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第47話:地下牢の『研究対象』

魔導飛行機の初飛行成功は、アカデミーに、いや、王国中に衝撃を与えた。


俺の講義は、アカデミーで最も人気のある授業となり、聴講を希望する学生が殺到して、講義室をより大きなものに変えなければならないほどだった。


カイエンたち5人の天才たちは、一躍、アカデミーの英雄となり、彼らのチーム『アルケミスト・ウィングス』は、様々な研究室から共同研究の申し込みが絶えない、注目の的となっていた。


俺は、そんな彼らの成長を、少し離れた場所から、満足げに眺めていた。


俺の『講師』としての役割は、もう十分に果たしたと言えるだろう。


だが、俺がこのアカデミーに来た、もう一つの目的。


それを、まだ果たしてはいなかった。


講義が休みのある日の午後、俺はグランフェル教授を訪ねた。


「教授。例の件ですが、そろそろ、よろしいでしょうか」


「……ふむ。アレクサンダー・フォン・ヴァレンシュタインのことかね?」


グランフェル教授は、分厚い本のページをめくる手を止め、銀縁の眼鏡の奥から、探るような目で俺を見た。


「……構わんよ。君には、その権利がある。だが、一つだけ、忠告しておこう。……今の彼は、君が知っている、かつての彼ではない。あまり、深入りはせんことだ」


教授の、その意味深な言葉を胸に、俺は、アカデミーの地下深くに存在する、特別研究棟……通称、『地下牢』へと、一人で向かった。


そこは、通常の牢獄とは違い、厳重な魔法障壁と、錬金術による錠前で、幾重にも封印されている。危険な魔獣や、禁断の魔法遺物を保管するための、特別な施設だ。


重々しい鉄の扉を開け、薄暗く、ひんやりとした螺旋階段を下っていく。


やがて、一番奥にある、一つの独房の前にたどり着いた。


そこだけ、他の独房とは違い、壁全体が、魔力を吸収する特殊な鉱石で作られており、外の光は、一切差し込まないようになっていた。


看守の魔術師が、俺の顔を確認すると、無言で、いくつもの鍵を開けていく。


「……面会時間は、15分だ。何かあれば、すぐに叫べ」


そう言い残し、看守は去っていった。


俺は、ゆっくりと、独房の中へと足を踏み入れた。


中は、最低限の寝台と、粗末な机があるだけの、殺風景な空間だった。


そして、その部屋の隅。


鎖に繋がれた一人の男が、壁に向かって、蹲っていた。


金色の髪は、見る影もなく汚れ、伸び放題になっている。


かつて、鍛え上げられていたはずの身体は、痩せこけ、その手足には、幾つもの実験の跡と思われる、痛々しい傷跡が刻まれていた。


「……アレクサンダー」


俺が、静かにその名を呼ぶ。


男の身体が、ぴくりと震えた。


そして、彼は、まるで錆びついた人形のように、ぎこちない動きで、ゆっくりと、こちらを振り返った。


その顔を見て、俺は、思わず息を呑んだ。


彼の、あの自信と傲慢に満ちていた、蒼い瞳。


その瞳から、光が、完全に消え失せていたのだ。


そこにあるのは、絶望とも、諦念とも違う、何も映さない、ただの空虚なガラス玉だけだった。


「……ああ。お前か」


彼の唇から、乾いた、ひび割れた声が漏れた。


「……アルス、だったな。わざわざ、俺の無様な姿を、笑いに来たのか?」


その声には、もはや、怒りも、憎しみも、感じられなかった。


ただ、全てを諦めきった者の、虚ろな響きだけがあった。


俺は、彼の前にしゃがみ込むと、静かに問いかけた。


「……何を、されているんだ。ここで」


「……研究、とやらだよ」


アレクサンダーは、自嘲するように、ふっと笑った。


「俺の身体に流れる、聖剣に選ばれたという、特別な魔力。それを、解析しているらしい。毎日、血を抜かれ、魔力を吸い出され、よく分からない薬を投与される。……ただ、それだけの、日々だ」


その言葉は、俺が想像していた以上に、悲惨なものだった。


グランフェル教授は、彼を、もはや人間として扱っていない。ただの、貴重な『研究サンプル』として、その全てをしゃぶり尽くそうとしているのだ。


「……そうか」


俺は、それ以上、かける言葉が見つからなかった。


かつて、あれほど憎んだ相手。だが、今の彼の姿を前にして、俺の心に湧き上がってきたのは、勝利の快感ではなく、むしろ、形容しがたい、居心地の悪さだった。


「……お前に、一つ、聞きたいことがある」


しばらくの沈黙の後、アレクサンダーが、ぽつりと呟いた。


「……なぜ、俺たちは、こうなってしまったんだ……?」


その問いは、俺に向けられたものであると同時に、彼自身の、魂からの問いかけのようだった。


「……俺は、勇者だったはずだ。人々を守り、魔を討つ、光の存在だったはずだ。なのに、いつからだ? いつから、俺は、道を踏み外してしまったんだ……?」


俺は、彼の問いに、すぐには答えられなかった。


俺は、静かに、記憶の糸をたぐり寄せる。


「……なあ、覚えているか、アルス」


アレクサンダーは、虚空を見つめながら、続けた。


「俺たちが、まだ、駆け出しのパーティだった頃。ゴブリンの洞窟で、俺が罠にかかって、動けなくなったことがあっただろう。あの時、戦闘能力のないお前が、必死に、震えながら、俺の前に立ちはだかって、ゴブリンの群れから、俺を守ってくれたことがあった」


「……」


そんなことも、あったかもしれない。俺は、もう、忘れかけていた。


「……あの頃は、まだ、楽しかったな。俺たちは、確かに、『仲間』だった。……だが、俺は、いつしか、力を求め、名声を求め、そして、俺は、お前を……一番、俺を信じてくれていたはずの、お前を、切り捨てた。……全ては、そこから、狂い始めたんだ……」


彼の目から、光を失ったはずの瞳から、一筋の、涙がこぼれ落ちた。


それは、後悔の、そして、ほんのわずかな、自己への憐憫の涙だった。


俺は、立ち上がった。


そして、独房の扉に向かって、歩き出す。


俺が、この場所に来た目的は、もう、果たされた。


彼の、成れの果て。その、真実の姿を、俺は、確かに、この目に焼き付けた。


「……待ってくれ、アルス!」


背後から、彼のか細い声が、追いすがってきた。


「……頼む! 俺を、ここから、出してくれ……! もう一度……もう一度だけ、やり直したいんだ! 頼む!」


その声は、かつての勇者のものではなく、ただの、助けを求める、一人の弱い人間の声だった。


俺は、一度だけ、足を止めた。


だが、振り返ることは、しなかった。


そして、彼に、ただ一言だけ、告げた。


「―――それは、俺が決めることじゃない。お前自身の、これからの生き方が、決めることだ」


俺は、そのまま、独房を後にした。


扉が閉まる間際に聞こえた、彼の絶望の叫び声を、俺は、聞かなかったことにした。


地下牢から地上へと戻る、長い螺旋階段を登りながら、俺は、考えていた。


俺は、彼を、赦したのだろうか?


いや、違う。


赦す、赦さない、という次元では、もうないのだ。


俺と彼は、もう、交わることのない、別の道を歩いている。


ただ、それだけのことだ。


過去は、変えられない。だが、未来は、これから作っていくことができる。


俺は、地上に出て、眩しい太陽の光を浴びた。


地下の暗闇とは対照的な、その温かい光が、俺の心に残っていた、最後の澱みを、洗い流してくれるようだった。


過去との、本当の決着。


それは、相手を打ち負かすことでも、赦すことでもない。


ただ、その存在を、静かに、自分の物語から、手放してやることなのかもしれない。

俺は、空を見上げ、深く、息を吸い込んだ。

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