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第50話:炎の天才と銀の影

「……罠、だったというわけか」


俺は、静かに呟いた。


目の前に立つカイエンの、その裏切りに満ちた瞳を見れば、もはや言葉は不要だった。


第一王子アウグストゥスは、俺の行動を予測し、最も信頼を寄せ始めているであろう教え子を使って、俺を捕らえるための網を張っていたのだ。


「先生、あんたは、俺たちに夢を見せてくれた。あんたの『科学』は、確かにすごかったよ。だがな、俺が仕えるべきお方は、ただ一人。この国を、力で、偉大なる帝国へと導く、アウグストゥス殿下だけだ」


カイエンの手にした炎の剣が、ゴウ、と音を立てて、その輝きを増す。


地下通路の狭い空間が、彼の放つ熱気で、一気に灼熱地獄へと変わっていった。


「大人しく、投降しろ、先生。殿下は、あんたのその知識を、高く評価しておられる。今ならまだ、俺たち側につくチャンスが……」


「―――断る」


俺は、カイエンの言葉を、間髪入れずに遮った。


「俺は、商人だ。そして、商人として、絶対に許せないことがある。それは、人の命や尊厳を、自分の野心のための『駒』として、使い捨てるようなやり方だ。お前が仕えている男は、まさに、それだ」


俺の、そのきっぱりとした拒絶の言葉に、カイエンの顔から、わずかな情が消えた。


「……そうか。残念だ」


彼の身体から、凄まじい魔力が迸る。


「―――ならば、力ずくで、その身柄を拘束させてもらう! 覚悟しろ、アルス!」


カイエンが、炎の剣を振り上げ、俺に向かって突進してくる。


その速度は、闘技場で見た、どの冒険者よりも速く、鋭い。


さすがは、アカデミーの天才。その実力は、本物だ。


だが、彼の剣が、俺に届くことはなかった。


俺とカイエンの間に、銀色の閃光が、割り込んだ。


キィィィィン! という、甲高い金属音。


カイエンの炎の剣を、ルナの小太刀が、寸でのところで受け止めていたのだ。


「……! お前は、あの時の……!」


「……あなたごときが、アルスに指一本、触れられると思うな」


ルナの、氷のように冷たい声が、地下通路に響く。


彼女の身体からは、カイエンの熱気とは対照的な、肌を刺すような、冷たい殺気が放たれていた。


「……面白い。アカデミーの記録にはなかったが、あんたも、ただの護衛じゃなさそうだな」


「……試してみる?」


二人の天才が、互いの得物を合わせたまま、至近距離で睨み合う。


炎と、銀。


魔術師と、暗殺者。


全く異なる二つの才能が、今、この狭い地下空間で、激突しようとしていた。


「アルス! 証拠の品を持って、先に行きなさい!」


ルナが、俺に叫ぶ。


「ここは、私が食い止める! あなたは、あなたのやるべきことを、やりなさい!」


「……ルナ!」


「……早く!」


彼女の、その真剣な眼差しを見て、俺は一瞬ためらったが、すぐに覚悟を決めた。


俺は、この計画の司令塔だ。俺が捕まれば、全てが終わる。


今は、彼女を信じるしかない。


俺は、扉の隙間に差し込んでいたICレコーダーを、素早く回収すると、元来た道とは別の、設計図に記されていた、緊急用の脱出通路へと、駆け出した。


「逃がすか!」


カイエンが、俺を追おうとするが、ルナがそれを許さない。


彼女の小太刀が、幻影のように無数の軌跡を描き、カイエンの進路を塞ぐ。


「……あなたの相手は、私よ」


「……ちっ! 邪魔をするな、女!」


背後で、激しい剣戟の音と、魔法の爆発音が響き渡る。


俺は、一度だけ、後ろを振り返った。


ルナの、その小さな背中が、俺を守るために、巨大な炎の天才と、たった一人で渡り合っている。


その姿を、目に焼き付け、俺は、歯を食いしばって、暗い通路を、ひたすらに走り続けた。


(……必ず、戻る。ルナ。だから、それまで、絶対に、死ぬなよ……!)


脱出通路の先は、アカデミーの、今は使われていない、古い礼拝堂へと繋がっていた。


俺は、息を切らしながら、礼拝堂の裏口から、外へと転がり出る。


振り返ると、アカデミー本棟の上層階で、時折、赤い閃光が窓を照らしているのが見えた。


二人の戦いは、まだ続いている。


俺には、もう、迷っている時間はなかった。


俺は、懐から、アリーシャ王女に渡されていた、もう一つの魔道具――王家にのみ伝わる、緊急用の『転移の魔石』を、強く握りしめた。


行き先は、一つ。


王城の、アリーシャ王女の、私室。


この証拠を、彼女の元へと届け、第一王子アウグストゥスの罪を、白日の下に晒す。


それが、俺の、そして、今も戦い続けているルナの、勝利条件だ。


俺は、魔石に魔力を込める。


視界が、眩い光に包まれた。


その瞬間、俺の脳裏に、一つの、強烈な予感がよぎった。


(……これは、俺個人の戦いでは、もうない)


商人アルスの、ささやかな復讐劇から始まったこの物語は、今、この国の未来を左右する、大きな動乱の、序曲へと変わろうとしていた。


そして、その中心に、俺は、立っている。


俺が、望むと、望まざるとに、関わらず。

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