表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺は死んだはずだよな?  作者: 破れ綴じ
1. 見習い兵士

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/74

見習いの暮らしと知らない紙束

 朝、というには早すぎる時間。周りの寝台にはまだ夢から帰ってきてない同期の見習い兵が転がってる。

 もうここの暮らしが始まって数日、一週間はまだ経ってないぐらいの時間が過ぎた。

 寝台の板を指で二度叩いてから、片膝で立ち上がる。指で二度叩くのは盗賊の頃に染みついちまったクセだ。何が原因だったか覚えちゃいないが、抜けそうにもないし、このままでいいだろ。

 この体になって一日目は寝坊扱いだったが、元は闇夜に紛れて人を襲うならず者なんだ。多少寝なくたって体は動く。だから早起きは得意だ。見習い兵の朝は早いほど怒鳴られにくいし、俺には合ってる。


 ここの生活を送る上でだんだん分かったことが二つ。

 一つは、この世界はおそらく俺が元いた世界と同じってこと。砦があるのは王都オルディナの郊外。丁度俺をぶちこんでた牢獄がある王都だ。

 時間軸も俺が死んでそのまま地続き、同じまんまらしい。この国の王女サマの戴冠と市中行幸を兼ねた首都最大級の公式行事「祝祭」がそろそろあるって噂を聞いて確信した。だから俺は別の世界に生まれ変わったって訳じゃない、同じ世界に別人として成り代わったってことだ。なんで俺と同じ名前の見習い兵がいるのかはまだ分からねえ。

 あともう一つ、丁寧な口の利き方は俺には続かないってこと。成り代わって最初の二、三日はこの体の元の持ち主と比べて違和感が出ないよう真面目ぶってたが、どうにも喉に棘が刺さったみたいだった。無理だ。だから剥がした。


 廊下は石の壁が湿ってて油臭い。階段の踊り場で夜番明けのやつが腰をさすって、靴の釘が石段を噛んでいく。厨房の湯気が流れてきて、焦げた粥の臭いが鼻につく。まあ食えるならなんでもいいんだが。当然ながら兵士は虫や草を食って飢えを凌がなくていい。普通のメシが食えるってのはありがたいね。

 装備室に行けば扉には開けた痕跡があって、中にはすでにルシアがいた。背を伸ばし、髪を後ろで束ね、胸甲の肩革に腕を通している。こんな朝早くからご苦労なこった。真面目って言葉がよく似合う。言いやしないが。

 革紐の束から一本を抜いて、手で柔らかくしながら自分の肩に通し、ルシアに指摘する。


「おい。それ、肩の革紐の通し、逆だろ」


 流石に数日連続で着てりゃ俺も装備の事情はなんとなく掴んできた。それも、こうやって相手のミスを目ざとく指摘できるぐらいには。

 ルシアの手が止まり、肩が一呼吸ぶんだけ回る。横目がこっちへ滑ってきて、すぐ胸元に戻って、気づいた。急いで紐を外して、誤魔化すみたいに通し直した。指は速いが、手元がカチャカチャ言ってる。

 なんだ。真面目のくせしてうっかり屋なのか。寝ぼけてるだけかもしれないが。


「……凡ミスよ。口が悪いのは相変わらずね。前まで何考えてるか分かんない丁寧語だったのにさ」


 さっきの失態から目を逸らすように俺の口調のことを突いてきやがった。直す気はないぞ。


「悪かったな。もともと取り繕うのは苦手なもんで。こっちが素、吹っ切れたんだと思ってくれ」


「そのつもりよ。雰囲気まで変わっちゃって、もう前のあなたを思い出せないし」


 からかうみたいな声でそう言って、ルシアは肩をすくめる。

 丁度良かった。兵士だった俺がどんな喋りだったか知らないが、こっちで受け入れてもらえたなら俺としても気が楽だ。

 そのまま二人で中庭に出た。靴の釘の音が湿った床に響く。


「じゃ、今日も外縁三周、止まらずに、分かってるわね?」


「分かってる分かってる。もう毎日走らされてるんだぞ。嫌でも覚える」


 別に走るのは苦手じゃない。盗賊の頃は嫌でも敵から逃げなきゃいけなかった。それに比べりゃこの走りは楽なもんだ。

 ただ、どうして点呼の前に。皆まだ寝てる時間に走るんだ。しかも俺を巻き込んで。走ると了承したのは俺だ。確かに俺だが、この真面目女はそんな時間からやる意味もない鍛錬をしてどうしたいんだ。朝飯だってまだだぞ。

 兵士だった頃の俺もこの女に付き合わされて走ってたみたいだからしょうがないもんとして付き合ってるが、何も知らないからといって成り代わった直後に安請け合いしたのは失敗だったか。

 そもそも、国に尽くすつもりで努力するならもっと目立つ場所でやった方が上の連中の目にも留まりやすいんじゃねえか。俺は嫌だが。






 *






 食堂の戸は少し重い。肩ごと押すと蝶番が小さく鳴り、湯気がまとまって顔にかかる。むせるみたいな空気が鬱陶しい。

 鍋には豆の薄いスープ。厨房の年増が徽章にだけ目をやり、柄杓を一呼吸ぶん深く入れたあと、縁に沿って静かに注ぐ。


「下の方はまだ熱いよ。零したら火傷になるから器を傾けすぎないで」


「了解、ありがとさん」


 席は窓のない側の柱の陰を取る。出入りの流れから半歩外れ、背は壁になる場所。椅子の脚を無理やり引いて腰を下ろす。

 器の縁に指を添えて湯気の逃げ道をつくって、口をつける。パンは歯の角度で入れ、こぼれた屑は最初から盆の左下に集めておくと最後にすくいやすい。

 鍋の泡が浅く弾ける音、柄杓が鍋肌をこする低い音、あとはまあ色々。混じって耳に届く。


 向かいに盆が置かれる。ルシアだ。盆を鳴らさない置き方で腰を下ろして、器をほんのわずか右にずらす。湯気が顔にかからない位置を最初から知っている手つきだ。


「ここ、いいわよね? 風が来ないし」


「イヤなら別の場所に行ってる」


「そう。いいってことね」


「座れよ」


 そう言われて、彼女は素直に座る。そのままパンをスープに浸して口に運び始めた。

 硬えからな。そうか、そうやって食えば屑がこぼれにくいのか。勉強になる。


「席取り、また早くなったのね」


 また、ってことは兵士だった俺は早かったのか。今の俺になって、慣れない分遅くなって、慣れてきたから早くなった。

 また新しい昔の情報が知れた。知れたところでどうする気もないが。


「遅いと器が傾くだろ」


「時間がかかる程度で零すくらい体幹が弱いのはどうかと思うけど」


「ここの床をびしゃびしゃに濡らしてるやつにも言ってやれ」


 器の表面に薄い膜が出始めたから、匙の背で割ってそのまま飲み込む。縁に跡が残るが、最後にパンの端で拭えばいい。

 数日もいりゃ、どこに座ってどう食うかなんて体が勝手に覚えちまうもんだ。


「食い終わった。じゃあ先にな」


「はいどうぞ。後が混まないうちに早く行きなさい」


「分かってる」


 木匙を器の縁に伏せ、椅子を引いて立ち、通路の外側を踏んで盆を回収用の棚へ運ぶ。これもすっかり慣れ切った普段の動き。


 元々こんな規律だらけの場所からはさっさと抜け出すつもりだった。数日見て回って、この世界が元の世界と同じことも分かって、後は夜中に警備をかいくぐって抜け出すだけだった。せっかくの二度目の人生をこの国なんざに捧げるつもりは全くないし、そのために無駄な訓練に身を費やす意味も分からない。実際、今だってここを抜け出すって目的に依然変わりはない。


 なのに、こうもここの暮らしに慣れ切ってしまったのには、牢獄で死んだ盗賊の俺の存在がある。

 こうして今の体に成り代わってる以上、盗賊の俺がどういう状況にあるのか。世界は同じなのに、俺はここにいるんだ。盗賊の俺は最初から存在しなかったことになってるのかもしれないし、ちゃんと記録として残ったままかもしれない。もし残っているなら、あの牢獄には処刑された人間の記録に俺の名前がある、兵士やってる今の俺と全く同じ名前が。

 そんな中、今の俺がいきなり逃げ出せば間違いなく怪しまれる。だって処刑相手と同じ名前の逃亡犯だぞ? 疑いの目は避けられない。その上、今の俺は兵士の名簿に登録されている。つまり、顔が割れてるってこと。

 そうなってる以上、何の確認もせずにさっさと抜け出すのは自殺行為でしかない。


 しかも、そろそろ祝祭の時期だ。

 この国で生きてる以上祝祭の話を聞かずに生きるのは無理だってくらい有名な祭りだ。当然検問は厳しくなり、顔を見せずに移動するなんてことは不可能になる。いつか時期を見て、何とか盗賊の俺がどうなっているのかを確認する。抜け出すとしたらその後だ。

 ま、俺みたいな見習いにそんなチャンスがあるかは怪しいもんだが。辛抱することには自信がある。盗賊の頃もそうだったからな。

 だから、今の俺はこんな場所で、古びた食堂のマナーを覚えちまったってワケ。






 *






 午前の訓練は、砂地の匂いから始まる。砂が重い。靴が抜けにくい。クソ。

 槍の柄に掌を沿わせ、木目のささくれが皮に引っかかる感触を確かめる。柄尻の鉄輪は温度次第で皮に刺さる。気取り屋の金属がよ。

 木剣がぶつかる音と、槍の石突きが地面を突く鈍い音。汗が目に入って頭が変に冴える。


 その後は行軍の足並み合わせ。列の端で俺は規律の範囲だけ動く。背中を押すにしても、肘を引くにしても、どの調子でどの距離なら変に動かないか、体に覚えさせなきゃいけねえ。

 何度注意されたにもかかわらず列は毎朝のように微妙に狂っているが。まあ見習いならしょうがないだろ。不揃いはどこにでも生える草みたいなもんだ。むしろ俺の不慣れが誤魔化しやすくて助かる。

 号令、前進、止まれ、右向け、左向け、槍を起こせ。砂が靴の縁で白く粉を吹き、靴裏の釘が「カン」と短く鳴る。肘は昨日怒られた角度。今日はズレのないように。掛け声の拍に合わせて踵がそろい、石突きが砂を噛む。

 いかにもな訓練風景。こんな退屈な繰り返しをよく続けてられるもんだ。


 そんな単調な号令の最中、前列の新人が数えを飛ばした。何やってんだ。

 慌てて遅れを取り戻そうとしたのか、動きが大きくなって槍頭が横へ泳ぎ、柄がしなった。その反動で斜め後ろの列まで影響が広がり、石突きの跳ね返りが上がって、横一列の線が崩れる。同じ列の右側、ルシアの頬の高さへ、別の槍尻が跳ねた。

 まずいと思った瞬間、近かったからか体が勝手に出る。運よく柄の節が噛んで軌道が外れた。木の節が掌に噛んで、皮が裂け、乾いた血の匂いが薄く立つ。

 危なかった。かなりギリギリだ。盗賊で染みた癖が勝手に出てきた。大事にならないでよかったが、訓練中の、しかも行軍中にただの事故で怪我なんてしたら目も当てられねえぞ。


 ああでも結構音出しちまったな。跳ね返した衝撃で槍頭が一瞬だけ高くなった。

 教練役がこちらへ振り向く。砂に落ちた影もこっちを向いた。向いた方向が叱られる先を教えてるみたいだ。列から前へ出たやつに鞭が飛ぶだろう。


「ああ、今のは俺が数えを飛ばしたせいだ。焦って槍がブレて、おかげで列がちょっと乱れちまった」


 前に出たのは俺だった。さっきの新人も出ようとしていたが、先に出た俺がそれをさせなかった。つい昔のクセで、いつ誰に恩を売れるか、どれぐらいデメリットがあるか、みたいな考えをするようになってて、それで自然に声が出た。

 影の向きが俺に変わる。靴音が砂を踏む。「顎を上げろ」の手振り。喉の奥から唸るような声がした。


「減点だ。例え訓練でも式典と変わらないと考えるよう、再三促したはずだ」


「不注意だった、すんません」


 別に減点されようが構わねえ。こんな場所いずれ抜けるんだ。

 後に響くことなんて何も無いし、それで傷つく愛国心なんてものも端から持ち合わせてない。むしろ、ここで列を止めると疑念の目が増える。目が増えると、余計な問答が増える。単純に損だ。俺が出て減点で済むならその方がよっぽど良い。


「それと口の利き方に気をつけろ。私はお前ら見習いとは違うのだぞ」


「……次は気を付け、ます」


「戻れ」


 ……クソが、やっぱり敬語は慣れねえ。

 俺が引っ込んだのを確認して、列はすぐ流れを取り戻した。


 休憩時間になればルシアは列の外側を回って、給水の桶を持って必要なやつの杯にだけ早めに水を落としていく。

 恩を売らない手。売り買いとは縁のなさそうな顔。ああいうやつは信用できる。周りの人間も変に思わず受け入れてる。前にも思ったが世話焼きなやつだ。自分自身も紐の向きを間違えるくせに。人を見るのが向いてるんだろう。上に行きやすいタイプだ。

 とか思ってたらこっちにも来やがった。


「さっきの。私に槍が飛んできたから、その前に弾いてくれたよね。おかげで助かった。ありがと」


「……あー、勘違いすんな、お前のためじゃない。前の寝坊を流してくれた借りをさっき返しただけだ。これでチャラ、いいだろ?」


「あー……そっか。確かにあなたは私に借りがあった。じゃあそういうことにして受け取っておく」


「おう」


 それでいい。

 俺にとっては本当にただの一瞬。借りを返すってのは親切をしているわけじゃない。帳面の数字を動かしてるだけだ。






 *






 午後の訓練が終われば夕方近く。掲示板に紙が一枚増える。文官の骨っぽい字だ。


『詰所で保管物の点検。各自、自分の部屋に戻り待機』


 言い方は柔らかいが、意味は硬い。

 要は抜き打ちで、やべー薬だの怪しい書類だの怪しいもん持ち込んでないか確認するって訳だな? よしよし理解したぞ。

 定期的にやってるのかは知らねえが、まあ俺は問題ない。昨日の昼、俺は木箱を一度開けて中身を空にしてる。

 兵士だった頃の俺には悪いが、中身に思い入れなんてない。欠けた木のカップ、汗を吸って固まった手袋、くすんだ徽章、使いかけの藁紐──全部捨てた。必要なものだけまとめて、予備紐を一巻き、磨いた靴、制服、それだけ。

 これで俺に火の粉が飛ぶわけねえ。あっさり乗り越えられそうで安心だ。


 いざ点検が始まれば、全員が木箱の前に立たされ、空気が重くなる。

 上官が一つ一つ回っていく。呼ばれた番号だけが一歩出る決まりで、呼ばれていない連中は視線も動かさないのが普通だ。上官は腰の鍵束を持ち替えて、また迷いなく一つを抜いて鍵穴に向ける。蓋は必ず上官の手で開閉されて、持ち主は見ているだけ。行列は静かに進むが、止まらないことだけは徹底されてる。ここで止めると問答が増えるからな。増えた問答はだいたい面倒しか生まない。


 上官の鍵は俺のと同じ歯並びだった。ってことは予備の鍵みたいなもんがあるのか。あの鍵束があれば他の木箱も開けられる? 盗賊の頃の感覚が蘇ってきて頭を振った。

 俺の三つ前の兵が緊張混じりに「何も言われませんように」と呟いた。上官は無言で開け、無言で閉め、次へ進む。

 二つ前のやつは番号を噛んで言い直したが歩みは止まらず、箱は定型どおりに閉じた。

 前のやつは手袋の指を外して中を見やすくしようとしたが、上官には大した差じゃなかったらしい。さっさと見て先へ進めた。

 俺は自分の番に合わせてつま先の向きを正しておき、石突きは体の外側に置く。誰に見られても説明がいらない置き方だ。

 視線は正面に置き、首は動かさない。横を見たやつはだいたいそこで滞る。ここまで注意が飛んだ例はなく、列は一定の速さで回っている。この調子でいけば俺の番も同じ手順で通過するはず。


 さあ、いよいよ俺の番だ。

 この場は速度が正義で、型に合わせて流した方が早く終わる。上官の目が先に俺を見た。目の色なんざどうでもいいが、その目は「お前も問題無いだろうな? 面倒事は勘弁だぞ」と喉の奥で言ってるようで。

 変なものが見つかって苦労したことがあるのか。ご愁傷様。俺は大丈夫だぞ。見るなら見ればいい。こっちは段取りの方を見る。とにかく俺は今の暮らしに慣れなきゃいけねえんだ。どんな慣習も叩き込んでおいて損はない。

 鍵先が穴に触れ、回る。


「お前、なんだ、これは」


 上官の目が向く。ゆっくり、俺に。

 聞かれて俺の目はゆっくり自分の箱に移る。嫌な汗が流れた。


 開いた口からは、ヤバそうな印の跡がある白い紙の束が。

 空にしたはずの、鍵のかかってる、俺の箱から。俺の見たことのない紙きれが。


 ………………は?

感想やご意見をお待ちしていますのでよろしければ……(´・ω・`)

ブックマーク・評価・リアクション等も、可能であればぜひお願いします。大喜びしますので。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ