第48話:アカデミーの闇と王女の影
アレクサンダーとの再会は、俺の心に、静かだが、深い波紋を残した。
彼の悲惨な現状は、自業自得だ。そう、頭では分かっている。
だが、グランフェル教授の、あの人間を研究サンプルとしか見ていない、冷徹な科学者の目。アカデミーという、知の聖域が隠し持つ、その底知れない『闇』の一端に触れたような気がして、俺は、言い知れぬ不安を感じていた。
(……アカデミーは、危険すぎる)
俺は、自分の立場を、改めて考え直す必要があった。
臨時講師として、彼らに地球の知識を教える。それは、この世界の発展に貢献できる、やりがいのある仕事だ。
だが、深入りしすぎれば、俺自身が、彼らの『研究対象』にされてしまう危険性も、ゼロではない。
俺の【次元連結収納】スキル。その存在が、もしアカデミーに知られれば……。考えただけで、背筋が凍る思いだった。
俺は、アカデミーでの講義を続けながらも、グランフェル教授や、他の学者たちとは、意識的に距離を置くようにした。
カイエンたち『アルケミスト・ウィングス』のメンバーとは、良好な師弟関係を築いていたが、彼らにも、自分の秘密の核心に触れるような話は、一切しなかった。
そんな、疑念と警戒心を抱えたまま、数週間が過ぎたある日のこと。
俺の元に、再び、アリーシャ王女から、一通の手紙が届いた。
だが、その手紙は、いつものような、わがままな少女からの無邪気なものではなかった。
そこには、ただ一言、こう書かれていた。
『―――今夜、いつもの場所で。話があるわ』
いつもの場所。それは、俺が彼女に『講義』を行うために、王城内に用意された、小さな図書室のことだ。
その、簡潔で、有無を言わせぬ文面から、俺は、ただ事ではない雰囲気を察した。
その夜、俺は、アカデミーを抜け出し、厳重な警備を潜り抜け、約束の図書室へと向かった。
ルナも、影のように俺に付き従い、周囲の警戒を怠らない。
図書室には、アリーシャ王女が、一人で俺を待っていた。
いつもの、華やかなドレス姿ではない。動きやすい、簡素な乗馬服のような出で立ちだった。
そして、その表情は、これまでに見たことがないほど、硬く、そして真剣だった。
「……よく来たわね、アルス」
「王女様。一体、何が……?」
彼女は、俺の問いには答えず、一枚の、古い羊皮紙をテーブルの上に広げた。
それは、王家の書庫の、最も深い場所に保管されていたという、禁断の歴史書の一部だという。
「……これを、読んでちょうだい」
羊皮紙には、古代エルフの文字で、何かが記されていた。俺には読めない。
だが、その中央に描かれた、一つの『紋章』を見て、俺は、息を呑んだ。
―――交差する二本の剣と、昇る太陽。
それは、『暁の剣』の紋章。
「……これは……!」
「ええ。その紋章は、元々、あなたたちが使っていたものではないわ。それは、数百年前に、この国を建国した、初代国王に仕えたという、伝説の『勇者』が使っていた、由緒正しき紋章よ」
アリーシャ王女は、衝撃的な事実を、静かに語り始めた。
「そして、その初代勇者が使っていたという剣こそが、アレクサンダーが持っていた、聖剣『エクスカリバー』。……いいえ、正確には、その『レプリカ』だけど」
「レプリカ……?」
「そう。本物の聖剣は、初代勇者が、魔王を封印する際に、その力を使い果たし、砕け散ったと、伝説には記されているわ。今、王家に伝わっている聖剣は、全て、その力を模して作られた、言わば、劣化コピーなのよ」
話が、どんどん、俺の知らない方向へと進んでいく。
「アレクサンダーは、そのレプリカの一つに、たまたま適合した、ただの『器』に過ぎなかった。……そして、アカデミーが、本当に研究しているのも、彼自身ではないわ」
アリーシャ王女は、そこで一度言葉を切り、俺の目を、まっすぐに見つめた。
「アカデミーが、そして、その背後で糸を引いている、我が国の、ある『派閥』が、本当に欲しがっているもの。それは、『本物の聖剣』を、再びこの世に作り出すための、古代の技術……そして、その聖剣を扱える、『本物の勇者』を、人為的に生み出すための、禁断の実験なのよ」
「……!」
俺は、言葉を失った。
アレクサンダーの研究は、ただの魔力解析ではなかった。それは、新たな『兵器』を、そして『英雄』を、人工的に作り出すための、恐ろしい計画の一部だったのだ。
「そして、その計画を主導しているのが、グランフェル教授。そして、彼の後ろ盾となっているのが……」
アリーシャ王女は、悔しそうに、唇を噛んだ。
「……わたくしの、異母兄……第一王子である、アウグストゥス兄上よ」
第一王子。
次期国王の、最有力候補。
彼が、この国の軍事力を増強するために、アカデミーを利用し、非人道的な実験を行っている。
俺は、自分が、とんでもない権力争いの、渦中に足を踏み入れてしまったことを、ようやく理解した。
「アルス。わたくしは、兄上のやり方を、止めたい。力で、人を、国を支配しようとする、その考えは、間違っているわ。わたくしは、あなたが『恵みの大地』で見せてくれたように、対話と、共存で、国を豊かにしたいの」
彼女の紫色の瞳には、強い意志の光が宿っていた。
もはや、わがままな少女の面影は、どこにもない。
彼女は、この国の未来を憂う、一人の、気高き王族の顔をしていた。
「……あなたに、お願いがあるわ。わたくしの、本当の『騎士』になってほしいの」
「……騎士?」
「ええ。わたくしの手足となり、兄上と、アカデミーが隠している『闇』を、暴いてほしい。あなたなら、それができる。あなたの、あの不思議な力があれば……」
それは、あまりにも危険な、依頼だった。
一国の、王位継承問題に、真っ向から介入することになる。失敗すれば、俺の命はないだろう。
だが、俺は、彼女の瞳から、目を逸らすことができなかった。
彼女は、俺を信じてくれている。
俺が教えた、『対話』と『共存』の理想を、本気で実現しようとしている。
そして何より、俺は、グランフェル教授の、あの冷たい目を、思い出した。
アレクサンダーの、あの虚ろな目を、思い出した。
あんな、人の尊厳を踏みにじるような行いを、俺は、見過ごすことはできない。
俺は、静かに、片膝をついた。
そして、目の前の、気高き王女に、騎士の礼を取った。
「―――御意のままに、プリンセス。このアルス、あなたの剣となり、あなたの盾となりましょう」
俺の、返事。
それは、この国の歴史を、そして、俺自身の運命を、大きく変えることになる、新たな『契約』の、始まりだった。




