第56話:王子と商人の『交渉』
「……ありえん……。我が、王国の、精鋭部隊が……。こんな、こんな子供の遊びのような戦術に、一方的に……!」
後方の本陣で、アウグストゥスは、信じられない光景を前に、わなわなと震えていた。
彼の軍隊は、もはや軍としての体をなしていなかった。
前衛はネバネバ液で無力化され、後衛の魔導兵団は、自らの魔法で壊滅。残った兵士たちも、敵の正体不明な兵器と、いつどこから飛んでくるか分からない攻撃に、完全に戦意を喪失し、右往左往しているだけだった。
俺たちの側には、死傷者は、まだ一人も出ていない。
これは、もはや、戦いですらなかった。
一方的な、『実験』だった。
異世界の知識と、この世界の天才たちの才能が、どれほどの破壊力を生むのかという、壮大な実験だ。
「……アルス。そろそろ、潮時じゃないかしら」
城壁の上、俺の隣で、アリーシャ王女が、静かに言った。
彼女の目は、兄であるアウグストゥスを、悲しげに、しかし、まっすぐに見据えている。
「これ以上は、無益な血が流れるだけだわ。わたくしが、兄上と話をつける」
「……危険です、王女様」
「いいえ。これは、わたくしたち、王家の問題。わたくしが、ケリをつけなければならないの」
彼女の、その覚悟に満ちた瞳を見て、俺は、何も言えなくなった。
俺は、拡声の魔道具を、再び手に取った。
「―――第一王子アウグストゥス! 聞こえるか! もはや、勝敗は決した! これ以上の抵抗は、無意味だ! 王都の兵士たちに、これ以上、無駄な血を流させるな!」
俺の声は、戦場に響き渡った。
味方からは、勝利を確信した、雄叫びが上がる。
敵兵たちは、その言葉を待っていたかのように、次々と武器を捨て、その場に座り込み始めた。
もはや、彼らに、戦う意思はない。
アウグストゥスは、周囲の兵士たちが、戦いを放棄していく姿を見て、絶望に顔を歪めた。
そして、彼は、最後の、狂気の行動に出た。
彼は、馬首を返すなり、たった一人で、城壁へと、突撃してきたのだ。
「……裏切り者どもが……! ならば、俺が、この手で、貴様らだけでも、地獄へ送ってくれるわ!」
その手には、王家に伝わるという、魔剣が握られている。
その剣から放たれる、禍々しいオーラは、オークションで見た、魔剣グラムの比ではなかった。
「兄上!」
アリーシャ王女が、悲痛な叫びを上げる。
「……ったく、往生際が悪いぜ!」
カイエンが、炎の剣を構え、アウグストゥスを迎え撃とうとする。
だが、俺は、その肩を、手で制した。
「……ここは、俺に任せろ」
「先生!? あんた、正気か!? あれは、本物の魔剣だぞ!」
「ああ。だからこそ、俺が行くんだ」
俺は、一人で、城壁の階段を駆け下り、城門の前へと向かった。
そして、ゆっくりと、開かれていく城門の前に、丸腰で、仁王立ちになった。
猛然と突進してくる、アウグストゥス。
その、憎悪に満ちた目が、俺を、捉えている。
彼は、この戦いの全ての元凶が、俺にあると、確信しているのだ。
馬の蹄が、大地を蹴る。
魔剣の切っ先が、俺の、心臓を、狙っている。
誰もが、俺が、次の瞬間には、血祭りにあげられると、思っただろう。
だが、俺は、動かなかった。
ただ、静かに、彼を見据えていた。
そして、彼が、俺まであと数メートルという距離まで迫った時、俺は、一つの『商品』を、スキルで、彼の目の前に、取り出した。
それは、剣でも、盾でもない。
一枚の、何の変哲もない、『鏡』だった。
地球の、デパートで売られているような、ただの、大きな姿見だ。
「……なっ!?」
自分の突進してくる姿が、予期せず、目の前の鏡に映し出されたことに、アウグストゥスは、一瞬、虚を突かれた。
そして、彼は、鏡に映る、自分の顔を、見てしまった。
怒りと、憎悪と、狂気に、醜く歪んだ、化け物のような、自分の顔を。
彼の動きが、ほんの、コンマ数秒だけ、鈍った。
その、一瞬の隙。
俺は、それを、見逃さなかった。
俺は、鏡を投げ捨てると、彼の馬の足元に、もう一つの『商品』を、転がした。
それは、地球の子供が遊ぶような、大量の『ビー玉』だった。
馬の蹄が、つるりとしたビー玉を踏みつけた瞬間、その巨体は、バランスを崩し、甲高い嘶きと共に、横転した。
アウグストゥスは、馬上から、無様に、地面へと、叩きつけられる。
彼の体は、地面を数回転し、俺の、足元で、止まった。
手から滑り落ちた魔剣が、からん、と、乾いた音を立てた。
「……ぐ……う……!」
打ちどころが悪かったのか、彼は、しばらく動けないようだった。
俺は、彼の足元に落ちている魔剣を、拾い上げた。
そして、その切っ先を、彼の、喉元に、突きつけた。
「……ここまでだ、王子様」
俺は、冷たく、言い放った。
戦いは、終わった。
あまりにも、あっけない、幕切れだった。
俺は、最後まで、商人としての『商品』を使い、この戦いを、終わらせたのだ。
俺は、アウグストゥスの、絶望に染まった顔を、見下ろしながら、言った。
「……さて、と。始めましょうか、王子様。俺と、あんたの、最後の『交渉』を」
暴力ではなく、対話で。
商人アルスの、本当の戦いは、ここから、始まる。
この国の、未来を、決めるための、交渉が。
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