第59話:『観測者』と世界の真実
「……代行者……? それは、どういう意味だ?」
俺は、ルナの衝撃的な告白に、混乱しながらも聞き返した。
彼女は、コーヒーカップを静かにテーブルに置くと、その赤い瞳で、俺をまっすぐに見つめた。
「文字通りの意味よ。私たちの祖先は、遥か昔、空から来た『観測者』と、契約を交わした。私たちは、彼らに、この世界の様々な情報を提供する。その見返りとして、彼らは、私たちに、人智を超えた『力』……つまり、スキルの原型となる技術と、知識を与えてくれた」
「空から来た……観測者……」
それは、まるで神話のような話だった。だが、ルナの口調は、おとぎ話を語るそれではなく、厳然たる事実を告げる、歴史家のそれだった。
「その契約は、代々、私たちの一族の長だけに、口伝で受け継がれてきた。私たちは、歴史の影に潜み、世界の大きな流れを、ただ見つめ、記録し、そして、時折、観測者からの『指令』に従って、歴史に、ほんの少しだけ、介入してきたの。……それが、私たち、『銀月の影』の一族の、宿命よ」
銀月の影。
おそらく、彼女が所属していた、暗殺者ギルドの、本当の名前なのだろう。
彼らは、ただの暗殺者集団ではなかった。世界の秘密を守る、影の守護者だったのだ。
「……じゃあ、お前が、俺の前に現れたのも……」
「ええ。それも、『観見者』からの指令だったわ」
ルナは、静かに頷いた。
「数ヶ月前、観測者たちのシステムに、原因不明の、巨大な『バグ』が発生した。それは、本来、この世界には、絶対に与えられるはずのない、規格外のスキル。……それが、あなたの【次元連結収納】よ」
「……!」
「観測者たちは、混乱したわ。自分たちの管理外の力が、この世界に生まれたことに。彼らは、それを、世界のバランスを崩壊させかねない、危険な『イレギュラー』と判断した。……そして、私に、指令が下されたの」
彼女は、そこで一度、言葉を切った。
その赤い瞳に、初めて、苦悩の色が浮かぶ。
「―――イレギュラー、アルスを、監視し、そして、必要とあらば、『排除』せよ、とね」
俺は、言葉を失った。
彼女が、最初に俺に近づいてきた、本当の理由。
それは、仲間になるためでも、俺の力を利用するためでもなかった。
彼女は、俺を、殺すために、やってきたのだ。
だが、俺は、不思議と、彼女に対する怒りや、恐怖は感じなかった。
ただ、深い、納得感があった。
「……だったら、なぜ、俺を殺さなかった? あんたには、いくらでも、チャンスがあったはずだ」
「……分からなかったからよ」
ルナは、か細い声で、答えた。
「……最初は、指令通り、あなたを殺すつもりだった。でも、あなたを知るうちに、分からなくなった。あなたは、その規格外の力で、世界を破壊するどころか、むしろ、人々を、幸せにしている。追放された仲間を許し、行き場のないセイレーンを救い、敵対した王子とすら、手を取り合った。……あなたがやっていることは、本当に、『悪』なのか……? 私には、もう、判断できなかったの」
彼女は、指令と、自分の目で見た現実との間で、ずっと、苦しみ続けていたのだ。
そして、彼女は、ついに、一族の宿命に、背くことを決意した。
彼女は、俺を『排除』するのではなく、俺を『守る』ことを、選んでくれたのだ。
「……ありがとう、ルナ」
俺は、心からの感謝を、彼女に伝えた。
「……話してくれて、ありがとう」
俺の言葉に、彼女の目から、一筋の、涙がこぼれ落ちた。
それは、彼女が、長年一人で背負ってきた、重い宿命から、解放された瞬間の、涙だったのかもしれない。
俺は、そんな彼女の肩を、そっと、抱き寄せた。
彼女は、驚いたように、一瞬だけ身を硬くしたが、やがて、その身体から、力が抜けていく。
そして、俺の胸に、その顔を、静かに、うずめた。
「……ごめんなさい……。あなたを、ずっと、騙していて……」
「いいんだ。もう、いい」
俺たちは、しばらく、そのまま、寄り添っていた。
窓から差し込む、午後の穏やかな光が、俺たち二人を、優しく、包み込んでいた。
だが、その穏やかな時間は、長くは続かなかった。
突然、俺の脳裏に、あの、不快な『ノイズ』が、これまでで、最も強く、鳴り響いたのだ。
【―――警告。代行者ユニット:ルナの、契約違反を検知】
【―――対象オブジェクト:アルスへの、保護プロトコルを解除】
【―――最終プロトコルへ、移行します】
【―――『世界浄化』プログラム、起動】
「……っ!?」
俺とルナは、同時に、顔を上げた。
ルナの顔から、血の気が引いていく。
「……まずいわ……! 観測者たちが、気づいた……! 私が、裏切ったことに……!」
その瞬間、店の外が、にわかに、騒がしくなった。
ミリアの、悲鳴が聞こえる。
「店長! 大変です! 空が……! 空が……!」
俺とルナは、慌てて、店の外へと飛び出した。
そして、空を見上げ、絶句した。
街の、遥か上空。
雲を突き抜け、そこには、信じられないものが、浮かんでいた。
それは、巨大な、金属でできた、銀色の『島』。
いや、違う。
あれは、島などではない。
地球のSF映画で、何度も見たことがある。
あれは、紛れもなく、『宇宙船』だった。
そして、その宇宙船の底面が、ゆっくりと開き、無数の、黒い点が、地上に向かって、降り注ぎ始めた。
それは、機械の、兵士たちだった。
「……あれが、『観測者』の、本当の姿……」
ルナが、絶望に、染まった声で、呟いた。
「……彼らは、自分たちの管理下にない、イレギュラーを排除するためなら、世界そのものを、リセットすることも、厭わない。……『世界浄化』。……それが、始まったのよ」
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