第49話:潜入、深夜のアカデミー
アリーシャ王女の『騎士』となることを誓った俺は、その夜のうちに、早速行動を開始した。
第一王子アウグストゥスと、グランフェル教授が進める、禁断の実験。その、動かぬ証拠を掴むこと。それが、俺に与えられた、最初の任務だった。
「……本当に、行くの?」
アカデミーに戻る道すがら、俺の影に潜むように付き従うルナが、心配そうに尋ねてきた。俺は、王女との会話の内容を、全て彼女に打ち明けていた。
「ああ。これは、もう俺だけの問題じゃない。それに、あのグランフェルって男のやることは、どうにも、気に食わないんでな」
「……そう。あなたがそう言うのなら、私は、ついていくだけよ」
彼女の短い返事が、何よりも心強かった。
目的地は、グランフェル教授の研究室。そして、そこから繋がっているという、秘密の実験施設だ。
アリーシャ王女が、王家の権限を使って、極秘に手に入れてくれた、アカデミーの古い設計図。そこには、公式の記録には存在しない、謎の地下区画が記されていた。
深夜。
アカデミーが、静寂に包まれるのを待って、俺とルナは動き出した。
月明かりすらない、新月の夜。それは、潜入には、絶好の条件だった。
「警備の魔術師は、30分おきに巡回しているわ。次の巡回まで、あと28分。それまでに、研究室に侵入する」
ルナは、まるで自分の庭のように、アカデミーの構造と警備体制を、完璧に把握していた。
俺たちは、音もなく、影から影へと移動する。
グランフェル教授の研究室は、アカデミー本棟の最上階にあった。
扉には、複雑な魔法の鍵が、幾重にもかけられている。
「……これは、面倒ね。解錠するのに、少なくとも10分はかかるわ」
ルナが、特殊な解錠ツールを取り出しながら、眉をひそめる。
「いや、その必要はない」
俺は、彼女を制止すると、一枚の、薄いプラスチック製のカードを、ドアの隙間に差し込んだ。
それは、【収納】スキルで取り寄せた、ただの『クリアファイル』を切り取っただけのものだ。
俺は、地球の映画で見た、原始的なピッキングの方法を思い出しながら、カードを慎重に動かす。
カチャリ、という、小さな音。
あれほど厳重に見えた錠前が、いとも簡単に、その口を開いた。
この世界の魔法の鍵は、物理的な攻撃には強いが、こういう、アナログな侵入方法には、全くの無防備だったのだ。
「……あなた、本当に、何者なの……?」
ルナが、呆れたような、感心したような、ため息をついた。
俺たちは、静かに研究室の中へと忍び込む。
部屋の中は、昼間と変わらず、無数の本と、ガラクタで埋め尽くされていた。
俺たちが探すべきは、地下へと続く、隠し通路だ。
「……あったわ」
ルナが、部屋の隅にある、巨大な本棚を指さした。
その本棚だけ、床に、不自然な円形のレールが敷かれている。
俺たちは、二人で本棚に力を込めて押した。
ゴゴゴゴ……という、重い音と共に、本棚が横にスライドし、その裏側に、黒い口を開けた、下り階段が現れた。
階段の先は、じめじめとした、カビ臭い空気が漂っていた。
俺は、スキルで、小型の『LEDライト』を取り出し、足元を照らす。
その、魔法とは違う、クリアで強力な光に、ルナはまた少し驚いていた。
地下通路は、まるで迷路のように、複雑に入り組んでいた。
だが、俺たちには、アリーシャ王女の設計図がある。
俺たちは、慎重に、しかし迷うことなく、その最深部へと、進んでいった。
やがて、俺たちは、一つの、巨大な鉄の扉の前にたどり着いた。
扉の向こう側から、微かに、機械の作動音のようなものと、人の話し声が聞こえてくる。
ここが、間違いなく、秘密の実験施設だ。
俺は、扉に耳を当て、中の会話に、意識を集中させた。
聞こえてきたのは、グランフェル教授の声と、もう一人、俺が知らない、冷たく、傲慢な響きを持つ、若い男の声だった。
「……教授。実験の進捗は、どうなっている?」
「はっ! アウグストゥス殿下。順調に進んでおります。サンプル・アレクサンダーから抽出した『勇者の因子』の解析は、最終段階に入っており、これを人工的に培養・増殖させる技術も、間もなく確立できるかと」
アウグストゥス殿下。
第一王子、その人だ。
「そうか。して、『器』の方は、どうだ? 次期聖剣適合者の候補は、見つかったのか?」
「そちらも、問題ありません。アカデミーの優秀な学生の中から、数名の有望な候補者を選定済みです。彼らに、培養した因子を投与し、最も高い適合率を示した者を、次なる『勇者』として、聖剣のもとへとお連れする手筈にございます」
俺は、その会話の内容に、吐き気にも似た、強い怒りを覚えた。
彼らは、命を、人間の尊厳を、何だと思っているんだ。
学生たちを、ただの実験材料としか見ていない。
「……よろしい。続けろ。我がエルドラド王国が、大陸の覇権を握るためには、量産可能な『英雄』は、不可欠な戦力となる。この計画、必ず成功させるのだ」
「御意のままに」
間違いない。これが、動かぬ証拠だ。
だが、この会話を、どうやって、外に持ち出す?
俺が、聞いたと証言したところで、誰も信じないだろう。
その時だった。
俺は、懐から、一つの、小さな機械を取り出した。
それは、手のひらに収まるサイズの、『ICレコーダー』だった。
スイッチを入れると、小さな赤いランプが灯り、周囲の音を、クリアに録音し始める。
俺は、そのICレコーダーを、扉の隙間に、そっと差し込んだ。
彼らの会話が、その悪魔の計画の全てが、この小さな機械の中に、記録されていく。
(……よし。これで、証拠は掴んだ)
俺が、安堵のため息をつこうとした、その瞬間だった。
俺の背後で、ルナが、鋭く、息を呑んだ。
「……アルス! 後ろ!」
俺が、咄嗟に振り返ると、そこには、いつの間にか、一つの人影が立っていた。
それは、アカデミーの制服を着た、一人の、見覚えのある学生だった。
炎のような、赤い髪。
その手には、燃え盛る炎の剣が、握られている。
カイエン・マグナだった。
「……やっぱり、あんたたちか、アルス先生」
彼の顔には、いつものような、傲慢な笑みはなかった。
あるのは、裏切られたことへの、深い悲しみと、そして、任務を遂行しようとする、冷徹な覚悟の色だけだった。
「……何の真似だ、カイエン」
「何の真似、だと? それは、こっちのセリフだ。……あんたが、こんな場所で、嗅ぎ回っていることは、アウグストゥス殿下から、とうに報告を受けていた。……俺は、あんたを、信じていたのによ」
彼の言葉で、俺は全てを理解した。
カイエンは、第一王子アウグストゥスの、息がかかった人間だったのだ。
俺を、監視するための、駒として。
俺たちの潜入は、最初から、彼らに筒抜けだったのだ。
俺は、まんまと、罠に、かかった。