第52話:反撃の拠点
夜の街道を、俺とアリーシャ王女は、ただひたすらに馬を駆った。
背後から追っ手は来ていない。カイエンたちが、命がけで稼いでくれた時間のおかげだ。
だが、俺たちの心は、少しも休まらなかった。
「……ごめんなさい、アルス」
隣を走るアリーシャ王女が、か細い声で呟いた。
「わたくしが、あなたを、こんな危険な戦いに、巻き込んでしまった……」
「王女様が、謝ることではありません」
俺は、前を見据えたまま、力強く答えた。
「俺は、俺自身の意志で、あなたの騎士になることを誓った。それに、あいつらのやり方は、どうしたって、見過ごせない。これは、もう、俺自身の戦いでもあるんです」
俺の言葉に、彼女は、暗闇の中でも分かるほど、強く頷いた。
その瞳には、もはや迷いはなかった。
夜通し走り続け、朝日が昇る頃、俺たちは、ようやく見慣れた街の城壁にたどり着いた。
俺は、衛兵にクリムゾン商会の特別通行許可証を見せ、事情を簡潔に話し、街の中へと入る。
そして、向かうは、ただ一つ。
『異世界商店アルス』。
店の前に馬を止め、扉を開ける。
早朝にもかかわらず、店内には、明かりが灯っていた。
そこには、店のテーブルで、心配そうに寄り添うようにして、俺たちの帰りを待っていた、ミリアと、セイレーン三姉妹の姿があった。
「て、店長……! それに、王女様まで……!?」
俺とアリーシャ王女の、泥だらけで、疲労困憊の姿を見て、ミリアが駆け寄ってくる。
「一体、何が……! ルナさんは、どうしたのですか!?」
俺は、彼女たちに、全てを話した。
アカデミーでの潜入、第一王子の裏切り、カイエンたちの救援、そして、ルナが、今も一人で、敵地で戦っているであろうことを。
話を聞き終えたミリアは、青ざめた顔で、自分のエプロンを、ぎゅっと握りしめていた。
「……そんな……。ルナさんが……」
アリアたちも、言葉を失っている。
だが、最初に沈黙を破ったのは、意外にも、ミリアだった。
彼女は、涙をぐっとこらえると、俺の目を、まっすぐに見つめて、言った。
「……店長。まずは、お身体を休めてください。それから、温かいスープをお作りします。戦うためには、まず、お腹を満たして、元気を出さないと」
その、いつもと変わらない、健気で、温かい言葉。
それが、張り詰めていた俺の心を、じんわりと、溶かしてくれた。
そうだ。俺は、一人じゃない。
俺がいない間、この店を守り抜き、そして、今も俺を支えようとしてくれる、大切な仲間が、ここにいる。
俺とアリーシャ王女は、ミリアが作ってくれた、熱い野菜スープを、黙って啜った。
疲弊しきった身体に、その温かさが、染み渡っていく。
やがて、店の奥の事務所で、俺たちは、作戦会議を始めた。
メンバーは、俺、アリーシャ王女、ミリア、そして、アリア。
状況は、絶望的だ。
第一王子アウグストゥスは、王城と、王都の衛兵隊を、完全に掌握しているだろう。俺たちは、今や、反逆者の汚名を着せられた、お尋ね者だ。
手元にある戦力は、俺の【収納】スキルと、セイレーンたちの歌声、そして、ミリアの焼く、美味しいパンだけ。
「……どうすれば……。兄上に対抗するには、兵力と、大義名分が必要だわ……」
アリーシャ王女が、弱音を吐く。
その時だった。
店の扉が、静かに開いた。
そこに立っていたのは、クリムゾン商会の会頭、セシリア・クリムゾンだった。
彼女は、まるで全てを知っていたかのように、冷静な表情で、俺たちを見渡した。
「……ずいぶんと、大変なことになっているようね、アルス君」
「セシリア会頭……! なぜ、ここに……?」
「あなたが、王城で事を起こしたという報せは、すぐに私の耳にも入っていたわ。そして、あなたが向かう先が、ここだということも、読むのは容易いことよ」
彼女は、テーブルの上に、一枚の地図を広げた。
それは、エルドラド王国の、全土図だった。
「第一王子が、武力で、この国を支配しようとしている。それは、私たち商人にとっても、看過できない事態よ。彼のやり方では、自由な経済活動が阻害され、国は、いずれ、衰退するわ」
彼女は、地図の上で、いくつかの都市を、指で示した。
「幸い、この国の全ての貴族が、第一王子に賛同しているわけではない。特に、地方の領主たちの中には、彼の急進的なやり方に、不満を抱いている者も多いわ」
「……つまり?」
「私たちが、彼らを、味方につけるのよ」
セシリアの目が、鋭く光る。
「クリムゾン商会の情報網と資金力で、地方領主たちに、決起を促す。そして、アリーシャ王女、あなたには、その反乱軍の『旗印』となってもらうのです」
「わたくしが……旗印……」
「そう。正統な王位継承者であるあなたが、兄の暴政を正すために立ち上がった。その大義名分があれば、兵は集まるわ」
セシリアの、あまりにも大胆で、壮大な計画。
それは、この国を二つに分ける、『内乱』を、起こすということだった。
「……だが、それには時間がかかる。その間に、ルナと、アカデミーの学生たちが……」
俺が、懸念を口にすると、セシリアは、不敵に笑った。
「そのための、時間稼ぎも、もちろん、考えてあるわ」
彼女は、店の外を、指さした。
「見てごらんなさい」
俺たちが、店の窓から外を見ると、そこには、信じられない光景が広がっていた。
俺たちの店の前、市場の広場に、いつの間にか、大勢の、街の人々が集まってきていたのだ。
パン屋の親父、鍛冶屋の職人、冒険者、主婦、子供たち……。
彼らは、それぞれ、手に手に、粗末な棍棒や、農具、生活道具などを、武器のように、握りしめていた。
そして、彼らは、俺たちの姿を認めると、一斉に、声を張り上げた。
「アルス店長! 俺たちに、任せとけ!」
「この街は、俺たちが守る!」
「王都の偉いさんなんかに、俺たちの店長を、好きにはさせねえぞ!」
ミリアが、俺がいない間に、街の人々に、事情を話してくれていたのだ。
そして、彼らは、自分たちの意志で、一人の商人と、その店を守るために、立ち上がってくれた。
王の軍隊に、立ち向かおうとしてくれている。
俺の目に、熱いものが、こみ上げてきた。
俺が、この街で、築き上げてきたもの。
それは、金や、名声なんかじゃない。
人と人との、温かい『絆』だったのだ。
俺は、店の外に出て、集まってくれた、みんなの前に立った。
そして、深く、深く、頭を下げた。
「……みんな、ありがとう」
そして、顔を上げ、宣言した。
「―――ここを、俺たちの、反撃の拠点とする!」
商人アルスの、人生最大の戦い。
それは、王都の華やかな舞台ではなく、この、活気と、人情に溢れた、俺の愛する街から、今、始まろうとしていた。
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