二人の実験と人の増えた部屋
「なあ兄貴、そのパンめっちゃ食うの意味あんの? やってる奴見たことねーんだけど」
「酔いたいだけのバレク家じゃ見ねえだろうな。俺はこれしねえとすぐ潰れちまうから」
リアンの部屋。腹を黒パンで埋めながら不思議そうな顔したリアンに応える。
机の上には、昨日のうちに俺が仕入れてきた安酒の小瓶と、木の器と小さな匙。余計な匂いが混ざると実験の邪魔になるから窓は閉めてある。酒に強い文官の頃には気にしたことすらなかったが、空腹でやると酔いが回りやすいらしい。何度も試して分かった。すぐ赤くなって実験を早々に切り上げるのはもう懲りたんでな。
瓶の栓をひねる前に、布で巻いた小瓶を取り出す。匙で一口だけ舌に落とすと、苦さが喉の筋を少し緩める。
「げぇええ……兄貴、それ飲むの? 薬家の薬だって。やめとけよ、絶対マズいじゃん」
「まずいに決まってる。だけど倒れて止まるほうが面倒だ。一口だけだし、それで保険になるなら安いもんだろ」
コイツはマドリーから渡された酔い覚ましだ。効き目は怖ろしいレベル、これを飲んで次の日まで酒の後味が響いたことはない。
あの女と仲良くなっちまったことは俺にとっちゃ正直大問題なんだが、今更もうどうしようもないし。それより、婚約者の頼みだからってことで、こういった役立つ薬を頼めば譲ってくれる様になった。その点だけは普通に良かった点だ、素直に利用させてもらおう。
「器、冷えてたら手で温めといてくれ。頼む」
「任しとけ! 俺の手、あったけーからな。ほら、湯たんぽだぞ」
こいつの声は朝から元気が余っていて、おかげで部屋が狭く感じる。まあ、元気が無いよりはずっといいか。俺に対して不信感を抱いていない裏付けにもなるしな。
安酒の栓をゆっくり回して、器にほんの少しだけ落とす。鼻先を近づけて匂いを嗅げば、青い酸の匂いと穀の匂い、変な香草は混ざってなさそうだ。相変わらず香りだけなら俺には何の問題も起こらない。まあ、ここは平気だと分かっていても、全部の帳面に印をつけるまでは油断すべきじゃないな。匂いは問題なしの丸。
器の縁を唇に当てて、少しだけ口に含む。舌の面に広げて、胸が騒がないかを確認する。……ここも若干怪しいがまだ持つな。
鼻で息を整えて、そのまま喉へ落とした。──ああ、まただ。落ちた瞬間に喉が先に動いて押し返してきた。胸が一回跳ねて、耳の奥が熱を持つ。吐くほどではないが、身体が「やめろ」って言ってるのが分かる。
帳面にバツ、いつもの並びになっちまった。飲み込むまで通るのに、そこから先で止まる。
「じゃあさ兄貴、湯で割ればいいんじゃねーか? ぬるっとすれば楽だし、ついでにハチミツちょろっと入れたら完璧じゃん!? ほら、俺飲める気がしてきた!」
「そりゃ飲めるようにはなるだろうが……。今は俺が飲めるかどうかの実験のためにわざと安い酒使ってんだ。本番じゃうちの酒を使うんだから、他のもん混ぜたら本当の味じゃなくなっちまうだろ?」
湯を混ぜりゃ味が薄くなっちまうし、蜂蜜入れりゃ味が変わっちまう。確かに飲めるが、それじゃあ俺が飲みたかったあの酒が飲めるワケじゃない。
俺は「飲めれば何でもいい」じゃなくて、「同じ味」で飲みてえんだ。できるだけ本来の味を損なわないようにしたいから、薄める手段は最後まで取っておかなきゃならない。今日はとりあえず触らず、まずどうして俺が飲めないのか、どうすればすぐ酔わずに済むのかの対策を絞るとこからだ。
「……まぁな! うちの味をそのままで飲めるのが一番だもんな! 温めてくる!」
「助かる」
「いいっていいって!」
*
ぬるい部屋の中は、昼の間に置いた安酒の小瓶が三本。一本は対照、一本は器を人肌まで温めて、もう一本は栓を甘くして半日置いた奴。窓は半分だけ開けて、水だって何回も替えた。火鉢は遠くに置いてある。ここまで来るのにだいぶ労力を要したぞ。手が俺たち四本じゃ足りないのがはっきりしたな。
「兄貴、俺、手、しわしわ。水、三往復半。すげえがんばった。丸、三つだぞ。勝ったろ。勝ちじゃね?」
「中々だが、勝ちって言葉は明日に取っとけ。今日の丸は今日の丸だ。明日も同じ丸が並んだら、そこでやっと喜んでいいってとこ」
「明日もかよ! 厳しーな……。でも三つだぜ? 俺見たもん。兄貴、ちゃんと飲めそうな感じしてた。やっぱ酒飲むときはああじゃねえとな!」
「そうだな、ふう……」
椅子に腰を下ろす。座面が固くて、脚を伸ばすと太ももがむずむずする。
息を一つ吐いて、帳面の丸を指でなぞる。今日の概要を頭の中で整える。朝の基準は、匂い○、口に含む△、飲み込む×ってとこだった。そこから器を人肌にすると飲み込む△に寄る。蜂蜜は○だったが別物、採用はできねえ。
空腹対策は有効、置いてた三本の酒はちょっと気が抜けてたが、まあ○って言える感じ。何回か試したが、時間差を挟んでも同じ結果を再現できた。ここまでが今日の成果。次に進める条件は、明日も同じ結果が出るか確認すること。
……分かっちゃいるけど、しんどいな。
とにかくあれもこれもって試そうとすればやることがとにかく多くなっちまうし。鼻はずっと平気でも、喉が一回暴れればそれでだいぶ体力が持っていかれる。胃は黒パンで押さえてるのに、胸の内側が小突かれる感じが残る。マドリーから貰ったあの薬だって速攻で効くわけじゃない。
器を洗って拭いて、窓の角度を見て、水を替えて、棒を見て、帳面を書いて、また器を温め直して──どれも単体じゃ小さいが、連続でやると腕が死ぬ。二人で回すには結構限界が近い気がしてた。
ただ、この家で酒に弱いのは俺しかいない。わざわざよそから下戸連れてきて俺たちの実験に協力しろって圧かける訳にもいかねえし。ひたすら気持ち悪い思いをしようと俺の飲む量には変わりない。人手を増やしたところで、どれほど効果的なのか……。まあ俺は人望が無さすぎて人自体呼べないわけだが。
「リアン、助かった。今日はよくやった、いつもありがとうな」
「へへっ。いいってことよ! なんか兄貴に礼言われるとむず痒いな!」
そう言って笑うリアンに目をやりながら机の端に手を置けば、木目の段差が指にいた。指の腹がふやけてる。
今日の実験はうまくいった。そう思っていい。けど、簡単じゃない。匂いを嗅いで、含んで、飲み込むの三段だけでも、毎回同じ体で臨まないと崩れる。いざ正解のやり方を見つけたとしても、その時の俺がまいっちまってたら記録されるのは×の印だ。
腹の中が足りなくても回りすぎるし、薬を多くすれば逆に強くなりすぎるし、器の温度がずれれば喉が勘違いするし。全部が同じ方向を向いた時だけ丸になってるような気がしてきた。今日はたまたま揃っただけで、揃え続けるには、もっと目がいるし、もっと手がいるんじゃねえか? そう思わずにはいられない。
「……! ……!」
向こうでリアンがにこやかに片付け作業しながら、時折何かを考えてる風な表情をする。
感情の豊かな奴だ、裏表がないって言うのか。これまでの人生三回で色んな嫌な奴を見てきたからか、アイツといると余計な事を考えすぎないで済むから楽でいい。何をするにしても、まず俺の指示を仰ぐようにしてる。上に立つにはちょっと不向きな性質してるかもしれねえが、今の俺に取っちゃバレク家で一番頼りになる奴だ。
きっと今後も俺に頼られてくれるだろう、そう思わせる顔つきだった。
*
「──にしてもよ、若もだいぶ変わったって噂らしいぜ」
「今の若はだいぶ親しみやすいって話じゃねえか」
「まあリアン様が言うんだから、嘘じゃねえのかもな──」
最近屋敷で聞こえる駄弁りの内容が変わっていった気がする。風向きがちょっと違うのか、俺に対する陰口みたいな棘のある内容はほとんど聞かなくなった。何があったかは分からねえが、まあそういうこともあるか。俺にはあんま関係しないし、いちいち拾わなくてもいいだろう。今日も今日とて実験日和、足はいつも通り作業部屋へ。
「……は?」
戸鍵を回して押し開けた瞬間、布を絞る音と水の跳ねる音が中から返ってきた。誰もいないはずのぬるい部屋に、もう湯気と息づかいがある。リアンのそこそこ広い部屋も若干狭苦しく感じさせるくらいに、若手職人が何人か蠢いていて、驚きで思わず扉を開いたまま固まっちまった。アイツら俺たちの実験道具や準備した安酒を手に取り、色々眺めながらああだこうだと口々に言っている。
……な、なんだ? 胸の奥が一回だけ跳ねる。冷えた汗の膜が背中に薄く張り付く。俺が勝手に道具を拝借して、私的な目的のために二人でこっそり使い倒してるってことがバレたのか?
でも、あれを借りてきてるのはリアンだ、俺の関与は気づかれてないはず。いや、そこを境にしても今この勝手に触ってる絵は説明がつかねえ。リアンが使ってるものだってんならアイツらはそこまで文句を言わないはず。なのにどうしてこんな真似してやがる? しかもあんな大人数で……。
疑問に思いながら足を一歩入れたところで、若いのが二人、息を止めるみたいにこっちへ振り向く。片方は器を並べて布で拭いていて、布の端を親指に巻き込む癖が出てる。もう片方は桶を二つ抱えて膝で扉を止めている。身体の向きが逃げ腰じゃない。やましいっていうより「待ってた」顔だ。
「あ、若。来たんすね」
……俺がここで実験してること前提で話を振られた。知られてる、マズい。いや、落ち着け。声色に刺はない。からかいの匂いもない。表情筋が緩んでる。敵意じゃない時の目だ。
「ああ、誤解しないでくだせえ。俺らは若の邪魔しにきたんじゃなくって」
「──ん?」
「いや、リアン様に言われたんです。お前ら人多くていくらか暇だろうし、兄貴の仕事手伝ってこいって」
「──は?」
……リアンか、コイツら呼んだのは。
いやでも、どういうことだ。なんで俺の仕事を手伝えって指示されてる。で、なんでそれに従ってる。俺の事が嫌いだったはずだろ。
監視か、貸しか……まさか善意か? 目は正面、肩は下がってるし、声は普通。脅しに来た空気じゃなさそうだが……。
「いやね、リアン様が『お前らは兄貴が酒に興味が無くてノリの悪いただの下戸野郎だろうと思ってるだろうがそれが違う!』って」
「『皆の見えないとこで、この家をさらにでっかくするための新製品開発に力入れてんだぜ!』って」
「『しかも自分は飲めねえってのに無理して味見役を引き受けてんだ! すげえだろ!』って。自慢するみたいに言うんすよ」
なるほど、確かにリアンは人を乗せるのが早い。蔵の人間に信頼されてるからな。口は軽いが、妙に人を乗せる力があるのは知ってる。それにあの性格だから嘘を言うとも思われてない。こいつらの口から『すげえだろ』が出る時点で、仲の良い奴らにも伝染してるんだ。
元々俺はここの連中に深く入り込みすぎなくてもいいよう、リアン一人を仲間として引き入れたんだが……。
「まさかあの若がね。自分の体で飲める一口探ってるって。味は薄めない、甘くもしない、同じ味で通す、って。まさかそこまで熱い男だとは思わなかったっす」
「どうやら俺たちはあんたを見くびってたらしい。勉強ばっかしてるから、飲んで騒いで酒造るしか能がない俺らを見下してるとばかり思ってた」
「ただ味方が少ない状況で酒造りに命注いでるって聞いて、なら俺たちも手伝わなきゃって思ったんだ!」
俺を見つめる情熱に満ちた眼差し。初日からぶつけられてた、冷めた目つきが跡形もなくなってる。嘘くせえくらい態度が変わって……いや、嘘じゃねえな。皆リアンの言葉を真に受けてここに来た、それだけのことだな。
確かに、元々自由にできない立場だったから協力者を少なくする方向にしてたんだ。むしろ協力してくれるってんなら、人数は多い方がいい。今は人手が増えるに越したことはないし、今更俺が変にコイツらへ過度な愛着を覚えて、ここを出るときに渋りだすなんてこともねえだろ。利用できるもんはどんどん利用していくべきだしな、こうして来てくれたんなら追い返す理由もない。素直に手伝ってもらおう。
「なるほどな、事情は分かった。ありがとう、助かる。正直二人じゃ荷が重いって感じ始めてたところだったんだ」
「おお、マジで若の口調が違う」
「噂は本当だったんだな……!」
「話聞けよ」
……本当に大丈夫かコイツら? 確かに俺への嫌悪感とか、苦手意識とかが無くなってるのは分かるんだが、正直ちょっと不安になってきたぞ。もしかして酔ってないか?
……まあ、いいか。受けると言った以上すぐに撤回はしないが。とりあえず、今日は様子を見て、使えるかどうか判断して、それで有用なら今後も俺たちの作業を手伝ってもらう。そうすればとりあえずは問題ないだろ、多分。
そう思ったところで、廊下の向こうの床板が短く鳴った。跳ねる足。ためがない。いつの歩き方だ。扉が勢いよく開く。
「おっ、やっと来たか兄貴! 昨日のうちに何人か助っ人呼んどいたぞ!」
リアンが人差し指で部屋の連中をさして、歯を見せる。声がでかい。空気が一段明るくなる。前の方にいた若いのが一瞬だけ胸を張って、すぐに戻ってった。
そうか、コイツ俺の負担を減らすために色々考えてくれてたんだな。
「見りゃ分かるさ。……ありがとな」
「へへ! お安い御用よ!」
*
「リアン様からは簡単な作業に加えて、実際の試飲も手伝うようにって指示受けました。兄貴がだいぶ無理してるからって」
「俺らは下戸じゃねーですけど、酒に関しちゃプロっす。強く感じるか弱く感じるかぐらいの違いは分かるつもりです」
「酔い出したら邪魔にしかならねーからさっさと部屋を出ろとも言われました。なんで迷惑はかけないはず!」
「てなワケだ! さっそくコイツらも実験に巻き込もうと思うんだがどうだ!?」
リアンが笑って人差し指で後ろの連中を指さした。期待の目が集まる。
「おお、そうか。まあ無理してたのは事実だからな。いいぞ、存分にやってくれ」
ここまでは、思った通りだった。
ここまでは……。
「おいこらてめー飲みすぎだ! 味確かめるっつってんだろ何で全部飲んでんだよ!」
「ま、まってくれリアン様! 酒がありゃイッキするのがうちの流派でしょう!」
「趣旨がちげえ! さてはてめー酔ってんな!? 酔ったらすぐ出ていけって言っただろうが!」
「す、すいません! 体が勝手に!」
響くリアンの怒号。割れそうな俺の頭。
「おぇっ……や、ば……」
「!? お、おい、大丈夫か兄貴!? 誰だ兄貴の杯に原液そのままぶちこんだ馬鹿野郎は! 話聞いてなかったのか!」
「俺です。お湯くれって言われたんで、色が似てたからそうかと」
「そりゃ酒だぞ! 匂い嗅げば分かんだろ! てめーも酔ってんな!?」
水差しを掴んで口をすすぐ。鼻に戻る匂いで目が潤む。
「おいなんで帳簿が燃えてんだ! 火鉢に近づけんなっつったろ!」
「いや、さっき燃えてて!」
「それで俺たち慌てて水ぶっかけて!」
「それ酒だろ! 兄貴の字が読めなくなっちまってるじゃねーか!」
一応作業は進んだ。二人の時よりはずっと。……だが、それと同じくらい被害もデカかった。
「……兄貴、すまねえ。いつも酒造るだけの奴らだから、グダるとは思ってたが、まさかここまでとは思わなくて……!」
「いや、いい、水、水くれ……!」
色々教え直さねえといけないのは大前提として……。これ、マジで大丈夫か?
必要なのは酒の強さよりも人を纏める力とかの方なんじゃねえか……?
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