慰める先輩と処刑名簿
「お、おい……。大丈夫か?」
「あ、アシェル、先輩……」
俺が声をかけると、タリエの肩がわずかに揺れた。気づいたらしい。もう一度口が開きかけて、閉じた。歩幅は崩れていないのに、顔色だけが抜けている。頬が薄く、唇が乾いて、目の焦点が合っていない。
何だこの顔。体調か? いや、違う。腹を押さえていねえし、震えてもない。歩きだっていつも通りだ。じゃあ、別の何かだ。なんか悪い知らせでも受けたか、吐き気でもしてんのか。
俺は柱影から出て、道を半歩塞ぐ。腕の束に目を落とし、短く言う。
「止まれ。な、一息つけよ」
タリエは足を止めた。返事がない。腕に力が入りすぎて、紙の角が沈む。視線は俺を抜けて、どこも見ていない。こいつ、どこで何を聞いたんだ。兵舎かその道中か。
束の上で変な色の紙が揺れてる。黒縁の札だ。あれは……なんだっけか、兵士の頃に見たことがあったような気がするんだが……。
──そうだ、殉死だ。誰が──ああ、見習い兵の俺か。そりゃ俺しかいねえか。
そうか。こいつ、今朝そこで告げられたんだ。兵のアシェルは死んだ、と。自分の脚で兵舎まで運んだ束の先で、その名を見た。だから顔が固まってる。
分かったはずなのに、しっくり来ねえ。
死んだ、だからどうしたんだ。盗賊の頃は道端で倒れた奴なんざ珍しくなかった。腹に刺さって沈黙、首に矢、崖下。そんなことしょっちゅうで、いちいち立ち止まってられねえ。そういう暮らしだった。
なのに、こいつはこの顔になる。別にそこまで近い仲でも無かっただろ? 俺とこいつ、兵の頃に何度顔合わせた。礼の言葉と、使いの受け渡し、後一緒に飯食った。二言三言やっただけじゃなかったか。夜に酒を割った覚えも、肩を貸した覚えも、お互いの主張を交えて殴り合った覚えもない。なら、ここまで崩れる理屈が足りねえぞ。あんなイイ性格しておいて、思ったより気にする奴なのか?
分からん。分からんが、こいつは今、落ち込んでる。どうするか。
俺の目的は二つ。処刑名簿をコイツから奪い取ること、今日の仕事を助けてもらうこと。この二つを今はとりあえずなんとかしなくちゃいけねえ。
放っておくのか。いや、それはダメだ。処刑名簿自体はぶんどれるかもしれねえが、俺とソラナが何もできなくなる。
無理やり連れてくか。それもダメだな。仕事自体はなんとかなるだろうが、俺が処刑名簿を手に入れる名目が無くなっちまう。
てことは、慰め、ってやつか。やったことはねえし、やる相手もいなかった。盗賊にそんな間はねえ。死んだら終いだ。残った手が荷を拾うだけだ。
それでも、今は目的のためにコイツを立ち直らせなきゃいけねえ。よし覚悟決めろアシェル。覚悟決めるほどのことでもねえが、時間制限は昼の仕事が始まるまでだ。
「タリエ」
「……先輩」
「こっち、来い」
それだけ。あんまり言葉を足すと長くなる。回廊の端、人が曲がって視線が逸れる場所へ導く。タリエは言われるままついて来る。足取りはいつも通りなのにまあ重いのなんの。束の角が腕に食い込んで白くなっている。俺は歩幅を少し狭め、柱の陰へ入る。壁に背を預けられるところ。人の通りから半身分だけ外れる。
「大丈夫か」
「……はい」
強がりの「はい」だ。肩が上がったまま降りない。
どうすりゃいい。言葉が見つからねえ。兵の仲間が倒れたとき、俺は何て言ってたか。何も言ってねえな。踏むなとか、触るなとか、散れとか、そんな合図だけだった。
これじゃ通じねえ。もし通じたとしても流石に冷たすぎるぞ。こいつは机で生きてる人間なんだ。そういう体動かす奴のノリは合わねえだろう。
黙って、束から視線を外させるのが先だ。顔を上げろ、息を入れろ。
言葉を選ぶ。やわらかいのは似合わない。長いのも無理だ。短くて、命令ほど荒くないもの。
「とりあえずついてこい。落ち着ける場所知ってるから」
いや知らないが。成り代わったばっかだし、そんなもん一つも記憶にないが。とりあえずコイツを別の場所へ引きずるため口実を立てるんだ。で、道端でなんかそれっぽいもん見つけたらそこに決めればいい。
「……いつもの食堂ですか? 先輩あそこしか連れってくれないじゃないですか……」
知らねえぞ。どこだそこ。
*
「……詰所で、殉死の札を見ました。名が、出ていて。見習い兵の、アシェルさんっていうんですけど。僕、渡すつもりの包みがあって……でも、渡す人が、もういないから。『戻れ』と言われて、戻りました。約束を果たせませんでした。僕が、約束していたのに」
色々言葉を選びつつ、緊張をほぐしていって大体十五分。ようやく落ち込んでる訳を話し始めやがった。
ちなみに今いるのは俺が見つけた食堂だ。まだ昼前で空いてたし、いい感じの場所があるからと思って入ったら、タリエが「結局ここですか……」って言いやがった。偶然にも元の体の持ち主の行きつけだったらしい。先言えよ。
しかしなるほどな。落ち込んでる原因は大方「知り合いがちょっと見ない間に死んでた」だろうと思ってた。が、コイツの中では「世話かけた相手とした約束を果たせないまま先に死なれた」ことも重荷になってやがんのか。めんどくせえ。
声の端が乾いている。目は紙を見ているようで、何も見ていない。こいつは機械みたいに歩いてここまで戻ってきたんだろう。心の方が遅れてついてきていない。俺は卓に肘を置き、束の上の黒縁を横目で見てから、タリエの腕を顎で指した。
「まず手え離せ。持ってる紙が死ぬぞ」
「……はい」
腕の中から卓の真ん中へ移させる。あの中には俺が喉から手が出るほど欲しがってる処刑名簿も入ってるはずなんだ。大事にしてくれよ。
紙束の中で黒縁の札が一枚だけ浮いている。詰所で見せられるやつ、俺が死んだっていう証明の紙だ。舌の奥で小さく鳴ったものを飲み込み、俺は短く息を吐く。
「まあ、何だ。見習いでも兵士ってことは死ぬ覚悟ぐらいしてたはずだ。危ない訓練だの任務だのやることもあるんだし、むしろ死んだ後知り合いにぐちぐち言われる方が堪えるだろ」
「……そうでしょうか」
「そういうもんだ。お前は気にしすぎ」
タリエの肩がわずかに縮む。落ち込んでるやつの反応だ。謝る前に息を止める癖がある。
俺は椀を遠ざけ、言葉を選ぶ。キツイ言葉だけはダメだ、それで余計に崩れる姿が想像できる。短くズバっと言うだけでいいはず。
「いいか、人は死ぬ。兵は特に死ぬ。今日死ぬやつもいるし、今夜死ぬやつもいる。お前も俺も、そのうち死ぬ」
「……は、はあ」
「大事なのはそういう覚悟を最初に置くか、後にするかだ。兵士ならそんなもん大抵先にやってる」
タリエは喉で小さく鳴って、頷くでもなく、否でもなく、額を指で押した。分かってないって顔だ。
「あー……つまりだな。約束が破られたとか、案外ソイツは気にしてないんじゃねえかってこと。だから気に病むこたねえ」
「そう……ですか。たし、かに、そうかも」
俺は束の上に目を戻す。上から二つ目に茶封がある。官印はない。丸い細字で宛が書かれている。墨が薄い。急いで書いた字だ。これが渡せなかった包みだろう。
しかしコイツまだ納得しきれてねえな。そりゃそうだ。今言ったのはただの文官の推測に過ぎねえ。本人がどう思ってたかだなんて分かりっこない。いや、俺はその本人だから知ってるんだが。ちょっと証明しようがない。
「ありがとうございます。ちょっとだけ、気持ちが軽くなりました」
「──そうか、よかったな。じゃあこれで昼からも働けるな」
いや、ダメだ。まだコイツの中で蟠りは溶けてねえ。ここで終わっちまったら、名簿を無理やり奪うしかなくなる。
ああクソ、もういい。こうなりゃ──。
「その、相談つーか、慰めてやっただろ。だからよ、その、なんだ」
「……? あっ、はい。すみませんでした──」
いや、違う。
ここで無理やり恩を売ったことにしてしまえ。それでなんとか名簿を譲り受けるんだ。
「──謝るくらいなら、俺に貸し一つだと思っとけ」
「え……?」
*
早めの昼飯を食い終わって、そろそろ戻る時間になった頃。
まずいな。結局良い感触を得られないままここまで来ちまった。作戦が譲渡から強奪に移り変わるまでもう秒読みだぞ。
回廊の石が薄く磨り減っている。靴底がかすかに滑るたび、肩越しの息づかいが乱れる。昼の鐘はまだ鳴らない。だが控庫の焼却甕から細い煙が上がり、布で角印を拭く音が途切れ途切れに聞こえる。
市務課の戸が見える手前で、タリエが急に歩を緩めた。足許の石目を一つ、二つ、なぞるように見て、それから俺の肩口に視線を上げる。喉が鳴った。声が出るまで息をつぐ時間が長い。
「……先輩」
短い呼びかけの中に、迷いが居座っている。返事を待たず、続きが落ちた。
「さっきから、やっぱり、変です。先輩の言い回し。『手え話せ』とか『思っとけ』とか……だいぶ粗暴な感じで。前はそんな喋り方じゃありませんでしたよね」
げ。今その話をすんのかよ。
俺は肩をすくめる。嘘を考える暇もない。言い訳なら腐るほどあるが、どれを出してもさらに嘘を重ね塗りするだけだ。
「……寝不足だ。昨日は大変だったろ、だから口が回らない。それだけ」
「寝不足、ですか」
「そうだ。悪かったな」
嘘でもない。だが本当でもない。タリエは頷かない。束を抱えたまま、視線を俺の顔から紙へ、紙から床へと落とし、また戻す。
戻した目に、落ち込んでたときみたいな水気はない。代わりに、昔話を探るみたいな遠さが出る。
「前の先輩は……なんというか、真面目でした。私情を仕事に挟んだりしないし。淡々としていて、粗い言い回しなんて、一度も聞いたことがない。怒鳴らないし、声は低くて、小さくて、紙しか見ていない。まさに仕事をするための人間って感じで。僕、そういうところを、尊敬していました」
歩みが止まる。俺も足を止める。回廊を渡る風が冷たい。焦ってる俺にさらに問題を押し付けてくるみたいな風で背中がゾクっとする。
言い訳の形を頭で組もうとするが、うまく噛み合わない。前の俺──この体の持ち主がどうだったかは、さっきソラナが言ってたとおりだ。真面目。静か。淡々。確かに、いまの俺と噛み合わねえ。
タリエは束の上に視線を落とし直し、指を一本ずつほどく。紙の角が息を吹き返す。声は細いが、さっきよりまっすぐだ。
「でも、さっき……『謝るくらいなら、俺に貸し一つだと思っとけ』って。言い方が早くて、短くて、はっきりして、その……粗く聞こえるけれど、怒っているわけじゃない。少なくとも悪い感情が混じったようには聞こえなくて。亡くなった、見習い兵士のアシェルさんと、同じように感じたんです。名前も似てますし」
「──それは……」
俺は口を開きかけ、閉じる。反論の言葉を噛んだところで、タリエがさらに続ける。
「それで……変なことを、思いました。さっき慰めてもらったとき、まるで本人に『気に病むな』って言われたみたいで。僕が勝手にそう感じただけかもしれないのに、そう感じたら、胸の重いのが、少し動いたんです」
回廊の隅を掃いていた下働きの箒が、かさ、と鳴った。俺は柱に背を当て、腕の力を抜く。言い繕う口はある。だが、いまは要らない。こいつは、自分の中で答えを作りかけている。
「先輩は、前と違います。何故か仕事もほとんど忘れてるし、何だか適当です。前の先輩の方がずっと頼りになるし、良い人だと思います」
「ぐ……」
「けれど……今の言い方も、嫌いじゃない。兵士の人みたいで、若干圧も感じますが。でも、さっきは、助かりました。僕、あの見習いの人に、ちゃんと『もういい』って言ってもらった気がして」
ああ、そういう話か。
緊張気味だった息が一つ下りる。肩の位置が落ちた。握っていた指が開いて、腕の力がようやく抜ける。
「多分こっちが素で、僕が落ち込んでたから本音で話してくれたんですよね。普段しゃべらなくて不器用なのに、それでも言葉を選んで」
お?
それだけ言うと、タリエはかすかに笑った。笑いと言っても、口元が少し動いただけだ。だが、顔色は戻り始めている。さっきの落ち込んでた空気がほとんど消えている。
マジか? このギリギリになって、慰めに成功したか?
「……悪かったな」
「謝らないでください。先輩は、僕に『働けるな』と言いました。働きます」
言葉の張りが戻った。いいぞいいぞ。
お前が元の調子に戻れば、俺への借りになって名簿を譲り受けられる。あと仕事がなんとかできるようになる。
「なので、先輩。ありがとうございます」
「いい、気にすんな」
肩を軽く二回叩く。一気に問題が解決した気分だ。
初めはどうかと思ったが、なんとかうまいこといきそうでよかったよかった──。
「──ア、アシェルさん! どこ行ってたんですかぁー!?」
あっ……。
ここ出る前に色々押し付けたままだったの忘れてた。
「……先輩? ソラナさんに何かしたんです?」
「……気にすんな。必要な犠牲だっただけだ」
「いや流石にそれは無視できませんよ!?」
*
柱の陰に身を寄せる。回廊の人足は途切れ、焼却甕の煙だけが細く立っている。袖の中の茶封は軽いのに、肘が重い。
糸目はさっきのままほとんど見えない。親指の腹で撫でて、爪先でそっと起こす。音は出すな。紙が一枚、喉の奥から吐き出すみたいに滑ってきた。
「……よし」
ついに手に入れたぞ、処刑名簿。
さっさと処分しようとしてたタリエを必死に止めて、「お前には俺とソラナのサポートに回ってもらう。忙しいだろうから、それは俺が処分しておく」と説得し、「は、はぁ……? ありがとうございます?」と宣うタリエと交渉成功させたのがついさっきのこと。
仕事の仕方も覚えてない人間が書類の処理方法なんて知ってる訳ないんだが。今の俺には関係ねえ。読み終えたらバラバラに破いてそのまま甕にポイ、だ。
「さて、どうなるか……」
ここに俺の名前、アシェルがあれば、俺は盗賊として処刑された事実が残ってるってことだ。そうなった場合、俺の無計画な逃走は後々で疑いと紐づくようになる。
逆に俺の名前が無ければ、何の理由でかは分からないが、俺の成り代わりの度に元のアシェルの証拠はきちんと消えてるってことだ。タリエが覚えてた以上その確率は低いが、もしそうなら今すぐに逃げ出したって盗賊の頃の俺と紐づけることはほぼ不可能になる。
さあ、前者か後者か……。
できることならば、俺が気楽に逃げ出せるよう後者であってほしいもんだが……。
──まあ、そううまくはいかねえか。
『街道荒らし・夜盗 被害:商人二・兵一 アシェル』
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