第6話:行列のできる店
「試食だと? 兄ちゃん、本当か?」
最初に声をかけてきたのは、顔に大きな傷跡を持つ、見るからに歴戦の冒険者といった風体の男だった。彼の背後には、同じような雰囲気の仲間が二人控えている。おそらく、どこかのパーティだろう。
「ああ、もちろんだ。ちょうど今、試食用の準備ができたところだ。さあ、遠慮しないでくれ」
俺は笑顔で応じ、小さな木のカップに、出来上がった醤油ラーメンを少しずつ取り分ける。ほかほかと立ち上る湯気と、食欲をそそる香りが周囲に広がり、遠巻きに見ていた人々の鼻をくすぐった。
男は疑い深そうな目でカップを受け取ると、まずは匂いを嗅いだ。
「……ほう、悪くない匂いだ。だが、味はどうかな」
彼はそう言うと、スープを一口、ずずっとすする。
その瞬間、男の目がカッと見開かれた。
「なっ……!?」
まるで雷にでも打たれたかのような衝撃的な表情。彼は言葉を失い、もう一口、また一口と、夢中でスープを飲み干していく。そのあまりの変貌ぶりに、仲間たちも、周りの野次馬たちも、ゴクリと喉を鳴らした。
「う……うまい……。なんだこれは……。こんな深みのある味、王都の高級レストランでも味わったことがないぞ……!」
男は絞り出すような声で呟き、カップの中を名残惜しそうに見つめている。
その反応を見て、俺は勝利を確信した。
「どうだい、親父さん。これが俺の店の看板商品、『らーめん』だ」
「ら、らーめん……だと? 聞いたこともない料理名だ……」
「異世界の料理だからな。気に入ったなら、通常サイズを一杯どうだ? たったの銅貨5枚だ」
俺が言うと、男は考える間もなく懐から銅貨を掴み出した。
「食う! 三つくれ! おい、お前らも食うぞ!」
仲間たちも、リーダーのただならぬ様子に興味をそそられたのだろう。異論なく頷いている。
俺は手際よく三つのカップラーメンに湯を注ぎ、3分計るための砂時計(これもスキルで取り寄せた)をひっくり返した。
このやり取りが、最高の宣伝になった。
歴戦の冒険者が絶賛する未知の料理。しかも、試食ができて、一杯たったの銅貨5枚。人々が殺到しないはずがなかった。
「俺も試食させてくれ!」
「私にも!」
「なんだなんだ、何の騒ぎだ?」
あっという間に、俺の小さな露店の前には黒山の人だかりができていた。俺は慌てて試食を配りながら、注文をこなしていく。
「はい、お待ちどうさま! らーめん三丁!」
「試食はこちらですよー! 熱いから気をつけてくださいね!」
醤油味だけでなく、味噌、塩、豚骨といった様々な味を用意していたのも功を奏した。一度食べた客が「次は違う味を」とリピートし、さらにその評判が新たな客を呼ぶ。好循環が生まれていた。
客層も様々だった。
ダンジョン帰りの冒訪者たちは、その手軽さと温かさ、そして塩気の効いた味を絶賛した。
「こいつはすげぇ! ダンジョンの中にこれを持っていけたら、探索がどれだけ楽になるか!」
「腹持ちもいいし、何より美味い! 毎日でも食えるぞ!」
市場で働く商人や労働者たちは、その安さと提供スピードの速さに驚いていた。
「注文して3分で出てくるのか!? 昼飯の時間が短い俺たちにはありがてぇ!」
「銅貨5枚でこれだけのものが食えるなんて、信じられん……」
子供たちは、初めて食べる味に目を輝かせ、母親たちはその手軽さに感心していた。
俺の店は、開店からわずか一時間で、市場で最も長い行列ができる人気店となっていた。
もちろん、やっかみの声がなかったわけではない。
近くで串焼き屋を営む、恰幅のいい店主が、腕を組んで俺の店を睨みつけてきた。
「ちっ、どこの馬の骨とも知れん若造が……。何か怪しい薬でも使ってるんじゃないのか?」
そんな声も聞こえてきたが、俺は気にしなかった。圧倒的な商品の魅力の前では、そんな妬みなど無力だ。むしろ、その悔しそうな顔を見て、内心でほくそ笑む余裕すらあった。
昼過ぎには、用意していた200食分のカップラーメンは全て完売してしまった。
俺は「本日は売り切れ」の札を掲げ、行列を作っていた客たちに頭を下げて謝る。
「すまない、みんな! 今日の分はもう売り切れだ! 明日はもっとたくさん用意してくるから、また来てくれ!」
客たちは残念がりながらも、「明日また来るよ!」「今度は味噌味を食ってみたい!」と口々に言いながら去っていく。その顔には、満足の色が浮かんでいた。
後片付けを終え、がらんとした店の机に座り込む。
体はくたくただったが、心はこれ以上ないほど満たされていた。
今日の売り上げを計算すると、銅貨にして1000枚。つまり、金貨1枚分だ。
Sランクパーティの荷物持ちだった頃の俺の月収が、たった銀貨10枚だったことを考えると、まさに桁違いの稼ぎだった。
「これが……自分の力で稼ぐっていうことか……」
皮袋にずっしりと詰まった銅貨と銀貨の重みが、俺の努力と才覚の証明のように感じられた。
その時だった。
ふと、視線を感じて顔を上げると、市場の向こう側を歩く、見慣れた一行が目に飛び込んできた。
金色の髪の勇者、アレクサンダー。
巨大な盾を背負う戦士、ゴードン。
無口な僧侶、セラ。
そして、優雅に微笑む魔術師、リリアナ。
『暁の剣』のメンバーだった。
彼らはダンジョン帰りなのか、装備のあちこちが傷ついている。その表情は一様に疲れ切っており、どこか不機嫌そうに見えた。
彼らは市場の喧騒に紛れ、俺の店には気づいていない。俺も、咄嗟に物陰に隠れてしまった。まだ、彼らと顔を合わせる気にはなれなかった。
だが、俺は見た。
リリアナが、アレクサンダーに何かを耳打ちしている。その視線は、確かに俺の店があった方向――行列ができていた方角を向いていた。
(まさか……)
嫌な予感が、胸をよぎる。
彼らは俺を追放した。俺のことなど、もう忘れているはずだ。
そう思いたかったが、彼らがこの市場に現れたという事実が、俺の心に小さな、しかし消えない影を落とした。
俺は彼らの姿が見えなくなるまで物陰に潜み、それからゆっくりと立ち上がった。
「……関係ない」
自分に言い聞かせるように、呟く。
彼らがどう思おうと、俺は俺の道を歩むだけだ。
商人アルスとしての成功への道は、まだ始まったばかりなのだから。
俺は売り上げの入った皮袋を固く握りしめ、夕暮れの街を宿屋へと急いだ。
明日は、もっと多くの客が来るだろう。もっと稼いで、もっと大きな店を持って、彼らが見上げるほどの存在になってやる。
新たな決意を胸に、アルスの二日目の営業は幕を閉じた。
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