入れたものなんて全部ボスのものになる、俺みたいな下っ端には最低限の食料だけが渡される、それが当たり前だった。

 そのせいか、流石に給料の概念自体は分かるが、実際貰ってみると違和感がすげえ。

 どこにしまっておくのが普通なんだ。腰だと目立つ気がするし、服の中に入れれば胸につっかえて息の収まりが悪いし。兵舎の箱に置いて出るって手もあるが、そこまで箱の鍵を信用する気が起きねえし。


「しかも休み、か」


 当然、盗賊の頃は休みなんてものもない。俺たちはただ盗みの指示を受けて駆り出されるだけ。腹が痛かろうが足を怪我してようが風邪を引いてようが、下っ端の都合なんて上にとっちゃ無いものと同じ。だから、給料と休みなんてものが二つ揃っちまった今の状況は俺にとってとにかく不慣れな時間ってワケだ。

 実際、どうすりゃいいんだ? この体の元の持ち主はどういう風に金を使ってたんだ? メモ書きの一つでも残してくれればよかったんだが。

 まあ考えても埒が明かねえ。門のほうへ歩き出す。門番の詰所には誰もいない。椅子が二脚、片方だけ脚の一本に楔が噛ませてある。昨日の夜に誰かが噛ませたらしく、木口が新しい。そういうのを見るとつい手を出したくなっちまうが、今日はやめておこう。せっかくの休みだしな。






 *






 門を背にした途端、肺の中の空気が勝手に入れ替わる。建物の内側の冷えた匂いから、粉と油と布の混ざった街の匂いに切り替わる。肩のところで無意識に力が抜け、足取りが気持ちだけ軽くなる。自分でも意識しない内に兵士としての重圧みたいなもんを感じてたんだろうか。

 軽くなったぶん、腰の巾着の揺れがはっきりわかる。余計な音が出ない位置ってのがあるらしいが、盗んだ金しか掴んだことのない俺は今日の今日まで知らなかった。知らないことが多い日の歩き出しは、足の運びより頭のほうが騒がしくなる。


 通りへ出ると、声があちこちでぶつかって跳ね返ってきた。急げ、こっち先、台はあと三台、荷は裏へ回せ、釘は足りてるのか、数えてから叫べ、そういうやり取りが重なって、耳に隙間がほとんど残らない。

 押し付け合いではないが、手を止めている顔はあんまり見つからねえ。祝祭前ってのはこういう密度になるのか、と他人事みたいに目で確かめ、人の波の縁を拾って歩いた。

 まあ、見習いは休日ってだけで他は今が一番忙しいんだろうな。のんびりしてるのは俺ぐらいなもんさ。


「休め、って渡されて、立ったままってのも変な話だし……」


 独り言は喧噪に塗りつぶされる。誰にも届かない分だけ言いやすい。

 もの盗んだあとに響く逃げる声や怒鳴られる声なら慣れてたんだが、もの渡されてから歩く声の中に入るのは初めてだ。逃げるなって言われたことは何度もあるが、今日は別。俺の帰る場所から、外に出ていいと言われて外にいる。とにかく慣れなくて、何すればいいか分かんねえってのが正直なとこ。


 粉屋の看板の下で袋が次々に縛られ、縄の跡が同じ位置に残っていくのを横目に流し、鉄物屋の卓では釘の頭が手際よく平らに並べられていく。帳場の筆が紙の上を走る音はだいぶ早口で、おかげで紙札の角は小さく跳ねっぱなしだ。食い物の台では板の上に湯気がわずかに立ち、串の先が同じ角度で並ぶ。通りは押し合いになるほどじゃないが、立ち止まればすぐ詰まる密度で動いている。

 なるほど? 普通の人間はこういう感じの空気の中で生活してんだな。また一つ勉強になったよ。俺は詰め物みたいに薄い隙間を見つけて、そこだけ踏んで進んでいった。


「……あれ、昔、こじ開けたことあるな」


 ふと目をやった先にあった、錠前の部品を並べた台。舌の遊びが甘い型が目に入った。裏口の倉の戸で何度か抜けさせたやつだ。薄い板を差し入れると舌が逃げる、そういう作りになってる。だからあれで栓がしてあるところは簡単に盗んでいけた。

 今はそんなことできる立場じゃねえからな。手は出さずに、視線だけ渡して通り過ぎる。逆方向にあった道具屋の棚には刃物が吊られていて、刃の根元が磨かれていない、切れが落ちたやつがいくつか見える。

 今なら金もある、わざわざ鍵をこじ開けなくてもいいし、刃物だって人の目を盗んでこっそり持ち帰る必要も無い。


「金で買えるってなると、見え方が違うな」


 口から出た声は自分の耳にだけ届いた。盗ったあとに隠すか逃げるかしかなかった頃は、どこが弱いか、どこが暗いか、そればかり拾っていた。

 今じゃ値付けとか、店員の仕草に目がいく。数の切りの良さ、釣りの返し方、帳面に線を通す速さ。返しが早い店は、客の肩がぶつからないようになってるし、ぶつからないから回転も早い、順番を飛ばす客だって少ない。

 朝の通行だと、ああいう店が上手くいくようになってんだろう。昔じゃ考えもしなかった。とにかく新鮮だ。金を持ってると余裕が出るんだな。


 角を曲がると、干物を下げた棒が肩の高さをかすめていった。昔のクセで手についたものは何でもひったくりそうになる。気を付けねえと。

 潮の匂いが一波だけ通り過ぎ、すぐに別の鍋の湯気に消える。飴屋の小さな台に子どもが寄っていて、飴の棒が切断面を見せてた。包む紙は油が薄く引いてあって、指先にくっつかないようにできている。


「食いものは、どこでも当たり前にあるな」


 ふと気づけば辺りは飯の匂いで充満してた。俺が知らないだけで、このあたりは飯屋だらけの通りなのか? 

 串の艶、粉ものの焼き目、汁気の表に浮いた脂の輪。見てると段々腹が空いてくる。色々歩き回ってたし、朝は何も食べずにとりあえず出てきたからな。腹の虫はご立腹らしい。

 客の出入りに迷いがない台ほど、皿の返りが滑らかだ。立ったまま目だけやって、椅子のある店と立ち食いの台を見比べる。ある店の長椅子の脚は片方が短く、下に薄板を噛ませてあった。あれは噛ませが浅いな。座ったら揺れる。揺れる椅子は苦手じゃないが、袋を落としたくない客には向かないだろう。


 ふーん。そうか、人によって合う店は皆違うんだな。通りで、食えればなんでもよかった俺じゃ思いつかない。

 それじゃあ、腹を満たすにはどの店を選べばいいのか……。


「無難で、安くて、手軽に食えて、腹に残るやつは……どれだ」


 声のほうが先に焦れて、足がまだ決まらない。

 粉の店は香りの出し方が上手い、鼻に利く。湯気の店は色がいい、目に利く。串の店は手の速さがよく見える、楽に食えていいだろう。ただ、どれもこれもいい感じってなると話は別で、踏み込むほうに体が乗らない。

 紙札を受け渡す手を数え、釣りを返す掌の癖を数え、列の詰まり具合を見て。そんなことしても腹は黙っていない。音が喉の下で膨らんで、口の中に唾が溜まる。

 そもそも、匂いが多すぎだ。おかげで判断が鈍っちまう。鈍ったところへ別の匂いが差し込んで、また焦れて。それでも、腹は膨れる訳じゃねえし。

 他の奴らなら普段通ってる店にフラッと入れるんだろうが、お生憎サマ、俺はつい3週間前にこの体に成り代わったばっかりなんでな。このあたりの旨い店なんて一つも、なんなら旨くない店だって一つも知らない。今んとこ常連客だって胸張って名乗れるのは兵舎の食堂しかねえ。


「どの店もパッと見た感じ悪くはないが。さて、どうするか……」


 吐き出して、歩幅を少し落とした。

 そうだ、そこらの人間に実際に聞けばいいじゃねえか。

 実際にこのあたりを知ってる人間にどれがお勧めか聞くのが一番確実だ。

 こういう条件のとき、どれを選ぶのが普通なのか。それを是非とも教えてもらおう。


 ……と? 

 丁度その時、見知った顔が目の前を横切っていってつい声をかけた。


「タリエじゃねえか、久しぶりだな」


「げ……あなたですか……」






 *






 店の中は外の明るさを薄く落として、梁に絡んだ煤の色が天井の低さを物語ってた。窓は鉛で組んだ小片ガラスがはめ込まれていて、昼の光が卓の上で不揃いな四角に変わってる。指で机を二回叩けば、乾いてるのか、指先の皮に微かにざらつきが残った。

 女主人は声を張らずに動き、こっちの視線が向く前に壺から水を注いで欠けのある陶のカップを卓へ滑らせる。座った椅子は脚の一本がほんのわずかに短いらしく、体重の置き方で揺れが変わる。偽りのない古さってやつだな。俺はそういうのどうでもいいから気にしないが。


「あの」


 向かいに腰を下ろしたタリエが、小さなため息を喉の奥で潰してから、こちらに視線を寄越した。


「本当に、ここでいいんですよね」


「ひと回りしたが、決め手がねえし。とりあえずここは混んでいなかった、匂いも悪くなかった。腰を落ち着けたかったから、じゃあここでいいだろうと思って」


「ああ、そう、腰を落ち着けるなら正解。──でも、あなた、この近くの兵舎の見習い兵士なんでしょう。こういう区画のこと、僕より詳しいに決まってると思って、だから聞いたんですよ。『どの店が外さないか』って。で、なんであなたも知らないんですか」


「仕方ねえだろ。てかなんでお前も知らねえんだよ。俺お前を当てにするつもりだったんだぞ? この近くで働いてるからあんなとこにいたんじゃないのか?」


「こっちで仕事があったから臨時で来ただけです! あなたと違って僕は普段王都で働いてるんですから、知る訳ないでしょ」


 文句の形だった。明らかに声の角が立ってる。それでも、怒っているわけじゃなく、期待をはずされた軽い肩すかしに近い温度だ。

 まあ考えればそうか。成り代わってることをコイツは知らないから、俺ならいい店を知ってて当然だと思ったんだろ。

 タリエの目だけが真面目に理由を求めている。こっちは水を一口飲んで、なんて言い訳するか考える。水はぬるくもなく冷たくもなく、いい具合に舌の落ち着く温度だった。


「……いつも同じ時間に同じ場所で食べるほど、まだ余裕がない。街の地図は頭にあるが、腹の地図はまだまだってだけ」


「──それを聞いて安心すべきか、困るべきか、判断が難しいですね。質素な食事ばかりしている見習い兵士の舌が信用できるかも怪しいですし」


「困るなら、出るか」


「もう座りました。立ったり座ったりするほど、時間は残っていませんよ」


 言葉の終わりとほとんど同時に盆が運ばれてくる。置かれた瞬間に卓の木目と乾いた音で馴染んだ。椀の蓋がわずかに震えて、湯気がひとかたまりに上がる。

 陶の鉢には大麦の煮込みがたっぷりと、表面には葱の青と乾かした香草の粉が薄く散っていた。脇には黒い皮のまま焼いた根菜が切り分けられ、粗塩が光っている。

 籠の中には切り分けた黒パンが数片と、羊の乳の硬い干しチーズが小さな楔形に盛られていた。匙は木で、柄の先が手に馴染むほど磨かれているが、器の縁に当たるとまだ若い木の音が出る。


 タリエはこんな街中の店に似合わないお上品な仕草で食べ始めた。育ちの良さってやつか? 


「──うん、当たりですね」


「そんなにか」


「うん。大麦の芯が残っていないのに、形は崩れていない。葱の青も煮くたびれていなくて、噛んだあとに香りが残ります。安いですが、これくらいでも中々悪くないと思います」


 一々一言多いんだよなコイツ……。

 俺も同じように匙を入れ、湯気を胸に受けた。

 ……角がひとつ足りない。旨みが薄いというより、口の中で探している基準点が掴めなくて、匙の動きが無意識に強くなる。

 悪くはないが、兵舎の食堂で満足してるような貧乏舌の俺には新しすぎるような。


「どうです?」


「……俺には少し合わないな」


「はあ、そうですか。あんまり美味しいものを食べたことが無いんじゃないですか」


 あっさり言って、タリエは食事を続けていく。

 外れとはいい難いが、またこの店に来るってことはねえな。ああ、次はもう少し俺に合う店を探さねえと。

 ………………次? 

 考えながら、自分の言葉の中に引っかかりが出る。


 何考えてんだ俺。祝祭が終わったら今度は脱走計画だぞ。こんな規則だらけの暮らしからはさっさと抜け出すって考えてたんじゃなかったのか。そうなら次なんて考える意味は無いはずだ。見習いを止めて、俺は遠くに逃げる。それならこの店どころか、この通りに戻ることもない。

 じゃあなんであんなこと頭に過るんだ。自分でも気づかないうちにこの生活に慣れてきて、居心地良く感じ始めてるのか? 俺が? 嘘だろ? 

 いくら盗賊時代よりマシだからって、そんな不自由な人間になったつもりはねえぞ。

 ああ、ダメだ。んなこと考えてたらマジで鈍くなっちまう。考えを切り上げよう。そうだ、祝祭、祝祭だ。えー……と。


「──あー、ところで。例の約束は」


 タリエの目が少しだけ細くなる。眉間の溝は動かず、顎の角度も変わらない。


「焦らないでくださいよ。こっちにも事情ってものがあるんです」


「事情、ね」


「ちゃんとやってます。それでも、どうにも動かせない種類の都合ってのはあるんです。規則ですから。だから今すぐは無理です」


 短い言い置きに余地がない。

 こんなとこでも規則か。文官ってのは真面目なヤツにしか務まんねえんだな。俺には絶対無理そうだ。


「というかしつこいですよ。祝祭が終わればすぐ準備できるって言ってるんですから、あと二日ぐらい待てばいいのに」


「ああ悪い。急かせてすまねえな。気になっただけだ」


 言い切りになった。声は大きくないが、卓の面で跳ねる強さがある。俺の視線が無意識にわずかに落ちた瞬間、タリエはすぐに息を整えて声の角を引っ込めた。


「それならいいです。じゃあ僕は、そろそろ戻らないといけないので」


「ああ、頑張れよ」


「はい、代金置いておきますね」


 いくつかの貨幣が机の上にきれいに置かれて、そのままタリエは出ていった。

 俺も会計を済ませ、外へ出る。昼の光が胸に当たり、目の内側に薄い熱が広がる。通りの風は、さっきより少しだけ早い気がした。






 *






『王都警備隊 祝祭行列に伴う配置改定 通達 第七号』


 短い休日も終わって、さて寝るぞといった心持ちで掲示板を確認したら新しい紙が貼ってあった。太い文字の下に、区画ごとに行を分けて小さい文字並んでいる。

 紙の白に墨がまだ新しく、筆の返しがところどころで濃く溜まっている。こりゃいつもの奴が書いてる字じゃないな。筆圧がやや軽く、終筆が短い。よっぽど緊急の要件だったのか。さっさと貼っとけばいいのによ。


『第二区 北側通路補助 アシェル(旧:市場南裏手巡回)』


「俺じゃねえか。北側通路ってどこだよ……」


 あー……だいぶ人数の多いところに再配置されてるな。

 じゃあ、ルシアとは別の配置になるのか俺。それで上手くいくのか。明日はなんとしても乗り越えないといけねえんだぞ。


「……っ?」


 気にしすぎか? せいぜい、いつもの相方とは別行動になるぐらいだろうが。

 なんだかゾワッとする、嫌な予感が俺の胸の中を走っていった。

感想やご意見をお待ちしていますのでよろしければ……(´・ω・`)

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