続く平穏と次への手がかり
俺に監視がつくようになってほぼ1週間ぐらい経った頃。だんだん慣れてきてもうほとんど気にしなくなってきた頃だ。
朝の掲示板前は、湿った紙と革の匂いが混ざっていた。新しく貼られた一枚は、夜のうちに追加されたんだろう。角の金具に押しつけられた端が、まだわずかに反っている。黒い文字はあまりにも詰められて書き込まれてる。そんなに余白が惜しいんだろうか。
『見習い兵士一名拘束』
そこに書かれていた名前と顔写真は俺と違う奴。てことは真犯人が見つかったのか。めでたいことじゃねえか。俺の疑いも完全に晴れたワケだな?
続いて掲示板には「式典札と同型の札材を私物袋から発見」「押し具の痕跡一致」「当該時間帯の所在記録欠落」と、まあ犯人にとっちゃ絶望的な言葉が並んでる。最後には「審査を前倒し、臨時の聴取を実施」と朱が押されていた。押した手の力が残っていて、紙がわずかに歪んでいる。
捜査したのはあのタリエ文官だったか。ようやく犯人の目星がついて、つい力が入ったのかもな。
「誰がやられた?」
興味本位か、後ろから覗き込んだ顔も知らない見習い兵が小声で訊いてきた。
元の体の持ち主が知り合いだったのかもしれないが、まあ俺はそんなこと覚えちゃいないので。知らない人間で変わりはない。適当に答えとく。
「名は知らねえが、顔は見たかもな。先週の行軍訓練で、最後尾で息上げてた奴だと思うが」
俺が雑に返すと、また隣で見てた別のやつが肩をすくめる。
「臨時聴取だと否認だってよ。かなり抵抗したみたいだが、何も覆せなくてほぼ確定だとさ。けど押し具の粉まで出たなら、真っ黒じゃねえの」
はあ、否認。
「粉は混ぜようと思えば混ぜられるだろうが……ああ、いやなんでもない」
言ってから、舌の裏に苦さが上がる。俺は自分で自分に噛みつくみたいに、言葉を切った。
もしかしたらだが。この男も、俺と同じ手口で嵌められた可能性がある。
元々無実の俺を犯人に仕立て上げようとしたんだ。だから真犯人の目的は機密情報の入った書類を掴ませて濡れ衣を着せること、だと思う。同じ手口で次の犯人が捕まってる辺り、今回のも「書類を持っていた本当の人間が見つかった」じゃなくて「無差別に選んでた標的を、監視の強まった俺から別の奴に移した」って考える方が妥当じゃないか? 俺は盗賊時代に培った観察眼とか、ルシアと一緒に朝走ってるっていうアリバイの証明ができるから難を逃れられたが、この新しい犯人にはそういったものが無い訳で。必死に否定したが何も覆せなかったってのは、本当に無実だったが、俺と違ってそれの証明ができずに時間切れになっちまったってことじゃねえのか。
そこまで考えて止める。
「……チッ」
ダメだ。一瞬でも俺が上手いことやったから代わりの奴が狙われた、みたいな後ろ向きな考えをしちまった。こういうのはよくない。後ろ向きな思考ってのは後々になって関係ないとこにも響いてきやがる。
俺の目的は別だ。牢の台の上で首を差し出した「俺」が、名簿にどう記されているのか、それだけ確かめないとここを出られない。助けてもらった覚えのない他人に、こっちの首を差し出してやる義理はねえ。本当にクロだった可能性だってゼロじゃない。
こういうのは仕方ないことだ。胸の底に石ころみたいな罪悪感が残った気がするが、んなもん一々気にしてりゃキリがねえ。もし無罪だって分かって、かつ明確に助けられる機会があれば、そのときには助けてやってもいいかもしれない。それぐらいに考えといて割り切ることにしよう。
とか考えてたら、ルシアが紙束を抱えて近づいてきた。声はいつもどおり落ち着いている。
「持ち場の確認、済ませておいて」
「なんで、いいけどよ」
「今日の巡回、午後に一度だけ実地が入るの。南の屋台筋。人が寄る時間だし、その上祝祭前だから波が読みにくいかも」
「げ……了解。人混みは嫌いだ」
「嫌いでも、仕事なんだから割り切って」
そう言って、彼女は別の方向に向けて歩いていった。相変わらず真面目な女だ。
俺は掲示の他の紙も目でさらい、当番表の数字を頭に入れる。これを覚え終わってから、点呼の列に並ぶことにしよう。
*
点呼が流れ、訓練の割り振りが終わって、ひと息に兵舎の中へ戻った。そこで、帳面を抱えた若い文官に呼び止められた。
タリエだ。見覚えのある顔だと思ったら。取調室を出た直後の不服そうな眉の角度が健在で、すぐに思い出せた。
「アシェルさん、いまいいですか」
「おう、なんだ。なんとなく要件は分かってるが」
大方言いたいことはな。真犯人が見つかったってことの報告と、警備強化の解除だろ。
「はい。先日の件は、文書上、嫌疑なしで確定しました。同行監視もこれにて解除されます」
ほらやっぱり。
「だろうと思ってたぜ。これであの監視役ともおさらばか」
「はい。……それで、その」
「ん?」
なんだ。そのまま黙って、俯いちまった。何か言おうとしてるが歯切れが悪い。
「…………ええと、それから。あのときは完全にあなたのことを疑ってて、僕の言い方が強かった、気がします。実際、あなたは犯人じゃなかったので、冤罪で拘束したことになりますし……。訂正文は回しましたが、現場で言った分は紙だけじゃ足りないかもしれないので……」
語尾にほんの少し砂粒みたいな不服が混じってる。だが、それでも言い口は丁寧だ。
「まあ要は、失礼を働いたので。それをそのままにして放っておくのは僕としても気持ちが悪くてですね。何か埋め合わせになることがあれば、仕事の範囲でやります、という報告というか、提案を……」
「へえ」
律儀なもんだ。別に仕事だったんだろう。上から命令されてきたんだから、自分で責を負おうとする必要は無いと思うが。
まあ貸しを作ったままにしておくのが気持ち悪いってのは同意だ。残しといた貸しが、いつ危機的状況で牙をむいてくるかってのは不安の種になる。そういうのが気になる性質なんだろうな。
ただなあ。お忙しい王都の文官殿に頼みたいことなんて俺に……は…………。
「……いや、丁度良かった。だったら一つ、頼まれてくれねえか」
「頼み、ですか」
「ああ。ここ数ヶ月、城で処刑された連中の名簿が欲しいんだ。閲覧の手順と様式を、いや情報ごと紙にして寄越せ。理由書もそっちで書いてくれると助かる」
「えぇ……?」
タリエは一歩だけ間合いを取って、眉を困惑で曲げた。
「それぐらいならまあ、できますが……なんでそんなこと知りたいんです? やっぱりやましい事情が?」
「いやいやそんなんじゃねえよ、ちゃんと嫌疑は晴れただろ。あー……俺のあんま柄の良くない知り合いがいてな。ソイツが捕まったって聞いて、以降ずっと連絡が取れてねえんだよ。別段仲の良いって訳じゃねえが気になったもんでさ」
「なる、ほど……? あんまりそんな人とつるまない方がいいと思うんですけど、見習い兵士って立場的に」
「いいから」
手を振って誤魔化す。実際、昔は盗賊やってたからガラの悪い知り合いなんざ腐るほどいた。っていうかそれしかいなかった。捕まったのも事実だし、連絡を取ってないのも、盗賊間で特に仲が良くないのも事実。嘘じゃねえ。
処刑された人間についての情報は、まあ機密扱いじゃないだろう。盗賊の名前なんて隠したい理由もねえし、場合によっては新聞に書いてあったりもするからな。
「閲覧は決裁が必要です。今日明日で動かすのは現実的じゃないですが、まあそのうち準備できると思います。分かったら一応連絡を入れますね」
「おう。頼むぞ」
タリエは帳面の角を揃え、踵を返した。ほんの少しの毒と、若さ由来の蒸気はある。だが、プライドもあるから、約束ってもんを後から反故にしたりってことは無いだろう。そういう種類の人間なのだと、短く判断した。
ともあれ、おかげで助かった。アイツのおかげで、俺は処刑された人間の名前の一覧が手に入る。それが分かれば、ここを抜け出す方向に計画を立てられる。
規則だらけの暮らしをするのも、もうあんまり長くねえのかもな。
*
昼休憩終了の合図が鳴って、兵舎の空気が引き締まる。各班が道具を受け取って、持ち場へ向かう気配が重なる。俺もいつもの準備をして、今日の持ち場である南の屋台筋へ。石畳の隅には、折りたたんだ骨組みとか、濡れた布が積まれてる。祝祭の前だからな。そういう時期の通りは落ち着きがなく、誰もが自分の用事の優先順位だけを信じて歩くのが普通だ。こういう日は、こっちの手数も増えるのが面倒なとこ。
今日の俺たちの職務は祝祭直前の臨時動線管制だ。屋台筋の通行導線づくりとか、搬入・退出の一時レーン設置、小競り合いの未然潰し、危険箇所の即時手当、臨時査閲の準備、その他諸々のセット。正規の兵士も参加してるが、人手があるのに越したことはないから、見習いも毎年この時期になれば仕事を手伝わされるらしい。
知らなかったな。いつも祝祭の時期に警備してた兵士のうちいくらかは見習いだったのか。盗賊の頃の名残で、つい襲うなら都合が良さそうだなとか考えちまう。いけねえいけねえ。
「中央に搬入指示の札を並べるわ。ひと区画おきに矢印を置いて、迷った人が勝手に戻れないように」
ルシアが袋から札を抜いて俺に渡す。矢印は大きく、文言は短い。なるほどな、読み書きが怪しい相手でも、矢印なら迷うことはない。
「裏手の角に退出指示の札も出しましょうか。誘導は私が声を出すから、あなたは立てた札が見える位置だけ空けておいて」
「おう。札の間隔はこのくらいで足りるか」
「もう少し詰めて。人が押したときに、文字より形で見える距離のほうがいいでしょ」
俺たちは互い違いに歩いて、札を低すぎず高すぎない位置に差し込んでいく。
少し歩けば、樽を二つ置きっぱなしにしている屋台が搬入帯のど真ん中で渋滞の芯になっていた。樽は店の持ち物だ。俺は側面を軽く叩き、持ち主の視線をもらう。
「悪いんだが、ここ止めると全部詰まる。裏の口へ寄せてくれないか」
「待ってくれよ。もう少しで--」
「その『もう少し』の間に、荷が三台は来るぞ。困るんだよ。言うこと聞いてくれ」
店主が舌打ちして樽を押す。俺はすかさず退出の札を裏筋に立て、帯が切れないよう位置を微調整した。樽が抜けると、帯の詰まりは嘘みたいに細くなった。
ふとルシアを見れば、彼女は離れた位置で店主の肩越しに棚の高さを見て、ぶつかりそうな角だけを一言で下げさせる。俺と違って命令じゃなく、相手の迷いを消す言い方だ。
別の屋台では油がこぼれたのか、石畳に薄い膜が出来ていた。おいおい、ここで誰かが滑ったら、後が全部ひっくり返るぞ。ここでやらかした奴はどこ行きやがった。
砂袋を借りて、掌で薄く撒く。撒きすぎると邪魔だから、足裏が反応するくらいの量で。
「札立てるわ。『足元注意』でいいわよね」
「それでいい。字より矢印が見える位置に」
「はい」
ルシアが札を一本立て、後ろの兵に目だけで場所を渡す。手が先に動いていれば、声は少なくて済む。
また進めば、搬入帯の先で台車と祭具の棒が鼻先で鉢合わせになってた。台車の押し手も、祭具係も急いでいるみたいだが、誰も譲らないとすぐ喧嘩になる。そっちの方が面倒だ。
とりあえずどっちが急いでるかなんて考えず、俺は台車側に手の平を見せて止め、祭具側へ顎をしゃくって先に通した。
ルシアがすぐ後ろの搬入列に声をかけて、二台ぶんだけ間をあけさせる。祭具の棒が抜けた瞬間、俺は台車の肩を押し、列を元の太さに戻した。ぐちぐち言っていたが、一般市民は兵士に対して怒鳴ったりしない。俺は見習いだが、相手はそんなこと分からないからな。反感を買おうが、動きを先に整えたほうが早いだろ。
「助かったわ。いまの間は私ひとりじゃ作れなかった」
「こっちも同じだ。おまえの合図がなきゃ詰まってた」
「じゃあ、良しね」
そんな感じで俺たちは作業を続ける。
搬入がひと段落した頃、ルシアが不意に手を止めた。右の手袋の掌、縫い目の内側が擦れて、皮膚が赤くなっている。
「……おい、ちょっと待て。貸せ」
「平気よ。あと少しで終わるから」
「黙って出せ」
木札の角を持ち続けたせいだろう。汗で滑ると札の角は容赦なく皮を削ってきやがるからな。
俺は道具袋から薄い布と細い革を引っ張り出し、手袋を脱がせずに掌の内側へ布を噛ませた。一々小さな傷を消毒してる暇はない。細い革で二重に巻いて、手の骨の影に隠す。握りを邪魔しない角度だけ決めて、余りを寝かせた。
「これで持て。角に当たっても皮まで行かねえはず」
「……ありがと、助かる」
「礼はいらねえ。痛そうだとかそんなんじゃなくて、ただ仕事が増えるのが面倒なだけだ」
「はいはい、知ってるわ」
ルシアは試しに木札を握り直し、力を入れても痛まないのを確かめてから頷いた。
俺は袋の口を閉め、次の札をつかんだ。こういう手当ては、他人に見られないうちに終わらせるのがいい。見られると、余計な気を使わせる。それはルシアにとっても無駄だろう。あいつ真面目だし。
「でもこんな器用なことできたのね、意外だったわ」
まあ、盗賊時代は細々したことをすることが多かった。その時の経験が生きたんだろうな、間違いなく。
「別に仕事の邪魔にはならないはずだ、悪いことじゃねえだろ?」
「そうね。これから面倒なことがあったら積極的に頼ろうかしら」
「おい」
*
あらかた仕事を終えて詰所へ戻る道すがら、臨時査閲の指示が回ってきた。中庭に集合、装備点検、歩幅合わせ。まだ日は落ちきっていないが、準備は前倒しだ。
俺たちは道具を所定の棚に戻す。革の匂いを落とし、金具の緩みを互いに確認。見習いの締め違いは、査閲で指摘されるより前に潰さねえと上から雷を落とされちまう。
「肩章、ちょっと曲がってる。直すわ」
「頼んだ」
整列の号令がかかり、俺とルシアは列の中で視線の高さを揃えた。灰色の外套の査閲役が順に見て回り、装備の位置、歩幅、姿勢を確認する。余計な声は飛ばない。揃ってる証拠だ。
問題なく終了して解散がかかったとき、丁度いいとばかりに小姓が駆けてきて、封をしていない細い紙片を押しつけてきた。宛名は俺。角を指で押さえ、風に透かしてから開く。中身は短く端的な文章だけ書かれてる。
読んだ後、紙はそのまま畳んで懐の内側へ沈めた。縫い目のところに角を合わせれば落ちない。調べてもらう以上タリエには言ったが、他の奴には言わないし見せねえ。わざわざ処刑された盗賊の名前調べてる訳なんざ聞かれたら面倒なことこの上ないからな。
にしても、そうか。祝祭の後か。
祝祭の面倒な仕事を終えたら、やっと俺がどうなったかの確認が出来る訳か。時期にしても一区切りついて丁度いい。運命的なものを感じるな。
『処刑者名簿の件ですが、祝祭関係の仕事が多くて今すぐには手を付けられなさそうです。祝祭が終わってからそちらに送らせていただきます』
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