かつての苦い思い出と乗り越えた証
クソ……コイツ……!?
ふざけんなよ……その二つはあの酒家と薬家じゃねえか……!?
「いいか! よく聞けよテメエら」
ボスが机を叩いて俺たちリーダーを見回す。
この野郎、いやらしく笑いやがって。いつもの脂ぎった顔に余計吐き気がしてきたぞ。
「まずバレク家だ! 王都から馬車で数日か、まあそこそこ名の知れた酒造ってる家だな。造る酒はうめえが、今じゃ落ち目もいいとこだ。当主がくたばりかけてやがるし、跡継ぎのガキもまだ若造で使えねえ。何かトラブルでもあったのか今じゃ家全体の士気がガタ落ちだ。今なら楽勝だぜ」
バレク家──俺の家だ。俺が酒家で生きてた時の俺の家だ。俺はそこの長男だった。
今のリアンは俺の遺志を継いで、下戸でも飲める酒を完成させてたはずだ。今邪魔される訳にはいかねえ。なのに。
「グロス家も同じだ。こっちもバレク家と同じ、王都からは離れた場所だな。あそこは薬を扱ってる家だが、こっちもトラブルがあったらしくてな。家全体で統率が取れてねえらしい。警備も減らしてるらしいぜ。つーことは、これ以上ねえチャンスってことだろうが! ガハハ!」
グロス家──マドリーの家だ。
俺が助けた後、マドリーが無事だったのかどうかは分からなかったが……リアンとの酒を造り上げてるし、そういう嫌な噂も聞かねえからきっと今も無事なんだ。
その二つの家を狙おうってのかこの野郎は……!
「でよ、お前らにやってもらうのはいつもと同じ手筈のヤツだ。下っ端を何人か選んで、今日中に出発させろ。先に現地に行かせて、警備の様子を探らせるんだ。どこから入れるか、何人いるか、全部調べさせろ。終わったら俺たちが後から合流して一気に襲う。分かったか!?」
今日中に出発……いや、そうだよな。もし本当に襲いに行くなら、遠く離れたあの両家ならさっさと準備をしなきゃいけねえよな。
つまり、皆を助けようと思ったら、俺も今すぐ準備して出なきゃいけねえってことじゃねえか。時間がねえ。全然時間がねえぞ。止めなきゃいけねえのに。
──でも、どうやって?
この団でボスの命令は絶対だ。例えリーダー格だろうと、止める権限なんてまるでねえ。ボスが決めたことは、ボスが取り消さない限り実行される。誰も逆らえねえ。
盗賊の頃、ボスに逆らった奴がどうなったか、何度も見てきた。殴られて、蹴られて、最後には森に捨てられて獣の餌になる。俺だって同じだ。理不尽に何度も殴られてる。機嫌の悪いボスの前にいたってだけで殴られたこともある。今思い返せば、あれは俺にとって明確な「トラウマ」だった。今でも克服できてるかどうかわからねえ。
でも──でも、止めなきゃいけねえ。
バレク家にはリアンが、あの若え衆たちもいる。グロス家にはマドリーがいる。
例えそうじゃなかったとしても、その家が盗賊に襲われて、金を奪われて、殺されるかもしれねえなんて──
「決行は下っ端どもが戻ってきてすぐだ! 準備が整い次第、一気に襲う! 金も食い物も女も、何もかも根こそぎ奪っちまえ! 逃がすんじゃねえぞ! 抵抗する奴は殺していい! ガキだろうが女だろうが関係ねえ! 全部奪うんだ! ガハハ!」
クソ、無理だ。俺は下っ端じゃねえから、俺が先に現地に行くのはおかしいじゃねえか。だから今から急いで出発しても、俺が行ったことはボスにすぐバレる。そしたら──殺されるしかねえ。
「いいかお前ら、今日中に出発させろよ。準備が遅れたらどうなるか……分かってるな!?」
……畜生が、誰も答えねえよ。
リーダーたちは全員黙ってる。ボスの命令に逆らえるわけねえし、逆らったら殺されるって分かってるから怯えて何も言わねえんだ。クソ、昔からずっと変わってねえ。
「よし! じゃあ解散だ! さっさと動け! 今日中だぞ! 分かったな!?」
ああでも、俺はどうすればいいんだ。
答えが出ねえ。頭の中がぐちゃぐちゃだ。焦ってばっかで、何も考えられねえ。
リアンが、マドリーが、盗賊に襲われて、殺されるかもしれねえなんて。
止めなきゃいけねえ。止めなきゃいけねえのに。
どうすれば? どうすればいい……!?
*
自分の部屋に戻って扉を閉めた瞬間、膝が崩れそうになった。
畜生、手が震えてやがる。息も荒い。心臓がバクバク鳴ってる。
落ち着け、落ち着けよ俺……。
「はあ……はあ……」
深呼吸しようとしたが、息が上手く吸えねえ。喉が詰まったみてえになってて、空気が入ってこねえ。
リアンの顔が浮かぶ。真面目な顔で、必死に家を支えようとしてるリアンの顔が。
マドリーの顔が浮かぶ。優しい顔で、俺のことを心配してくれたマドリーの顔が。
せっかく新しい商品まで造り上げて、俺の死から乗り越えられて、次にあの家を継ぐことになるアイツらが、盗賊に襲われる。殺されるかもしれねえ。
今から俺が出発すればボスに怪しまれるし、先行隊が着くころにはもう手遅れになってるかもしれねえし、王都まで逃げて法の力を借りようとしたってこのアジトからじゃ時間がかかりすぎる。
ボスを説得しようったってできる訳がない。あの男が手下の言うことなんて聞く訳がねえんだし。むしろその場で逆上して俺を殺すことだってあり得る。そうなったら──次の成り代わりの確証がない俺にそんな選択肢は取れねえ。
「……クソ!」
何を弱気になってんだ俺! 守らなきゃいけねえのに、何をやってる? ボスが怖いから何もしねえのか? アイツらが殺されるのを黙って見てるのか? それを手伝う立場に戻ろうってのか?
ふざけんなよ。俺はまだ昔の冷酷な盗賊から何も変わってねえかもしれねえが、それでもアイツらを見捨てることはもうできねえんだ。
そんな俺が今更リアンを見捨てられるか? マドリーを見捨てられるか?
無理だ。絶対に無理だろ。
「じゃあ……やるしかねえ」
俺は、どうにかして、なんとしてもボスを止めるしかねえ。
でも──
ボスの顔が浮かぶ。あの脂ぎった顔が。あの目が。あの笑い方が。
これまで、何度だって理不尽に殴られた。ボスの機嫌を損ねただけで、殴られた。床に叩きつけられた。蹴られた。何度も何度も殴られた。盗賊の頃、ボスに殴られるのが日常だった。毎日のように殴られてた。理由なんてなかった。ボスが機嫌悪かっただけで、殴られた。
俺の中には、あの恐怖が今でも体に染みついてる。ボスの顔を思い出すだけで、気分が悪くて仕方がないってのに。さっき対面してた時だって、吐き気が凄まじかったってのに。
あの男の声が聞こえるだけで、背筋が凍りそうになってた。あの男の足音が近づいてくるだけで、息が止まりそうになってた。あの男がこっちを見るだけで、体が硬直してた。
盗賊の頃、俺はいつもボスの顔色を伺ってた。ボスが機嫌悪そうにしてたらできるだけ遠くにいようとしたし、ボスが怒鳴り声を上げたら体が勝手に縮こまってた。ボスが誰かを殴ってるのを見たら、次は自分かもしれねえって怯えてた。
あの頃の俺は、ボスに怯えて生きてきた。ボスに逆らうことなんて考えもしなかった。逆らったら殺される。それが分かってたから。
その俺が──本当に大丈夫か? 本当にボスを止められるのか?
「でも、やらなきゃいけねえんだ」
なんとしてもボスを説得しねえと。
足が震えて、手も震えて……でも止まる訳にはいかねえ。
歩き続けろ、気を強く持て、俺。
ボスの部屋は、すぐそこだ。
*
「……あ?」
あれ?
ボスの部屋の扉が、少しだけ開いてる。
『ガハハ! これでいくらになるんだろうな!』
中から聞こえてくるのは──ボスの声だ。一人で何か喋ってる。
……酒でも飲んでやがんのか、コイツ。呂律が回ってねえし、分かりやすく上機嫌だ。終わるどころか始まってすらないのに、懐に入る金の勘定を始めてやがる。
扉の隙間から中を覗くと、ボスが椅子に座ってて、背中がこっちを向いてた。机の上にはバカみてえな数の酒瓶が転がってて、ボスは何か喋りながら酒を飲んでる。俺の視線にも気づいてねえ。
コイツ、部下には無理な仕事を命令しておいて、自分は酒浸りかよ、クソ野郎が。全員恐怖で支配してるから誰も歯向かってこないって高を括って。それで、こんな……。
……クソ、クソ! こんなときまで震えてんじゃねえぞ、俺。
ボスの背中が見える、あの太った背中が。床に叩きつけられた感覚が、蹴られた痛みが、あの恐怖が体中を駆け巡って、殴られた記憶が蘇る。息が詰まりそうだ。
『バレクの酒とグロスの知識が手にはいりゃいくらでも金が稼げるぜ! これが終わりゃあ、次はさらにもっとデケえヤマを狙いに行くか! ガハハハハ!』
笑ってやがる。アイツらの家を襲うことを、笑ってやがる。
この野郎が、アイツらの命をなんだと思ってやがるんだ。金を奪うために、人を殺すことをなんとも思ってねえ。
この野郎は、昔からそうだった。人の命なんてゴミみてえにしか思ってねえ。俺たち下っ端の命だってゴミ扱いだった。何人死のうが、何人捕まろうが、コイツは何も気にしなかった。ただ、金が手に入ればそれでよかった。人の命より、金の方が大事だった。
親なんてものを知らねえ俺たち下っ端はどんどんその考え方に汚染されていった。それで次第に逆らう気も失せていった。恐怖と洗脳で、コイツは俺たちを支配してたんだ。
「クソ……!」
動けねえ、体が動かねえ。足が一歩も前に出ねえ。
息だって荒くて、扉の向こうのアイツにまで聞こえちまいそうな感じだ。
畜生、何やってんだ俺。こんなことしてる場合じゃねえのに。リアンを守らなきゃいけねえのに。マドリーを守らなきゃいけねえのに。なのに、俺は──なのに、俺は、ボスの背中を見てるだけで、動けねえ。情けねえ。本当に情けねえ。
何度も死んで、何度も生き返って、色んな奴らと出会って、約束をして、守ろうとしてきたのに。なのに、今こんなに怯えてる。昔のトラウマに縛られて──
──ん?
トラウマ?
待てよ?
盗賊の人生が終わった後も、俺にはとんでもねえトラウマを抱えるようなイベントがあったような……?
いや、確か文官の時に飲まされたあの毒じゃなくて……。
酒家の時に飲めなくなったあの酒のことでもなくて……。
探検家の時に追いかけてきたあの怪物でもなくて……。
あれも確かに恐怖ではあったし、しっかりトラウマだったが──でも、それ以上に頭に残っていることがあったような……。
──『もしあなたが嘘をついてて、アシェルが本当は生きてなかったら。その時はあなたを殺すわ』
──『犯人を見つけたらそいつを、苦しめて苦しめて苦しめて、殺してやります。これだけは絶対変わりません』
──『そうだな……。すまない。自分でも何をしでかすか、分からなかった』
……ん? なんだ……?
この脳裏に浮かび上がってくる思い出の数々は。
どうしてこんなことを俺は急に思い出してるんだ?
しかもどれも、ちょっと怖い思い出ばっかりなような……。
──『てっきり私は。廃礼拝堂での、あの女兵士との密会を隠したいのかと思ったのですが』
──『殺したくはないと申し上げたはずですが……話して下さらないのであれば、仕方ありませんね』
──『レミ、と申します。今後ともよろしくお願い致します』
いや……そうだ。
俺には『レミ』っていうとんでもないトラウマがあった。
あの女が一番怖かった。何よりも怖かった。
無表情で、何を考えてるか何もわからねえ。アイツは俺のどんな秘密も嗅ぎつけて詰めてくるし、執事長の俺が死んだ後も再会することになって、「本当は何もかもバレてるんじゃねえか」って恐怖で気が気じゃなかった。何も読み取れねえから、ただ漠然とした恐怖だけが俺の中にこびりついてたんだ。
戦闘力だってとんでもなく高くて、どの「俺」が何をしたって──そう、いうなれば「俺たち」全員が集まったとしても一分経たずにぶちのめしてしまいそうな……それだけの実力があった。そして、それを隠しきり、あくまでか弱い一般女性として振舞うだけの強かさも兼ね備えてた。
そうだ。他にも俺には──言っちゃ悪いんだが、怖いと思ってしまうような奴が何人もいた。
ルシア。アイツの殺意は、とにかく純粋だった。アイツに追いかけられて路地裏に連れ込まれた時、俺は本気で死ぬと思った。あの目には、迷いがなかったし、ためらいもなかった。ただ、兵士のアシェルの助けの邪魔になる存在をどうやっても潰してやるっていう確固たる意志だけがあった。
タリエ。アイツは、とにかくドロドロした殺意を内に秘めてた。性格は変わっちゃいない分、苦しめて、苦しめて、苦しめて、それから殺すっていう明確な殺意が、不釣り合いで似合わないってぐらいに浮いていた。かわいい後輩だって気持ちは変わらなかったが、戻ってほしいとも強く思ってた。
ベラ。アイツは、自分でも何をしでかすか分からないって言ってた。レミと一緒だ──分からねえってことは、想像できる範囲ならどんなことだってできるってことだ。ベラが本気でキレたら、殺されるかもしれねえ──それ以上のことをされるかもしれねえ。それだけの気迫で俺に迫ってた。
それでもやっぱり、レミは一番だ。何を考えてるか分からねえ。何をするか分からねえ。あの無表情の奥に、何があるのか分からねえ。ルシアやタリエやベラは、殺意や復讐心や怒りが分かりやすかった。
「……おい。待てよ」
いつの間にか手の震えがすっかり収まってる。
息も落ち着いてる。冷や汗も出てこねえ。
考えてみれば、ボスはただ暴力を振るってるだけだ。殴って、蹴って、脅してるだけだ。アイツが殴ってくるのは、理不尽ではあるが、毎回分かりやすい理由だった。
殴る力だって普通だ。ガタイの良い男に執拗に殴られるのは確かに恐怖だが、ルシアやレミに体を掴まれたときに感じた力は成人男性なんて比較にすらならねえぐらいのものだった。実際レミは、ボスよりも遥かに体のデカい、刃物まで持った債務者を、素手の状態から三秒で制圧してた。
ボスからは、ルシアみたいなとてつもない殺意や、タリエみたいなとてつもない怒りや、ベラみたいなとてつもない執念や、レミみたいなとにかく相手を恐れさせる圧を感じない。殺意や怒りや執念や圧を一切感じない訳じゃねえが、でもあの四人に比べればまるで格が違う。
じゃあ、ボスは?
それを踏まえたうえで、ボスはアイツらより怖いのか?
いや、違う。
ボスは、アイツらに比べたら──全然、怖くねえ。
ボスの背中が見える。こいつは怖くねえ。
こいつはレミやルシアやタリエやベラに比べたら全然怖くねえ。
音を立てないように足が一歩前に出た。
現場に出ないボスにはできねえが、盗賊は全員できる。音を殺す歩き方だ。おかげでボスはこっちに気づいてねえ。酒を飲みながらまだ御託を宣ってやがる。
もう一歩前に出る。
なんで俺はこんな奴にビビってたんだ? 俺にはビビるよりずっと重要な、やることがあったってのに。なんか段々腹立ってきたな。
もう一歩前に出る。ボスの背中が、すぐそこにある。まだ気づかれてねえ。
そもそも本当に説得する必要があるのか? 説得ってのは相手と今後もやり合うためにやっていくもんじゃねえのか? 俺はコイツと今後も付き合っていきたいのか? それよりも手っ取り早い方法がないか?
そういえば、俺の部屋には俺の名前が彫られたナイフがあった。
偶然今思い出したが──俺はそれを部屋から持ってきたままだった。
*
『──アシェル。ここ?』
ん?
この声は──ネルか?
何だコイツ。今度は何の用だ。
別に俺を探す分にはどうでもいいが、今お前が叩いてる扉はボスの部屋の扉だぞ。前々からコイツは物怖じしない奴だと思ってたが、場所によってはちゃんと自分の分を弁えるってことを覚えた方が良いんじゃないか? 一応お前の兄貴として俺はそう思うぞ。
「──なんだ。ここにいたんじゃんか。探し回って損した」
「おいネル。開けるなら返事を待ってからにしろ」
「は? ……チッ。どこにいるか分からないアンタが悪いんだよ」
「ええ……」
お前よくそれで今まで生きてこれたな……。
コイツの狂犬っぷりは今もなお健在だ。その態度貫き通してきて、この団の中で生き残れてる理由が分からねえぞ。
そりゃ多少は腕も立つだろうが、ルシアやレミに比べれば全然──ああ、いや。あの二人を基準に考えるのは違う。アレと比較しちゃ全員赤子と何も変わらねえ。
ネルが俺を見たくないとでも言いたげに目を逸らす。
目を逸らして──ああ、気づいちまったか。
「……えっ? ……それ」
「ん、ああ……。いや、その、なんだ……」
にしても、過去のトラウマってのは考え方次第で案外簡単に乗り越えられるんだな。
まあレミのことは今でも忘れられそうにないし、トラウマにも色々強さがあるんだろ。
ネルだってこの団の下っ端だ。ボスに良い思いはしてる訳がねえ。
だから忠誠とかもねえだろうし、別に見られてもいいか。
何も言わずに勝手に悪かった、ただ抑えきれなくて。
「つい、突発的というか、衝動的に、な」
もう殺っちまったよ。
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