第8話:力の証明
「……面白い冗談だ」
アレクサンダーは、こめかみに青筋を浮かべながらも、辛うじて冷静さを装って言った。その声は、煮え滾るマグマのように低い。
「もう一度だけ言ってやる、そのふざけた店の権利を、俺たちに譲渡しろ。これは命令だ。かつての主からの、最後の情けだと思え」
その言葉には、絶対的な自信が満ちていた。
Sランク冒険者である自分たちが、たかが露天商一人をねじ伏せることなど造作もない。腕力で脅せば、泣いて許しを乞うだろう。彼の思考が、手に取るように分かった。
だが、今の俺は、もう力で脅されて黙って従うだけの存在ではない。
俺は小さく息を吐くと、静かに告げた。
「お断りします、と言ったはずです。それに、あなた方は俺の『主』だったことなど一度もない。俺はただ、あなた方に『雇われていた』だけだ。そして、不当に『解雇された』。それだけのことです」
「……貴様ッ!」
俺の反論に、ついにアレクサンダーの理性が焼き切れた。
「もういい! 力ずくでも言うことを聞かせてやる! ゴードン!」
「へっ、ようやくそうこなくっちゃな!」
ゴードンが、待ってましたとばかりにニヤリと笑い、巨大な拳を握りしめて俺に歩み寄ってくる。市場の通行人たちが、何事かと遠巻きにこちらを見ているが、誰も割って入ろうとはしない。『暁の剣』の紋章を掲げた彼らに逆らえる者など、この街にはほとんどいなかった。
「おい、アルス...昔みたいに、泣いて謝るなら今のうちだぜ? 俺の拳は、昔よりもちっとばかし重くなってるからなあ!」
ゴードンは威嚇するように、目の前で巨大な拳をブン、と振るう。風を切り裂く音が、その膂力の凄まじさを物語っていた。
確かに、まともに食らえば俺の骨など簡単に砕けるだろう。
だが、俺は一歩も引かなかった。
なぜなら、俺の【次元連結収納】は、もはや単なるアイテムボックスではないからだ。
「……後悔しますよ」
俺は静かに呟くと、スキルを発動した。
頭の中に思い浮かべるのは、異世界『地球』の、ある特定の『道具』。
MPがごっそりと持っていかれる感覚。しかし、それに見合うだけの価値はある。
ゴードンの拳が、俺の顔面めがけて振り下ろされる。
その動きが、やけにゆっくりと見えた。
「――遅い」
俺は呟くと同時に、空間から『それ』を取り出し、ゴードンの拳に向けて突き出した。
『それ』は、黒い円筒形の物体。先端からは、バチバチと青白い電光が迸っていた。
――スタンガン。
地球の法執行機関などが使用する、非殺傷性の護身用具だ。
ゴードンの巨大な拳が、スタンガンの電極に触れた、その瞬間。
凄まじい放電音が響き渡り、ゴードンの巨体が、まるで操り人形の糸が切れたかのように崩れ落ちた。
「ぐ……ぎ……があああああああああああッ!?」
巨漢の戦士は白目を剥き、口から泡を吹きながら地面を転げ回る。全身が激しく痙攣し、もはや戦闘どころではない。
その信じられない光景に、アレクサンダーもリリアナも、言葉を失って立ち尽くしていた。
「な……な、なんだ今の……!? 魔法か!?」
アレクサンダーが、驚愕の声を上げる。
「いいえ、アレク様! 魔法の詠唱も、魔力の流れもありませんでした! あれは……一体……!」
リリアナもまた、理解不能な現象を前に混乱していた。
俺は痙攣するゴードンを一瞥すると、スタンガンのスイッチを切り、何でもないことのように【収納】へと仕舞った。
そして、呆然とするアレクサンダーたちに向き直る。
「言ったはずです。後悔すると。これが、俺の『力』です。あなたたちの知らない、新しい力。それでもまだ、やりますか?」
俺の問いに、アレクサンダーはぐっと言葉を詰まらせた。
彼のプライドが、目の前の現実を受け入れることを拒絶している。かつて無能と見下していた荷物持ちが、自分たちのパーティで最強の膂力を誇るゴードンを一撃で無力化した。この事実を、彼はどう消化すればいいのか分からずにいるのだ。
「……き、貴様……一体、何を……」
「商人には、商人の戦い方があるんですよ。あなたたち冒険者のように、剣や魔法に頼るだけが全てじゃない」
俺は彼らに背を向け、その場を立ち去ろうとした。これ以上の問答は無用だ。力の差は、既に見せつけた。
だが、その背中に、憎悪に満ちた声が突き刺さる。
「……待て」
声の主は、これまでずっと黙っていた僧侶のセラだった。
彼女は、いつも無表情だった顔を珍しく歪め、俺を射殺さんばかりの目で睨みつけていた。
「アレク様を、これ以上侮辱するというのなら……私も、容赦はしません」
彼女の手のひらに、まばゆい光が集まり始める。それは、聖なる力を凝縮した攻撃魔法の輝きだった。僧侶でありながら、彼女はパーティ随一の攻撃魔法の使い手でもあったのだ。
「セラ、やめろ!」
アレクサンダーが制止の声をかけるが、遅かった。
「聖なる光よ、邪悪を討て!――ホーリーアロー!」
純白の光の矢が、凄まじい速度で俺の背中に向かって放たれる。回避は不可能。直撃すれば、ただでは済まないだろう。
だが、俺は振り返らなかった。
代わりに、再び【収納】スキルを発動する。今度取り出すのは、防御用のアイテムだ。
俺の背中と光の矢の間に、一瞬にして黒い物体が空間から出現する。
――防弾シールド。
地球の特殊部隊などが使用する、軽量かつ強靭な盾だ。
キィン! という甲高い金属音と共に、ホーリーアローは防弾シールドに弾かれ、あらぬ方向へと飛んでいき、近くの壁に当たって霧散した。
シールドには、焦げ付いた跡が僅かに残っただけ。傷一つついていない。
「なっ……!?」
セラが、信じられないといった表情で目を見開く。自分の必殺の一撃が、いとも容易く防がれたのだ。
俺はゆっくりと振り返り、まだ煙を上げるシールドを片手に、冷たい声で言った。
「これが、最後の警告です。次に俺や俺の店に手を出そうとしたら、今度は気絶じゃ済みませんよ」
俺のその言葉と、未知の道具がもたらす圧倒的な力の差を前に、ついに『暁の剣』のメンバーは沈黙した。
彼らの顔には、驚愕、混乱、屈辱、そして――ほんのわずかな恐怖の色が浮かんでいた。
俺はシールドを【収納】に仕舞うと、今度こそ彼らに背を向け、雑踏の中へと歩き出した。
もう誰も、俺を呼び止めようとはしなかった。
宿への帰り道、俺は自分の高鳴る鼓動を感じていた。
初めて、自分の意志で、自分の力で、理不尽な暴力に立ち向かい、そして勝利した。それは、金銭的な成功とはまた違う、確かな自信を俺に与えてくれた。
だが同時に、これで終わりではないことも分かっていた。
アレクサンダーたちのプライドは、ズタズタに引き裂かれたはずだ。彼らがこのまま黙って引き下がるとは到底思えない。
おそらく、次はもっと汚い、卑劣な手を使ってくるだろう。
「……望むところだ」
俺は呟き、拳を固く握りしめた。
どんな手を使ってこようと、俺は負けない。俺には、この世界最強の『仕入れ先』がついているのだから。
商人アルスの戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。
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